Thoughts and Notes from NC

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『日本人のための憲法原論』 憲法は国家権力を縛るための契約

本書、『日本人のための憲法原論』は、キリスト教史を中心に西洋史を遡りつつ、憲法とは何か、民主主義とは何か、その両方が現代日本で何故骨抜きになってしまっているか、というテーマに真正面から取り組む良書だ。筆者の小室直樹氏の本は、同シリーズの『日本人のための宗教原論』や『日本人のためのイスラム原論』もわかりやすく本質をついた必読の書であるが、本書『日本人のための憲法原論』も期待に違わぬ良書であった。重厚なテーマでありながらも、対話・講義形式でテンポよく記載されているため、非常にわかりやすく、「憲法とは何ぞや」という問いに対して深い理解を与えてくれる。

 

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論

  • 作者:小室 直樹
  • 発売日: 2006/03/24
  • メディア: 単行本
 

 

憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のためにかかれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法・・・・・・これらの権力に対する命令が、憲法に書かれている。

『日本人のための憲法原論』 第2章 誰のために憲法はある

 本書では、憲法というのは法律の上位概念とかそういうものではなく、「国家権力を縛るための契約である」という憲法の本質がずばりと記載されている。憲法でいう「言論の自由」というのは各国民が自由闊達に自分の意見を言えるためのルール、というよりむしろ、国家権力が国民の言論を統制するような規則を作ろうとした時に立ち戻って、国家権力の暴走に歯止めをかけるための国民が備えた武器であるという説明は、非常に説得力があり、わかりやすかった。

 

本書では、西欧諸国での憲法の成り立ちと、日本における憲法の成り立ちを比較しながら、何故「日本の憲法論がぼんやりしているのか」ということにずばずばと切り込む。特に第11章の「天皇教の原理」は本書最大の読みどころだ。中世ヨーロッパでは、国王の力は当初は非常に制限されており、封建領主と国王の間には主従関係ではなく、そこにあったのは契約関係だけであり、その国王と封建領主間の権利と義務の定めが憲法の出発点であるという考え方はとても勉強になった。ヨーロッパの憲法はその成り立ちからして「権力者と国民の契約」なのである。一方で、日本は初めに制定された明治憲法は時の明治天皇と、先祖である天照大神や歴代天皇との契約であり、「天皇と国民の契約」ではなかったというから興味深い(本エントリーで、何故そうなったのかの詳述はさけるので、興味のある方は是非本書を手にとって頂きたい)。そして、現在の日本国憲法は多くの方がご存知の通り、アメリカのGHQから与えられた憲法であるため、その出自から「権力者と日本国民の契約」という形にはなりえなかったので、日本人の意識に「憲法は国家を縛るものである」という考えが遂に定着しなかったのだと、筆者はまとめる。

 

翻って、現安倍政権を見るに、日本の憲法というのは非常に危うい状況にあり、筆者が「日本の憲法は死んでいる」というのも頷ける。第二次安倍内閣ができた当初に、憲法を改正するためには「各議員の総議員の三分の二以上の酸性で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」という憲法九十六条を変更しようとしたのは記憶に新しい。国家権力が、それを縛る規則を自分が変更しやすいように改正しようというのは、立憲民主主義の危機にほかならない。そして、憲法を変える道が難しそうなので、「集団自衛権の解釈を変える」という憲法を変えずにその解釈をねじまげるという変化球というか、殆ど魔球を投じた安倍晋三の行動は国家権力の暴走と言っても言い過ぎではない。それと比べるとアベノマスクを配って税金の無駄遣いをするなど可愛いものだし、権力者としての暴走の隠れ蓑として国民が食いつきやすい撒き餌として敢えて、あの失策をしたのではないかと勘ぐってしまう。

 

と、色々書いてはみたがが、本書を読んで自らの不勉強を再認識した。米国に住んでいるのだから、民主主義国家の代表であるアメリカの憲法と民主主義についてもしっかり学ばなければ。また、ここのところ歴史や宗教を勉強して培ってきた微々たる知識が繋がっていく感覚を覚えることもでき、有意義な読書体験となった。本書は、Amazonでもしばらく購入不可能であったが、本日(2020年8月16日時点)見たところ、最近少しだけ在庫が積み増されているように見える。興味のある方は、早いものがちなのでお早めのご購入を。また、集英社インターナショナル社はこういう良書こそ電子書籍化することを是非検討頂きたい。

『労働者階級の反乱〜地べたから見た英国EU離脱』 英国で育つ若い芽たち

『労働者階級の反乱〜地べたから見た英国EU離脱』は先日紹介した『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』の著者であるブレーディみかこさんによる、英国のEU離脱について労働者階級の視点でのルポルタージュだ。

 

英国EU離脱は、右傾化した排外的ナショナリズムというくくり方をされがちであるが、歴史を紐解いてみたり、一つの国に混在する多種多様な人々にフォーカスをあててみると、ことはそんなに単純ではないことがよく分かる。

 

移民や英国の若者が労働者の待遇の改善に興味を持たないことを嘆く60代の配送業ドライバー、何気なしに離脱派に投票して家族から白い目で見られている自動車修理工、銀行員の妻と結婚してミドルクラスの生活を送るブラックキャブのドライバー、政府の福祉カットのあおりをうけて大型スーパーでやむなく働き、移民制限を声高に叫ぶ60代、不動産を複数持ち、パートナーと年金と家賃収入で暮らし、ブレグジットにより多くの仕事が英国に戻り再び好景気になると信じる元看護師、など本書ではこれでもかとばかりに様々なバックグラウンドを持った人たちのブレグジットに対する生の声が紹介されている。「英国白人労働者階級」の方々と親交が深いという強みを最大限活かして綴られた本書は、現在進行形で進む英国EU離脱を生々しい息吹とともに感じることのできる良書だ。

 

欧州単一市場からの離脱による経済的インパクト、移民制限による英国白人労働者層の雇用機会の増大、現政権の緊縮財政と福祉制限への不安、などがブレグジットの是非の主要な争点である。その中でも移民の問題は複雑で根深く、私自身が移民であることからも非常に興味深かった。

 

マクロ経済の視点でみると人口の増減というのは今後の国の経済力を考える上で死活的に重要だ。日本のように、出生率が低く労働人口が減少傾向にある国は「移民」を受け入れることにより労働人口を確保しなければ経済は先細るばかりだ。このサイトによると、英国は2039年まで人口が増加傾向にあり、出生率がそんなに下がらないということに追加して、ポーランドを中心とした欧州諸国からの移民の受け入れにより、経済成長の下地を築くことができている。労働人口が減少し続けて、雲行きの怪しい日本とは異なり、人口増が向こう20年見込める羨ましい状況にあるが、国内の居住者の8名に一人が外国の出身者であり、「移民」受け入れによる国内の分断という問題に現在進行中で挑み続けているとも言える。

 

本書に登場する人たちは「移民」の受け入れの是非について、そのポリティカル・コレクトネスに最大限配慮しながらも、人種差別主義者との誹りを免れるぎりぎりの線で本音を語っており、「移民」によって英国が大小の分断に直面している様がよく表現されている。EU離脱が国民投票の結果として決まったからと言って、英国が「移民」を制限することについて国民的総意に到達したかというと、話はそれ程単純ではない。「移民により職を失った人と移民の存在によって生活が支えられている人」との分断であったり、「移民がいなくなればより多くの職が英国人に戻ってくると信じる人と移民無しで英国経済を今レベルに保つことは絶望的と考える人」との分断であったり、そこかしかに存在する英国の分断は、喧々諤々でこの大問題に取り組む英国民と欧州民の努力の結晶であると共に、国民レベルで積み重ねられていっている叡智そのもののように私には見える。

 

本書では、『ワイフ・スワップ』という英国のテレビ番組が紹介されている。実在するリアルな2つの家庭の母親を入れ替えて、1週間生活させてみるという番組。典型的なEU離脱派とEU残留派の過程をブレグジットスペシャルとして入れ替えるという特番が組まれ、同じ国に住みながらも混じり合わない2つの家庭の様が見事に描かれていた。その埋まらない溝の深さも興味深いのだが、交換が終わった後の残留派の家庭の17才の娘の言葉がとても印象的であった。

「彼女の政治的な考え方はどうであれ、私は彼女は素晴らしい女性だと思った。私たちはほとんど合意することはなかった。でも英国的価値観というのは、そのことだと思う。私たちは様々なまったく違う見解や信条を持った人たちの中で生きている。それでも、オープンにそれを語り合う。『英国的』というのは、まさにそういうことなんだと思う

『労働者階級の反乱~地べたから見た英国EU離脱』

傍から見ると右往左往している英国。雨降って地固まる、かどうかを判断するにはもう少し時間を要するが、老いも若きも巻き込んだ国民的議論を通じて、次の英国並びに欧州を担う若い芽が育っていることだけは確かのようだ。今後もブレグジットの動きに注目していきたい。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 多様性と無知について考える

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ。控えめな評価を与えたとしても、本書は今年読んだ本の中でトップ3に入る面白さであった。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 

 

本書は、英国の格差社会の現状を活写するノンフィクションであり、英国在住の日本人女性の日々を綴ったエッセイであり、かつ社会の格差や差別に直面する中学生の成長の物語でもある。筆者のブレイディみかこさんは、現在アイルランド人の配偶者と中学生の息子と英国に住んでいるライター・コラムニストだ。

 

物語は、一人息子が中学生になる際に、良家の子女の集まるカトリック中学校ではなく、英国社会の格差が蠢く「元底辺中学校」を進学するところから始まる。英国では、人種の多様性があるのは上流階級の子女が通うランクの高い学校であり、逆にランクの低い学校は生徒の殆どが白人英国人だという。ランクの高い学校は格差や多様性についての生徒の意識も高いため、差別やいじめなどはあまり横行していないが、ランクの低い学校は差別やいじめのるつぼになりがち。格差を助長し、差別的な発言を繰り返す米国大統領の支持基盤が白人米国人であるというのと同じ構図で興味深い。

 

案の定というか、予想通りというか、中学生の息子の学校生活は、格差、差別、いじめで溢れている。ハンガリー移民でありながら誰彼構わず人種差別な発言を繰り返す友人のダニエル、貧しい人が集まる公営住宅に住み、その貧しさから昼食の万引をし学校でいじめにあうティム、アフリカからの移民家族など、様々なキャラクターが英国白人が大勢を占める学校並びに社会であれやこれやの事件を起こしたり、事件に巻き込まれたりする日常。トリッキーな社会の分断構造からくる大波に親子で見舞われ、時に打ちのめされ、時に力強く抗い、時に涙しつつも、親子で朗らかにその状況を乗り越えていく様が、ユーモアセンスに溢れる筆致で見事に描かれており、一度読みだしたらとめられないやつだった。

 

私は米国に住んで6年ほどたち、丁度娘が中学校を卒業し、息子が小学校を卒業したばかりだ。子どもたちが通う学校は、多様性に溢れており、露骨な人種差別や嫌がらせなどは幸いなことになかった(と、願いたい)。が、娘の通う公立学校はお世辞にも良い学校とは言えず、それなりに苦労をしながら卒業までなんとかこぎつけたので、本書を読みながら、英国の事情に驚きつつも、米国との共通点に頷いたり、子を持つ親として筆者に感情移入して涙したり、筆者のユーモアセンスに大爆笑したり、そして決して華麗ではないながらも一歩一歩前に進んでいく姿に多くを学び、大変貴重な読書経験となった。

 

どの章も酒の肴として語りつくせるくらい面白いが、9章の「地雷だらけの多様性ワールド」は最高だ。色々な民族、人種、宗教、背景の人たちが一緒に暮らしていると、決して相手を傷つけようとしたり、蔑むような意識がなくても、知らずしらずのうちに相手を傷つける不用意な発言をしてしまうことは、どうしても発生してしまう。本章で筆者は、アフリカからの移民の転校生の家族と話すのだが、こちらからの発言にはポリティカル・コレクトネスに最大限配慮をするものの、相手は無知がゆえにどばどばと遠慮なしに地雷を踏んでくる。

そんな相手に眉をひそめつつも上手いこと受け逃していた筆者であるが、

「どこか休暇に出かけるんですか?」

という何気ない質問を相手に投げかけたことで、盛大に地雷を起爆するというエピソードなのだが、多様性と向き合うことの難しさを改めて考えさせられる力作だ。「どこか休暇に出かけるんですか?」という問いかけで何故爆発を起こしてしまったのかは、本作を読んで確認頂きたい。

 

きっと私がこのエピソードに惹かれるのは私自身も盛大に地雷を踏んで、大爆発したことがあるからだ。その話を少しこの場で共有をしたい。前述した通り娘の通う学校は、お世辞にも素晴らしい学校とは言えず、公立学校のランキングサイトでAcademic Progressという項目で10段階評価で堂々の1点を獲得するような中学校であった。国語の授業の先生は、元軍人という経歴ならではの面白さもありながらも、非常に過激で、「この世からある民族を一つ殲滅するとしたら、どの民族を殲滅させるか、その理由と共に述べよ」というような信じがたいエッセイの課題をだすような人であった。娘が特にその先生の授業で苦労しているようだったので、色々娘の話を聞いた上で、その先生にメールを送ったことがある。仕事柄、英語での機微に富むメールというのは書きなれていることもあり、最大限の配慮と敬意をもって、何度も読み返し、書き直して渾身の一通を送ったのだが、先生から頂いた返信は言葉を失うくらい乱暴で、怒りに満ちていたものであった。その過激な返信は目を覆わんばかりのものであったので、プライベートでもアメリカ生活のあれやこれやを色々相談する私の上司の助言を求めることにした。私の送ったメールを見た上司が苦い顔を浮かべて、私を個室に連れ込み、放った言葉は衝撃的で今も忘れられない。

 

“She thinks you are a racist”

「この先生は、お前さんのことを人種差別主義者だと思ってるぞ」

 

私にとっては正に晴天の霹靂であった。この自分がまさか人種差別主義者だと思われているとは、、、。内容の詳述を避けるが、奇しくも「Diversity」という言葉をメールの文面に使ったことにより、その一単語が私が人種差別主義者との誤解を招き、話がこれ以上ないくらいややこしくなってしまった。上司の助言に基づくフォローをすることで、結局事なきをえたが、「Diversity」という言葉を不用意に使ってしまったのは迂闊であり、アメリカ生活の中での苦い思い出の一つだ。それなりに長いアメリカ生活で喜怒哀楽は色々あったが、正直一番傷ついた事件であったりする。

 

多様性っていうのは良い面もあるが、うんざりするほど面倒であることも事実だ。でも、その面倒というのは自分の無知により引き起こされていることを経験から学んだ私に、下記の筆者と息子のやりとりはものすごく響く。少し長いが引用させて頂きたい。

 

「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど?」

「うん」

「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」

「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」

「楽じゃないものが、どうしていいの?」

楽ばっかりしてると、無知になるから

とわたしが答えると、「また無知の問題か」と息子が言った。以前、息子が道端でレイシズム的な罵倒を受けたときにも、そういうことをする人々は無知なのだとわたしが言ったからだ。

多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 4 スクール・ポリティクス

 

 日々多様性に直面している在米日本人の方、国際的企業に勤めて多様性に四苦八苦している方だけでなく、「多様性ってそんなに面倒ですか」と実感のない方にも是非手にとって欲しい一冊だ。

英語を「聞く」、「話す」ができるようになるために大事なこと 〜シャドーイングの肝〜

『中田敦彦のYouTubed大学』は、私が購読している数少ないYouTubeチャンネルの一つだ。扱われるトピックが多岐に渡り、特に自分が勉強不足の内容については、散歩やランニングをする時に聞き流すのに調度良い。そのチャンネルで先日、英語の勉強方法について触れられていた。


【英語の授業①】日本人はなぜ英語が話せないのか?


【英語を話す②】中田の結論は英語字幕つきの会話動画をシャドーイング

 

私は英語の勉強を思い立ったのが30代前半で、中学・高校・大学とそれなりに勉強したのに、「多少は読めるが、聞き取れないし、話せない」という日本人の典型的なパターンだったので、英語にいよいよ取り組もうという中田氏の心意気はよくわかる。自分の英語コンプレックスを惜しげなく開陳しながら、勉強に取り組もうとする勇気と勤勉さには感心させられる。

 

私は30歳になってから一念発起し(と言っても3度目くらいの一念発起でようやくモノになったというのが実情だが)、ビジネスで使える英語の勉強を始めた。その勉強方法は本ブログでも

ktdisk.hatenablog.comというエントリーで紹介したが、奇しくも中田氏の薦めている方法は、私が英語勉強のバイブルとして活用した『英語上達完全マップ』の内容と似通っている。有象無象の英語学習本の中から、正しい解導き出せるのも氏の勉強慣れによるものであろう。

 

私の英語の勉強の経験上、「繰り返しの音読」は決定的に重要だ。2つ目の動画で勧められているシャドーイングは、耳から入った英語の内容を理解し、その理解を口からアウトプットする、という練習法で、私も文字通り死ぬほどやった練習だ。それによって、ネイティヴの流暢な英語でも、その言い回しについて確実に聞き取れるようになるし、繰り返し口から発した言い回しというものは会話の中で徐々に発することができるようになる。

 

が、動画を見る限り、中田氏がシャドーイングを理解しているか少し疑問に思った。字幕に表示されている英文を動画に少し遅れて読んでいくといくだけではシャドーイングの練習効果は私の経験上半分以下になってしまう。繰り返しになるが、シャドーイングは、耳から入ってきた英語の内容を理解して、その理解に基づいて口から発することが胆であり、これにより英語のインプットとアウトプットの基底力が養われる。私の経験上から英語の初学者が、いきなりシャドーイングをするのは不可能だ。

シャドーイングをしたことが無い人には、日本語の動画をまずシャドーイングすることを私は勧めたい。アナウンサーのきれいな日本語がわかりやすいので、テレビのニュースを日本語でまずシャドーイングしてみると良い。自分が、耳から入ってきた個々の文節を理解し、口にだしながらも、並行して耳からさらに新しく入ってくるインプットを理解と消化できていることがよくわかると思う。これは日本語が母語であるから、練習なしでできる芸当であり、英語の初学者がいきなり英語でやるのは、無理がある。

中田氏のシャドーイングの動画では、「リピーティング」というステップと「繰り返しの重要性」についての説明が抜けていたが、この二つがシャドーイングの学習効果を高めるためには決定的に重要だ。

「リピーティング」は、ざっくり言うと

  1. 練習対象の英文を読み込み理解する
  2. 読み上げられる英文を文節で区切り、その文節のみを音読する
  3. 2が難無くできるようになったら、その範囲を文節から文章に広げる

という感じで、「繰り返し」は文字通り、3のステップをスポーツ選手が黙々と筋トレやランニングをやるように繰り返すのだ。ここまでして、ようやく次のシャドーイングのステップにすすむことができる。氏の説明はエクストリームが売りなので、細かい部分ははしょっただけかもしれないが、上記のポイントは非常に大事なので、動画のみを見た人の為に補足させて頂いた。

 

若干の指摘をさせて頂いたが、英語初学者にとって氏の動画はとても良いスタートポイントである。ただ聞くだけで話せるようになる、何て教材を買おうかと悶々としている人は、その時間を「リピーティング」と「シャドーイング」に費やしたほうが絶対に良い。

 

氏のチャンネルを見たところ、何とDMM英会話でのレッスン風景を公開している。自分の英語の勉強プロセスを、臓物までさらすが如く、ここまで公開している人は初めてみた。勉強の方向性は正しいので、是非このまま頑張っていただき、「よし、自分も英語を勉強し直すぞ」という人が増え、ひいては日本全体の英語力があがると良いと思う。頑張れ、中田さん!

www.youtube.com

 

『ハーバード日本史教室』 移民活用能力向上のススメ

「ハーバード大学で開講されている日本を専門的に学ぶ授業はいくつあるか?」

 

この質問について読者の方に少し考えて頂きたい。本日紹介する『ハーバード日本史教室』を読む前は、私は正直5〜6講座くらいだと考えていたのだが、本書の序章で驚くべき数字が紹介されている。

 今、日本について専門的に学ぶ授業は全部で一五〇ほどあり、そのうち開講されているのは年間五〇〜六〇にも及ぶ。

『ハーバード日本史教室』 序 ハーバード大学と日本人 P.27

 

歴史、文学、芸術、文化人類学、社会学、公衆衛生学など多岐に渡る内容が年間五〇〜六〇講座も毎年開講されているというのは驚きであり、日本という国に対する他国の興味の深さをうかがい知ることができる。本書は、ハーバード大学で教鞭をとり、日本史を教えている講師10名にインタビューをし、それぞれが講座をもつテーマを紹介しつつ、日本固有の特性を世界と比較しながら論じ、日本の強み並びに取り組むべき課題を語ってもらうというもの。ハーバード大学で教鞭をとる日本史の専門家が、独自の視点で日本を語り倒す大変リッチな構成となっている。

 

10名の講師がそれぞれの日本観を披露してくれるのが本書の魅力の一つであるが、日本の強みや弱味について、複数の講師が同様の指摘をしている点が多々あり、非常に勉強になる。本エントリーでは、それらはのいくつかのポイントを紹介していきたい。

 

日本は、「大きな社会的な動乱をおこさずに、課題を解決していく方法はある」ということを示す世界のモデル国となれると思います。日本では、<中略>他国ほど貧困の問題は深刻化していません。そのため、革命や動乱がおきることもなく、人口問題や経済問題に集中して取り組むことができるのです。

『ハーバード日本史教室』 第1講義 教養としての『源氏物語』と城山三郎 P.48

少子高齢化、人口減少、経済停滞などの社会問題に対して、日本は一番最初にそれらの問題に直面する先進国であり、日本がどのようにそれらに対して取り組んでいくかについて世界の注目度は非常に高いと指摘する講師が多かった。そして、多くの方が「日本の教育水準の高さ」、「治安の低さ」、「弁護士の数が少く、国民間の争いの少さ」、「社会的な格差がそれ程広がっていないこと」、そして「指導者が独裁的にならず、富を共有するという意欲」に強い点などをあげ、革命などの大きな社会的動乱を経ることなく、課題を解決し社会を転換させていく下地が日本にあることに注目する。

阿部政権は、勿論この難局にあって色々と言われ、独善的なところもあるが、中国やロシアのように憲法を変えてまで現在の指導者が独裁体制を築くというところまで針が触れることは肌感覚としてはないと思うし、それを防げる民意と民主主義の土台も日本にはきちんとある。

かつて、日本が他国を模範として、社会を変革させていったように、現在世界の国々が革命や動乱などのいざこざなく、先進国の抱える問題を日本がいかに解決していくのかに注目し、それを模範としたいと思っていると聞くと、元気がでる。

 

逆に、日本の課題として多くの方が指摘をしていた点は、閉鎖性であり、より移民を受け入れ多様性を促進することが大事、との提言が多かった。

一つめは移民の受け入れです。移民国家、多民族国家であるアメリカとは対照的な歴史をもつ日本が受け入れに慎重になるのはわかります。しかしながら、日本の労働力不足は深刻であり、受け入れを検討することが必要です/

『ハーバード日本史教室』 第9講義 日本は核武装すべきか P.217

 厚生労働省の予測では、日本の生産年齢人口は2017年の6,530万人に対し、2025年の時点で6,082万人、さらに、2040年にはわずか5,245万人にまで減少するとみられ、むこう20年で1200万人減少するとのこと*1。一方で、日本で働いている外国人は2019年10月末時点で165万人であり、過去10年で100万人増えたとの調べ*2もあるが、2800万人の外国人労働者を受け入れているアメリカ*3と比べるとその差は歴然である。

 労働人口の確保のためには移民受け入れの一択のようにも見えるが、人種や民族が同じ人たち同士で、言語も行動様式も似通った人たちとずっと快適に暮らしてきた日本人にはハードルは高い。私はアメリカに住んでいて日本人駐在員の方とも交流がある。会社によってもカラーは異なるが、現地採用の社員のことを「べいじん」と呼んで別扱いし、アメリカにいながらなお日本人だけで固まっている会社が多いことは残念なことだといつも感じている。

異る文化や背景を持った人たちと仕事をし、生活空間を共有するのは、やはり気を使うし、対立や軋轢は生まれやすい。が、その多様性が新しいアイデアを生み出したり、今までになかった価値を捻出する強みになることを、この地に住んで実感しているので、本書の多くの識者の指摘するように、移民の受け入れを日本もより進め、「移民活用能力」を高めるべきだと思う。


日本在住の方はもちろんであるが、特に海外に住んでいる方は、海外の方々が日本の歴史について、どのような点に興味を持ち、それを元に何を学んでいるのか、を知る上で本書は非常におすすめ。キンドル版がないというのが、致命的な本書の弱点なのだが、宥荘量を払ってでも取り寄せる価値は十分にある。

在宅生活を機に、改めて歴史を学ぶ

「自分が知っているのは歴史の断片的知識だけで、歴史の基本的な流れをわかっていない」というのは、詰め込み型の勉強で受験を乗り切り、その後あまり歴史に興味をもたなかった人の多くが抱えるコンプレックスなのではないだろうが。もちろん、こういう書き出しをするくらいなので、私も例に漏れず、「御成敗式目」とか、「御家人」とか、キーワードは勿論頭の中に残っているのだが、それを歴史の流れとして説明したり、学んだ歴史を現代に起こる事象と関連づけて考えるということは誠に苦手であった。海外に住むので自国の歴史の大まかな流れや、歴史的な流れで捉えた時の自国の特徴などを説明できるようになりたいのだが、読書と言えば読み易いビジネス書や自己啓発書に偏りがちで、歴史は長らく避けてきたテーマだ。

 

話は少し変わるが、渡米して6年以上経つが、自分の子供たちを見ると、無論日本史を勉強する機会に乏しく、現地校と補習校の課題に追われ、母国の歴史に対する知識は残念ながら皆無といっても過言ではない。漫画日本の歴史は買い揃えたものの、そこに手を伸ばすきっかけがなければ、子供も自主的には手にとるまい。

自分も勉強しながら、なおかつ子どもたちも楽しみながら勉強できる方法は無いかと考えていた所にこの在宅生活が始まった。オンライン授業が始まるまでに少し時間がかかりそうだったので、中田敦彦のYou Tube大学の日本史世界史を一日二動画(合計1時間ほど)見て、晩ごはんの前に、三人の歴史上の人物について、どの時代にどんなことをして、歴史の中でどんな役割を果たしたのか、ということをそれぞれ説明することにした。中田氏のYou Tube大学は、日本史と世界史をそれぞれ駆け足で5時間ほどで説明をするという、そのざっくり感が特徴だ(各論もあるが、まだ各論には手をだしていない)。勿論、そこに紹介される知識だけでは受験を勝ち抜くことはできないし、ぶった切り過ぎ感はある。が、まずは大まかな流れをつかんだ上で、細かい知識を深めていくというのが順番としてはあるべきだと思うし、家族でわいわいと楽しくできるので、詰め込み型からくる歴史の勉強への嫌悪感を回避でき、なかなか上手くいっている。

在宅生活中に一週間ごとに日本史と世界史を繰り返しているので、流石に飽きもくるので、『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』と『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を日本から取り寄せたところ、倍速で動画をざっと視聴し、もう30分くらい参考書をぱらぱらながめてその日の夕方に備えるというサイクルができてきた。

 

大まかな流れがわかると、「総論をもう少し深めたい」、「この各論をじんわり掘り下げたい」という欲求もわいてくる。それに、私自身が「歴史の流れ」を意識した示唆を子どもに与えないといけないので、必然的に深堀しなければならなくなる。いくつか歴史の本を読んだが、山本博文氏の『歴史をつかむ技法』はなかなか面白く、そして勉強になった。

歴史をつかむ技法 (新潮新書)

歴史をつかむ技法 (新潮新書)

  • 作者:山本 博文
  • 発売日: 2013/10/17
  • メディア: 新書
 

 

筆者の一貫した考えは、現代とは違う歴史、時代を学ぶことによって、現代を相対化する視点を養うということで、現代の小学校から高校までの詰め込み型日本史教育の問題点を指摘しつつ、日本史を歴史の流れで俯瞰する視座を提供してくれる。いきなり歴史の中身に入らず、「歴史学」とは何かというテーマに紙面の3分の1をさき、歴史との向き合い方への心構えを問いた上で中身にはいるという構成も心憎い。こんな本が歴史の教科書だったら、もっと面白く勉強ができたのにと思う。

 

歴史の本は何冊か読んだが、前提となる知識が本によって異なるので、一概に良し悪しを判断することが難しい。が、引き続き「歴史の流れ」を捉えるという点と「自分が学生の頃に読んでいたらもっと歴史が好きになったのに」と思うような本との出会いがあれば、本ブログで紹介していきたい。

『外国人にささる日本史12のツボ』 日本を語る第一歩

「どこの国に行ってみたいか」という話をアメリカ人の同僚とすると「日本」と答える人は決して少なくない。もちろん、目の前にいる日本人に対していくばくかの配慮があっての話であろうが、同席したブルガリア人の同僚に忖度して「ブルガリア」と答えた人は今までみたことがない。アメリカ人にとって、日本という国は東洋の国の中で「特別に興味をひく国」であることは肌感覚として間違いがない。

 

海外に住むと日本の文化、歴史、並びに宗教観が話題にのぼることは多い。母語でない英語で説明することの難しさもあるが、自分の中にそういうことを語ることのできる蓄積があるかどうかが一番大事であり、英語がいまいちでも内容があれば、みんな興味津々に聞いてくれる。自殺率が高い、地震が多い、過労死、などのネガティブなイメージも結構持たれているが、日本に興味を持つだけでなく、不思議な国である日本から学びたいと思っている方は多いことに驚かされる。

 

渡米してから日本の良さや、どういうところに独自性があるのかを説明するために、日本史を改めて勉強しなおしたり、神道についての本を読んだりそれなりに勉強をしてきた。コロナ禍のおかげで、渡米以後低迷を続けていた読書量も回復の兆しをみせていることもあり、自分の中の引き出しを充実させることに勤しんでいる。

 

 本日紹介する『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』はタイトルが直球すぎて非常に惜しくはあるものの、鋭い目の付け所で多くの示唆と学びを与えてくれた。筆者山中俊之氏は外交官として、エジプト、イギリス、サウジアラビアなどの国に赴き、外交官としての経験をつんだ国際派。そういった経験の中で、唯一性があり、海外から評価されるに値し、他国にも影響を与えた、もしくは与えうる12の日本史のテーマを本書で紹介している。小説やドラマなどの表舞台にたつことの多い日本の歴史と言えば、戦国時代や明治維新であるが、筆者は海外の人からみれば、ありきたりな権力闘争や近代化のストーリーであって面白みがないと一刀両断する。その代わりに筆者が上げるテーマが、自然崇拝、禅思想、天皇制、江戸時代の経済制度と庶民教育、葛飾北斎、古典芸能、外国文化を吸収・融合する力、地方の多様性、女性の活躍史などであり、どの項目も興味深く、学びが多かった。

 

自然崇拝と禅思想については、私もよくあげるトピックであるが、これらは確かにうけるし、海外の方と話す時に重要となる「宗教観」についての一つの答えになる。アメリカでは、近藤麻理恵とその片付け術がものすごく人気がある。Netflixの『KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』は、近藤がクライアントの家を訪ね、彼女の指導によってとっちらかった家が片づいていく経過、そのビフォーアフターを見せる番組である。家を訪れ、クライアントとのあいさつが済むと、彼女は「おうちにあいさつしていいですか」と断りをいれた上で、正座をして、瞑想にふけり、彼女なりの「おうちへのあいさつ」をする。初日の出に手をあわせるなど、無機物に何かが宿っているという感覚をそなえる日本人にとっては、それほど不思議な光景ではないが、「家に挨拶をする」という行為はクライアントには非常に稀有にうつり、彼女の片付け術に神秘的な付加価値を見出す様がお馴染みの光景となっている。また、物を捨てる際に、そのものに感謝をするという行為もわれわれにはそれ程違和感はないが、アメリカの方々には新鮮な模様。無機物に何かが宿っているというアミニズムの視点は、自然と共生する古来の日本人にとっては何気なく備えたものであるが、海外の方からみると不思議に見え、興味並びに学びの対象になったりするのである。自分たちに何気なく備わっているものを、文化や歴史の視点から捉え直すことが、海外の方に日本のことを説明する第一歩となるのだと思う。

 

12月24日に「メリー・クリスマス」とクリスマスを祝ったと思ったら、1週間後の1月1日には初日の出を拝んで、初詣をするというごちゃまぜ感に、節操がないという批判はよく耳にする。ただ、キリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、様々な神々を古来より信仰してきた日本人は、他の宗教に対して寛容であった、という見方のほうが私は前向きで良いと思う。神道は本を何冊読んだが、その開祖と経典がないという特徴から非常にふんわりしてとらえどころがなく、未だに理解と説明が難しい。ただ、最近はそのふんわり感が他の神様を受け入れることへ許容度を高めているようにも思う。

宗教的な寛容性が減少しつつある現在の国際社会において、日本人は自らの宗教における寛容性をあらためて自覚し、この感覚が社会に与える正の側面を伝えていけたらいいのではないかと考えます。

 という筆者に視点に私は強く同意をするし、そういう見方を広めていくためには、自分自身が知見をもっと深めてなければいけないと改めて思う。

 

Amazonのレビューなどを見ると本書は「あまり深堀りされていない」という評価が多い。確かに「では何故そうなのか」という点をもう少し踏み込んで欲しいと感じるところも多々あった。が、本書であげられているテーマは深淵で、お手軽に一丁上がり語り尽くせるほど浅い内容ではない。幸いなことに章ごとに参考文献がどっさりあげらており、私も何冊かに手をつけはじめた。

海外との接点が多く、そういうことを話す機会は多いものの、正直色々忙しく受験の時に勉強した日本史もあまり頭に残ってないんだよねぇ、という方には本書は最高の入り口だ。どこから手を付けたらよいのやら、という人には強く本書をお薦めする。

 

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