Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「孤高の脳」を持ったプロフェッショナルの有り様

梅田さんの棋聖戦観戦記を読んだ。将棋の観戦記を可能な限りリアルタイムでウェブにあげていくという企画面の目新しさはそれはそれで面白いのだが、むしろ「孤高の脳」が激しくぶつかり合いながらも、世界で一番難しい課題を共同で解いていくような様に深く引き込まれた。


思いおこせば、最近はすっかりご無沙汰しているが、小学生の頃は休み時間にクラスの将棋好きの友人たちと、時間を惜しみなんがら将棋を指したものだ。小学生の頃は実はクラスで1番、2番の実力であったが、中学生になると全国大会で優勝をするような猛者がクラスに2〜3名おり、こてんぱんにやられた記憶がある。
将棋のこてんぱんというのは残酷なものだ。スポーツであれば実力差があっても目にみえない手加減というものが加えられるものだが、将棋の場合は勝負ごとの均衡を保つために、駒を落としていき、実力差が徹底的に定量化される。相手が歩と金2枚、銀1枚くらいで、勝ったり負けたりとようやく実力が均衡したのだが、これはサッカーで30点くらいハンディをもらってやるようなもので、勝っても面白くないし、負けると一層屈辱的。中学生の頃など他に面白いことがいっぱいあり、気づいたら将棋をすっかり指さなくなっていた。


まぁ、私の幼少の頃の将棋話はどうでもよいので、観戦記に話を戻したい。

現代将棋の要諦は「あとまわしにできる手は、できるだけあとにまわす」ことであると言う。最近私は、仕事をするときに、できるだけこの「現代将棋の要諦」を参考にした「優先順位付け」をするように心掛けている。
 さて私は終局まで、どこで何をしていたらいいんだろう。その決断に「現代将棋の要諦」を応用してみようと思った。
 私の棋力では、静寂を守らなければならない対局室(控室のように皆の検討や解説を聞くことができない)で観戦しても、この難解な将棋の終盤戦で本当に何が起きているのかは、わからない。でも「解説を聞く」ことは「あとまわし」にできることだろう。

まず、「あとまわしにできる手は、できるだけあとにまわす」というのは面白い。考えてみれば、将棋というのは、局面局面で一つの駒しか動かせないという究極的に資源が制約された世界とみることができる。その中で良い手を指していくためには、「あとまわしにできる手は、できるだけあとにまわす」というのは納得。
また、一連のコラムの中で、超一流棋士の解説やサポートを得ながら、観戦記がリアルタイムに書かれていく。短時間で大間違いをしていない観戦記をあげるためには、「解説を聞く」という資源は非常に捨てがたいわけだが、そこであえて得意の優先順位付けで「解説を聞く」ことは「あとまわし」にするという一手を指したのはお見事。リアルタイムで超一流のプロが必ず読むであろうコラムをあげなければならないというプレッシャー下で私にはこの選択はおそらくできない。

そういう結論がどうということ以上に、私が印象深く思ったのは、勝者の佐藤棋聖と敗者の羽生挑戦者が、終局のとたん、2人で作った作品たる棋譜から適度な距離を置き(デタッチして)、健全な批判精神をもって、第三者のように語り始めたことだった。この感じは、感想戦が終わるまでずっと続いた。自分の研究成果であろうと、皆と一緒になって批判精神で眺め、活発に議論する欧米の科学者たちを見ているかのような錯覚を覚えた。
対局者の2人は、感想戦では、ただただ、こんな言葉を繰り返すばかりなのだ。
 「いやあ、難しいですねえ」

勝負したもの同士が、勝負ごとが終わった直後に感想戦をなるものを実施するというのも将棋固有の特徴ではないだろうか。「孤高の脳」が、勝負が終わった後に、「いやあ、難しいですねえ」と互いに繰り返しながら感想戦をする。勝負を繰り広げながらも、一方で共同しながら難しい課題を解こう試みているように感じたのはこのせいだろう。
その内容については、超一流の棋力の保持者だけが理解・共感することができるのだろうが、高度に知的な世界でプロフェッショナルとして最前線を走る方たちのその姿には、中身はわからずとも共感というか、ある種の感動を覚える。


現在の時間の制約下では、私には再度コンテンツを楽しむことができるレベルまで将棋を勉強することは残念ながらできない。ただ、「孤高の脳」を持ったプロフェッショナルの有り様から学ぶことは多くありそうだ。また、同様の機会があればまた是非読んでみたい。

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