Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「言葉」が紡ぐ、わが家の文化

夕食支度時のひとこま

わが家は夕食の支度を家族全員でする。支度中は、それぞれが自分の担当の料理をするのに黙々と手を動かす。ある日の夕方、冷蔵庫をあけて息子が鶏肉料理の担当であった私にこう問いかけた。

おとうさん、「チキ肉」だす?(夕食支度中の息子)

黙々と夕食の支度をする家族全員の手が一瞬止まる。「チキ肉」???

と、鶏肉のことか?頼む、、、。(夕食の下ごしらえ中の私)

「あっ!」と自分の間違えに気づいた息子。そして、息子も含めて家族全員が爆笑。言い間違いは誰しもがすることではあるが、「チキン」と「鶏肉」という組み合わせの妙と、「チキニク」というコミカルな音韻が生み出すユーモアにより、素晴らしい新語が誕生した瞬間であった。しばらく、わが家で「チキ肉」がブームとなったのは言うまでもない。

 

カタカナ英語に対する娘のもやもや

一方で、日本の大学進学に向けて勉強中の娘は、日本で使われる横文字カタカナ英語が気になるらしい。

プライオリティ、アジェンダ、コンセンサスとか、優先順位、議題、合意でよくない?(カタカナ英語にもやもやする娘)

意味は一緒なのだからあえて英語でなくても良い、という気持ちはわかる。が、「コンフィデンシャル」、「フィージビリティ・スタディ」、「コンティンジェンシー」のような日本語で言ったほうが早そうなカタカナ英語や、「リスケ」、「キャパ」、「コンペ」のような短縮されて新語となったものも、市民権をえたと言ってもよいだろう。「ローンチされた」みたいに、私には「あうんのブレス」的なルー大柴ギャグと大差ないように感じられるものもあるが、これも国際化が進む時代の流れだろう。

 

『はじめての言語学』

黒田龍之助氏の『はじめての言語学』は、厳密で専門用語の多いイメージのある言語学を、わかりやすく紐解き、事前知識なしで入り口にたてるようにガイドをしてくれる良書だ。本書の中で、いわゆる「ことばの乱れ」について言語学者のスタンスを示しており、面白かった。

言語学は、言葉遣いの間違いを指摘することや、それを矯正することを目的としているのではない。現実をしっかりと観察していくのが基本姿勢である。
「ことばの乱れ」というものが取り沙汰されたら、言語学者の反応はふつうのそれとはむしろ逆である。学校文法にはない新しい現象に、喜んで飛びつくはずだ。
『はじめての言語学』

言語学者の視点では「ことばの乱れ」というものは存在しないという見方が私には新鮮であった。筆者は、言語について考える時、それは時とともに変化していくことは大前提であると語っている。
また、言葉はシニフィアンとシニフィエに分かれるという言語学の基礎もなかなか興味深かった。シニフィアンは訳すとなれば「記号の形」であり、例えば「合意」と「コンセンサス」のような表記を指す。シニフィエは「記号の意味」であり、「多様な意見の提示や議論を通し、関係者間の意見一致がはかられた状態」のような意味を表す。
シニフィアンが異なれば、異なる語感や印象が生まれるので、シニフィエが同じであっても別の言葉と言語学的には解釈はできるだろう。

 

「言語」を通じた家族の成長

私は、「チキ肉」のような独特の言い間違えに触れたり、「もやもやするカタカナ英語」について子どもと話すことが好きだ。何故かと考えるに、そこには日常の一コマ以上の意味合いがあって、英語と日本語の両方に触れる子供たちの成長を感じさせ、「アメリカに住んでいる日本人家族」としてのわが家の「文化」を育んでいるからだろう。言語を通じて、これからも子どもの成長を見守り、豊かな家族の時間を楽しんでいきたい。

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