Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

英語力の弱さゆえに発揮できた「聞く力」

日本に一時帰国して必ず行くのはラーメン屋と本屋。本屋で平積みの本を見るのは、アマゾンでおすすめをポチるのとは違う独特の醍醐味がある。流行りの本が書店の中央に陣取る一方、「この本まだ売れてるんだぁ」と、根強く平積みの位置を維持するロングセラーもある。特に新書コーナーには常駐している本があり、阿川佐和子さんの『聞く力』は、そんな本の代表格だ。

 

1万部売れるのは出版される本の1%と言われる出版業界で、190万部という驚異的な出版数を誇る。気にはなりつつもスルーしてきた本の一冊であったが、ビジネス書としても推薦されることが多いので今回手に取ってみた。

 

ロングセラー『聞く力』の語るもの

本書は雑誌での対談連載やテレビのインタビュー番組を多くこなしてきた筆者による「聞く」という行為を通して人の魅力を見つけ、感じるための指南書。タイトルには「35のヒント」というサブタイトルがつけられているが、それから想起される「ノウハウ本」の類ではない。どちらかというと、

  • 話相手にはかけがえのない「魅力」が必ずあると信じきる前向きさ

  • 言葉の端々や仕草まで、相手に向けられた圧倒的な注意力

  • 一つ一つのコミュニケーションの経験からの失敗と反省を重ね続け、より「聞く力」を磨くための「学ぶ力」

のような、原理原則が紹介されている。その原理原則も、大上段に構えて偉そうに提示するのではなく、数々の経験や失敗談からじわじわと語られていくため、興味がそそられ、ページを手繰る手も加速される。

 

『聞く力』が軽視されがちなアメリカの職場

私が働くアメリカの職場は、「聞く力」よりも「主張する力」の方が重んじられる。というか、それがないと生き抜いていけない。もちろん、「相手の話をしっかり聞いて、相手の主張を尊重する」ことの重要性はものすごく形式上は重視されている。なので、相手の主張を遮る際は必ず、

I'm not trying to interrupt you, but..
I don't mean to cut you off, but…
いや、君の言うことを遮るわけじゃないんだけど

前置きをつけて遮るということがマナーとなっている。でも、これは形式的な実質的には、

But you're actually interrupting me
でも、結局遮ってるよね

って感じだが、最低限のマナーを守った上での話の主導権の奪い合いなので、仕方がない面もある。というか、そんなことでいちいち凹んでいたら生き抜いていけない。

 

英語力の弱さゆえに発揮できた「聞く力」

そんなアメリカの職場で管理職経験の長い私だが、拙い英語の割に部下から、

You’re the best manager I’ve ever worked with
今までの上司の中で一番やりやすい

と言われることが多い。

 

もちろん、これは現在の上司へのリップサービスもあると思うが、職場が別々になった以前の部下から

I’m currently job hunting and would love to work with you again. Don't you have any open positions at your company?
今、仕事を探していて、また君と働きたいんだけど、君のところで空いているポジションないかなぁ。

という問い合わせを受けることもかなり多い。


で、本書を読んで思ったのだが、私は英語力の弱さゆえに、自己主張の強いアメリカの職場で、結構「聞く力」を発揮していたのではないかということ。部下とは必ず週に一度は一対一で面談をするが、英語力の無さゆえに

  • 聞き流したら絶対に頭に入ってこないので、とにかく相手の言うことに集中する

  • 相手の言っていることがわからなくても、何が相手の伝えたいことなのか丁寧に確認をする

  • 細かな英語のニュアンスを聞き取る自信がないので、声のトーンや仕草にも最新の注意を払う

  • 「きっと良いことを言っているんだろうけど、自分が聞き取れていないだけ」と相手の発言意図を肯定的に捉える

ということを積み重ねている。アメリカの職場は上意下達の雰囲気が強い。なので、上司との面談で自分が話したかった事案を全く聞いてくれずに、自分の要件と指示だけを伝える上司って結構多い。これは結果論ではあるのだが、英語力の弱さゆえに意外にも「聞く力」を発揮できていた気がする。

 

それでも慣れって怖い

私も10年以上アメリカで管理職をしているので、当然「慣れ」がでてきている。それが故に、部下や相手の言うことを「聞き流す」ことが振り返ってみると増えてきている気がする。私が「聞き流す」ことに慣れてしまえば、アメリカ社会では、単なる「英語力が弱い上に、話を聞かないただのおじさん」である。

 

本書を読んで、無自覚に発揮していた自分のアメリカ社会での強みを再認識したので、おごらずにもっと同僚やチームメンバーの話をちゃんと聞くようにしよう。

 

阿川佐和子さんの『聞く力』。ロングセラーにはロングセラーなりの理由があるもの。本書は自分の「聞く」という行為を振り返るよいきっかけを提供してくれる。まだ、手にとったことがない方がいたら、私のような思わぬ発見があるかもしれないので、手にとってみては?

旅行の予約でやっちまった話 ~返金不可から返金を勝ち取る10日間~

私:
The Towers at Pueblo Bonito Pacifica – All Inclusive を予約しました。念のために確認ですが、こちらはAdults Onlyではないですよね?

Chat GPT
ご安心ください。
The Towers at Pueblo Bonito Pacifica – All Inclusive は、親ホテルである Pueblo Bonito Pacifica Golf & Spa Resort と同じく、Adults Only(大人専用、18歳以上)リゾート です。

私:
おーい、話が違うじゃーん!!

先々週の月曜日。
私は年末の休暇に、妻と17歳の息子と一緒に行くロス・カボスにあるリゾートホテルの選定作業に勤しんでいた。以前宿泊したカンクンのホテルは、ビュッフェで子供が走り回り、少し落ち着かなかった。リゾートホテルには「Adults Only」という制限を設けている所があるが、どこも18歳未満は宿泊不可。つまり、17歳の息子はぎりアウト。
なので、17歳の息子も宿泊でき、あまりファミリー色を前面に出していないホテルをChat GPTに探してもらっていた。

 

1日目:予約を完了するも、、、

Chat GPTに条件にあうホテルのランキングを作ってもらい、Expediaで予約をすることに。Expediaでは、大人専用のホテルはホテル名の横に「***Adults Only***」と明記されている。リストの一番上にきた良さそうなホテルには、「***Adults Only***」の表記がないことを確認し、息子を「Child - 17歳」と登録して予約完了。トータルの値段が$700くらい異なるのでNot Refundable(返金不可)で予約をしたのだが、これが痛恨の一打となる。予約完了後に一応Chat GPTに「Adults Onlyじゃないよね」と確認した結果が冒頭のやりとりだ。

もちろん速攻でExpediaに電話で連絡をする。どうせ20分はかかるだろうと踏んでいたのだが、何と2分くらいで人につながるではないか。「カスタマーサービスに繋がらない現象」が一般的なアメリカでは驚異的な短さ。この時は暢気に「Expediaやるなぁ」と思っていたが、これがとんでもない思い違いであることに後々気づくことになる。

電話で確認をしたところ、

ご要望はごもっともです、ですがNon Refundableでの予約となりますため、ホテルへの確認が必要になります。もう夜が遅いので、明日ホテルに確認をさせて頂きます
Expedia担当A

とのまともな回答。

一応ホテル側にも電話をし、状況の説明と宿泊できないのであればキャンセルしたい、という意思を伝えるが、明日電話して欲しいとのこと。少し不安を抱えたまま、その日は床につくことに。

 

2日目:Expediaとの格闘のスタート

翌日、Expediaから早速メールがくる。仕事早いなぁ、と思いつつメールを開くと。

ホテルの担当と電話で話をしましたが、Non Refundableで予約をしているので、返金はできないとのことです。多くのホテルが非常に厳格なポリシーで運用をしており、お力になれなくて残念です。

Expedia担当B

という「がーん」というメールが届いているではないか。早速、Expediaに電話で連絡をしたところ、

こちらから確認しましたが、受け入れらませんでした。
Expedia担当C

の一点張り。本当かよと思い、仕方がないので自分でホテルに電話をすることに。ホテルの予約担当にすぐにつながり、下記の通り事情と要望を説明する。

  • 17歳の息子も一緒に宿泊できるのであれば予約はそのままにする

  • もし、ホテルが滞在を許可しないのであれば、返金して欲しい

  • そもそも予約の段階で同伴者が17歳であることは通知済み

そうするとExpediaから聞いたのとは異なる下記の回答を得る。

まず、残念ながら17歳のお客様滞在できないルールとなっております。また、状況を鑑み返金も対応したいと思いますが、Expedia経由で予約をされているので、Expediaから当ホテルにキャンセル・返金依頼がないと対応できません
ホテルの予約担当

とのこと。Expediaの担当者からホテルに連絡がいっているはずだと言っても、再度必要の一点張り。ホテルの担当の名前を控えて、再度Expediaに連絡することに。

 

連絡済みがいっているはずなのだが、どうせ上記のような事情を説明しなかったのだろう。次の担当Dが言うには

以前のこちらの担当に内容を確認した所、個別の事情を説明していなかったようです。私の方から、お客様の個別の事情を鑑みたフォローをさせて頂きます。
Expedia担当D

案の定前の担当は、単に返金して欲しいとだけリクエストしたらしい。そして、しばらくしてからその担当からメールで連絡がくる。

予約担当につながりましたが、フロントデスクに回され、フロントとはつながりませんでした。特別対応チームに引き継いでフォローします。
Expedia担当D

という今一つ要領のえない回答。その後、再度電話をし、別の担当Eに話すも、ホテルと連絡がとれないので、特別対応チームが対応と言うばかり。
あぁ、これははまったやつだ、こいつら、多分解決する気がねーな。私の懸念は確信に変わった。

 

3日目:微妙な進展を見せるも、、、

翌日、Expediaに再度連絡し、またまた別の担当Fに事情を説明する。ゾンビのように湧いてくる各担当に何度説明をすれば済むのだろう、と途方に暮れたが、ようやく今回の担当は少し進展をみせる。

お客様が話をされたホテルの担当と話をしました。状況を理解してもらいましたが、上の判断が必要なのでメールで正式に依頼を送って欲しいとのことなので、これからメールを送ります。
Expediaの担当F

あまり期待はしてないが新たな進展を見せる。メールに私を私に入れるように頼んだが、ポリシーでそれはできないが、送信した文面は転送可能ということで、メールを送ってもらうことに。

 

4-5日目:膠着状態が続く

翌日、翌々日と半信半疑で返信を待つも、特にホテルから音沙汰なしという連絡しかこない。5日目にこれはさすがにもう無理だろうと観念し始めたが、カスタマーサービスのスーパーバイザーにエスカレートすることに。
何か内部の規定があるのか、Expedia担当Gにはエスカレートすることをかなり渋られたが、「5日間も全く進展がないじゃないか!」と押し切った。

そして、スーパーバイザーと話をするも、やり取りはほとんど変わらず。

ホテルに再度連絡しましたが、メールが正しいところに送付されていなかったので再度送り直しました。また、別の担当にフォローさせます。おそらく土日を挟むので3〜4日かかりますが、最優先で対応します。
Expediaのスーパーバイザー

とのこと。メールが正しいところに送付されていないって、プロでしょ、、、。君たちの最優先は、就活学生の「御社第一希望です」くらいあてにならんよ、、、。

 

6-9日目:待てども待てども進展なし

土日はそれほど進展はなかろうと放っておいたが、明けた週頭にも音沙汰なし。第3四半期明けで仕事もかなり忙しく、仕事に手一杯でフォローをする時間も殆どとることができない。そもそも、8名くらいの別々のカスタマーサービス担当と話したところに、再度同じ話をするのに辟易として、電話をする気にもなれなかった。
同じ担当がついてくれれば、結果はどうであれ、一歩一歩前に前進することはできるが、担当がころころ変わるので対応にばらつきがありすぎて、進んでいる手応えをえることができないのが、かなりしんどかった。

 

10日目:

昼になっても、経過報告もないので、これは放っておかれている可能性もある。昼休みに少しだけ時間がとれたので、Expediaにメールを送る。Expediaからホテルに送った内容は確認で転送してもらっていたので、そのメールも添付し、ホテルから連絡があったのか、ないのであれば私からホテルに連絡をするので状況を教えて欲しい、とだけ書いて送った。

そして、夕方の5時頃に突如待ちに待った連絡がくる。

お客様
ホテルの予約キャンセル、並びに全額の返金について、確認がとれましたことをご報告いたします。返金の内容につきましては、別途メールを送付させて頂いておりますので、そちらをご確認ください。
一連の手続きにつきましてのご辛抱・ご理解頂きましたことに感謝いたします。Expediaの担当H

正直、半ばあきらめており、最悪カード会社に差し止め依頼をするのもやむなしとやりとりの履歴をまとめようか、とも思っていたところだったので、会心の一撃であった。考えてみれば、もっとすんなりいってしかるべきと思うが、粘りに粘ってようやく勝ち取った返金であるので、とにかく嬉しかった。

 

まとめ:振り返っての成功要因

カスタマーサービスとのやりとりで苦労が絶えないのは常だが、今回は10日もかかり過去最大級に大変であった。私はかなりしつこい性格なので、ほふく前進ではあるが、じりじりとにじりよって行き、その上で返金を勝ち取ることができたが、普通は途中であきらめてしまうかもしれない。今後の参考のために何故無事に返金してもらえたのかを以下自分なりにまとめてみる。

素早い初動と履歴の記録

今回は初動が早かったことが一つの決め手であった。予約完了2週間後と予約直後では、依頼をする時のインパクトがやはり異なる。そして、そのやり取りを逐一履歴にとり、ExpediaとHotelに都度確認と連絡をしたことで説得力を増すことができた。

 

Expediaとホテルの間のたらい回しに理屈で対応

今回は、Expediaとホテルとの間のたらい回しで、双方をいったりきたりして大変だった。もちろん、ものすごく腹はたったが、そこで感情的になると進むものも進まなくなってしまう。なので、「ホテルが滞在を許可するのであれば、予約はそのままにするが、許可しないのであれば返金を求める」という1つのロジックを貫き、両者を粘り強くつなげていったことも成功要因だったと思う。

 

粘り強く、丁寧なフォロー

今回のやりとりでは、Expedia側のかかわった人間は10名ほどに及ぶ。徹底的に事実を大事にし、何月何日に誰とどんな確認をした、ということをメールで常に送り続け、前述のロジックに肉付けをするという作業を地道に実施していった。やりとりは、勿論すべて英語になるので、経緯やロジックをChap GPTにインプットし、英語で素案を作ってもらい、手直しして送付するという作業を繰り返した。はらわたは煮えくり返っているが、常に担当の経緯を払う文面づくりを心掛け、個別の担当の共感をえることができるように腐心したのも大きかった。

 

これからホリデーシーズンに入り、旅行の予約をする方も多いと思う。もちろん、私のように迂闊に予約をするのではなく、それなりの金額になるので、予約前の入念のチェックが一番大事だ。だが、その上で不運にもトラブルに巻き込まれてしまった方の参考になれば幸いである。

中高年の「推し活」考 それは自分を再発見すること

40代、50代は働き盛りであると共に「推し活」盛りだ、と言っても過言ではないくらい、同年代は推し活に精を出している。妻は数年前から、日韓合同のオーディションから結成されたNiziuの推し活に励んでおり、私の兄はちいかわの推し活に勤しんでいる。Facebookを見れば、同年代の友人の推し活の投稿が目立つ。昔、「アイドルの追っかけ」というと、少し変わった奴らという目でみられたものだが、今は市民権を得たと言って差し支えないだろう。

 

なぜ、同年代がこうも「推し活」にハマるのかを考えると、子育ての負担の減少がきっかけとなっていると推察される。推し活の定義を広げてしまえば、対象に無常の愛を注ぐ子育てだって立派な「推し活」だ。ダメな子供ほど可愛いなんてよく言うが、ちょっとパフォーマンスが今ひとつだった推しを見ても、それはそれで魅力を感じてしまうというのと精神構造は似ている。子育てという特大級の熱意を求められる「推し活」を終えた年齢層が、浮いた時間、お金、そして愛情を注ぐ対象を見つけるというのは、極めて自然だ。

 

文芸評論家の三宅夏帆さんが『「好き」を言語化する技術』の中でこう述べている。

自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります。冷静に自分の好みを言語化することで、自分についての理解も深まる…
『好きを言語化する技術』

中高年の推し活というのは単なる他人を応援する行為ではない。子育てという、生物学的に強制力のある「推し活」がひと段落して、時間的、金銭的、感情的にできた余白に、今の自分を再発見し、投影していくという行為ともとれる。推しの対象として何を選ぶかには、自分の価値観が反映されるし、実は抑圧していた認識していなかった自己も反映されるかもしれない。

 

もちろん、「推し活」に勤しんでいる方々のほとんどは、大げさに考えず、純粋に幸福と癒しを求めているのだろう。楽しんでなんぼの「推し活」なので、そのまま大いに楽しめば良いと思う。
だが、若者がやる推し活は、憧れが原動力となった「誰か自分以外の物語を追いかける行為」だろうが、中高年の推し活は「成熟した大人による自分の物語の再発見」という側面もあるような気がする。
推し活を単なる応援にとどめず、人生の後半戦のスタートにおける自分の再発見とするためには、言語化と自己理解が求められる。紹介した『「好き」を言語化する技術』には、その方法論が語られているため、「推し活」中の人には是非お勧めしたい。

さて、「で、お前は何か推し活しているのかと」聞かれると、実は私にはこれといった推しは思い当たらない。最近、相撲熱が再燃し、「推し力士」を探しているが、候補は何名かいるが、はまる程ではない。ここ数年取り組んでいた補習校のファンドレイズ活動は、補習校の生徒たちの「推し活」とも言えなくないが、引っ越しに伴い活動を停止してしまった。

仕事終わりや休日に何をしているのかと言えば、筋トレやランニングに勤しんでおり、前回の自分より、より重い重量をあげ、より速いペースで走りたい、という意欲は一向に衰えることはない。
見方を変えれば、これは一種のナルシズムであり、自分自身を応援し、次のステップへ押し上げる「推し活」ともとれる。
他人よりも自分に興味があって、自分をより応援したい、活躍させたいというのは、私らしいとも思う。

「推し活」の形は人それぞれだ。誰かを応援することも、自分を育てることも、フィクションのキャラクターに憧憬を抱くことも、対象に愛情を注ぐという点では、等しく尊い行為だ。そして、その自分の推しを語る行為は、自分を見つめ、再発見する営為でもあるのだ。

『DIE WITH ZERO』ETFの配当より「記憶の配当」を

私は財布の紐は結構かたいほうだ。

 

「値ごろ感がある」ものを購入できた時は、すごく幸せな気分になるし、つまらない「無駄金」を使うのはとにかく嫌いだ。ノースカロライナ州では必ず$3はした「おかめ納豆3パック」が、物価の高いカリフォルニアでは$2.5で購入できることに毎週小さな幸せをおぼえるし、たまにセールで$2という破格の値段で購入できると「良い週末だった」となる。

 

たかだか$1-2で幸せになれるのだから安い人間である。

 

が一方で、品質に見合わない金額を支払う時は、それが少額であってもすこぶる気分が悪い。特に、外食の価格については過敏と言っても過言ではない。どんなに美味しくても、「でもこの味でこの値段か~」と感じると食事の満足度が激減してしまう。折角美味しかったら「あぁ、美味しかった」と満足できればよいのに「ケチ」だなぁと思う。が、これは性分なのでもう直らないだろう。

 

そんな性分なもので、将来への貯蓄も余念がない。ここ10年くらいでこつこつと上場投資信託などを買い貯めている。貯蓄額が積みあがるほど安心感は増し、臨時収入などがあっても、その分贅沢をせずに、ついつい貯蓄に回してしまう。正直、より高い点数をだすゲームになってしまっている自覚もある。

 

日本でも話題になっていて、前から気になっていた『DIE WITH ZERO』を読んだ。これは「手放しに称える名著」というより、上記のような性分の私に「グサグサとつきささる」内容であった。

 

特に印象的だったのが、「記憶の配当」という考え方。

 

元の経験から副次的に生まれる経験は、まさに記憶の配当だと言える。その経験は、積み重なっていく。忘れがたい旅を振り返ることで、どれくらい多く、豊かな時間を過ごせただろうか。繰り返し思い出すことで、元の経験よりも多くの喜びが得られることだってある。 金を払って得られるのは、その経験だけではない。その経験が残りの人生でもたらす喜び、つまり記憶の配当も含まれているのだ。
『DIE WITH ZERO』 人生が豊かになりすぎる究極のルール p. 52-53

この「記憶の配当」という考えは、私には目から鱗であった。

 

経験そのものはもちろん楽しいが、確かにそれを何度も思い出すことで、あとからあとから幸せな気持ちが湧いてくる。わが家では、コロナ禍が明ける頃に行ったローマ旅行がまさにそれだった。

 

美食、芸術、歴史、美しい街並み……。
あの旅行は、今でも家族の中で「良かったよね~」と話題にのぼるし、「また行きたいね〜」という会話がふとした時に出てくる。それがまさに、「記憶の配当」なのだろう。

 

そして、私の頭の中に「このまま高得点をたたきだすために、せっせと貯蓄ゲームに興じてよいのだろうか」という疑問があたまをもたげる。きっと、今そう思うのは娘も大学生になり、家族全員で旅行できる機会など今後限られるくらいしかないからだろう。

 

残念ながら、値段に見合わない食事からよい「思い出」を作ることは私はできないので、せめて家族全員で行く旅先の宿くらいは奮発して、家族と良い「思い出」を作ろうと思うようになった。

 

今年は娘の初のアメリカへの帰省にあわせて、家族でヨセミテに旅行した。寝て帰るだけの宿にあまりお金をだすことは普段はあまりしないのだが、有言実行で奮発した。
ハイキング好きの私に家族をつきあわせて、かなり昼間はハードであったが、疲れた体をよさげなホテルで癒すことができ、家族の満足度も高かった(と期待する)。これが、しょぼいボロボロのホテルだったら、寝るだけとは言え、不機嫌になるやつとかがでてきて、きっと旅行の後味もよくなかっただろう。

 

「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出づくりです。最後に残るのは、結局それだけなのですから」
『DIE WITH ZERO』 人生が豊かになりすぎる究極のルール p. 42

高配当上場投資信託を買い込んで「配当金」を積み増すばかりではなく、より良い思い出作りをして「記憶の配当」を増やすことにももっと力をいれよう。

 

そのために、今後はもう少し財布の紐をゆるてみよう。

2025年夏、一時帰国で感じたあれこれ

今年も殆どの子持ち在米日本人の皆さんは、「夏の一時帰国」を終えたことでしょう。家族や友人との再会、日本食の堪能、買い物にパッキングと慌ただしくもあっという間に過ぎ、増えた体重と共に帰米するというのは毎年のパターン。わが家は今年は11度目の一時帰国。流石に、いつも通りのことが多いが、その中でも「今年はこうだったなぁ」ということを忘れないうちに少しだけ記してみたい。

 

娘との1年ぶりの再会

昨年の6月から日本の大学受験のために本帰国をした娘とは1年ぶりの再会。もちろん、LINEなどでよく話しているが、一人暮らし、大学受験、そして大学生活の開始と、大きな人生の節目を超えた娘は、心なしか大人びており、成長を感じられた。私の母校でもある娘の通う大学のキャンパスを案内してもらったり、成人式の前撮りをしたり、娘の一人暮らし先に家族で泊まったりできたことは、今までにない一時帰国のシーンがたくさんあった。

 

参院選と投票

一時帰国と参院選の時期がちょうど重なっており、久しぶりに日本の投票所での投票をすることができた。普段は、郵送や領事館で投票するが、市役所の投票所に懐かしさを覚え、得難い経験となった。もちろん、身元確認で若干のばたばたはあったものの、在外投票というイレギュラーにもそつなく対応を頂き、日本の公共サービスの質の高さを実感することになる(アメリカでは絶対にないスムーズさ!)。同じく投票を終えた娘と選挙速報を見ながら政治談議を交わせたのも良い思い出となった。

 

酷暑と日傘

日本の夏が暑すぎること、そしてその暑さが年々酷くなることは毎年のこと。今年は妻のススメもあり、携帯している折り畳み傘を日傘として使用したが、こんな身近に文明の利器があったか、と驚いた。日傘をさすだけで、あんなに体感温度が劇的に下がるとは思わなかった。正直、男性が日傘をさすことに少し躊躇があったが、そんな些末な見栄のために、日本の酷暑で身体に負担をかけるのは愚かしいことだと、実際にさしてみるとすぐわかる。最近は、男性でも日傘を使っている人も街中でも多く、今後も続けていきたい。

 

なかなか馴染めない日本のジム

貯筋活動の一環として、一時帰国中もジムにはちょくちょく行く。が、日本のジムはアメリカと比較して、利用マナーが非常に厳しいので、いつもドキドキしていて少し落ち着かない。市営のジムに行った時は、フリーウェイトのコーナーにテープで区画があり、時間制限は20分、終了時刻の記載は必須、そして次に利用する人が名前を書くというシステムだった。狭いスペースを皆で効果的に使用するための工夫なのだが、正直少し息が詰まる。パワーラックもあったのだが、こちらも時間制限は20分でこれではアップで終わってしまう。ちなみに初めて見知らぬ若者にフォーム指導を開始する「指導おじさん」を見て感動してしまった(若者は気の毒であったが)。

 

都心のインバウンド熱

インバウンド観光客が戻ってきているのは経済的には良いことと思う。母国である日本に他の国の方々が興味をもって訪れてくださるのも嬉しい。が、渋谷、新宿、秋葉原あたりのインバウンド熱は日本の夏くらいに年々熱を増しており、街の雰囲気まで一遍させてしまった感がある。渋谷のスクランブル交差点は、スマフォを高々と上げて撮影をしながらわたる方が結構いるし、秋葉原のドンキで買い物した時など、おそらくレジに並んでいる日本人は私だけだった気がした、、、。都心の人混みで唯一日本人しかいなかったのは、新宿高島屋でやっていた『プレバト展』だけだった。
賛否はあるだろうが、それでも海外在住者としては、東京がもっと魅力ある国際都市に発展してくらたら嬉しい。

 

一時帰国の醍醐味

11度目ともなると、一時帰国にもある程度の「慣れ」が生まれてくる。それでも毎年必ず「今年ならでは」がある。帰るたびに、「前と同じようでいて、同じではない日本」との出会いがあり、社会の変化や家族の成長を実感する。きっと、ずっと日本で住んでいては気づかないだろうが、一年に一度だからこそ際立って感じられることもある。一つ一つは取るに足らないことかもしれない。だが、帰るたびに小さな発見と驚きがあるのは、一時帰国の醍醐味だ。

 

来年は、どんな日本に出会えるだろうか。また、1年元気に過ごして、無事戻ることができますように。

40代の軌跡:自分の人生を生きること

歩んだ「獣道」は実は結構舗装されていた

私は、20代と30代は「キャリアの獣道」を歩んできた。新卒で入った会社は当時まだマイナーだった外資系コンサルティング会社で、正直就活する前は名前も聞いたことがなかった。また、初めて転職をする際は、日本法人の従業員が2万人の大手IT企業から60名の中小IT企業に移り、周囲からは稀有な目で見られていた。それぞれで、常識や社会通念に縛られずに、自分の頭で考えて最適解を追求してきたつもりだ。そんな、自分自身のキャリアを作り、歩んでいることを正直イケテルと当時は思っていた。

そして、40代はアメリカへの移住でスタート。さらなる自分の道の追求に高揚感さえ覚えていたが、アメリカでの仕事や暮らしの中で

あ、自分なんて、自分の人生を生きるという点で、まだまだどころか、常識や社会通念に縛られまくっているなぁ

と自分はひよっこであり、勇んで歩んだつもりの「獣道」も結構舗装されていたことに気づく。

 

「自分ファースト」が生み出すアメリカ社会の活力

自分自身の道を追求する、自分のキャリアをオーナーシップをもって果敢に築いていくという点で、アメリカ社会では私はビギナーもビギナーであった。そう、アメリカでキャリアを追求する人たちは遥かに「自分ファースト」なのだ。

アメリカで働いて驚いたのが、今のポジションに留まるべきか、他に良いポジションはないかということを、みんな常に考えているということだ。他により良い給与、より良い機会があれば、社内外問わずどんどん仕事を変えていく。引き継ぎ期間は大体2週間。新しいポジションに移る上で大事なのは、差し支えない引き継ぎプランではなく、「何故その選択をしたのか」という理由のみだ。その理由さえあれば、残された人間は「おめでとう、うまくいくと良いね!」と言うだけだ。アメリカで退職代行のビジネスは成り立たない。
私もCFOの慰留を断り、社内転籍したことがあるが、CFO以外は皆応援してくれた。誰も「あいつは自分勝手だ」などと言わない。何故なら、それぞれが「自分ファースト」でキャリアを追求することこそ、社会に活力が充ちる源泉ということを理解しているからだ。

 

作った「余白」に自分の人生を描く

私生活を大事にし、自分の人生を生きるという点においても、私はアメリカで完全に意識改革された。

  • 私生活を犠牲にして仕事を一生懸命しても誰も尊敬などしてくれなく、むしろ「つまらない奴」と白い目で見られる

  • 家族(犬や猫も含める)と健康は、仕事よりも遥かに優先順位が高く、子どものお迎えはもちろん、犬の散歩も早退の立派な理由となる

  • 2-3ヶ月前に予定を共有しておけば、1-3週間の休みが承認されないなんてことはまずなく、きちんと休みをとらないと「不思議な奴だ」と思われる

  • ボランティアやコミュニティ活動に従事することは、職場でも尊敬の対象となる

  • 「週末をどう過ごし、どんな趣味を持っているのか」というのは、名刺に書かれている肩書よりも、はるかに重要な自分が何者なのかを示す情報である

など、アメリカで暮らしてから、「こういう考え方のほうが確かに人生は豊かになるよなぁ」と感じる瞬間の連続であった。アメリカに移り住んでからというもの、私は

  • 業務時間は3-4割削減され

  • 家族と過ごす時間は、おそらく10倍以上は増え

  • 毎年、夏に3週間休みをとって日本に一時帰国をし

  • 補習校の運営、日本人会の餅つきリーダーなどコミュニティ活動に勤しみ

  • ランニング、筋トレ、ハイキング、料理などの趣味に多くの時間を使い

日本にいる時よりも、仕事の時間を減らして「余白」を作り、私生活をより充実させていった。一時帰国でこういう話をすると「もう、すっかりアメリカ人だね」とよく言われる。日本人とかアメリカ人ではなく、「私自身が何者であるのかこそ大事」という価値観を説明したいのだが、言ったところで「やっぱりアメリカ人だ」と言われそうなので、つい口をつぐんでしまう。

 

人生の選択、仕事はいつまで続けるか問題

私は今50歳で息子が大学を卒業する頃には56歳になる。日本でもアメリカでも、「今後の人生のプランは?」というのは最近よく聞かれる質問で、

息子が大学を卒業したら仕事を辞めて、アメリカを拠点にした方が行きやすい海外を1〜2年ほど妻と旅行してまわり、その後は日本に本帰国して過ごそうと思う

と、最近は答えている。アメリカ人の反応は大体「それは素敵なプランだね、どこが一番行きたい国?」みたいな感じで、互いに老後のプランを共有に話が発展する。
が、日本の友人に話すと「え!?そうなんだぁ、、、」とドン引きされ、それ以上話が続かないことが多い。50代半ばでリタイアすることがどうこうというより、「仕事を辞めるタイミング」を決める判断基準について話をしてみたいのだが、話がそこまで進んだことがないのは残念なことだ。

 

50代の出発点:より自分の人生を生きるために

40代の間に、キャリアの方向性、家族の幸せ、自分の人生の充実ーそのためには何を捨て、何をすべきか、そんな問いを何度も自分に投げかけてきた。そのとき、いつも心に留めていた言葉がある。

選ぶ能力は誰にも奪えない。 ただ、本人が手放してしまうだけだ。
選ぶ権利を手放すことは、他人に自分の人生を決めさせること
だ。
『エッセンシャル思考 ‐ 最少の時間で成果を最大にする』

 

選択肢は限られていても、その中から何を選び取るかは自分次第だ。つい流れに身を任せ、選ぶ権利を手放してしまいそうになる瞬間もある。だが、「他人に自分の人生を決めさせてはならない」という思いが、私は踏みとどまらせ、自らの選択を促してきた。

「いつ仕事を辞めるか?」という問いも、その1つだ。

60歳や65歳といった、誰が決めたのかもわからない線引きに身を委ねるのではなく、自分の意思で「その先」を描くこと。それが、50代を豊かにするために最も重要な選択だ。

この決意に至ったこと、そしてその意思を持って50代を迎えることができることこそが、私の40代の最大の成果なのだと、今は思っている。

 

 

「40代の軌跡」シリーズはこれにて完結となります。拙い文章を読んで頂いた皆さまに心から感謝いたします。

40代の軌跡ーコミュニティ編 ファンドレイズ部の挑戦

保護者の善意で「元気玉」を作りたい

運営委員の経験を通して、子どもたちのために自分ができることをしてあげたい、という保護者の皆さまの善意を強く感じた。もちろん、人によって濃淡はあるのだが、それらの善意を「元気玉」のようにすくい上げる良い方法はないか、ということをずっと考えていた。

私が運営委員をやっていた頃、わが補習校では保護者によるファンドレイズ活動はあまりさかんではなかった。支援を頂いている商工会からも「企業の支援を待つだけではなく、補習校自身も何かすべき」という、もっともなご指導も頂いていた。とは言っても、運営委員の他にも様々な役割があり、保護者の負担も相当だったので、追加で新しい役割を作るのは、良いアイデアのように思えなかった。また、保護者の善意を「役割」という枠に押し込めるのではなく、もっと自由に解き放つ方法があるように思えてならなかった。

 

保護者の部活動ーファンドレイズ部設立

そこで、多めの熱意と善意を持った保護者による有志のボランティアグループを発足することにした。とにかく色々な事情をもった保護者で運営されるのが補習校なので、「自分はできるし、やりたい!」と手をあげてくれる人を中心にスタートさせるのが現実的と考え、「ファンドレイズ部」という保護者の部活動をたちあげたのだった。

仲の良い保護者同士で協力し、毎年コンスタントに$6000くらいの寄付を集めることができるようになった。ファンドレイズ部の初代部長として、自分が運営をしている間は、こうしたいというルールをいくつか決めていたので、そのルールを紹介したい。

 

実施する保護者自身が楽しむこと

ファンドレイズ部の活動はその名の通り「部活動」である。なので、やりたいことだけを楽しんでやることを大原則とした。なので、色々な活動が実施したが、参加者の方々には、「あまりやりたくないことは無理にやらないように」とお願いした。逆に理事や運営の方から、ファンドレイズ部で「こういうことをやってくれないか」ということをお願いされても、やりたくないことは全てお断りした。例えば、日本のノートの販売とかできないかと相談されたが、正直利幅の薄い小売りとファンドレイズは相性が悪い。それなりの金額を集めないと楽しくないし、寄付額をのせて販売すればどうせ保護者から高いと言われるに決まっている。それも気分は良くないので、お断りした。

 

支援の間口を広げること

保護者の皆さんは多かれ少なかれ学校のために何かをしたいという気持ちは持っている。その気持の多い人からは多いなりの、少ない人からも少ないなりの支援を受けるファンドレイズを実施できれば、多くの保護者の善意を「元気玉」のように集めることができる。なので、色々なオプションを用意して、参加の間口を広げることを心がけた。
その取組の一つとして、お手製のお菓子を保護者の方に寄付頂き、それを販売するという「ベイクセール」を実施した。ファンドレイズ部員として「ベイクセール」の実施運営をする、「ベイク品」を寄付する、「ベイク品」を購入する、どのやり方でも補習校のファンドレイズに貢献ができる。寄付する品も別に手作りのお菓子である必要はなく、おにぎり、焼き芋、餅、はたまたコストコで購入したマフィンなどでもよく、「できる方ができることをできる範囲でする」という考えを追求した。
皆さん、補習校が終わる頃はだいたい小腹が空いている。また、アメリカのあまーいお菓子に飽きていて、日本の繊細な味のお菓子へのニーズは非常に高いので、「ベイクセール」はいつでも大盛況であった。

 

見返りを何も求めないこと

「権利は主張しないが、義務も負わない」ということ大原則とした。年によっては10,000ドル以上のお金を学校に寄付できるようになると、「自分たちはこんなにやってるんだから、、、」という意識がどうしてもでてきてしまう。「他の保護者より補習校に貢献しているのだから、補習校の運営についての自分たちの意見がより尊重されてもよいのではないか」という気持ちを持たれている方もファンドレイズ部内にいたが、「自分たちがやりたいことを、自分たちが楽しむためにやっているのだから、何も権利は主張しない」ということを私は徹底した。
「ファンドレイズ部」という名前をつけていると、色々な雑事がどうしても降ってくる。「とある保護者から不要な着物を寄贈されたので、ファンドレイズで販売して欲しい」、「旅行会社からファンドレイズプログラムの申し出があったので対応して欲しい」、などの様々な依頼が部長である私に飛んできた。正直殆どは「煩わしく、やっても楽しくないなぁ」というもので、それを全て受けていたら、徐々に活動の楽しさが色褪せてしまいそうだったため、丁重にお断りしていた。この「やりたくないことはやらない」というストロングスタイルを貫くためには、「権利を主張しない、活動の見返りを求めない」ということが大事だった。

 

新しい組織の形を求めて

組織を運営するために、ある程度の役割決めと指揮命令は必要だ。だが、その枠組に全てを押し込めようとするのは無理がある。多様な人で構成される組織はそれほど単純なものではない。補習校のような非営利の団体は特にそうだ。
補習校関係者には企業で働いている方が多い。そのため、上意下達の運営を当然と思っている方が多く、引力に引き寄せられるように「あれやってくれ、これやってくれ」という依頼が理事から落ちてきた。仲間との場を守るために、既存の組織運営のプレッシャーからの防護壁になることを自分のリーダーとしての使命と位置づけ、うまく折り合いをつけていった。
自由闊達に好きなことを楽しみつつ、組織全体に活気と利益をもたらす、そんな集団を作りたくて「ファンドレイズ部」を設立した。もちろん苦労もあったが、気の合う仲間と楽しみながら、子どもたちのためになることができたことは、私の40代の一つのハイライトだ。共に協力してくれた仲間と支えてくれた保護者の皆さまに心から感謝をしたい。

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