Thoughts and Notes from NC

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』 平成金融経済事件史

金融庁検査局と言うと、どうしても半沢直樹のオネエ検査官の黒崎駿一が頭に浮かんでしまうが、「霞が関のジローラモ」との異名を持つ異色の金融庁官僚が実在するらしい。ノンフィクション作家大鹿靖明氏の新作『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』は、そんな見た目も仕事ぶりも一般的な霞が関官僚とは異にする佐々木清隆氏に焦点をあてた力作だ。若干、タイトルは作り込み過ぎの感は否めないが、以前読んだ大鹿靖明氏の本も『ヒルズ黙示録』というものであったことを考慮すると、厳ついタイトル付けは筆者の持ち味なのだろう。

 

大鹿氏というと、『ヒルズ黙示録』に加え、『東芝の悲劇』、『落ちた翼 ドキュメントJAL倒産』の様に一つのテーマを丹念な取材でとことん深堀りするタイプのノンフィクションが多いが、本書は、山一證券の倒産から暗号通貨取引所運営会社のコインチェックの暗号資産流出事件まで、長い縦軸をもって幅広い金融事件を取り扱っており、他作とは性格を異にする。個別の事案についての深堀り感はないが、ノーパンしゃぶしゃぶ事件以降の大蔵省の解体と改革の歴史、叩いては生え叩いては生え続けた平成の金融事件、日本の金曜業界のここ三十年の激変、などを俯瞰してみることができる良書となっている。取り扱われる事件は、山一證券倒産、カネボウ粉飾決算、ライブドア事件、村上ファンド事件、東芝粉飾決算、仮想通貨流出事件、など全部盛りの様相を呈しており、お腹いっぱいになることは間違いない。勿論、今回のノンフィクションを書くための個別の取材は入念にされているが、筆者の今までのノンフィクション作家として実施した数々の取材の蓄積という資産も多数放出されており、一粒で二度美味しいやつだった。

 

佐々木氏は金融庁の証券取引等監視委員会、検査局などで、金融事件を起こす問題企業の監視と不正の摘発、そしてのその再発防止策の立案に長年取り組んできたスペシャリストだ。金融庁からOECDやIMFのような国際機関に長年出向する経験を通して「日本の官僚の常識」と「世界の常識」の違いに触れたことが、氏のキャリア形成に大きく影響を与えた。日本の官僚の世界では毎年の大掛かりな定期人事異動により一、二年でポストがころころ変わる人事主導のキャリアが常識だ。一方で、グローバルの常識は、求められる職務と専門性がきちんと決められ、それに見合った人材を起用、そして育成するプロフェッショナル型雇用とキャリア形成にある。本書でも日本の官僚制度は下記の通り一刀両断されている。

(適材適所でプロフェッショナルを配置する国際機関に対して)それに比べると日本は、素人に近い役人が、人事のめぐりあわせで配置されるアマチュアリズムを延々とやってきた

『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』

佐々木氏が旧来の習わしを放逐し、中途採用などを積極的に進めて外部から専門的な知見をとりいれたことによる効果は本書でも細かく紹介されている。『官僚たちの夏』に象徴される人事と激務と政治力が全てという「昭和の官僚像」から日本の行政も脱する時期にきていることを、本書は過去三十年を俯瞰することで、うまく表現している。

 

また、本書のもう一つの魅力は、主人公佐々木氏と筆者大鹿氏の距離感にある。この手のノンフィクションは、事実は小説より奇なりと謳いつつ主人公を格好良く描き過ぎて、漫画より漫画チックになりがちなものもあるが、本書は佐々木氏の功績も書きながら、批判的な立場も躊躇なくとっているところが面白い。

行政官である佐々木は、一つひとつの事件の取り調べを直接したわけではない。そこが犯罪捜査ひとすじのベテラン刑事とは異なり、人間の業の深淵を覗き込んだわけではなかった。導き出される結論も、いささか教科書的なものになった

『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』

佐々木氏の仕事振りを振り返りつつ、日本の官僚組織の構造的問題や限界に言及するためには、官僚組織のど真ん中にいた佐々木氏自身の仕事や成果にも疑問符をつけることはどうしても免れない。筆者は、功績をたてつつも、切り込むべきところは躊躇なく切り込んでおり、その主人公と筆者の距離感が、本書をただの勧善懲悪のヒーロー物ではなく、平成金融経済事件史というもう一段上のノンフィクションに押し上げていると私は読んだ。当然、出版前に佐々木氏本人のレビューを受けているわけだが、細かい事実誤認の修正以外は、彼に対する批判的な見方も含めて修正はなかったという。ヒーロー物が好きな方には物足りないかもしれないが、私にはそのバランスと距離感が心地よいと共に、生々しいリアルを味わうことができ興味深かった。

 

気軽に楽しみながら読める経済ノンフィクションで、少し軽めの読書を楽しみたいと思っている方にはオススメしたい一冊だ。

 

 

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』 選挙で多数決を用いるのは文化的奇習

先日、ボストンに衆議院選挙の投票のために行ったが、最近は下記のようなサイトで政党別、候補者別の政策がわかりやすくまとめられており、とても参考になった。例えば、選択的夫婦別姓制度の導入について、「賛成、やや賛成、どちらとも言えない、やや反対、反対」から自分の考えを選択し、自分の選挙区のどの候補者が自分に近いのか、またどの政党が自分の考えに最も近いのかを示してくれる。

www.ntv.co.jp

一方で、このようなツールを使って評価をしてみると、自分の選挙区の中から一人の候補者に投票をし、比例代表で一つの政党に投票をするという行為の限界というものが浮き彫りになる。安全保障政策ではある政党が良いと思うが、社会の多様性のあり方については別の政党が良い、という場合も当然あるし、自分の支持政党の候補者が自分の選挙区に立候補していないという場合もある。投票行為を通した民意の反映の仕方の難しさを実感し、少し腑に落ちない思いがあるところで、本日紹介する『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』を手にとってみた。

 

民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を安易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』

本書は、導入部分で「選挙で多数決を用いるのは文化的奇習」という容赦ないパンチを読者に浴びせつつ、「自分たちのことを自分たちで決める民主主義を実現するためにとるべき仕組みはかくあるべきか」という壮大なテーマに対して、多数決以外の別のアプローチを紹介し、ルソーの『社会契約論』までさかのぼって民主主義のあり方を問い直す、という新書とは思えない重厚な構成となっている。こう書くと、やたらと難しそうな印象を受けてしまう方もいるかもしれないが、知識がない人にもわかるように丁寧に噛み砕いてかかれており、「選挙を通じた間接民主主義」のあり方を勉強するには格好の一冊であった。

 

前半部分はボルダルールやコンドルセ・ヤングの最尤法(さいゆうほう)といった多数決に変わる集計方法について、わかりやすい例を元に丁寧に紹介されている。先日の自民党総裁選で野田聖子議員が出馬することで票の割れが発生し、河野太郎議員が不利になるというケースが発生したが、泡沫候補が選挙結果を歪めてしまうという多数決の不完全性の好例だろう。そういう問題を解決する上で、紹介されていた2つの方法は非常に興味深かった。詳細は割愛するが、興味のある方は本書を手にとっていただくか、ググって頂きたい。

多数決自体のメリットは何と言っても「一番多い人が勝ち」という分かりやすさだ。ボルダルールにしても、コンドルセ・ヤングの最尤法にしてもそれ程複雑なわけではないが、多数決ほどの子どもでもわかる程の明快さはなく、導入に至るには認知度の向上も含めてかなり時間がかかるという印象を受けた。また、立法でそのルールを決める国会議員がその仕組みのど真ん中にいるため、自ら変革を進めることの構造的な難しさというのも大きい気がする。もう少し、導入に向けての実際の課題についても触れられていると説得力が増しただろう。

 

後半部分はルソーの『社会契約論』の骨子がわかりやすくまとめられている。ルソーを噛み砕いて説明することは本書の本筋ではないだろうが、投票方法のテクニカルな方法論よりも、私には知的に刺激的であり、学びは後半部分からのものが多かった。

有権者と代表の関係は「信託」と「代理」に分類できる。有権者が代表を選出する際に、候補者の諸問題への判断力を基準として選ぶのが信託、自分の利益を増進する代弁者として選ぶのが代理である。

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』

要するに、自分の利益につながるような政策を実施してくれる人に投票するのが「代理」で、自分の利益を脇においておき日本のためによりよい政治をしてくれる人に投票するのが「信託」ということだ。ルソーは、有権者全員が「信託」に基づいて投票をしなければ民主主義っていうのはうまくいきませんよ、と言っており、不純物ゼロ・混じり気一切なしの美しいきれいな世界を一筋の希望として提示している。その理屈自体はわかるのだが、そんなことが可能かと言われれば、正直できるわけないとは思う。が、「代理」という考え方があまりに前提になりすぎている俗世にまみれた私は、彼の主張に美しい民主主義の理念を見て、とても勉強になった。限られたスペースと私の力量で『社会契約論』の魅力を語るには到底無理があるが、本書の第3章はとても読み応えがあり、知的好奇心をかきたてられるので、興味のある方には是非手にとって頂きたい。

 

正直、アメリカに住んでいることが大きく、本当に久しぶりの投票になったのだが、投票を通して色々考え、勉強をする良い機会となった。総選挙くらいはアメリカ主要都市に脚をのばして、投票に行くかという気に今回なったが、車で往復10時間かけて領事館にドライブするのも、$1,000はらって飛行機で領事館に行くのも、$100ほどかけて日本から2ヶ月くらいかけて投票用紙を取り寄せるというのも、やはりハードルがかなり高い。せめて、投票用紙の請求を領事館に郵送で請求できるというくらいの手続きの改善がされると、ありがたいのだが、、、。

『戦後民主主義』 脱ロスジェネ世代の民主主義論

衆議院選挙の投票をしにボストンの領事館に行ったというエントリーをあげた。民主主義への能動的な関わりとして清き一票を投じるという義務感は自分に備わったものとしてあるのだが、一方で「一票投じたらそれで良いのか」という疑問が浮かんでくる。なので、選挙前に日本の民主主義について、少しでも良いので学習をしようと『戦後民主主義』を手にとってみた。

 

本書を手にとった理由は、日本の民主主義について書かれた本として、アマゾンの評価も高く、レビューの内容からも興味を惹かれた、という単純なものであるが、成程多くの評価を集めるだけはあり、良書であった。本エントリーでは本書の読みどころと勧める理由をいくつかあげていきたい。

 

2021年1月という発売日と30台半ばという筆者の若さ

本書の発売日は2021年1月。類書の中で最も最近に発売された本と思われる。巻末の年表には菅(すが)政権の誕生までカバーされており、扱われているトピックも、日本国憲法の制定や60年代安保闘争から集団的自衛権行使を巡る憲法解釈やコロナ禍の緊急事態宣言まで含まれており、歴史を理解し、そこから現在の世相を読み解きたいという現代人の要望にマッチしている。

また、1984年生まれという筆者の若さも特色の一つだ。アマゾンで戦後民主主義と検索すると本書以外の筆者は殆ど60歳〜80歳とベテランが名前を連ねている。ベテラン勢の政治論は、小難しい政治学独特のプロトコルへの理解がないととっつきにくく、どうも私には馴染めない。が、筆者の語り口は、学術的でありながらも、政治学の垢がついていない親しみやすさが感じられ、とても読みやすかった。

 

主権在民、平和主義、平等主義というフレームワーク

本書では「戦後民主主義」の要素として以下の3点をあげる。

  • 主権在民による民主主義
  • 憲法9条と戦争放棄による平和主義
  • 法の下の平等主義

日本の「戦後民主主義」というのは、時代と文脈によって様々な使われ方をする言葉で、なかなか簡単かつわかりやすい定義をするというのが難しい。それを、主権在民、平和主義、平等主義という3つの切り口で整理してみせようという筆者の狙いは成功しており、時代時代に揺れ動き、否定と肯定が入り交じる「戦後民主主義」についての議論をうまくフレームワークに落とし込んでいる。

集団的自衛権、格差社会、コロナ禍のばらまき政策を競い合うマニフェストなど、今語られる政治の議論も何らかの形で上記のフレームワークに落ちていく。これらの論点について、過去にどういう議論、社会運動が展開されてきたのかを理解することは、現在の政治を考える上でとても参考になる。

 

「丸山眞男」から「丸山眞男をひっぱたきたい」まで

「戦後民主主義」を語る上で欠かせない政治学者、思想家である「丸山眞男」はやはり本書でも真ん中に据えられている。『大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける』という有名な一節の紹介から、下記の「丸山眞男」の民主主義の理解が、時代の流れや文脈から解説されており、勉強になる。

民主主義は議会制民主主義につきるものではない。議会制民主主義は一定の歴史的状況における民主主義の制度的表現である。しかしおよそ民主主義を完全に体現した制度というものは嘗ても将来もないのであって、人はたかだかヨリ多い、あるいはヨリ少ない民主主義を語りうるにすぎない。その意味で「永久革命」とはまさに民主主義にこそふさわしい名辞である。

「現代における態度決定」の追記・附記『増補版 現代政治の思想と行動』

が、「丸山眞男」を解説する政治学の本は多いとしても、赤木智弘の「丸山眞男をひっぱたきたい」まで同様にカバーしている書は類をみないだろう。世代的に「丸山眞男をひっぱたきたい」から「丸山眞男」に入った私には、その解説箇所に親近感を覚える。「丸山眞男」は知っているが、「丸山眞男をひっぱきたい」とは何者だ、という年代の方も本書を読むことによって射程範囲が少し広がるのではないか。まぁ、そういう年代の方には「丸山眞男をひっぱきたい」はあまり気持ちの良い論考ではないとは思うが。

また、鶴見俊輔、福島みずほ、佐高信らの赤木論文への反論を紹介している箇所は控えめに評価しても最高だ。彼らの反論を「応答者たちは赤木の問題提起を受け止め損ねていた」と評しつつ、

ここに浮上したのは、年長世代の格差問題への鈍感さはだけではなかった。固定化された格差を問題提起した赤木に対し、『論座』に執筆者たちは平和主義で応答することしかできなかった。<中略>

両者のすれ違いは、たんなる世代差ではなく、戦後民主主義の価値観が、基本的には右肩上がりの経済成長を土台にしていたことを明らかにするものだった。

と、両者を対比しつつ、「戦後民主主義」という本書の主題に引き戻す手腕は見事だ。「ロスジェネ」代表の赤木と「エスタブリッシュメント」代表鶴見、福島、佐高の対立軸を「ロスジェネ」の一世代後の筆者が一歩引いて語るという構図の新鮮さは秀逸の一語につきる

 

本書は、上記にあげた他にも『鉄腕アトム』や『紅の豚』などのサブカルチャーにも食指を伸ばす射程の長さがあり、そこも魅力の一つだ。戦後民主主義を体系的に学ぶことができるとともに、「脱ロスジェネ世代の民主主義論」という風合いが随所に感じられる良書だ。若い世代を中心として、幅広い年代の方に手にして頂きたい。

 

 

米国片田舎の在外日本人の選挙事情 選挙旅行のススメ

先日、ボストンに家族旅行にいってきた。東海岸のノースカロライナ州に住むわが家から飛行機で2時間弱の近さで、ニューヨークほどの喧騒はなく、ノースカロライナほど田舎でもなく、歴史を感じる文化レベルの高さを感じる都市で大いに楽しむことができた。「秋のボストン」を楽しみたい、というのが旅行の主の目的ではあるのだが、今回はもう一つ目的があった。それは、衆議院選挙の在外投票だ。

 

在外投票というのは、結構ハードルが高い。まずは、在外選挙人登録を日本の市区町村の選挙管理委員に対してしなければならない。領事館が側にないわが家では、

  • 管轄領事館に在外選挙人登録申請書を郵送
  • 管轄領事館が申請書を外務省に郵送
  • 外務省が市区町村の選挙管理委員会に郵送
  • 選管が登録手続きをしたら外務省に「在外選挙認証」を郵送
  • 外務省が管轄領事館に「在外選挙認証」を郵送
  • 管轄領事館が「在外選挙認証」をわが家に郵送

という果てしない郵送での書類のリレーが発生した。在外日本人関連の手続きは、ウェブ申請の恩恵を最も受けることができるエリアであるにも関わらず、ウェブ化が最も遅れている。「在外選挙人登録申請書」のPDFを領事館のウェブサイトからダウンロードできる、というところが唯一ウェブ化されたところであるというのは、悪い冗談のようで、在外日本人の現実であったりする。はっきりと覚えていないが、申請をしてから「在外選挙認証」の受領まで3ヶ月はかかったと思う。

 

「入り口」となる「在外選挙認証」の手続きのハードルはご覧いただいた通り、かなり高いのだが、個々の投票も郵送で対応しようとすると、同様にハードルは果てしなく高い。手続きとしては、

  • 「投票用紙請求書」と「在外選挙人証」を日本の市区町村の選挙管理委員会に郵送
  • 日本の選挙管理委員が投票用紙と封筒を郵送
  • 投票用紙に記入して、日本の選挙管理委員に郵送

となり、「在外選挙認証」とは異なり、領事館と外務省が中抜きできているのでまだマシと言えばマシではあるが、それぞれの投票をするまでに、わが家の場合だと日米間で合計三度の郵送でやりとりが発生し、お金も時間も結構かかる。

日本ではいよいよマイナンバーカードを利用した電子手続きが進み始めているが、マイナンバーカードの発行されない、在外日本人がそういった電子化の恩恵を受けるのは遠い未来のこととなるだろう。

 

ついつい愚痴と不平が長くなってしまったが、本題に話を戻したい。在外選挙の方法として郵送の他には大使館、並びに領事館で投票をするというありがたい方式がある。「在外選挙人証」と「パスポート」を持って在外選挙を実施している領事館に行けば、その場で投票できるのでかなりお手軽だ。手続きとしては、

  • 領事館で「投票用紙請求書」と「在外選挙人証」を提出
  • 投票用紙をその場で受領
  • 投票用紙に記入をし、日本と同様に封筒に投票用紙を入れて、投票

と、日本と殆ど変わらない手間と時間で投票ができる。が、ノースカロライナ州という米国東海岸の田舎に住むわが家から一番近いのは、ワシントンの大使館か、アトランタの領事館だ。両方とも車で片道5〜6時間はかかるので、「じゃぁ、選挙に今日は行ってくるか」というトーンで行けるものではない。

というわけで、今回は未だ訪ねたことのないアメリカの領事館のある大都市であるボストンに投票も兼ねて旅行にいくことにしたわけだが、この企画は一石二鳥で大当たりであった。その手続の重さから、しばらく投票ができていなかったのだが、これを機にわが家では、少なくとも衆議院選挙と参議院選挙の際は、領事館のあるアメリカの都市を旅行してしまおう、という新たなルールを作ることにした。領事館があるアメリカ本土の都市は、

  • アトランタ
  • サンフランシスコ
  • シアトル
  • シカゴ
  • デトロイト
  • デンバー
  • ナッシュビル
  • ニューヨーク
  • ヒューストン
  • ボストン
  • マイアミ
  • ロサンゼルス
  • アンカレジ
  • ポートランド

となる。旅行先として、魅力的な都市もあれば、そうでないところもあるが、中々悪くない企画だと思う。同じ悩みを抱えている、在米日本人の方、是非参考にされたし。

 

10秒で仕上げる英文メールの書き出し 進捗状況を共有編

f:id:ktdisk:20211022215536p:plain

仕事で英文メールを書かないといけないという人は多いだろう。本題にさっと入りたいのだが、書き出しで苦戦をしている人は意外に多いのではないか。書き出しの言い回しをググっているうちに、10分〜15分時間を使ってしまったという経験は誰にでもあるだろう。だが、「英文メールの書き出し」というのは難しいことではない。シーンごとに鉄板の型があるため、その型さえ覚えてしまえば書き出しは10秒ですますことができる。

私は現在アメリカに住み、7年以上アメリカの現地企業で仕事をしている。最近は書き出しで時間をかけることはまずない。同僚のアメリカ人が送付したメールから使えそうな鉄板の言い回しを抜粋してストックしているからだ。この「10秒で仕上げる英文メールの書き出し」シリーズでは、私の使っている鉄板表現をシーンごとに紹介し、読者の英文メールを書く時間の大幅な削減をお手伝いしたい。

 

進捗・状況を共有する

会議で自分が担当になったアクションの進捗報告をする「いつまでに終わるんだ」とせっつかれていることの状況を共有する、といったことに私たちは日々追われている。毎日全く新しいことをするなんて人は殆どいなく、大抵私たちは抱えている案件を前に進めることが日々の仕事の中心となっている。なので、実施した会議の議論を前に進めるために、現状を情報共有してステークホルダーを自分の事案につなぎとめておくために、そして「あれはどうなっているんだ?」というような問い合わせに追われないように、進捗や状況を共有するのは大事なことで、コントロールのききにくい英語でのやり取りでは、その必要性はより強くなる。今回は進捗や状況を共有するメールで使える書き出し、並びに文中の表現を紹介したい。

 

Want to provide a quick update on 〜(〜につきまして簡単に状況を報告します)

<例文>
Want to provide a quick update on the resolution we came to for addressing the issue we discussed.

懸案の問題に対して、私たちの講じた対策につきまして、取り急ぎ報告させて頂きます。

 

進捗や状況を共有するための表現をいくつか紹介しようと思ったのだが、いくつか派生系はあれど、"update on"が鉄板すぎて、これ以外にあまり紹介できる表現がなかった。なので、書き出しの表現としては今回はこれ一本でいきたい。まずは、王道の表現を説明し、後でいくつかのバリエーションも共有する。

 

上の例文では主語を省いているが、"I want to provide a quick update on"というように、きちんと主語をつけることももちろん可能だ。が、実際は主語を省いてしまう場合の方が圧倒的に多い。なので、主語なしの方がこなれた感じに、私には見える。

 

また、文法的な意味合いは、よくわからないのだが、"Wanted to provide a quick update"というように、過去形にする場合のほうが多いかもしれない。同僚にどうして過去形にするのか、聞いてみたが的を得た回答というのはあまり得られなかった。"I have wanted to provide a quick update"の省略で、現在完了から派生しているのか、と聞いたところ、「多分、それだ!」と言われたが、真偽のほどは定かではない。が、多くの人がそうしているので、過去形でも全く違和感はない。

表現の仕方にいくつかバリエーションがあるので、以下に紹介する。微妙な差なので、全部覚える必要はないが、あわせて進捗報告の際に使える細かな表現も紹介していきたい。

 

Just wanted to update you on what we know for now and will continue to share updates as things develop.
現時点でわかっていることを取り急ぎ共有させて頂きます。また、進捗に応じて引き続き状況を共有していきたいと思います。

"Update"を目的語ではなくて、動詞にしたバージョン。"Just"そのものにそんなに意味はないので省いてしまってもいいが、「取り急ぎ」というニュアンスがでる気がする。"as things develop"というのは「進捗に応じて」と意訳しているが、「今後もこの件進めていくからね!」という前向きな雰囲気が醸し出せる。

 

A quick update on where we are with this exercise as of tonight.
今晩時点で、本件についての現状を手短に報告致します。

これは主語どころか動詞も省いてしまったパターンだが、これもよくある形。"Just a quick update."と冒頭に書いて、その後は状況報告をバーっと書いていく場合も結構多い。"where we are"とか"where we stand"というのも「現状」という意味でよく使う鉄板の表現なので、覚えておくことを進める。"the current situation"とかでもいいのだが、個人的には"where we are"の方がシュッとした感じはする。

 

Keep you posted on 〜 (〜につきまして引き続き情報共有をさせて頂きます)

<例文>
Keep you posted on where things stand.

今後も状況につきまして引き続き情報を共有させて頂きます。

冒頭の表現を紹介したので、ついでに締めの表現も共有したい。"Keep you posted on"は、状況報告メールの締め括りとして鉄板の表現だ。"on 〜”とかつけて長くせずに、"Will keep you posted"とズバッと一言だけつけるのもよくあるし、"Posted"の代わりに"Keep you updated"とすることもできる。

 

状況に応じた用例をいくつか以下紹介するので参考にして頂きたい。

  • I wanted to keep you posted on the live progress.
    進捗を常時共有させて頂きます。
  • I will keep you posted on any key points that come up during our discussions.
    今後の検討の結果、提起された重要事項については共有させて頂きます。
  • I will keep you posted on what I hear from the leadership team.
    上層部から今後あるフィードバックを共有させて頂きます。

 

まとめ

進捗状況を報告するメールの書き出しと締めの表現として、以下の2つの表現と、その派生系を今回は紹介させて頂いた。少しでも参考になると幸いだ。

  • Want to provide a quick update on 〜(〜につきまして簡単に状況を報告します)
  • Keep you posted on 〜 (〜につきまして引き続き情報共有をさせて頂きます)

 

なお、例文の殆どは私が実際にアメリカ人から受信したメールからの抜粋だ。私はIT企業のファイナンスやセールスオペレーションでの経験が長いので、同じ職種の方は、ほぼ丸パクリできるケースもあると思うので、お役に立てれば幸いである。

 

この度、”自由に生きる海外移住”という新ブログを立ち上げました。より多くの日本人が海外で活躍できるように、アメリカでの仕事や生活についての情報発信をしています。興味のある方は是非御覧ください。新ブログでのリンクをこちらにも掲載させて頂きます。

『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー2』 多様性と寛容さの話

多様性というのはアメリカ社会で生活をする上で、常につきまとう悩ましいテーマだ。出身国も文化も違う人たちのるつぼの中で生活すると、自らの常識が世界の常識か、相手の常識に感じた自分の違和感は正常かどうかを自問自答することに常に迫られる

 

他愛もない話ではあるが、アメリカのAmazonで$100以上の買い物をすると、大体の場合は誰かが箱を一回開けた跡がみてとれる。オンラインショッピングで買ったものを返品することはよくあることなので、一度返品された商品をそのまま他の人に新品として販売しているのだろう。

当初は、「新品買ったのに、誰かが開けた形跡がある物を送るのか!?」といらっとしたが、箱なんてどうせ捨ててしまうだけなので、きれいに梱包しなおしたり、箱だけ変えるなんてことを本当にする必要があるかと考えてみると、それが無駄という考え方も理解できる。なので、「箱に開けた形跡があっても、商品が新品であれば気にしない」というように、自分の考え方を変えたら楽になった。

 

ブレイディみかこさんの『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー2』がこの9月に発売されたということで早速手にとってみた。

英国で労働者階級の配偶者と中学生の息子と暮らす日常が、生々しく、そしてコミカルかつ軽やかな筆致で描かれており、誰でも親しめるエッセイだ。が、数ある同じタッチのエッセイと比較し、私が本シリーズに惹かれるのは、その題材として多様性、格差、文化の壁が中心に据えられているからだ。個別のシーンはリサイクルのゴミ出し、学校の音楽会、ちょっとした近所付き合い、学校の授業など、何でもない日常の風景だ。が、そういった何気ない日常の隙間にも、英国社会内部の分断、移民との衝突、貧富の格差、人種差別という問題が様々な形で入り込む様が巧みに描かれている。些細な形で忍び寄るそういった問題に蓋をして見てみぬ振りをすることもできるし、やたらめったら蓋を開けることだってできる。本書の根底にあるのは「思考を止めずにとにかく考えろ」という説教臭さではなく、どの蓋を開けるかという選択にも個人の価値観が投影されており、その価値観の差に対する寛容さも多様性と向き合う素養であるというメッセージであると私は読んだ。日常の至る所にあふれる大小の多様性の風に常にさらされている、私自身、そしての家族の姿と本書の主人公のとある英国の家庭を重ね合わせることにより、大いに感情移入しながら没入できる楽しい読書経験となった。

 

その「どの蓋を開けるか」という選択について思うところのあった最近の私のエピソードを紹介したい。

 

現在の仕事で、とある自社製品の受注情報を一箇所に集約したファイルを作成し、色々な関係者がそのファイルを参照できるようにしている。そのファイルを、私は「Order Master File」という名前をつけて運用し、関係各所から「ばらばらだった情報が一元的に管理されており、便利だ」と好評を博していた
そのファイルの運用を私のチームメンバーであるチベット人の女性に任せることにした。しばらくすると、彼女が言いにくそうな雰囲気で、「やっぱり、あのファイルの名前は良くないので、変えたいんだけれども」という相談を持ちかけてきた。正直その相談を受けた時は「えっ!?どこに問題となる要素があるのだろう?」という感じで、少し固まってしまった。「どのあたりが適切でないのか、勉強不足なので教えてもらって良いだろうか」と聞くと彼女は「今どき、Masterって単語が入っているのが、やっぱり良くないと思う」というではないか。
「あぁ、Masterね、、、」という「いや、お前わかってないだろう」というリアクションをとると、「MasterとSlave(主人と奴隷)という言葉を想起させるから最近は使わないと思うんだけど、、、」と補足説明をしてくれた。「そう言われてみるとそうか」という気持ちと「ふーん、そうなんだぁ」という気持ちが入り混じったというのが正直なところであった。
私は昔SAPの導入などを仕事でやっていたので、マスターという言葉は昔からよく使っていた。とある大手商社のプロジェクトでは「統合マスターチーム」、英語に訳せば「Integrated Master Team」という主人と奴隷というコンテキストで考えると大分あかん名前のチームまであったりした。

では、アメリカで最近はこの言葉がそんなに使われないのかと言うと、アメリカの家で一番大きなベッドルームのことを「Master Bed Room」と呼ぶ。これは「ご主人さまのベッドルーム」というあかん名前なんではないかという疑問が浮かんでくる。そもそも複数の意味のある言葉の一つの意味が問題だからといってその言葉そのものを使わないようにするという考え方はどうなのだろう、とか色々な疑問が浮かんだし、英語が私よりも既に達者な娘に聞いてみたら、「Slaveに対するのはMasterよりもOwnerの方が多いと思うけどなぁ」というコメントをもらい、本件については今ひとつ私の納得感は高まらなかった。とは言っても、別にファイル名そのものには深いこだわりはないので、「Order Master File」は「Order Detail File」と名前を変えることにした。


が、関係各署が使っていたファイルだったので、名前が急に変わることになって、オリジナルを作った私の所に「Order Master Fileはどこにいったんだ?」と問い合わせが沢山入ることになり、その度に私は「Order Detail File」という新たな名前になったと説明することに追われることになる。「あ、そうなんだ」という人もいれば、「何で今更名前を変えるんだ、わかりずらい」という文句をいう人もおり、決して私だけがポリコレの観点から遅れをとった不勉強なやつでないことは確認できた。新しい名前が定着するまでにしばらくの時間を要し、Master and Slaveのことを説明する機会にも恵まれ、「ふーん」というリアクションを受けながら、マスターという言葉に対する人々の捉え方の多様性に直面することとなった。

 

「危なそうな場合は敢えて触らずに距離をとる」というのは、こういう環境で楽しく生活するためのコツではあるが、「時と場合によっては踏み込む信念と勇気」も同様に大事で、そのバランスにはいつも悩まされる。筆者の息子とわが家の子どもたちの年が近いこともおり、共感したり、感銘を受けたり、違和感を覚えたりと刺激の多い読書であった。

私の中1と高1の子ども本書を読んで、それぞれの書評を書くことになっている。アメリカの学校に長く通うわが子が、本書を読んで何を感じ、何を考えるのかを見るのが楽しみだ。海外在住で多様性の中に身をおいて、日々そういう話題に直面している人には是非薦めたいし、中学高校の子どもがいる多くの方には親子で読んでみることを強く薦めたい。

日本のワクチン接種率、米国をやっぱりぶっちぎる

日米のワクチン接種率の比較を本ブログで紹介してから2週間ほどたった。予想通り私の住む米国は、箱根駅伝で抜かれる時に一瞬だけテレビにうつる大学の如く、日本に華麗に抜き去られた。日本は接種率が60%に達し、米国は未だに55%程度なので、あっという間に5%も差をつけられ、もう背中も見えないやつだ*1日本は、米国などに目もくれず、先進国の中でトップ集団を形成する英国67%、フランス66%を猛追しているが、英国もフランスも伸び止まっているので、1ヶ月もしないうちに先頭集団を引っ張る形になるだろう。

f:id:ktdisk:20211004034933p:plain

日米英仏のワクチン接種率

下記は10万人あたりのコロナによる死者数の推移である。ド派手に行動制限解除をしている英国は、接種率が1位に対して、死者率が多くなってしまってはいるが、米国を遥かに下回っている。ワクチン未接種者に対してのみ、かなり厳しい行動制限を課しているフランスは、死者数の抑え込みに成功しているとみることができるだろう。日本は医療崩壊が声高に叫ばれているが、他国と比較すると圧倒的な低さをほこっており、この傾向はワクチン接種率の増加に伴い、一層加速していくだろう。今となっては、飲食店に過度に課されている極端に厳しい制限の方が問題だろう。小池都知事のような政治家のパフォーマンスに利用されている飲食店が気の毒でならない。劣等生の米国ではなく、英国やフランスのような優等生を参考にして、経済の正常化に向けて舵をきるべきだ。

f:id:ktdisk:20211004040542p:plain

日米英仏のコロナ死者率

さて、私の住む米国に少し話を向けたい。前エントリーで紹介した南部諸州は下記のグラフで見て取れるとおり高い死者率となっている。その中でも特に接種率の低いアラバマ州とミシシッピ州は1%を超えてしまっており、一方で全米の大きな州の中で最も高いワクチン接種率をほこるマサチューセッツ州は英国並みの比率を維持していおり、コロナという視点ではここだけ米国ではないみたいだ。

f:id:ktdisk:20211004042154p:plain

南部諸州とマサチューセッツ州のコロナ死者率

これだけ、ワクチン接種率と死亡率のきれいな逆相関がデータとして表れているのだから、もっとワクチンの接種率が伸びても良いように思うのだが、そうならない所にアメリカ社会の根深い問題がある。私の知人の話を聞くと、結構な割合でコロナとワクチンの陰謀論を信じている人が多いのだ。上記のデータはジョン・ホプキンス大学のデータをフィナンシャル・タイムズが公開しているのだが、反ワクチン派の人からしてみると、「法外な医療費を民から徴収する米国エスタブリッシュメントの権化である医科大学のデータを使って、同じく既得権益層の片棒を担いでいる大手新聞社が作った資料だろ、ファイザーから両方とも多額のお金をもらっているに違いないじゃん、見るに値しない」という感じなのだろう。

 

先日読んだ『現代思想2021年5月号 「陰謀論」の時代』に、こんな一節があった。

メディアを含めた大企業や連邦政府の権限がますます大きくなっていき、自分の手の届かない巨大な権力に多くの人々が無力感を覚えていることにくわえて、特に白人たちのなかには、人口動態という点でも経済的にも自分たちの行く末がどんどん先細りになっているという感覚があると言えます。
<中略>
「自分はこんなに頑張っているのに何故報われないのか、きっと誰かがどこかでズルして得をしていて、自分はその割を食わされているんだ」という考え方が出てくる。ではいったい誰が得をしているのかというと、それは既得権益をもっている政治家やロビイスト、一部の知識人、あるいは主要メディアやシンクタンクである・・・というふうにして「われわれ」対「やつら」という構図が作られていくわけですね。

『現代思想2021年5月号 「陰謀論」の時代』
〜現代アメリカ社会における<陰謀>のイマジネーション

1990年台頃から米国でグローバル化が進み、その荒波にのまれていった人たちは沢山いて、そういう人たちの大企業や連邦政府への不信感はものすごく大きい。そうやって進んでいった社会の「格差と分断」をトランプが浮き彫りにしつつ、さらに加速させたのが過去の4年間であった。共和党トランプ政権が倒れて、行き場を探したそういううねりが、反エスタブリッシュ・反ワクチンという波として一つの形で押し寄せている、そんな見方を私はしている。86%の民主党支持者は1回はワクチンを接種したと言っているが、共和党の支持者については60%にとどまるという調査*2もあり、あながち間違っていないのではないか。なので、これはワクチンの効果に対する正しい理解を促進するためのコミュニケーションで解決できる問題ではなく、イデオロギーの問題なのでその根深さに目眩がしてしまう。

 

私はアメリカに住んで8年位たつが、ノースカロライナ州に本社のあるグローバルなIT企業に勤めているせいか、国際的で多様性を尊重する文化・土壌の中で快適に仕事をさせて頂いている。それは私が持っていたアメリカのイメージであるが、実際に住み始めてみると、それは多様なアメリカのほんの一部であることがわかってきた。地元で開催される州内から多くの人が集まるお祭りや郊外に車で足を伸ばしたりすると、アメリカ国内どころか、ノースカロライナ州内から殆どでたことがない人と接する機会をえて、自分が日常生活の中でみることのないアメリカに触れることができる。最近ワクチンネタが多いが、それはこの問題に多様なアメリカの縮図をみてとることができ、アメリカ社会を理解するための格好の材料にうつるからだ。「アメリカ南部って何?」という方が本ブログの読者の殆どであろうが、興味のある方は引き続きお付き合い頂きたい。

 

Creative Commons License
本ブログの本文は、 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 非営利 - 継承)の下でライセンスされています。
ブログ本文以外に含まれる著作物(引用部、画像、動画、コメントなど)は、それらの著作権保持者に帰属します。