アメリカに住んで10年にそろそろなるので、アメリカの政治の仕組みについてもっと勉強しないといけないなぁ、と思う今日この頃。なので、最近は、アメリカ政治に関する過去に読んだ本を再度見返したり、新しい本を読んだりしている。学ぶほどに、新しい発見があるのだが、最近学んだ中でも一番面白かったのは「大統領令」だ。アメリカの政治の特色をよく現している面白いテーマで、本エントリーではその学びを共有したい。
日本のニュースでも「バイデン大統領が大統領令を発令!」みたいな話がたまにでてくるのだが、不勉強で「大統領令ってそもそも何?」という質問にきちんと答えることができず、「大統領が特別に発令できる法律」みたいな間違ったイメージしか持っていなかった。今回『アメリカ政治講義』という本を手にとって勉強したのだが、この点について非常にわかりやすく簡潔にまとめられている。
本書で、解説されている大統領令に関するポイントは下記の通り。
- アメリカ大統領というのは行政府の長であり、議員の長ではない。よってアメリカ大統領は立法権がないので、大統領令も法律ではない。
- アメリカは行政と立法の権限の分離がより厳格で、大統領は連邦議員ではないし、大統領が任命した閣僚も連邦議員の場合はその職を辞さないといけない。
- なので、大統領令というのは行政組織や完了に対して、「行政の指針」を示すものであって、法律を代替するものではない。
アメリカでは、行政と立法の権力の分立がよりはっきりしており、国会議員が閣僚も務める日本とは大きく構造が異なる。日本のように官僚が法案の作成に協力するということはあまりなく、法案はあくまで連邦議員が作成するとのこと。なので、大統領令というのは法律ではなく、あくまで立法の趣旨にそって行政を実施するための指針や優先順位を示すものだという。そういう視点でニュースを見たことがなかったので、これは非常に勉強になった。
バイデンが発令した大統領令の中で話題にかなりなったものとしてワクチン接種の義務化についての大統領令がある。私の勤めていた会社でも、ものすごく議論が起こり、それが故に会社を辞めた人も沢山いた興味深いトピックであり、かつ大統領令の定義と特色を考える上で格好の題材なので深掘りしてみたい。
バイデン米大統領、ワクチン接種義務化を連邦行政機関全職員や大企業従業員にも拡大へ
これだけ見ると、大企業の従業員に対してワクチン接種を義務化する法律のように見えるが、中身をみると実は違う。ポイントは、連邦行政機関全職員に対するものと大企業従業員に対するもので、それぞれ別々の大統領令がでていることだ。働く人にワクチンを義務化するだけなら、別に同じ大統領令でもよさそうなものだが、「行政の指針」である以上この2つはどうしても分けなければならない。どういうことかもう少し見ていこう。
まずは、連邦行政機関全職員に対する大統領令を見てみよう。
I have determined that to promote the health and safety of the Federal workforce and the efficiency of the civil service, it is necessary to require COVID-19 vaccination for all Federal employees, subject to such exceptions as required by law.
私は、連邦職員の健康と安全および公務の効率を促進するために、法律で定められた例外を除き、すべての連邦職員にCOVID-19のワクチン接種を義務づけることが必要であると決定した。
Executive Order on Requiring Coronavirus Disease 2019 Vaccination for Federal Employees
こちらはわかりやすい。連邦行政で働く人は安全と公務の効率性を保つためにワクチン接種をしないといけないとはっきり書いてある。これは行政府の長である大統領が、行政府で働くすべての人に指針をだすという構図で、民間企業で社長が従業員に職務規定をあらたに作ってワクチンを接種させるということと同じことだ。なお、最後に「法律で定められた例外を除き」と書いてあるのもポイントだ。即ち、これは法律を上書きするものではないことが明示されている。
それでは、次に大企業従業員のほうを見ていこう。ポイントは大企業の従業員というのは、行政府の長である大統領のレポートラインに入っているわけではない、という点だ。自分の組織ではない人間に対して、どうやってワクチンの接種を義務付けようとしているのだろう。もって回った言い方になっているので、少し長い引用になることは容赦頂きたい。読むのがかったるいという方は引用はとばして頂いても構わない。
in order to promote economy and efficiency in procurement by contracting with sources that provide adequate COVID-19 safeguards for their workforce, it is hereby ordered as follows:
Section 1. Policy. This order promotes economy and efficiency in Federal procurement by ensuring that the parties that contract with the Federal Government provide adequate COVID-19 safeguards to their workers performing on or in connection with a Federal Government contract or contract-like instrument as described in section 5(a) of this order. These safeguards will decrease the spread of COVID-19, which will decrease worker absence, reduce labor costs, and improve the efficiency of contractors and subcontractors at sites where they are performing work for the Federal Government. Accordingly, ensuring that Federal contractors and subcontractors are adequately protected from COVID-19 will bolster economy and efficiency in Federal procurement.
労働者に適切なCOVID-19保護措置を提供する供給者と契約することにより調達における経済と効率を促進するため、以下のように命令する。
第1項 第1項 本注文書は、連邦政府と契約する当事者が、本注文書の第5条(a)に記載される連邦政府の契約または契約に類似した手段において、またはそれに関連して業務を行う労働者に適切なCOVID-19セーフガードを提供することを保証することにより、連邦政府による調達における経済と効率を促進するものである。 これらの保護措置はCOVID-19の蔓延を減少させ、労働者の欠勤を減らし、労働コストを削減し、連邦政府のために作業を行っている現場での請負業者と下請け業者の効率を向上させるであろう。 したがって、連邦政府の請負業者と下請け業者がCOVID-19から十分に保護されることを保証することは、連邦調達における経済性と効率性を強化することになる。
Executive Order on Ensuring Adequate COVID Safety Protocols for Federal Contractors
ポイントがいくつかあるが、日本のニュースでは大企業従業員(より厳密には従業員100名以上の会社)と報道されているが、厳密にはそうではなく「連邦政府との取引先」が対象となっている点をまず確認したい。これは別の見方をすれば、従業員が100名を上回っていても、連邦政府と取引のない会社に対しては大統領令は及ばないことを意味する。
そして、目的も連邦政府が取引を経済的かつ効率的に実施すること焦点があたっている。要するに、「反社会的勢力と関わりのある企業とは取引できないよ」、と言っているのと同様に、「連邦政府の基準を満たすコロナ対策をしていない業者とは政府は取引しないからね、別に取引しなくて良い方はそちらの勝手なのでどうぞご自由に」と言っているのだ。少し視点を変えると「連邦政府の職員は安全かつ効率的に行政業務を実施するために、安全基準を満たさない業者とは取引しないように」という行政指針と見ることができる。
また、連邦職員に対する大統領令は「Requiring Coronavirus Disease 2019 Vaccinatio for Federal Employees」と「連邦職員へのワクチン接種の要請」と銘打たれているのに対して、こちらのほうは「Ensuring Adequate COVID Safety Protocols for Federal Contractors 」と「連邦政府との取引業者への適切なコロナ保護措置の確認」というようにそもそも「ワクチン接種」という言葉すらない。要するに連邦職員に対する大統領令とは全く異なり、ワクチン接種というセーフガードを設けていない会社とは、効率性や連邦職員の安全性の視点から取引することはまかりならん、という行政府が取引をする下請け業者の選定基準を明確にした大統領令なのだ。
なので、
バイデン米大統領、ワクチン接種義務化を連邦行政機関全職員や大企業従業員にも拡大へ
というように、連邦職員と大企業従業員を併記することはどうなんだろう、と若干の疑問が私には残る。が、そうはいっても「大統領令」の狙いそのものはそこにあって、大統領の権限の範囲内で通達をだすという工夫をしているに過ぎないので、報道の仕方としては間違ってはいないだろう。
『アメリカ政治講義』は、その他に「州政府と連邦政府の位置づけ」や、「なぜ合”州”国ではなく、合”衆”国なのか」について非常にわかりやすく解説されており、アメリカ政治を理解する上で格好のテキストだ。本エントリーに「へぇ」と思われた方には、面白いと思うので是非手にとって頂きたい。