Thoughts and Notes from NC

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『ハーバード日本史教室』 移民活用能力向上のススメ

「ハーバード大学で開講されている日本を専門的に学ぶ授業はいくつあるか?」

 

この質問について読者の方に少し考えて頂きたい。本日紹介する『ハーバード日本史教室』を読む前は、私は正直5〜6講座くらいだと考えていたのだが、本書の序章で驚くべき数字が紹介されている。

 今、日本について専門的に学ぶ授業は全部で一五〇ほどあり、そのうち開講されているのは年間五〇〜六〇にも及ぶ。

『ハーバード日本史教室』 序 ハーバード大学と日本人 P.27

 

歴史、文学、芸術、文化人類学、社会学、公衆衛生学など多岐に渡る内容が年間五〇〜六〇講座も毎年開講されているというのは驚きであり、日本という国に対する他国の興味の深さをうかがい知ることができる。本書は、ハーバード大学で教鞭をとり、日本史を教えている講師10名にインタビューをし、それぞれが講座をもつテーマを紹介しつつ、日本固有の特性を世界と比較しながら論じ、日本の強み並びに取り組むべき課題を語ってもらうというもの。ハーバード大学で教鞭をとる日本史の専門家が、独自の視点で日本を語り倒す大変リッチな構成となっている。

 

10名の講師がそれぞれの日本観を披露してくれるのが本書の魅力の一つであるが、日本の強みや弱味について、複数の講師が同様の指摘をしている点が多々あり、非常に勉強になる。本エントリーでは、それらはのいくつかのポイントを紹介していきたい。

 

日本は、「大きな社会的な動乱をおこさずに、課題を解決していく方法はある」ということを示す世界のモデル国となれると思います。日本では、<中略>他国ほど貧困の問題は深刻化していません。そのため、革命や動乱がおきることもなく、人口問題や経済問題に集中して取り組むことができるのです。

『ハーバード日本史教室』 第1講義 教養としての『源氏物語』と城山三郎 P.48

少子高齢化、人口減少、経済停滞などの社会問題に対して、日本は一番最初にそれらの問題に直面する先進国であり、日本がどのようにそれらに対して取り組んでいくかについて世界の注目度は非常に高いと指摘する講師が多かった。そして、多くの方が「日本の教育水準の高さ」、「治安の低さ」、「弁護士の数が少く、国民間の争いの少さ」、「社会的な格差がそれ程広がっていないこと」、そして「指導者が独裁的にならず、富を共有するという意欲」に強い点などをあげ、革命などの大きな社会的動乱を経ることなく、課題を解決し社会を転換させていく下地が日本にあることに注目する。

阿部政権は、勿論この難局にあって色々と言われ、独善的なところもあるが、中国やロシアのように憲法を変えてまで現在の指導者が独裁体制を築くというところまで針が触れることは肌感覚としてはないと思うし、それを防げる民意と民主主義の土台も日本にはきちんとある。

かつて、日本が他国を模範として、社会を変革させていったように、現在世界の国々が革命や動乱などのいざこざなく、先進国の抱える問題を日本がいかに解決していくのかに注目し、それを模範としたいと思っていると聞くと、元気がでる。

 

逆に、日本の課題として多くの方が指摘をしていた点は、閉鎖性であり、より移民を受け入れ多様性を促進することが大事、との提言が多かった。

一つめは移民の受け入れです。移民国家、多民族国家であるアメリカとは対照的な歴史をもつ日本が受け入れに慎重になるのはわかります。しかしながら、日本の労働力不足は深刻であり、受け入れを検討することが必要です/

『ハーバード日本史教室』 第9講義 日本は核武装すべきか P.217

 厚生労働省の予測では、日本の生産年齢人口は2017年の6,530万人に対し、2025年の時点で6,082万人、さらに、2040年にはわずか5,245万人にまで減少するとみられ、むこう20年で1200万人減少するとのこと*1。一方で、日本で働いている外国人は2019年10月末時点で165万人であり、過去10年で100万人増えたとの調べ*2もあるが、2800万人の外国人労働者を受け入れているアメリカ*3と比べるとその差は歴然である。

 労働人口の確保のためには移民受け入れの一択のようにも見えるが、人種や民族が同じ人たち同士で、言語も行動様式も似通った人たちとずっと快適に暮らしてきた日本人にはハードルは高い。私はアメリカに住んでいて日本人駐在員の方とも交流がある。会社によってもカラーは異なるが、現地採用の社員のことを「べいじん」と呼んで別扱いし、アメリカにいながらなお日本人だけで固まっている会社が多いことは残念なことだといつも感じている。

異る文化や背景を持った人たちと仕事をし、生活空間を共有するのは、やはり気を使うし、対立や軋轢は生まれやすい。が、その多様性が新しいアイデアを生み出したり、今までになかった価値を捻出する強みになることを、この地に住んで実感しているので、本書の多くの識者の指摘するように、移民の受け入れを日本もより進め、「移民活用能力」を高めるべきだと思う。


日本在住の方はもちろんであるが、特に海外に住んでいる方は、海外の方々が日本の歴史について、どのような点に興味を持ち、それを元に何を学んでいるのか、を知る上で本書は非常におすすめ。キンドル版がないというのが、致命的な本書の弱点なのだが、宥荘量を払ってでも取り寄せる価値は十分にある。

在宅生活を機に、改めて歴史を学ぶ

「自分が知っているのは歴史の断片的知識だけで、歴史の基本的な流れをわかっていない」というのは、詰め込み型の勉強で受験を乗り切り、その後あまり歴史に興味をもたなかった人の多くが抱えるコンプレックスなのではないだろうが。もちろん、こういう書き出しをするくらいなので、私も例に漏れず、「御成敗式目」とか、「御家人」とか、キーワードは勿論頭の中に残っているのだが、それを歴史の流れとして説明したり、学んだ歴史を現代に起こる事象と関連づけて考えるということは誠に苦手であった。海外に住むので自国の歴史の大まかな流れや、歴史的な流れで捉えた時の自国の特徴などを説明できるようになりたいのだが、読書と言えば読み易いビジネス書や自己啓発書に偏りがちで、歴史は長らく避けてきたテーマだ。

 

話は少し変わるが、渡米して6年以上経つが、自分の子供たちを見ると、無論日本史を勉強する機会に乏しく、現地校と補習校の課題に追われ、母国の歴史に対する知識は残念ながら皆無といっても過言ではない。漫画日本の歴史は買い揃えたものの、そこに手を伸ばすきっかけがなければ、子供も自主的には手にとるまい。

自分も勉強しながら、なおかつ子どもたちも楽しみながら勉強できる方法は無いかと考えていた所にこの在宅生活が始まった。オンライン授業が始まるまでに少し時間がかかりそうだったので、中田敦彦のYou Tube大学の日本史世界史を一日二動画(合計1時間ほど)見て、晩ごはんの前に、三人の歴史上の人物について、どの時代にどんなことをして、歴史の中でどんな役割を果たしたのか、ということをそれぞれ説明することにした。中田氏のYou Tube大学は、日本史と世界史をそれぞれ駆け足で5時間ほどで説明をするという、そのざっくり感が特徴だ(各論もあるが、まだ各論には手をだしていない)。勿論、そこに紹介される知識だけでは受験を勝ち抜くことはできないし、ぶった切り過ぎ感はある。が、まずは大まかな流れをつかんだ上で、細かい知識を深めていくというのが順番としてはあるべきだと思うし、家族でわいわいと楽しくできるので、詰め込み型からくる歴史の勉強への嫌悪感を回避でき、なかなか上手くいっている。

在宅生活中に一週間ごとに日本史と世界史を繰り返しているので、流石に飽きもくるので、『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』と『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を日本から取り寄せたところ、倍速で動画をざっと視聴し、もう30分くらい参考書をぱらぱらながめてその日の夕方に備えるというサイクルができてきた。

 

大まかな流れがわかると、「総論をもう少し深めたい」、「この各論をじんわり掘り下げたい」という欲求もわいてくる。それに、私自身が「歴史の流れ」を意識した示唆を子どもに与えないといけないので、必然的に深堀しなければならなくなる。いくつか歴史の本を読んだが、山本博文氏の『歴史をつかむ技法』はなかなか面白く、そして勉強になった。

歴史をつかむ技法 (新潮新書)

歴史をつかむ技法 (新潮新書)

  • 作者:山本 博文
  • 発売日: 2013/10/17
  • メディア: 新書
 

 

筆者の一貫した考えは、現代とは違う歴史、時代を学ぶことによって、現代を相対化する視点を養うということで、現代の小学校から高校までの詰め込み型日本史教育の問題点を指摘しつつ、日本史を歴史の流れで俯瞰する視座を提供してくれる。いきなり歴史の中身に入らず、「歴史学」とは何かというテーマに紙面の3分の1をさき、歴史との向き合い方への心構えを問いた上で中身にはいるという構成も心憎い。こんな本が歴史の教科書だったら、もっと面白く勉強ができたのにと思う。

 

歴史の本は何冊か読んだが、前提となる知識が本によって異なるので、一概に良し悪しを判断することが難しい。が、引き続き「歴史の流れ」を捉えるという点と「自分が学生の頃に読んでいたらもっと歴史が好きになったのに」と思うような本との出会いがあれば、本ブログで紹介していきたい。

『外国人にささる日本史12のツボ』 日本を語る第一歩

「どこの国に行ってみたいか」という話をアメリカ人の同僚とすると「日本」と答える人は決して少なくない。もちろん、目の前にいる日本人に対していくばくかの配慮があっての話であろうが、同席したブルガリア人の同僚に忖度して「ブルガリア」と答えた人は今までみたことがない。アメリカ人にとって、日本という国は東洋の国の中で「特別に興味をひく国」であることは肌感覚として間違いがない。

 

海外に住むと日本の文化、歴史、並びに宗教観が話題にのぼることは多い。母語でない英語で説明することの難しさもあるが、自分の中にそういうことを語ることのできる蓄積があるかどうかが一番大事であり、英語がいまいちでも内容があれば、みんな興味津々に聞いてくれる。自殺率が高い、地震が多い、過労死、などのネガティブなイメージも結構持たれているが、日本に興味を持つだけでなく、不思議な国である日本から学びたいと思っている方は多いことに驚かされる。

 

渡米してから日本の良さや、どういうところに独自性があるのかを説明するために、日本史を改めて勉強しなおしたり、神道についての本を読んだりそれなりに勉強をしてきた。コロナ禍のおかげで、渡米以後低迷を続けていた読書量も回復の兆しをみせていることもあり、自分の中の引き出しを充実させることに勤しんでいる。

 

 本日紹介する『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』はタイトルが直球すぎて非常に惜しくはあるものの、鋭い目の付け所で多くの示唆と学びを与えてくれた。筆者山中俊之氏は外交官として、エジプト、イギリス、サウジアラビアなどの国に赴き、外交官としての経験をつんだ国際派。そういった経験の中で、唯一性があり、海外から評価されるに値し、他国にも影響を与えた、もしくは与えうる12の日本史のテーマを本書で紹介している。小説やドラマなどの表舞台にたつことの多い日本の歴史と言えば、戦国時代や明治維新であるが、筆者は海外の人からみれば、ありきたりな権力闘争や近代化のストーリーであって面白みがないと一刀両断する。その代わりに筆者が上げるテーマが、自然崇拝、禅思想、天皇制、江戸時代の経済制度と庶民教育、葛飾北斎、古典芸能、外国文化を吸収・融合する力、地方の多様性、女性の活躍史などであり、どの項目も興味深く、学びが多かった。

 

自然崇拝と禅思想については、私もよくあげるトピックであるが、これらは確かにうけるし、海外の方と話す時に重要となる「宗教観」についての一つの答えになる。アメリカでは、近藤麻理恵とその片付け術がものすごく人気がある。Netflixの『KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』は、近藤がクライアントの家を訪ね、彼女の指導によってとっちらかった家が片づいていく経過、そのビフォーアフターを見せる番組である。家を訪れ、クライアントとのあいさつが済むと、彼女は「おうちにあいさつしていいですか」と断りをいれた上で、正座をして、瞑想にふけり、彼女なりの「おうちへのあいさつ」をする。初日の出に手をあわせるなど、無機物に何かが宿っているという感覚をそなえる日本人にとっては、それほど不思議な光景ではないが、「家に挨拶をする」という行為はクライアントには非常に稀有にうつり、彼女の片付け術に神秘的な付加価値を見出す様がお馴染みの光景となっている。また、物を捨てる際に、そのものに感謝をするという行為もわれわれにはそれ程違和感はないが、アメリカの方々には新鮮な模様。無機物に何かが宿っているというアミニズムの視点は、自然と共生する古来の日本人にとっては何気なく備えたものであるが、海外の方からみると不思議に見え、興味並びに学びの対象になったりするのである。自分たちに何気なく備わっているものを、文化や歴史の視点から捉え直すことが、海外の方に日本のことを説明する第一歩となるのだと思う。

 

12月24日に「メリー・クリスマス」とクリスマスを祝ったと思ったら、1週間後の1月1日には初日の出を拝んで、初詣をするというごちゃまぜ感に、節操がないという批判はよく耳にする。ただ、キリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、様々な神々を古来より信仰してきた日本人は、他の宗教に対して寛容であった、という見方のほうが私は前向きで良いと思う。神道は本を何冊読んだが、その開祖と経典がないという特徴から非常にふんわりしてとらえどころがなく、未だに理解と説明が難しい。ただ、最近はそのふんわり感が他の神様を受け入れることへ許容度を高めているようにも思う。

宗教的な寛容性が減少しつつある現在の国際社会において、日本人は自らの宗教における寛容性をあらためて自覚し、この感覚が社会に与える正の側面を伝えていけたらいいのではないかと考えます。

 という筆者に視点に私は強く同意をするし、そういう見方を広めていくためには、自分自身が知見をもっと深めてなければいけないと改めて思う。

 

Amazonのレビューなどを見ると本書は「あまり深堀りされていない」という評価が多い。確かに「では何故そうなのか」という点をもう少し踏み込んで欲しいと感じるところも多々あった。が、本書であげられているテーマは深淵で、お手軽に一丁上がり語り尽くせるほど浅い内容ではない。幸いなことに章ごとに参考文献がどっさりあげらており、私も何冊かに手をつけはじめた。

海外との接点が多く、そういうことを話す機会は多いものの、正直色々忙しく受験の時に勉強した日本史もあまり頭に残ってないんだよねぇ、という方には本書は最高の入り口だ。どこから手を付けたらよいのやら、という人には強く本書をお薦めする。

 

『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』 死と弔いと家族のあり方

国際霊柩送還士、聞き慣れない職業だが、海外で亡くなった方の遺体や遺骨の搬送(もしくはその逆)を請け負う仕事である。これだけ国際化が進んでいる昨今で、驚くべきことに、国際霊柩送還を専門にしているのは『エアハースインターナショナル』という会社一社であるという。本書、『エンジェルフライト』はその『エアハースインターナショナル』の仕事、人にフォーカスをあてつつ、海外で大切な人を亡くした遺族の気持ちに寄り添い、「弔い」並びに「日本人の死生観」を問う大作だ。

エンジェルフライト 国際霊柩送還士 (集英社文庫)
 

 

目を覆いたくなるような遺体処理の現場、悲しみにくれる遺族の心情を活写しつつ、その激務を通して遺族、そして故人に徹底的に寄り添う同社の社員のプロフェッショナリズムを刻々と記し、「死とは、弔うとは?」というテーマにうちのめされながらも、奮闘する筆者の姿も赤裸々に描ききっている。自分の感情をなるべく控えめにし、客観的に取材対象の姿をありありと描く門田隆将のスタイルとも、自らの貴重な体験を類稀な描写力で丸ごと描く角幡唯介とも異なる。取材を通して、自分の描きたいものを葛藤しながら見つけていく自らの様まで作品の対象とする独特のスタイルで、一歩間違えれば、ノンフィクションとして成り立たなそうなアプローチをとりつつ、最後まで見事に描ききっている。

 

私は現在アメリカに住み、日本に帰る予定は今のところは特にない。取材を通して「死と弔い」について真摯に向き合う筆者の姿を見ると、自分が死んだ際、私の遺体はどこにいくのだろうか、ということについて嫌でも考えてしまう。祖国である日本に帰るのが良いという漠然とした考えはあったが、その答えは自分の中にだけあるものではない。なぜならば、それは家族のあり方そのものだからだ。容易に答えを導き出すことはできないが、本書は考えるきっかけを与えてくれる。海外に在住している日本人の方に是非手にとって頂きたい。

コロナ禍におけるアメリカの在宅生活事情

外出自粛生活が始まってそろそろ2ヶ月ほどがたつ。私の在宅勤務の開始と子供の休校のタイミングが同じだったため、家族そろって新生活に一気に移行し、一緒に作り上げていくことができた。現在、私が住む米国は感染者数が137万人(5月初旬時点)を越す感染大国であり、私が住むノースカロライナ州でも1万5千人ほどの感染者を抱える。州知事からは緊急事態宣言がでており、今年度一杯は学校はリモート授業のみということは既に決定され通知されている。そんな、アメリカの片田舎での外出自粛生活は日本と若干異なる点もあると思うので、備忘録がてらいくつか特徴的な点を記載してみたい。

 

リモート授業への取り組みの速さ

休校開始から2ー3週間ほどで子供の通うと小学校と中学校はリモート授業を開始し始めた。普段からタブレットなどのデバイスを学校に持っていったり、宿題もオンラインで配布されたりしているため、生徒も先生も慣れている模様。Google Classroomを使って動画での授業を視聴し、だされた課題に取り組みつつ、適宜チャットを使って先生に質問をするなど、違和感なく子どもたちが粛々とこなしているので、親にそれほど負担はない。社会科の課題をインターネットで調べごとをしながら、Google Slideにプレゼンをまとめていくことを自然とこなす小6の息子にジェネレーションギャップを感じてしまう。

もちろん、子供が自由にパソコンやタブレットなどを使えない家庭もあろうが、貸与プログラムも充実しているし、親の相談窓口も設定されており、「走りながら形を作っていく」というスタイルが教育を前に進める原動力となっている。機会の平等を、護送船団方式ではなく、遅れをとった船に適切に支援することにより確保しており、教育の高い推進力を目の当たりにし、心強く思う。

 

ドライブスルーと車大国の強み

レストランの店内での飲食は依然として制限されており、テイクアウトのみとなっている。アメリカは車社会なのでドライブスルーは日本より元々充実している。薬局で薬をもらう時も、医者から指定のドラッグストアに処方箋を電子的に送付してもらい、ドライブスルーで受け取ることが定着している。なので、今回のテイクアウトのみという制限への対応も早く、非常に助かっている。いわゆるドライブスルーがないレストランやその他の店であっても、ウェブオーダー時に車の特色を記入し、店の駐車場に着いた時点で電話をすると、店員が食べ物や品物を車まで持ってきてくれるというプロセスになっており、とても便利だ。が、アメリカは全体的にオペミスが多いので、店によっては注文した品がちゃんと入ってなかったりすることが多く、「らしさ」を醸し出している。

 

習慣化したマスク

アメリカ生活を初めてから6年ほど経つが、コロナ禍の前にアメリカ人がマスクを街でしているのは、本当に見たことがなかった。私の住むノースカロライナ州は春先に花粉が大量に発生するのだが、マスクをつけている人は殆ど皆無で、たまにマスクをしているのはアジア系の移民くらいであった。このコロナ騒動の開始当初もマスクをつけている人は稀であり、たまにバンダナで口を覆う人がいるくらいであった。が、1ヵ月前くらいから情勢が逆転し、マスクを着けずに買い物などに行く人のほうが一気に少数派になった。州政府が奨励していることもあるが、変わるとなると一気に変わるアメリカの国民性に非常に驚いた。なお、食料品を買い物にいっても店員も含め殆どマスクをつけているが、大学生くらいの若い女性は未だにマスクを着けていない人が多い。やはり、ファッション性が気になるお年頃だからだろう。なので、奇しくも若い女性が一番近寄りがたい存在である。

ホームセンターが未曾有の混雑

外出制限がかかっているので、ショッピングモールも営業を自粛しており、混雑した店というのは皆無に近い。が、その中で活況を呈しているのはホームセンター(LOWE’SやHOME DEPOTなどが大手)である。先日、風呂場の照明のスイッチが壊れてしまったので、やむなくLOWE’Sに行ったところ、未曾有の混雑を見せており驚いた。大多数はマスクをし、店もすさまじく大きいので、三密ということはないが、駐車場に停まっている車の数は圧倒的に普段より多い。外出制限がされ、家にいる時間が増えたので、これを千載一遇のチャンスとばかりに「いつかはやりたいと思っていた庭の整備やDIY」に精を出す人がきっと多いのだろう。食料品店が混雑することはないのに、ホームセンターがこんなに混むかね、、、というくらい盛況で非常に興味深い。庭仕事に対する並々ならぬアメリカ人の熱意を見た。

家が広いのはやっぱり快適

「徒歩圏内にコンビニが数店あり、大抵のものは徒歩圏内の店で入手できる」、「公共の交通機関が発達しており、外出先で飲酒をしても、車を運転せずに帰宅できる」、「自動販売機がどこにでもあり、いつでも飲み物を買うことができる」など、「あぁ、日本は暮しやすいなぁ」と毎回の帰国の度に思う。「家が広い」ということが住宅事情の唯一の利点であり、その他の利便性は日本に圧倒的に軍配があがる。が、家族4人での在宅生活が長くなり、この「家が広い」という唯一の長所が大いなる輝きをみせている。ノースカロライナ州という片田舎ならではあるが、わが家は建屋で三百平米ほどあり、プラス芝刈りが面倒な程度の広さの庭がある。仕事と勉強部屋は家族4人それぞれが二階部のみで確保できているし、妻の仕事部屋にトレッドミルがあるので、雨の日でも家族全員がそれなりに運動できる。それぞれが無理なくプライベートを保ちながら活動できる空間的余裕があることで快適な在宅生活を過ごせている

『感染症の世界史』 感染症と人類発展の歴史

新型コロナウィルスの猛威により、2020年5月9日時点で感染者数は400万人を超え、亡くなった方の数は28万人にも及ぶ。SARSについては、2003年9月26日にWHOが発表した限り感染者数は8,098名で、死亡者774名というから、正に桁違いのインパクトである。歴史を紐といてみると、地震、台風、津波などの災害の中で過去に最も人類を殺してきたのは感染症だという。このコロナ禍において、感染症の歴史を学び、それに学ぶのは大事と考え、『感染症の世界史』と『感染症対人類の世界史』の二冊をとってみた。

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:石 弘之
  • 発売日: 2018/01/25
  • メディア: Kindle版
 
感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)

感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)

 

 

 

本のタイトルも内容も似通っているが、両書は趣がかなり異なる。前者は、環境研究者である石弘之氏の著。コロナ禍以前に執筆された本で384ページに感染症の世界史がてんこ盛りに記載されており、大変読み応えがある盛りだくさんの内容となっている。後者はお馴染み池上彰氏とジャーナリスト増田ユリヤ女史の対談本。コロナ禍にあわせて出版され、タイムリーであると共に興味のあるポイントが簡潔にまとめられているので、子供でも読める手軽さが売りだ。

 

各国で国による外出制限令がだされるこのコロナ禍は、今を生きる我々は誰も経験したことのないものだ。私の住む米国では、今年度中の学校の開校は見送られており、在宅勤務が解除され、いつオフィスにいけるか目処もたたない。メディアでは、「昨日は新たに何人の感染が発見された」ということが毎日報道され、私の友人でもしばらく外にでていないという人も結構いる。「この異常事態はいつ収束するのだろう」と多くの人が思っていることだろうが、「東ローマ帝国は200年もの間、繰り返しペストが流行し、人口が激減した」、「20世紀初期のスペイン風邪により、5千から8千万人の人が死亡した」などの歴史を学ぶと、我々が直面している異常事態は、人類の歴史では何度も繰り返されてきたことであり、受け止めなければならない日常なのだと謙虚な気持ちになれる。

 

また、文明の発達にあわせて感染症との戦いが激化してきたという歴史も非常に興味深い。「ペストの起源は中国にあり、シルクロードにのって世界中に拡散した」「大航海時代を経て、中南米のアステカ・インカ帝国に天然痘が持ち込まれ、侵略戦争を遥かに上回る人々が亡くなった」など、交通網の整備とグローバル化に伴い、一つの地域で発生した感染症が世界中に拡散した例は枚挙に暇がない。また、「新興感染症の75%は動物に起源があり、人類に居住地域の拡大にあわせて未知の病原体の拡大が広がった」というのも非常に興味深い。麻疹、天然痘、結核、インフルエンザなどは全て動物由来であり、家畜による食物生産で飢餓という問題を克服しつつも、それそのものが感染症の震源になって多くの人を殺しているという事実に、文明の発展はプラスの面ばかりではないことが学びとれる。

 

両書からの学びとして最も興味深かったのは、感染症に人類は苦しめられ、多くの人が殺されてきただけでなく、それをきっかけとして社会に変革を起こし、人類は前に進んできたという事実だ。中世ヨーロッパで栄華を極めたキリスト教も、ペストの流行により権威を失い、ルネサンスという大きなうねりを生んだというのは興味深いし、第一次世界大戦の終わりを早めたのはスペイン風邪の流行という見方も面白い。それぞれの時代で疫病により時の権威が揺さぶられ、新しい潮流が生まれたという歴史に、我々は学ばなければならない。教育、働き方、公衆衛生のあり方が各国で見直されているのは大変興味深い流れであるし、進行したグローバル化に伴い感染が拡大したにも関わらず、感染の抑え込み、医療研究などの分野で思ったほど国際協調が進んでいないのは誠に残念なことだ。このコロナ禍が、ここ数年欧米諸国で見られる自国第一主義を打破するきっかけとなれば、人類の新型コロナウィルスへの勝利への一歩となるのではないか。

 

日々の感染者数の増減に一喜一憂し、それに踊らされるのではなく、冷静に今を見つめるためには歴史に学ぶことが大事だ。両書共、性格は異なれど、感染症が如何に多くの人を殺してきたかということではなく、人類がそれを克服して、どのように前進してきたかという発展の道筋を教えてくれる良い本だ。まだ、読んでいない方には、今の時期だからこそ是非手にとって頂きたい。



『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」』 ブラック・スワン後の世界

前回紹介した『死の淵を見た男』は、ノンフィクションでありながらヒーロー性に富む物語でもあり、『Fukushima 50』という形で映画化される程だ。事実に忠実ながらも、現場 vs 東電本店と官邸という対立軸を用いることにより物語性が高まっている。東電本店と官邸の指示に背いて一号機への海水注入を続行した吉田所長の英断は、本書の大きな読みどころであり、世間の耳目を大きく集めた。

 

が、その後の検証から事故後の12日間は一号機には実は殆ど海水が入っていなかったという衝撃の事実が明らかになる。本書『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」』は、NHKの圧倒的な取材力を元に、事件を検証し、一号機への海水の注入が何故失敗してしまったかの根本的な原因に迫るドキュメンタリーだ。『死の淵を見た男』の読後の現場びいきの感覚を引きずっている身には、「後から見たから言える後付の批判」という不満も覚えなくもないが、壮絶な現場で何が起きていたのかについて、AIも駆使しながら、科学的に迫るそのアプローチは興味深く、また学びが大きい。

 

本書では1号機への海水注入失敗の原因を、冷却装置イソコンを過去に運転員が一度も使用したことがなかったということにみて、その調査内容に前半部を割いている。イソコンというのは電源が喪失した際でも原子炉を冷却できる1号機にのみ備えられた装置で、イソコンをきちんと稼働させていたら、1号機の被害をより抑えることができという取材班の見方は説得力がある。事件当時の運転員が一度もイソコンを使用したことがなく、事故時にイソコンが動いているかどうかを見極めることができず、それが被害の拡大につながったとの指摘が本書であり、確かに残念である。取材班は、イソコンを備える原発を稼働しているアメリカでは、5年に一度稼働試験をし、それを通して運転員の訓練もしていることを引き合いに出し、実際の事故を想定した訓練が不十分であったと断じる。

 

福島の原発事故は、

  • 過去に照らせばそんなことが起きるかもしれないとはっきり示すものはなく(高さ10メートルの津波が襲い、全電源を喪失する)
  • 影響が甚大であり(メルトダウンとメルトスルーに伴う途方も無い事件処理)
  • 異常な事故であるにも関わらず「事故が起こってから予測可能であった」ように捉えてしまう(10メートル規模の津波は想定できた、イソコンが必要な事態が発生しうることは想定できた)

というブラックスワンの三要件を備えている。取材班の粘りには脱帽するし、舌を巻くところもあるが、イソコンの運転試験をしなかったということからの学びはそれ程大きいものなのかという疑問が私には残る。全ての冷却施設の定期試験を実施するという類の学びでは、次に到来するブラックスワンには対応できない。何故なら、想定を超える事態が我々の想像の先から必ず現れるからだ。

 

本書の後半は、事故発生からのテレビ会議の内容をAIで解析するという取り組みをしており、想定外の事態が発生した際にどのような対応がなされたのか、どうすればより適切な事故対応できたのかに焦点が当てられており、こちらのほうが価値が高いように思う。1号機への冷却水の投入が不十分であることが数多くの重大案件が同時並行的に発生する中で見過ごされていった過程や、複合的に発生していくトラブル対応にあたり吉田所長という一人の人間に長時間高負荷がかかってボトルネックになってしまったなどの問題点が紹介されている。これらは、ブラック・スワンが発生した後の対応についての検証であり、何故異常事態が事前に想定できなかったかより興味深い。AIを使って意思疎通の系統を可視化したり、キーパーソンの疲労度を数値化するなどの新しい取組も面白い。

 

フランスの原子力安全研究所も吉田調書に強い関心を示している。

事故対応の責任者だった原発所長がこれだけ長時間証言しているのは、歴史上初めてで、危機に対して、技術者が何を考え、どう行動したかのディテールに強い関心がある

というのは同研究所のフランク・ガルニエリ氏のコメントであるが、想定外の事態が発生した際の対応の中にこそ、現在自分たちの想定しえない事故への対応の鍵があるという確信と原子力の安全性を担うものとしての使命感が伺え、好感がもてた。


現在、新たなブラック・スワンの猛威に世界中が直面しているが、極限状態の中が戦った事故現場の対応からの学びは貴重だ。『死の淵を見た男』とセットであわせて薦めたい。

Creative Commons License
本ブログの本文は、 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 非営利 - 継承)の下でライセンスされています。
ブログ本文以外に含まれる著作物(引用部、画像、動画、コメントなど)は、それらの著作権保持者に帰属します。