Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』 死と弔いと家族のあり方

国際霊柩送還士、聞き慣れない職業だが、海外で亡くなった方の遺体や遺骨の搬送(もしくはその逆)を請け負う仕事である。これだけ国際化が進んでいる昨今で、驚くべきことに、国際霊柩送還を専門にしているのは『エアハースインターナショナル』という会社一社であるという。本書、『エンジェルフライト』はその『エアハースインターナショナル』の仕事、人にフォーカスをあてつつ、海外で大切な人を亡くした遺族の気持ちに寄り添い、「弔い」並びに「日本人の死生観」を問う大作だ。

エンジェルフライト 国際霊柩送還士 (集英社文庫)
 

 

目を覆いたくなるような遺体処理の現場、悲しみにくれる遺族の心情を活写しつつ、その激務を通して遺族、そして故人に徹底的に寄り添う同社の社員のプロフェッショナリズムを刻々と記し、「死とは、弔うとは?」というテーマにうちのめされながらも、奮闘する筆者の姿も赤裸々に描ききっている。自分の感情をなるべく控えめにし、客観的に取材対象の姿をありありと描く門田隆将のスタイルとも、自らの貴重な体験を類稀な描写力で丸ごと描く角幡唯介とも異なる。取材を通して、自分の描きたいものを葛藤しながら見つけていく自らの様まで作品の対象とする独特のスタイルで、一歩間違えれば、ノンフィクションとして成り立たなそうなアプローチをとりつつ、最後まで見事に描ききっている。

 

私は現在アメリカに住み、日本に帰る予定は今のところは特にない。取材を通して「死と弔い」について真摯に向き合う筆者の姿を見ると、自分が死んだ際、私の遺体はどこにいくのだろうか、ということについて嫌でも考えてしまう。祖国である日本に帰るのが良いという漠然とした考えはあったが、その答えは自分の中にだけあるものではない。なぜならば、それは家族のあり方そのものだからだ。容易に答えを導き出すことはできないが、本書は考えるきっかけを与えてくれる。海外に在住している日本人の方に是非手にとって頂きたい。

コロナ禍におけるアメリカの在宅生活事情

外出自粛生活が始まってそろそろ2ヶ月ほどがたつ。私の在宅勤務の開始と子供の休校のタイミングが同じだったため、家族そろって新生活に一気に移行し、一緒に作り上げていくことができた。現在、私が住む米国は感染者数が137万人(5月初旬時点)を越す感染大国であり、私が住むノースカロライナ州でも1万5千人ほどの感染者を抱える。州知事からは緊急事態宣言がでており、今年度一杯は学校はリモート授業のみということは既に決定され通知されている。そんな、アメリカの片田舎での外出自粛生活は日本と若干異なる点もあると思うので、備忘録がてらいくつか特徴的な点を記載してみたい。

 

リモート授業への取り組みの速さ

休校開始から2ー3週間ほどで子供の通うと小学校と中学校はリモート授業を開始し始めた。普段からタブレットなどのデバイスを学校に持っていったり、宿題もオンラインで配布されたりしているため、生徒も先生も慣れている模様。Google Classroomを使って動画での授業を視聴し、だされた課題に取り組みつつ、適宜チャットを使って先生に質問をするなど、違和感なく子どもたちが粛々とこなしているので、親にそれほど負担はない。社会科の課題をインターネットで調べごとをしながら、Google Slideにプレゼンをまとめていくことを自然とこなす小6の息子にジェネレーションギャップを感じてしまう。

もちろん、子供が自由にパソコンやタブレットなどを使えない家庭もあろうが、貸与プログラムも充実しているし、親の相談窓口も設定されており、「走りながら形を作っていく」というスタイルが教育を前に進める原動力となっている。機会の平等を、護送船団方式ではなく、遅れをとった船に適切に支援することにより確保しており、教育の高い推進力を目の当たりにし、心強く思う。

 

ドライブスルーと車大国の強み

レストランの店内での飲食は依然として制限されており、テイクアウトのみとなっている。アメリカは車社会なのでドライブスルーは日本より元々充実している。薬局で薬をもらう時も、医者から指定のドラッグストアに処方箋を電子的に送付してもらい、ドライブスルーで受け取ることが定着している。なので、今回のテイクアウトのみという制限への対応も早く、非常に助かっている。いわゆるドライブスルーがないレストランやその他の店であっても、ウェブオーダー時に車の特色を記入し、店の駐車場に着いた時点で電話をすると、店員が食べ物や品物を車まで持ってきてくれるというプロセスになっており、とても便利だ。が、アメリカは全体的にオペミスが多いので、店によっては注文した品がちゃんと入ってなかったりすることが多く、「らしさ」を醸し出している。

 

習慣化したマスク

アメリカ生活を初めてから6年ほど経つが、コロナ禍の前にアメリカ人がマスクを街でしているのは、本当に見たことがなかった。私の住むノースカロライナ州は春先に花粉が大量に発生するのだが、マスクをつけている人は殆ど皆無で、たまにマスクをしているのはアジア系の移民くらいであった。このコロナ騒動の開始当初もマスクをつけている人は稀であり、たまにバンダナで口を覆う人がいるくらいであった。が、1ヵ月前くらいから情勢が逆転し、マスクを着けずに買い物などに行く人のほうが一気に少数派になった。州政府が奨励していることもあるが、変わるとなると一気に変わるアメリカの国民性に非常に驚いた。なお、食料品を買い物にいっても店員も含め殆どマスクをつけているが、大学生くらいの若い女性は未だにマスクを着けていない人が多い。やはり、ファッション性が気になるお年頃だからだろう。なので、奇しくも若い女性が一番近寄りがたい存在である。

ホームセンターが未曾有の混雑

外出制限がかかっているので、ショッピングモールも営業を自粛しており、混雑した店というのは皆無に近い。が、その中で活況を呈しているのはホームセンター(LOWE’SやHOME DEPOTなどが大手)である。先日、風呂場の照明のスイッチが壊れてしまったので、やむなくLOWE’Sに行ったところ、未曾有の混雑を見せており驚いた。大多数はマスクをし、店もすさまじく大きいので、三密ということはないが、駐車場に停まっている車の数は圧倒的に普段より多い。外出制限がされ、家にいる時間が増えたので、これを千載一遇のチャンスとばかりに「いつかはやりたいと思っていた庭の整備やDIY」に精を出す人がきっと多いのだろう。食料品店が混雑することはないのに、ホームセンターがこんなに混むかね、、、というくらい盛況で非常に興味深い。庭仕事に対する並々ならぬアメリカ人の熱意を見た。

家が広いのはやっぱり快適

「徒歩圏内にコンビニが数店あり、大抵のものは徒歩圏内の店で入手できる」、「公共の交通機関が発達しており、外出先で飲酒をしても、車を運転せずに帰宅できる」、「自動販売機がどこにでもあり、いつでも飲み物を買うことができる」など、「あぁ、日本は暮しやすいなぁ」と毎回の帰国の度に思う。「家が広い」ということが住宅事情の唯一の利点であり、その他の利便性は日本に圧倒的に軍配があがる。が、家族4人での在宅生活が長くなり、この「家が広い」という唯一の長所が大いなる輝きをみせている。ノースカロライナ州という片田舎ならではあるが、わが家は建屋で三百平米ほどあり、プラス芝刈りが面倒な程度の広さの庭がある。仕事と勉強部屋は家族4人それぞれが二階部のみで確保できているし、妻の仕事部屋にトレッドミルがあるので、雨の日でも家族全員がそれなりに運動できる。それぞれが無理なくプライベートを保ちながら活動できる空間的余裕があることで快適な在宅生活を過ごせている

『感染症の世界史』 感染症と人類発展の歴史

新型コロナウィルスの猛威により、2020年5月9日時点で感染者数は400万人を超え、亡くなった方の数は28万人にも及ぶ。SARSについては、2003年9月26日にWHOが発表した限り感染者数は8,098名で、死亡者774名というから、正に桁違いのインパクトである。歴史を紐といてみると、地震、台風、津波などの災害の中で過去に最も人類を殺してきたのは感染症だという。このコロナ禍において、感染症の歴史を学び、それに学ぶのは大事と考え、『感染症の世界史』と『感染症対人類の世界史』の二冊をとってみた。

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:石 弘之
  • 発売日: 2018/01/25
  • メディア: Kindle版
 
感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)

感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)

 

 

 

本のタイトルも内容も似通っているが、両書は趣がかなり異なる。前者は、環境研究者である石弘之氏の著。コロナ禍以前に執筆された本で384ページに感染症の世界史がてんこ盛りに記載されており、大変読み応えがある盛りだくさんの内容となっている。後者はお馴染み池上彰氏とジャーナリスト増田ユリヤ女史の対談本。コロナ禍にあわせて出版され、タイムリーであると共に興味のあるポイントが簡潔にまとめられているので、子供でも読める手軽さが売りだ。

 

各国で国による外出制限令がだされるこのコロナ禍は、今を生きる我々は誰も経験したことのないものだ。私の住む米国では、今年度中の学校の開校は見送られており、在宅勤務が解除され、いつオフィスにいけるか目処もたたない。メディアでは、「昨日は新たに何人の感染が発見された」ということが毎日報道され、私の友人でもしばらく外にでていないという人も結構いる。「この異常事態はいつ収束するのだろう」と多くの人が思っていることだろうが、「東ローマ帝国は200年もの間、繰り返しペストが流行し、人口が激減した」、「20世紀初期のスペイン風邪により、5千から8千万人の人が死亡した」などの歴史を学ぶと、我々が直面している異常事態は、人類の歴史では何度も繰り返されてきたことであり、受け止めなければならない日常なのだと謙虚な気持ちになれる。

 

また、文明の発達にあわせて感染症との戦いが激化してきたという歴史も非常に興味深い。「ペストの起源は中国にあり、シルクロードにのって世界中に拡散した」「大航海時代を経て、中南米のアステカ・インカ帝国に天然痘が持ち込まれ、侵略戦争を遥かに上回る人々が亡くなった」など、交通網の整備とグローバル化に伴い、一つの地域で発生した感染症が世界中に拡散した例は枚挙に暇がない。また、「新興感染症の75%は動物に起源があり、人類に居住地域の拡大にあわせて未知の病原体の拡大が広がった」というのも非常に興味深い。麻疹、天然痘、結核、インフルエンザなどは全て動物由来であり、家畜による食物生産で飢餓という問題を克服しつつも、それそのものが感染症の震源になって多くの人を殺しているという事実に、文明の発展はプラスの面ばかりではないことが学びとれる。

 

両書からの学びとして最も興味深かったのは、感染症に人類は苦しめられ、多くの人が殺されてきただけでなく、それをきっかけとして社会に変革を起こし、人類は前に進んできたという事実だ。中世ヨーロッパで栄華を極めたキリスト教も、ペストの流行により権威を失い、ルネサンスという大きなうねりを生んだというのは興味深いし、第一次世界大戦の終わりを早めたのはスペイン風邪の流行という見方も面白い。それぞれの時代で疫病により時の権威が揺さぶられ、新しい潮流が生まれたという歴史に、我々は学ばなければならない。教育、働き方、公衆衛生のあり方が各国で見直されているのは大変興味深い流れであるし、進行したグローバル化に伴い感染が拡大したにも関わらず、感染の抑え込み、医療研究などの分野で思ったほど国際協調が進んでいないのは誠に残念なことだ。このコロナ禍が、ここ数年欧米諸国で見られる自国第一主義を打破するきっかけとなれば、人類の新型コロナウィルスへの勝利への一歩となるのではないか。

 

日々の感染者数の増減に一喜一憂し、それに踊らされるのではなく、冷静に今を見つめるためには歴史に学ぶことが大事だ。両書共、性格は異なれど、感染症が如何に多くの人を殺してきたかということではなく、人類がそれを克服して、どのように前進してきたかという発展の道筋を教えてくれる良い本だ。まだ、読んでいない方には、今の時期だからこそ是非手にとって頂きたい。



『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」』 ブラック・スワン後の世界

前回紹介した『死の淵を見た男』は、ノンフィクションでありながらヒーロー性に富む物語でもあり、『Fukushima 50』という形で映画化される程だ。事実に忠実ながらも、現場 vs 東電本店と官邸という対立軸を用いることにより物語性が高まっている。東電本店と官邸の指示に背いて一号機への海水注入を続行した吉田所長の英断は、本書の大きな読みどころであり、世間の耳目を大きく集めた。

 

が、その後の検証から事故後の12日間は一号機には実は殆ど海水が入っていなかったという衝撃の事実が明らかになる。本書『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」』は、NHKの圧倒的な取材力を元に、事件を検証し、一号機への海水の注入が何故失敗してしまったかの根本的な原因に迫るドキュメンタリーだ。『死の淵を見た男』の読後の現場びいきの感覚を引きずっている身には、「後から見たから言える後付の批判」という不満も覚えなくもないが、壮絶な現場で何が起きていたのかについて、AIも駆使しながら、科学的に迫るそのアプローチは興味深く、また学びが大きい。

 

本書では1号機への海水注入失敗の原因を、冷却装置イソコンを過去に運転員が一度も使用したことがなかったということにみて、その調査内容に前半部を割いている。イソコンというのは電源が喪失した際でも原子炉を冷却できる1号機にのみ備えられた装置で、イソコンをきちんと稼働させていたら、1号機の被害をより抑えることができという取材班の見方は説得力がある。事件当時の運転員が一度もイソコンを使用したことがなく、事故時にイソコンが動いているかどうかを見極めることができず、それが被害の拡大につながったとの指摘が本書であり、確かに残念である。取材班は、イソコンを備える原発を稼働しているアメリカでは、5年に一度稼働試験をし、それを通して運転員の訓練もしていることを引き合いに出し、実際の事故を想定した訓練が不十分であったと断じる。

 

福島の原発事故は、

  • 過去に照らせばそんなことが起きるかもしれないとはっきり示すものはなく(高さ10メートルの津波が襲い、全電源を喪失する)
  • 影響が甚大であり(メルトダウンとメルトスルーに伴う途方も無い事件処理)
  • 異常な事故であるにも関わらず「事故が起こってから予測可能であった」ように捉えてしまう(10メートル規模の津波は想定できた、イソコンが必要な事態が発生しうることは想定できた)

というブラックスワンの三要件を備えている。取材班の粘りには脱帽するし、舌を巻くところもあるが、イソコンの運転試験をしなかったということからの学びはそれ程大きいものなのかという疑問が私には残る。全ての冷却施設の定期試験を実施するという類の学びでは、次に到来するブラックスワンには対応できない。何故なら、想定を超える事態が我々の想像の先から必ず現れるからだ。

 

本書の後半は、事故発生からのテレビ会議の内容をAIで解析するという取り組みをしており、想定外の事態が発生した際にどのような対応がなされたのか、どうすればより適切な事故対応できたのかに焦点が当てられており、こちらのほうが価値が高いように思う。1号機への冷却水の投入が不十分であることが数多くの重大案件が同時並行的に発生する中で見過ごされていった過程や、複合的に発生していくトラブル対応にあたり吉田所長という一人の人間に長時間高負荷がかかってボトルネックになってしまったなどの問題点が紹介されている。これらは、ブラック・スワンが発生した後の対応についての検証であり、何故異常事態が事前に想定できなかったかより興味深い。AIを使って意思疎通の系統を可視化したり、キーパーソンの疲労度を数値化するなどの新しい取組も面白い。

 

フランスの原子力安全研究所も吉田調書に強い関心を示している。

事故対応の責任者だった原発所長がこれだけ長時間証言しているのは、歴史上初めてで、危機に対して、技術者が何を考え、どう行動したかのディテールに強い関心がある

というのは同研究所のフランク・ガルニエリ氏のコメントであるが、想定外の事態が発生した際の対応の中にこそ、現在自分たちの想定しえない事故への対応の鍵があるという確信と原子力の安全性を担うものとしての使命感が伺え、好感がもてた。


現在、新たなブラック・スワンの猛威に世界中が直面しているが、極限状態の中が戦った事故現場の対応からの学びは貴重だ。『死の淵を見た男』とセットであわせて薦めたい。

『死の淵を見た男 』 事故現場の「底力と信念」の物語

いやぁ、久しぶりにものすごい本を読んだ、読後感はこの一言につきる。Kindleでページを手繰る際の一瞬の間が苛立たしい、そんな読書経験は本当に久しぶりであった。

本書は、東日本大震災の福島第一原発事故の現場のルポである。福島原発を襲う津波、電源の喪失、原子炉の暴走、現場職員たちの奮闘と刻々と変化する情勢、東電本社と官邸との戦い、極限状態で曝け出される人間の弱さと強さ、仲間との結束と家族との愛、など本書『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』は全編読みどころで文庫版516ページという大作であるが、そのボリュームを一切感じさせない名著である。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)
 

 

運動をするために散歩する際も手放すことができず、Kindleを片手に感涙に咽びながら闊歩する中年男性のその様は、ご近所のコロナ禍の不安感を煽る異様な風体だったのではないかと反省しきりである。もちろん、舞台設定が苛烈極まりないので、本書の迫力は題材そのものからくるものが多いが、やはり圧倒的な取材力と筆者の類まれなる描写力が本書の魅力を際立たせているのは間違いない。

 

読みどころが多く、書評として紹介したいポイントがいくつもあるのだが、その反面どんな紹介をしても本書の劣化版にしかなりえないという自らの表現力の限界が何とも歯がゆい。何というか、「本エントリーのこの後は読まなくて良いから、まだ読んでいない人はとにかく読め」という感じなのだ。とは言っても、「すげー、すげー」と言っているだけでは書評にならないので、一箇所だけ引用を。

「この未曾有の事故の真実をきちんと後世に伝えなければならない」取材協力してくれた方々に共通した思いは、まさにそれだったと思う。何度も取材の壁にぶちあたった私の背中を、そのたびに押してくれたのは、こうした取材協力してくれた人々の「熱意」にほかならなかった。

 当時の菅直人総理が現地にヘリコプターでかけつけ事故対応が遅れたという珍事はエピソードとして有名であり、本書でもその「人災」は事実として刻銘に記載されている(本人の言い訳まで取材して記載されており筆者の取材力には舌を巻く)。

が、現場で奮闘した人にとってはそんなことはどうでも良いことだろうと本書を読むと感じる。地震後に原子炉で何が起きたのか、自分たちはどのようにその災害に対応したのか、上手くいったこともあれば上手くいかないこともあったし、後から見れば失敗や悪い判断もあった、そういうことを全て事実として記録し、歴史にその是非を委ねたいという腹のくくり方が伝わってくる。そして、真実を紡ぐ人として筆者に全てを語り、歴史に残す言葉を委ねたという信頼関係が本書全体から伝わってくる。筆者もジャーナリスト冥利につきることだろう。

 

日本も現在コロナ禍で、東日本大震災の時とは異なる形の危機にされされている。本書は、原発事故という未曾有の危機に対応した現場の方々の「底力と信念」の物語だ。本書が教えてくれる、危機に瀕した際の立ち振る舞い方、難しい局面における「底力と信念」の大切さというのは全世界の人に参考になるものだと思う。まだ、読んでいない方は是非。

 

なお、下記もNHKの取材力を結集した力作のようなので読んでみたい。

 



『欧州ポピュリズム ──EU分断は避けられるか』と『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』

今回は『欧州ポピュリズム ──EU分断は避けられるか』と『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』の二冊を紹介したい。民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というのはチャーチルの有名な言葉である。二冊の本を読むことを通して、「西欧型の民主主義にまつわる諸々の課題を克服し、一歩前に進むべく奮闘しているEU」「西欧型の民主主義とは全く異なるアプローチで世界の覇権をとろうとしている中国」を対比することができ、なかなか楽しい読書体験であった。

 

『欧州ポピュリズム ──EU分断は避けられるか』

欧州ポピュリズム (ちくま新書)

欧州ポピュリズム (ちくま新書)

 

 

「EUというのは何を目的として存在しているのか」という問いに対する答えを本書は提供してくれる。私は、「ユーロによる通貨統合と経済圏を統一することで経済発展をとげることを目的としている」という位の理解しかしていなかったのだが、本書を通してより根源的な目的について理解することができた。

EUという仕組みがどのような意図で作られたのかという点に着目して、「各国政治指導者により、代表制民主主義に伴う制約を回避して政策決定を行うことができる保護領域として構築されてきた政治システム」と見なすべきである。

 「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちればただの人」という言葉が示す通り、民主主義の政治家は選挙で勝つことが、何よりも大事だ。

なので、バラマキ型の大衆迎合政策をして国の財政を崩壊させてしまうギリシャのようなことが起きたり、人気取りのためにタレント議員を擁立して議席を確保する、などの悪手に手をそめてしまうことも時としてある。

また、アメリカでの国民皆保険の導入や日本の消費増税による福祉の充実のような必要な政策が、票がとれないが故に実施されにくい状況を作り出してしまう

そういう民主主義に内在する欠点を克服するためにEUは設立されたのだと、本書はまとめる。ヨーロッパのEU加盟国は、本当は必要なのだが自国民に不人気な政策をEUという装置を通して実現し、その責任をEUに押しつけることが可能になり、それこそがEUの政治機構として肝なのだ。

民主選挙を経ない形で選ばれた政治エリートによるEUの政策決定と大衆が野党的な対立軸をたてることができない現在のEUの仕組みは、ポピュリスト政党の格好の餌食であり、イギリスを始めとして各国でポピュリスト政党が勢力を伸ばしているそのような政治背景がわかりやすく説明されており、現在ヨーロッパを理解する上では必読の一冊と思う。



『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』

独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで (文春新書)
 

 

本書は、毛沢東、鄧小平、習近平という中国の独裁体制の変遷を振り返ることによって、現代中国の政治の本質にせまる良書である。筆者の楊海英は内モンゴルの出身で、漢民族を中心に据える現代の中国政権から民族的には迫害されている立場にあり、民族問題の視点を実体験に基づき、わかりやすく臨場感をもって描いており、大変読み応えがある。

「敵」の定義の曖昧さ、恣意性、そして、誰もがいつでも「敵」とみなされる可能性があること。これが中国現代史で繰り返し登場する「粛清」の基本パターンです。そして「敵」が誰かを設定できるのが、現代中国の権力者なのです。

 上記引用部は本書の核となる部分である。重要なポイントは、一点目は「中国における権力闘争は、敵の粛清と暴力的な弾圧を通して実施される」、二点目は「現代中国の権力者が敵とみなしたものが、粛清の対象になり、そこに法的や民主的な正当性というのは皆無」であるという点だ。

民主主義国家において教育を受けたものからすれば、それで大国として形を維持していることがにわかに信じがたいが、文化大革命を通して一千万に以上もの人が投獄、殺害されたという史実や、天安門事件で人民解放軍がデモ参加者を武力鎮圧し、1万人以上の犠牲者をだしたという事実を見ると、このやり方こそが、中国はその長い歴史の中で培ってきた通常の政治手法であるということにも納得がいく。

共産党員に求められるのは、優秀な成績や勤勉さだけではありません。「心をさらけ出して党に渡す」こと、すなわち積極的に密告する姿勢を要求されるのです。

 海外企業の進出を徹底的に排除し、自国内のIT産業を優遇し、その「密告文化」に追加して、壮大な監視システムを構築を進める中国。世界で最も住みたくない国ではあるが、グローバル市場経済下の自由民主主義への不満の増加、欧州におけるポピュリズムの隆盛と台頭、そして先鋭化するアメリカの自国第一主義、などの状況の中、成長を続ける事実には毛嫌いだけして無視できない存在感も感じる。

COVID-19で、政治経済に混乱が生じているが、どの政治システムが未曾有の危機に有効に機能するか、という思考実験をする上で、紹介した二冊は大変有効だと思う。



『強いチームはオフィスを捨てる』 リモートワーク導入で問われる管理職の資質

ウィルス騒動で日本でもリモートワークが少しずつとりいれられてきた模様。私は日本に住んでいる頃は、中央線と山手線を利用していたので、通勤ラッシュ時で消耗されるエネルギーの量はよくわかる。その通勤に費やされていた力が、仕事や私生活に振り向けられれば、生産性の改善と私生活の充実が間違いなく期待できるはずだ。日本はワークスタイルの変革のようなことは、強い外圧がないとなかなか進まないので、これを機にリモートワークというスタイルが日本で広く浸透することを願う。

 

 本日紹介する『強いチームはオフィスを捨てる』は、リモートワークに移行する際にでる典型的な疑問に対して丁寧に答え、そのメリットとデメリット、そしてそのデメリットを如何に抑えるかということがコンパクトにまとめられている良書である。「リモートワーク」という言葉が急に身近になってきて、その導入を検討しているが様々な疑問が頭をもたげるという方にはとても参考になるはずだ。

 

読みどころは沢山あるが、本書の胆は下記の点に集約されると思う。

大事なのは「今日何をやりとげたか?」ということだけだ。何時に出社して何時に帰ったかは問題じゃない。どんな仕事をしたかが問題なのだ。 あなたがマネジャーなら、部下に「今日やった仕事を見せてくれ」というだけでいい。給料に見合うだけの仕事をしているかどうか、その目でたしかめるのだ。

 

リモートワークの導入に際し、「オフィスにいない部下をどうやって管理しろというのか」、とおっしゃる管理職の方たちが少なからぬ数いることが想像される。その問いへのシンプルな答えが上記の引用だ。もし、上記の答えがあまりピンとこない管理職の方がいたら、それは要注意だ。あなたは、マネージャとしてメンバーの仕事の成果を評価していたのではなく、「何時から何時に着席していて、さぼっていなかったか」を管理していたにすぎない可能性がある。チームメンバーのパフォーマンスというのは仕事の成果ではかるものであって、オフィスに何時から何時にいたとか、一生懸命仕事に取り組んでいるという「仕事振り」のみではかるものではない。

 

マネージャとしてすべきことは

  • 会社の戦略に結びつく自分の部署のゴール、重点施策を策定する
  • それらを達成するために、各部下が果たすべき役割、個別の目標を設定する
  • 部下がゴールを達成するために、獲得すべきスキルの定義とその育成計画を作成する
  • ゴールに向けて必要なマイルストーンを定義し、定期的に進捗を評価する
  • ゴールを達成するためにどのような支援が必要なのか見極め、適切なサポートを実施する
  • 部下の改善点を相手に伝わる形でフィードバックする

というようなことだ。

 

もちろん、顔をつきあわせたほうがやりやすいこともあるが、リモートでできないことは一つもない。仮に物理的に異る場所にいたとしても、定期的に進捗を確認し、ゴールの実現に向けて必要な支援を実施しつつ、適切なフィードバックをし、モチベーションを高めて部下が最大のパフォーマンスを発揮できるようにするのはマネージャの責務だ。

別の見方をすると、リモートワークが進むと、各マネージャは「部下の仕事の成果を正しく評価することができるか」という資質を問われることになり、丸投げ型、並びに出社時間管理型のマネージャは淘汰される可能性がある。なので、リモートワーク導入に際し、「オフィスにいない部下をどうやって管理しろというのか」という疑問が頭をもたげたマネージャはそれを声高に叫ぶのではなく、自分がマネージャとしてなすべき仕事をしていたかどうかをまず振り返ってみることが大事だ。

 

本書ではそもそも管理とは何か、という原則論から、異なる場所にいても最大の成果をだすための実践的なコツまで、リモートワークで生産性を高めるための様々な助言がなされている。コロナ対策でリモートワークの話がでてきて、どこから手を出したら良いか見当がつかないという方には是非手にとって頂きたい。



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