Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『21 Lessons』 世界に明快さをもたらすというハラリの優しさ

初作の『サピエンス全史』は、われわれサピエンスがどのような歩みを辿って地球上で最も繁栄した種となったのかという過去の話、二作目の『ホモ・デウス』は今後ホモ属はどのように進化していき、サピエンスはどのような進化をとげるのかという未来の話、そしてユヴァル・ノア・ハラリの三作目『21 Lessons』は現代に焦点をあてている。相変わらずのハラリ節全開でとても楽しめた。本エントリーでは『21 Lessons』を以下の3つの切り口で解説して、その魅力を伝えたい。

  1. 現代社会のその複雑性と相互関連性
  2. 自由主義・民主主義により解決に至っていない3つの問題
  3. 複雑な世界で生きる上で歩みうるもう1つの道

 

現代社会のその複雑性と相互関連性

現代の知の巨人と謳われるユヴァル・ノア・ハラリがどのような切り口で現代社会を語るのかは非常に興味深いテーマであるが、その数は何と本書のタイトル通り21。5つの大きなパートがあるが、それごとに配置されたテーマを以下列挙してみる。

  • テクノロジー面の難題 (The Technical Challenge)
    • 幻滅 (Disillusionment)
    • 雇用 (Work)
    • 自由 (Libertiy)
    • 平等 (Equality)
  • 政治面の課題 (Political Challenge)
    • コミュニティ (Communicaty)
    • 文明 (Civilization)
    • ナショナリズム (Nationalism)
    • 宗教 (Religion)
    • 移民 (Immigration)
  • 絶望と希望 (Despare and Hope)
    • テロ (Terrorism)
    • 戦争 (War)
    • 謙虚さ (Humility)
    • 神 (God)
    • 世俗主義 (Secularism)
  • 真実 (Truth)
    • 無知 (Ignorance)
    • 正義 (Justice)
    • ポスト・トゥルース (Post-Truth)
    • SF (Science Fiction)
  • レジリエンス (Resilience)
    • 教育 (Education)
    • 意味 (Meaning)
    • 瞑想 (Meditation)

 

本書の書評を書くにあたって、特に私が興味をひいた3つのテーマをとりあげるという、王道のアプローチを試みたのだが、どうも正しくないように思えた。というのも、この視点の多様性とその相互に絡み合う関連性こそが、筆者が本書を通して最も伝えたいメッセージだからだ。本書の流れの特徴は、21の各章の終わりが必ず次の章のテーマへの問題提起で終わっている点だ。つまり、最も重要な視点を取捨選択するのではなく、一見すると異なるが、互いに関連し、作用し合う多数の視点を数珠のようにつなげ合わせることにより、現代の社会が如何に複雑で相互に絡みあうのかを明らかにすることが筆者の狙いと私は読んだ。幾層にも重なり合う複雑な虚構を前に立ち尽くしてしまいがちになるが、一層一層丁寧にはがすかのような筆者の明快さは、現代社会を生きる我々に多くの示唆を与えてくれる。

 

自由主義・民主主義により解決に至っていない3つの問題

自由主義と民主主義というイデオロギーは、ついこの間までは資本主義と相まって様々な問題を解決してきた、普遍的にも見えた「物語」であったのだが、本書は人々のその自由主義と民主主義に対する「幻滅 (Disillusionment)」を描くことから始まっている。

その「幻滅」の末に、ある集団はナショナリズムに回帰し、ある集団は宗教の原理主義に回帰し、またある集団は戦争やテロに走っている。それらの既存の「物語」は大きな問題の解決策を提示するどころか、その「物語」が賞味期限切れであること、もしくはそれ単体では解決策に至らないことを露呈するに留まっていると舌鋒鋭いハラリ節が本書を通して、展開される。

現代社会の様々な問題に本書では触れられているが、人類が生存するために解決しなければならない現代社会が抱える問題は、核兵器・環境問題・破壊的な技術の3つであると筆者は考えている。たった一つの国が核兵器を使えば世界の平和の均衡は崩れるし、たった一つの国がCO2の排出をゼロにしたところで環境破壊は止まらないし、情報技術とバイオテクノロジーの進化は既に国の枠組みを大きく超えてしまっている。どの問題も人類の文明や経済の統合が進み、グローバル化がここまで進行したが故にさらに大きくなった問題であり、ナショナリズムや宗教という統合だけでなく、分断を内在する既存の「物語」はこれらの問題を解決するためには無力であることが本書を通して語られている。

21のテーマが互いに関連し、絡み合う形で論旨が展開されていくので、時としてポイントが汲み取りにくくなってしまうが、「核兵器・環境問題・破壊的な技術」を解決するための「物語」を探し求めることが骨子であることを念頭においておくと、全体を通して読みやすくなるだろう。

 

複雑な世界で生きる上で歩みうるもう1つの道

上述したとおり、本書のテーマは多岐にわたるが、最終パートの「レジリエンス (Resilience)」だけは、一つだけ視点が異なることを触れておきたい。最初の4つのパートは、我々をとりまく環境、我々に影響を与える技術やイデオロギーや思想に関するものであるが、最終パートは「外」ではなく「内」に向いている。即ち、自分がおかれている環境を理解するのも大事であるが、この複雑な世界で自分の立ち位置を把握し、自己を保つためには、「内」なる自分自身ももきちんと理解しないといけませんよ、というメッセージで筆者は本書を締めくくっている。

それは山にトンネルを通すのに、片側からだけ掘り進むのではなく、反対側からも掘り進むのに似ているのかもしれない。各種の書評では、最後のテーマが「瞑想」で締めくくられていることが驚きをもって捉えられていたが、自己の理解というもう1つの歩みうる道を控え目ながらも「瞑想」という形で最後に提示していることは何とも心憎い。「内」なる自分を理解するための手法が、筆者の経験を中心に記載されているが、一人のか弱い人間としてその問題に微力ながらも立ち向かう筆者の姿を開陳する姿に筆者の誠実さを私はみた。

それが故に他のパートと比べて、筆者もこのテーマについては本質を捉えあぐねている印象を受けた。その答えを未だ探し求めているため、他のテーマと比較して明快さに欠くように思えたが、興味のあるテーマだけに次作でさらに深堀りされることを期待したい。

 

まとめ

以上、本書の骨子を、

  1. 現代社会のその複雑性と相互関連性
  2. 自由主義・民主主義により解決に至っていない3つの問題
  3. 複雑な世界で生きる上で歩みうるもう1つの道

という3点でまとめてみた。現代社会の山積する問題の所在を明らかにし、解決の方向性を指し示すというより、読者のそれらの問題への主体的な関わりを求める意欲的な作品である。時に舌鋒が尖すぎて、反感を買うことも大いにあると思うが、世界中の多くに人が筆者の声に耳を傾ける理由は、下記の本書の冒頭の言葉に集約されると私は思う。

的外れな情報であふれ返る世界にあっては、明確さは力だ。理屈の上では、誰もが人類の将来についての議論に参加できるが、明確なビジョンを維持するのはとても難しい。<中略>

私は歴史学者なので、人々に食べ物や着るものを与えることはできないけれど、それなりの明確さを提供するように努め、それによって世の中を公平にする手助けをすることはできる

『21 Lessons』 はじめに

ここにあるのは筆者の底抜けの優しさだ。誰もが多忙で忙しく、この世界の複雑性を前にして、人類の未来についての議論に意味ある形で参加できないのは公平ではないため、歴史家としていくばくかの明確さ(Clarity)を提供したい、と筆者はその狙いを冒頭で熱っぽく語る。既成概念を切って捨てる暴力的なまでの筆者の明快さは、誰かを批判することを通してマウントをとるためではなく、圧倒的な人類に対する筆者の優しさによるものであることを、多くの読者は理解しているのだろう。次回作が楽しみでならない。

 

『サピエンス全史』 「虚構」の向こうにある可能性

読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が広がり、新しい目で物事を眺められるようになることいわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。<中略>まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。

『サピエンス全史』 訳者あとがき

大作という評判に気後れし、手が伸びていなかった『サピエンス全史』をようやく読んだ。読み応え満点であるが知的刺激に満ち、常識に果敢に挑みながらもうわついた感じがなく説得力に溢れ、読後に疲労感はありながらも充実感が圧倒的に勝るという、間違いなく今年一番の本であった。冒頭で引用した訳者あとがきの評は、これ以上ないほど凝縮され、かつ正鵠を射た本書への評だ。

 

本書のエッセンスは、サピエンスの発展の鍵を「虚構」に据えている点にある。「虚構」、即ち現実の世界で存在を確認したわけではない、頭の中のみに存在する物語を作り、それを信じるということが、我々人間とネアンデルタール人も含めた他の動物との決定的な違いであるという。

「虚構」を作り、信じることができることで、我々が何をできるようになったのか(逆に他の動物が未だにできないことは何か)、というと

  1. 何千、何万という単位で協力ができるようになった
  2. 遺伝子や環境を変えることなく、自分の、そしてサピエンス全体で行動を変えることができるようになった

という二点を著者のハラリ氏はあげている。

哺乳類の最大行動単位はせいぜい150頭くらいが限界であるという。確かに、1万頭の猿の群れが一糸乱れぬ連携している姿というのは実際に見たことはない。が、雲の上にいるこの世を創生したヒゲを生やした神様を信じることにより、われわれサピエンスは何千、何万という集団での協力体制を作り上げることができた。腕力ではゴリラよりはるかに非力だが、この大きな連携力で他の種を圧倒したというのは面白くもあり、直感的に受け入れることができる。

また、通常の動物は遺伝子情報の変異の積み重ねによってしか、種としての行動様式を変えることはできない、という。身に危険が迫ったイカがスミをはいて逃げるのも、カメレオンが擬態するのも、遺伝子レベルで決められた本能的な行動であり、決して他のイカやカメレオンによるイデオロギー教育や護身術訓練の賜物ではない。サピエンスのみが、特定の規則や標準を習慣づけることで、いわば「人工的な本能」を作り出し、行動様式を数千年どころか一ヶ月単位で変えることができるという考察は興味深い。

 

ここまでの話が前半部分の『サピエンス全史』のハイライトである。ホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルターレンシスという我々の同種が滅び、サピエンスのみが生き残った理由を「虚構」に据えている点は、刺激的でロマンさえ感じる。が、非常に興味深い反面、既存の「適者生存の法則」に理論的な肉付けさがされただけ、という見方もできなくはないし、これだけでは「固定観念や先入観が覆され、視野が大いに拡がる」までのインパクトはない。宗教を「虚構」と言い切るその大胆さに、敬虔なイスラム教徒はとても受け入れ難い拒絶感を感じるかもしれないが、宗教的信仰心が厚くない日本人には心理的な抵抗感は少ない。宗教という「虚構」によって、道徳的な行動規範が定められ、それにより寄り多くの人が、他の動物ではなしえない協力体制を築けたという論理は、しっくりくるし、宗教音痴と言われる日本人は寧ろ居心地の良ささえ覚えるかもしれない。

 

後半部に入ってからギアがさらに上がり、ハラリ節が全開となる。「虚構」という頭の中にのみ存在しうる物語を信じて、一致団結しているのは過去や前近代の話ではなく、現代に生きるわれわれもその「想像上の秩序」にどっぷり浸かっているのだと筆者は展開していく。筆者に言わせれば、自由民主主義も貨幣経済も国民国家も人権尊重も、それこそ科学技術までも、多くの人が信仰している「虚構」に過ぎないという。人権尊重や個人の自由というのも、必ず正しい絶対的な真理ではなく、所詮より多くの同時代の人が信じる「想像上の秩序」、もっと過激な言葉で言えば「集団的な妄想」でしかないという。「人間には特有の価値と保障されるべき権利と自由があるというのはサピエンスに都合良い非科学的な独断的な信念である」という考え方は、幼い頃から人権や自由の尊さというものを教えられてきた私には「なるほどぉー、確かに!」とすんなり受け入れられるものではない。自分の中にある心理的な違和感を拭い去ることは簡単ではないが、その私の感情というのはきっと宗教は「虚構」と断じられたイスラム教徒の拒絶感と同種のものなのだろう。

 

近代の社会秩序がまとまりを保てるのは、一つには、テクノロジーと科学研究の方法とに対する、ほとんど宗教的なまでの信奉が普及しているからだ。この信奉は、絶対的な心理に対する信奉に、ある程度まで取って代わってしまった。

テクノロジーと科学研究も信仰の対象となる「虚構」の一つであるという考え方は、「ワクチン接種が進まないアメリカ」という私の最近のテーマに興味深い見方を与えてくれた。「ワクチンの効果は科学的に立証された現実世界で発生している客観的な現象である」というのはワクチン接種派の気持ちではある。が、私はワクチンを接種したことによって自分の体の中で作られた抗体の存在を確認したわけではないし、『はたらく細胞』並のリアルさで私の中の抗体がCOVID-19ウイルスを見事に撃退する様を目撃したわけでもないし、ワクチン非接種者の体がCOVID-19ウイルスで無残に侵食される様を遠目にでも見たわけではない。要するに私は、国民国家主義を信仰し(CDCやFDAというアメリカの国の機関が検証をしたというのだから間違いあるまい)、資本主義を信仰し(世界中の製薬会社が莫大な投資をし、公正な市場と政府の評価を耐えているのだから効くに違いない)、科学技術を信仰している(ここまで人類を豊かにして、今なお進歩と発展を続ける科学の力は、神様に祈るよりずっと信頼できるに違いない)にすぎないのだ。

 

われわれが正しいと信じるものは、多くの人を結着させうる「虚構」の一種類にすぎないという考え方は、何か絶対的な正しさによってたちたい私たちにある種の寂しさを与える。それでもなお、自分の土台がゆらぐ危機感以上の、より前向きなメッセージ性を私は本書から感じる。そのエネルギーはどこからくるのだろうと、何度か付箋した箇所を読み返したところ、以下の一節が目にとまった。

歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。

「虚構」を作っては消し、作っては消して進歩してきたサピエンスの7万年の歴史を振り返り、ハラリ氏がサピエンスの中に見たのは、自分たちの想像している以上に遥かに大きな可能性だという。7万年の研究に裏打ちされた可能性というのだから、それは前向きにもなるはずと、新たな信ずべき「虚構」を見つけたところで、本書の評を終えたい。

 

この大作の評をどのようにまとめるか正直七転八倒し、どこまで魅力が伝えられたかというと、正直全く自信がない。本書についての多くの書評や解説動画を見た私の経験から一つ最後に強調させていただけば、本書の魅力を本当に理解するには、最後まで通読する以外の道はないと思う。まだ、手にとっていない方は年末年始の休暇に是非トライされてみては。

 

『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』 平成金融経済事件史

金融庁検査局と言うと、どうしても半沢直樹のオネエ検査官の黒崎駿一が頭に浮かんでしまうが、「霞が関のジローラモ」との異名を持つ異色の金融庁官僚が実在するらしい。ノンフィクション作家大鹿靖明氏の新作『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』は、そんな見た目も仕事ぶりも一般的な霞が関官僚とは異にする佐々木清隆氏に焦点をあてた力作だ。若干、タイトルは作り込み過ぎの感は否めないが、以前読んだ大鹿靖明氏の本も『ヒルズ黙示録』というものであったことを考慮すると、厳ついタイトル付けは筆者の持ち味なのだろう。

 

大鹿氏というと、『ヒルズ黙示録』に加え、『東芝の悲劇』、『落ちた翼 ドキュメントJAL倒産』の様に一つのテーマを丹念な取材でとことん深堀りするタイプのノンフィクションが多いが、本書は、山一證券の倒産から暗号通貨取引所運営会社のコインチェックの暗号資産流出事件まで、長い縦軸をもって幅広い金融事件を取り扱っており、他作とは性格を異にする。個別の事案についての深堀り感はないが、ノーパンしゃぶしゃぶ事件以降の大蔵省の解体と改革の歴史、叩いては生え叩いては生え続けた平成の金融事件、日本の金曜業界のここ三十年の激変、などを俯瞰してみることができる良書となっている。取り扱われる事件は、山一證券倒産、カネボウ粉飾決算、ライブドア事件、村上ファンド事件、東芝粉飾決算、仮想通貨流出事件、など全部盛りの様相を呈しており、お腹いっぱいになることは間違いない。勿論、今回のノンフィクションを書くための個別の取材は入念にされているが、筆者の今までのノンフィクション作家として実施した数々の取材の蓄積という資産も多数放出されており、一粒で二度美味しいやつだった。

 

佐々木氏は金融庁の証券取引等監視委員会、検査局などで、金融事件を起こす問題企業の監視と不正の摘発、そしてのその再発防止策の立案に長年取り組んできたスペシャリストだ。金融庁からOECDやIMFのような国際機関に長年出向する経験を通して「日本の官僚の常識」と「世界の常識」の違いに触れたことが、氏のキャリア形成に大きく影響を与えた。日本の官僚の世界では毎年の大掛かりな定期人事異動により一、二年でポストがころころ変わる人事主導のキャリアが常識だ。一方で、グローバルの常識は、求められる職務と専門性がきちんと決められ、それに見合った人材を起用、そして育成するプロフェッショナル型雇用とキャリア形成にある。本書でも日本の官僚制度は下記の通り一刀両断されている。

(適材適所でプロフェッショナルを配置する国際機関に対して)それに比べると日本は、素人に近い役人が、人事のめぐりあわせで配置されるアマチュアリズムを延々とやってきた

『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』

佐々木氏が旧来の習わしを放逐し、中途採用などを積極的に進めて外部から専門的な知見をとりいれたことによる効果は本書でも細かく紹介されている。『官僚たちの夏』に象徴される人事と激務と政治力が全てという「昭和の官僚像」から日本の行政も脱する時期にきていることを、本書は過去三十年を俯瞰することで、うまく表現している。

 

また、本書のもう一つの魅力は、主人公佐々木氏と筆者大鹿氏の距離感にある。この手のノンフィクションは、事実は小説より奇なりと謳いつつ主人公を格好良く描き過ぎて、漫画より漫画チックになりがちなものもあるが、本書は佐々木氏の功績も書きながら、批判的な立場も躊躇なくとっているところが面白い。

行政官である佐々木は、一つひとつの事件の取り調べを直接したわけではない。そこが犯罪捜査ひとすじのベテラン刑事とは異なり、人間の業の深淵を覗き込んだわけではなかった。導き出される結論も、いささか教科書的なものになった

『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』

佐々木氏の仕事振りを振り返りつつ、日本の官僚組織の構造的問題や限界に言及するためには、官僚組織のど真ん中にいた佐々木氏自身の仕事や成果にも疑問符をつけることはどうしても免れない。筆者は、功績をたてつつも、切り込むべきところは躊躇なく切り込んでおり、その主人公と筆者の距離感が、本書をただの勧善懲悪のヒーロー物ではなく、平成金融経済事件史というもう一段上のノンフィクションに押し上げていると私は読んだ。当然、出版前に佐々木氏本人のレビューを受けているわけだが、細かい事実誤認の修正以外は、彼に対する批判的な見方も含めて修正はなかったという。ヒーロー物が好きな方には物足りないかもしれないが、私にはそのバランスと距離感が心地よいと共に、生々しいリアルを味わうことができ興味深かった。

 

気軽に楽しみながら読める経済ノンフィクションで、少し軽めの読書を楽しみたいと思っている方にはオススメしたい一冊だ。

 

 

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』 選挙で多数決を用いるのは文化的奇習

先日、ボストンに衆議院選挙の投票のために行ったが、最近は下記のようなサイトで政党別、候補者別の政策がわかりやすくまとめられており、とても参考になった。例えば、選択的夫婦別姓制度の導入について、「賛成、やや賛成、どちらとも言えない、やや反対、反対」から自分の考えを選択し、自分の選挙区のどの候補者が自分に近いのか、またどの政党が自分の考えに最も近いのかを示してくれる。

www.ntv.co.jp

一方で、このようなツールを使って評価をしてみると、自分の選挙区の中から一人の候補者に投票をし、比例代表で一つの政党に投票をするという行為の限界というものが浮き彫りになる。安全保障政策ではある政党が良いと思うが、社会の多様性のあり方については別の政党が良い、という場合も当然あるし、自分の支持政党の候補者が自分の選挙区に立候補していないという場合もある。投票行為を通した民意の反映の仕方の難しさを実感し、少し腑に落ちない思いがあるところで、本日紹介する『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』を手にとってみた。

 

民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を安易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』

本書は、導入部分で「選挙で多数決を用いるのは文化的奇習」という容赦ないパンチを読者に浴びせつつ、「自分たちのことを自分たちで決める民主主義を実現するためにとるべき仕組みはかくあるべきか」という壮大なテーマに対して、多数決以外の別のアプローチを紹介し、ルソーの『社会契約論』までさかのぼって民主主義のあり方を問い直す、という新書とは思えない重厚な構成となっている。こう書くと、やたらと難しそうな印象を受けてしまう方もいるかもしれないが、知識がない人にもわかるように丁寧に噛み砕いてかかれており、「選挙を通じた間接民主主義」のあり方を勉強するには格好の一冊であった。

 

前半部分はボルダルールやコンドルセ・ヤングの最尤法(さいゆうほう)といった多数決に変わる集計方法について、わかりやすい例を元に丁寧に紹介されている。先日の自民党総裁選で野田聖子議員が出馬することで票の割れが発生し、河野太郎議員が不利になるというケースが発生したが、泡沫候補が選挙結果を歪めてしまうという多数決の不完全性の好例だろう。そういう問題を解決する上で、紹介されていた2つの方法は非常に興味深かった。詳細は割愛するが、興味のある方は本書を手にとっていただくか、ググって頂きたい。

多数決自体のメリットは何と言っても「一番多い人が勝ち」という分かりやすさだ。ボルダルールにしても、コンドルセ・ヤングの最尤法にしてもそれ程複雑なわけではないが、多数決ほどの子どもでもわかる程の明快さはなく、導入に至るには認知度の向上も含めてかなり時間がかかるという印象を受けた。また、立法でそのルールを決める国会議員がその仕組みのど真ん中にいるため、自ら変革を進めることの構造的な難しさというのも大きい気がする。もう少し、導入に向けての実際の課題についても触れられていると説得力が増しただろう。

 

後半部分はルソーの『社会契約論』の骨子がわかりやすくまとめられている。ルソーを噛み砕いて説明することは本書の本筋ではないだろうが、投票方法のテクニカルな方法論よりも、私には知的に刺激的であり、学びは後半部分からのものが多かった。

有権者と代表の関係は「信託」と「代理」に分類できる。有権者が代表を選出する際に、候補者の諸問題への判断力を基準として選ぶのが信託、自分の利益を増進する代弁者として選ぶのが代理である。

『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』

要するに、自分の利益につながるような政策を実施してくれる人に投票するのが「代理」で、自分の利益を脇においておき日本のためによりよい政治をしてくれる人に投票するのが「信託」ということだ。ルソーは、有権者全員が「信託」に基づいて投票をしなければ民主主義っていうのはうまくいきませんよ、と言っており、不純物ゼロ・混じり気一切なしの美しいきれいな世界を一筋の希望として提示している。その理屈自体はわかるのだが、そんなことが可能かと言われれば、正直できるわけないとは思う。が、「代理」という考え方があまりに前提になりすぎている俗世にまみれた私は、彼の主張に美しい民主主義の理念を見て、とても勉強になった。限られたスペースと私の力量で『社会契約論』の魅力を語るには到底無理があるが、本書の第3章はとても読み応えがあり、知的好奇心をかきたてられるので、興味のある方には是非手にとって頂きたい。

 

正直、アメリカに住んでいることが大きく、本当に久しぶりの投票になったのだが、投票を通して色々考え、勉強をする良い機会となった。総選挙くらいはアメリカ主要都市に脚をのばして、投票に行くかという気に今回なったが、車で往復10時間かけて領事館にドライブするのも、$1,000はらって飛行機で領事館に行くのも、$100ほどかけて日本から2ヶ月くらいかけて投票用紙を取り寄せるというのも、やはりハードルがかなり高い。せめて、投票用紙の請求を領事館に郵送で請求できるというくらいの手続きの改善がされると、ありがたいのだが、、、。

『戦後民主主義』 脱ロスジェネ世代の民主主義論

衆議院選挙の投票をしにボストンの領事館に行ったというエントリーをあげた。民主主義への能動的な関わりとして清き一票を投じるという義務感は自分に備わったものとしてあるのだが、一方で「一票投じたらそれで良いのか」という疑問が浮かんでくる。なので、選挙前に日本の民主主義について、少しでも良いので学習をしようと『戦後民主主義』を手にとってみた。

 

本書を手にとった理由は、日本の民主主義について書かれた本として、アマゾンの評価も高く、レビューの内容からも興味を惹かれた、という単純なものであるが、成程多くの評価を集めるだけはあり、良書であった。本エントリーでは本書の読みどころと勧める理由をいくつかあげていきたい。

 

2021年1月という発売日と30台半ばという筆者の若さ

本書の発売日は2021年1月。類書の中で最も最近に発売された本と思われる。巻末の年表には菅(すが)政権の誕生までカバーされており、扱われているトピックも、日本国憲法の制定や60年代安保闘争から集団的自衛権行使を巡る憲法解釈やコロナ禍の緊急事態宣言まで含まれており、歴史を理解し、そこから現在の世相を読み解きたいという現代人の要望にマッチしている。

また、1984年生まれという筆者の若さも特色の一つだ。アマゾンで戦後民主主義と検索すると本書以外の筆者は殆ど60歳〜80歳とベテランが名前を連ねている。ベテラン勢の政治論は、小難しい政治学独特のプロトコルへの理解がないととっつきにくく、どうも私には馴染めない。が、筆者の語り口は、学術的でありながらも、政治学の垢がついていない親しみやすさが感じられ、とても読みやすかった。

 

主権在民、平和主義、平等主義というフレームワーク

本書では「戦後民主主義」の要素として以下の3点をあげる。

  • 主権在民による民主主義
  • 憲法9条と戦争放棄による平和主義
  • 法の下の平等主義

日本の「戦後民主主義」というのは、時代と文脈によって様々な使われ方をする言葉で、なかなか簡単かつわかりやすい定義をするというのが難しい。それを、主権在民、平和主義、平等主義という3つの切り口で整理してみせようという筆者の狙いは成功しており、時代時代に揺れ動き、否定と肯定が入り交じる「戦後民主主義」についての議論をうまくフレームワークに落とし込んでいる。

集団的自衛権、格差社会、コロナ禍のばらまき政策を競い合うマニフェストなど、今語られる政治の議論も何らかの形で上記のフレームワークに落ちていく。これらの論点について、過去にどういう議論、社会運動が展開されてきたのかを理解することは、現在の政治を考える上でとても参考になる。

 

「丸山眞男」から「丸山眞男をひっぱたきたい」まで

「戦後民主主義」を語る上で欠かせない政治学者、思想家である「丸山眞男」はやはり本書でも真ん中に据えられている。『大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける』という有名な一節の紹介から、下記の「丸山眞男」の民主主義の理解が、時代の流れや文脈から解説されており、勉強になる。

民主主義は議会制民主主義につきるものではない。議会制民主主義は一定の歴史的状況における民主主義の制度的表現である。しかしおよそ民主主義を完全に体現した制度というものは嘗ても将来もないのであって、人はたかだかヨリ多い、あるいはヨリ少ない民主主義を語りうるにすぎない。その意味で「永久革命」とはまさに民主主義にこそふさわしい名辞である。

「現代における態度決定」の追記・附記『増補版 現代政治の思想と行動』

が、「丸山眞男」を解説する政治学の本は多いとしても、赤木智弘の「丸山眞男をひっぱたきたい」まで同様にカバーしている書は類をみないだろう。世代的に「丸山眞男をひっぱたきたい」から「丸山眞男」に入った私には、その解説箇所に親近感を覚える。「丸山眞男」は知っているが、「丸山眞男をひっぱきたい」とは何者だ、という年代の方も本書を読むことによって射程範囲が少し広がるのではないか。まぁ、そういう年代の方には「丸山眞男をひっぱきたい」はあまり気持ちの良い論考ではないとは思うが。

また、鶴見俊輔、福島みずほ、佐高信らの赤木論文への反論を紹介している箇所は控えめに評価しても最高だ。彼らの反論を「応答者たちは赤木の問題提起を受け止め損ねていた」と評しつつ、

ここに浮上したのは、年長世代の格差問題への鈍感さはだけではなかった。固定化された格差を問題提起した赤木に対し、『論座』に執筆者たちは平和主義で応答することしかできなかった。<中略>

両者のすれ違いは、たんなる世代差ではなく、戦後民主主義の価値観が、基本的には右肩上がりの経済成長を土台にしていたことを明らかにするものだった。

と、両者を対比しつつ、「戦後民主主義」という本書の主題に引き戻す手腕は見事だ。「ロスジェネ」代表の赤木と「エスタブリッシュメント」代表鶴見、福島、佐高の対立軸を「ロスジェネ」の一世代後の筆者が一歩引いて語るという構図の新鮮さは秀逸の一語につきる

 

本書は、上記にあげた他にも『鉄腕アトム』や『紅の豚』などのサブカルチャーにも食指を伸ばす射程の長さがあり、そこも魅力の一つだ。戦後民主主義を体系的に学ぶことができるとともに、「脱ロスジェネ世代の民主主義論」という風合いが随所に感じられる良書だ。若い世代を中心として、幅広い年代の方に手にして頂きたい。

 

 

米国片田舎の在外日本人の選挙事情 選挙旅行のススメ

先日、ボストンに家族旅行にいってきた。東海岸のノースカロライナ州に住むわが家から飛行機で2時間弱の近さで、ニューヨークほどの喧騒はなく、ノースカロライナほど田舎でもなく、歴史を感じる文化レベルの高さを感じる都市で大いに楽しむことができた。「秋のボストン」を楽しみたい、というのが旅行の主の目的ではあるのだが、今回はもう一つ目的があった。それは、衆議院選挙の在外投票だ。

 

在外投票というのは、結構ハードルが高い。まずは、在外選挙人登録を日本の市区町村の選挙管理委員に対してしなければならない。領事館が側にないわが家では、

  • 管轄領事館に在外選挙人登録申請書を郵送
  • 管轄領事館が申請書を外務省に郵送
  • 外務省が市区町村の選挙管理委員会に郵送
  • 選管が登録手続きをしたら外務省に「在外選挙認証」を郵送
  • 外務省が管轄領事館に「在外選挙認証」を郵送
  • 管轄領事館が「在外選挙認証」をわが家に郵送

という果てしない郵送での書類のリレーが発生した。在外日本人関連の手続きは、ウェブ申請の恩恵を最も受けることができるエリアであるにも関わらず、ウェブ化が最も遅れている。「在外選挙人登録申請書」のPDFを領事館のウェブサイトからダウンロードできる、というところが唯一ウェブ化されたところであるというのは、悪い冗談のようで、在外日本人の現実であったりする。はっきりと覚えていないが、申請をしてから「在外選挙認証」の受領まで3ヶ月はかかったと思う。

 

「入り口」となる「在外選挙認証」の手続きのハードルはご覧いただいた通り、かなり高いのだが、個々の投票も郵送で対応しようとすると、同様にハードルは果てしなく高い。手続きとしては、

  • 「投票用紙請求書」と「在外選挙人証」を日本の市区町村の選挙管理委員会に郵送
  • 日本の選挙管理委員が投票用紙と封筒を郵送
  • 投票用紙に記入して、日本の選挙管理委員に郵送

となり、「在外選挙認証」とは異なり、領事館と外務省が中抜きできているのでまだマシと言えばマシではあるが、それぞれの投票をするまでに、わが家の場合だと日米間で合計三度の郵送でやりとりが発生し、お金も時間も結構かかる。

日本ではいよいよマイナンバーカードを利用した電子手続きが進み始めているが、マイナンバーカードの発行されない、在外日本人がそういった電子化の恩恵を受けるのは遠い未来のこととなるだろう。

 

ついつい愚痴と不平が長くなってしまったが、本題に話を戻したい。在外選挙の方法として郵送の他には大使館、並びに領事館で投票をするというありがたい方式がある。「在外選挙人証」と「パスポート」を持って在外選挙を実施している領事館に行けば、その場で投票できるのでかなりお手軽だ。手続きとしては、

  • 領事館で「投票用紙請求書」と「在外選挙人証」を提出
  • 投票用紙をその場で受領
  • 投票用紙に記入をし、日本と同様に封筒に投票用紙を入れて、投票

と、日本と殆ど変わらない手間と時間で投票ができる。が、ノースカロライナ州という米国東海岸の田舎に住むわが家から一番近いのは、ワシントンの大使館か、アトランタの領事館だ。両方とも車で片道5〜6時間はかかるので、「じゃぁ、選挙に今日は行ってくるか」というトーンで行けるものではない。

というわけで、今回は未だ訪ねたことのないアメリカの領事館のある大都市であるボストンに投票も兼ねて旅行にいくことにしたわけだが、この企画は一石二鳥で大当たりであった。その手続の重さから、しばらく投票ができていなかったのだが、これを機にわが家では、少なくとも衆議院選挙と参議院選挙の際は、領事館のあるアメリカの都市を旅行してしまおう、という新たなルールを作ることにした。領事館があるアメリカ本土の都市は、

  • アトランタ
  • サンフランシスコ
  • シアトル
  • シカゴ
  • デトロイト
  • デンバー
  • ナッシュビル
  • ニューヨーク
  • ヒューストン
  • ボストン
  • マイアミ
  • ロサンゼルス
  • アンカレジ
  • ポートランド

となる。旅行先として、魅力的な都市もあれば、そうでないところもあるが、中々悪くない企画だと思う。同じ悩みを抱えている、在米日本人の方、是非参考にされたし。

 

10秒で仕上げる英文メールの書き出し 進捗状況を共有編

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仕事で英文メールを書かないといけないという人は多いだろう。本題にさっと入りたいのだが、書き出しで苦戦をしている人は意外に多いのではないか。書き出しの言い回しをググっているうちに、10分〜15分時間を使ってしまったという経験は誰にでもあるだろう。だが、「英文メールの書き出し」というのは難しいことではない。シーンごとに鉄板の型があるため、その型さえ覚えてしまえば書き出しは10秒ですますことができる。

私は現在アメリカに住み、7年以上アメリカの現地企業で仕事をしている。最近は書き出しで時間をかけることはまずない。同僚のアメリカ人が送付したメールから使えそうな鉄板の言い回しを抜粋してストックしているからだ。この「10秒で仕上げる英文メールの書き出し」シリーズでは、私の使っている鉄板表現をシーンごとに紹介し、読者の英文メールを書く時間の大幅な削減をお手伝いしたい。

 

進捗・状況を共有する

会議で自分が担当になったアクションの進捗報告をする「いつまでに終わるんだ」とせっつかれていることの状況を共有する、といったことに私たちは日々追われている。毎日全く新しいことをするなんて人は殆どいなく、大抵私たちは抱えている案件を前に進めることが日々の仕事の中心となっている。なので、実施した会議の議論を前に進めるために、現状を情報共有してステークホルダーを自分の事案につなぎとめておくために、そして「あれはどうなっているんだ?」というような問い合わせに追われないように、進捗や状況を共有するのは大事なことで、コントロールのききにくい英語でのやり取りでは、その必要性はより強くなる。今回は進捗や状況を共有するメールで使える書き出し、並びに文中の表現を紹介したい。

 

Want to provide a quick update on 〜(〜につきまして簡単に状況を報告します)

<例文>
Want to provide a quick update on the resolution we came to for addressing the issue we discussed.

懸案の問題に対して、私たちの講じた対策につきまして、取り急ぎ報告させて頂きます。

 

進捗や状況を共有するための表現をいくつか紹介しようと思ったのだが、いくつか派生系はあれど、"update on"が鉄板すぎて、これ以外にあまり紹介できる表現がなかった。なので、書き出しの表現としては今回はこれ一本でいきたい。まずは、王道の表現を説明し、後でいくつかのバリエーションも共有する。

 

上の例文では主語を省いているが、"I want to provide a quick update on"というように、きちんと主語をつけることももちろん可能だ。が、実際は主語を省いてしまう場合の方が圧倒的に多い。なので、主語なしの方がこなれた感じに、私には見える。

 

また、文法的な意味合いは、よくわからないのだが、"Wanted to provide a quick update"というように、過去形にする場合のほうが多いかもしれない。同僚にどうして過去形にするのか、聞いてみたが的を得た回答というのはあまり得られなかった。"I have wanted to provide a quick update"の省略で、現在完了から派生しているのか、と聞いたところ、「多分、それだ!」と言われたが、真偽のほどは定かではない。が、多くの人がそうしているので、過去形でも全く違和感はない。

表現の仕方にいくつかバリエーションがあるので、以下に紹介する。微妙な差なので、全部覚える必要はないが、あわせて進捗報告の際に使える細かな表現も紹介していきたい。

 

Just wanted to update you on what we know for now and will continue to share updates as things develop.
現時点でわかっていることを取り急ぎ共有させて頂きます。また、進捗に応じて引き続き状況を共有していきたいと思います。

"Update"を目的語ではなくて、動詞にしたバージョン。"Just"そのものにそんなに意味はないので省いてしまってもいいが、「取り急ぎ」というニュアンスがでる気がする。"as things develop"というのは「進捗に応じて」と意訳しているが、「今後もこの件進めていくからね!」という前向きな雰囲気が醸し出せる。

 

A quick update on where we are with this exercise as of tonight.
今晩時点で、本件についての現状を手短に報告致します。

これは主語どころか動詞も省いてしまったパターンだが、これもよくある形。"Just a quick update."と冒頭に書いて、その後は状況報告をバーっと書いていく場合も結構多い。"where we are"とか"where we stand"というのも「現状」という意味でよく使う鉄板の表現なので、覚えておくことを進める。"the current situation"とかでもいいのだが、個人的には"where we are"の方がシュッとした感じはする。

 

Keep you posted on 〜 (〜につきまして引き続き情報共有をさせて頂きます)

<例文>
Keep you posted on where things stand.

今後も状況につきまして引き続き情報を共有させて頂きます。

冒頭の表現を紹介したので、ついでに締めの表現も共有したい。"Keep you posted on"は、状況報告メールの締め括りとして鉄板の表現だ。"on 〜”とかつけて長くせずに、"Will keep you posted"とズバッと一言だけつけるのもよくあるし、"Posted"の代わりに"Keep you updated"とすることもできる。

 

状況に応じた用例をいくつか以下紹介するので参考にして頂きたい。

  • I wanted to keep you posted on the live progress.
    進捗を常時共有させて頂きます。
  • I will keep you posted on any key points that come up during our discussions.
    今後の検討の結果、提起された重要事項については共有させて頂きます。
  • I will keep you posted on what I hear from the leadership team.
    上層部から今後あるフィードバックを共有させて頂きます。

 

まとめ

進捗状況を報告するメールの書き出しと締めの表現として、以下の2つの表現と、その派生系を今回は紹介させて頂いた。少しでも参考になると幸いだ。

  • Want to provide a quick update on 〜(〜につきまして簡単に状況を報告します)
  • Keep you posted on 〜 (〜につきまして引き続き情報共有をさせて頂きます)

 

なお、例文の殆どは私が実際にアメリカ人から受信したメールからの抜粋だ。私はIT企業のファイナンスやセールスオペレーションでの経験が長いので、同じ職種の方は、ほぼ丸パクリできるケースもあると思うので、お役に立てれば幸いである。

 

この度、”自由に生きる海外移住”という新ブログを立ち上げました。より多くの日本人が海外で活躍できるように、アメリカでの仕事や生活についての情報発信をしています。興味のある方は是非御覧ください。新ブログでのリンクをこちらにも掲載させて頂きます。

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