Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 多様性と無知について考える

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ。控えめな評価を与えたとしても、本書は今年読んだ本の中でトップ3に入る面白さであった。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 

 

本書は、英国の格差社会の現状を活写するノンフィクションであり、英国在住の日本人女性の日々を綴ったエッセイであり、かつ社会の格差や差別に直面する中学生の成長の物語でもある。筆者のブレイディみかこさんは、現在アイルランド人の配偶者と中学生の息子と英国に住んでいるライター・コラムニストだ。

 

物語は、一人息子が中学生になる際に、良家の子女の集まるカトリック中学校ではなく、英国社会の格差が蠢く「元底辺中学校」を進学するところから始まる。英国では、人種の多様性があるのは上流階級の子女が通うランクの高い学校であり、逆にランクの低い学校は生徒の殆どが白人英国人だという。ランクの高い学校は格差や多様性についての生徒の意識も高いため、差別やいじめなどはあまり横行していないが、ランクの低い学校は差別やいじめのるつぼになりがち。格差を助長し、差別的な発言を繰り返す米国大統領の支持基盤が白人米国人であるというのと同じ構図で興味深い。

 

案の定というか、予想通りというか、中学生の息子の学校生活は、格差、差別、いじめで溢れている。ハンガリー移民でありながら誰彼構わず人種差別な発言を繰り返す友人のダニエル、貧しい人が集まる公営住宅に住み、その貧しさから昼食の万引をし学校でいじめにあうティム、アフリカからの移民家族など、様々なキャラクターが英国白人が大勢を占める学校並びに社会であれやこれやの事件を起こしたり、事件に巻き込まれたりする日常。トリッキーな社会の分断構造からくる大波に親子で見舞われ、時に打ちのめされ、時に力強く抗い、時に涙しつつも、親子で朗らかにその状況を乗り越えていく様が、ユーモアセンスに溢れる筆致で見事に描かれており、一度読みだしたらとめられないやつだった。

 

私は米国に住んで6年ほどたち、丁度娘が中学校を卒業し、息子が小学校を卒業したばかりだ。子どもたちが通う学校は、多様性に溢れており、露骨な人種差別や嫌がらせなどは幸いなことになかった(と、願いたい)。が、娘の通う公立学校はお世辞にも良い学校とは言えず、それなりに苦労をしながら卒業までなんとかこぎつけたので、本書を読みながら、英国の事情に驚きつつも、米国との共通点に頷いたり、子を持つ親として筆者に感情移入して涙したり、筆者のユーモアセンスに大爆笑したり、そして決して華麗ではないながらも一歩一歩前に進んでいく姿に多くを学び、大変貴重な読書経験となった。

 

どの章も酒の肴として語りつくせるくらい面白いが、9章の「地雷だらけの多様性ワールド」は最高だ。色々な民族、人種、宗教、背景の人たちが一緒に暮らしていると、決して相手を傷つけようとしたり、蔑むような意識がなくても、知らずしらずのうちに相手を傷つける不用意な発言をしてしまうことは、どうしても発生してしまう。本章で筆者は、アフリカからの移民の転校生の家族と話すのだが、こちらからの発言にはポリティカル・コレクトネスに最大限配慮をするものの、相手は無知がゆえにどばどばと遠慮なしに地雷を踏んでくる。

そんな相手に眉をひそめつつも上手いこと受け逃していた筆者であるが、

「どこか休暇に出かけるんですか?」

という何気ない質問を相手に投げかけたことで、盛大に地雷を起爆するというエピソードなのだが、多様性と向き合うことの難しさを改めて考えさせられる力作だ。「どこか休暇に出かけるんですか?」という問いかけで何故爆発を起こしてしまったのかは、本作を読んで確認頂きたい。

 

きっと私がこのエピソードに惹かれるのは私自身も盛大に地雷を踏んで、大爆発したことがあるからだ。その話を少しこの場で共有をしたい。前述した通り娘の通う学校は、お世辞にも素晴らしい学校とは言えず、公立学校のランキングサイトでAcademic Progressという項目で10段階評価で堂々の1点を獲得するような中学校であった。国語の授業の先生は、元軍人という経歴ならではの面白さもありながらも、非常に過激で、「この世からある民族を一つ殲滅するとしたら、どの民族を殲滅させるか、その理由と共に述べよ」というような信じがたいエッセイの課題をだすような人であった。娘が特にその先生の授業で苦労しているようだったので、色々娘の話を聞いた上で、その先生にメールを送ったことがある。仕事柄、英語での機微に富むメールというのは書きなれていることもあり、最大限の配慮と敬意をもって、何度も読み返し、書き直して渾身の一通を送ったのだが、先生から頂いた返信は言葉を失うくらい乱暴で、怒りに満ちていたものであった。その過激な返信は目を覆わんばかりのものであったので、プライベートでもアメリカ生活のあれやこれやを色々相談する私の上司の助言を求めることにした。私の送ったメールを見た上司が苦い顔を浮かべて、私を個室に連れ込み、放った言葉は衝撃的で今も忘れられない。

 

“She thinks you are a racist”

「この先生は、お前さんのことを人種差別主義者だと思ってるぞ」

 

私にとっては正に晴天の霹靂であった。この自分がまさか人種差別主義者だと思われているとは、、、。内容の詳述を避けるが、奇しくも「Diversity」という言葉をメールの文面に使ったことにより、その一単語が私が人種差別主義者との誤解を招き、話がこれ以上ないくらいややこしくなってしまった。上司の助言に基づくフォローをすることで、結局事なきをえたが、「Diversity」という言葉を不用意に使ってしまったのは迂闊であり、アメリカ生活の中での苦い思い出の一つだ。それなりに長いアメリカ生活で喜怒哀楽は色々あったが、正直一番傷ついた事件であったりする。

 

多様性っていうのは良い面もあるが、うんざりするほど面倒であることも事実だ。でも、その面倒というのは自分の無知により引き起こされていることを経験から学んだ私に、下記の筆者と息子のやりとりはものすごく響く。少し長いが引用させて頂きたい。

 

「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど?」

「うん」

「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」

「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」

「楽じゃないものが、どうしていいの?」

楽ばっかりしてると、無知になるから

とわたしが答えると、「また無知の問題か」と息子が言った。以前、息子が道端でレイシズム的な罵倒を受けたときにも、そういうことをする人々は無知なのだとわたしが言ったからだ。

多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 4 スクール・ポリティクス

 

 日々多様性に直面している在米日本人の方、国際的企業に勤めて多様性に四苦八苦している方だけでなく、「多様性ってそんなに面倒ですか」と実感のない方にも是非手にとって欲しい一冊だ。

Creative Commons License
本ブログの本文は、 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 非営利 - 継承)の下でライセンスされています。
ブログ本文以外に含まれる著作物(引用部、画像、動画、コメントなど)は、それらの著作権保持者に帰属します。