Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー2』 多様性と寛容さの話

多様性というのはアメリカ社会で生活をする上で、常につきまとう悩ましいテーマだ。出身国も文化も違う人たちのるつぼの中で生活すると、自らの常識が世界の常識か、相手の常識に感じた自分の違和感は正常かどうかを自問自答することに常に迫られる

 

他愛もない話ではあるが、アメリカのAmazonで$100以上の買い物をすると、大体の場合は誰かが箱を一回開けた跡がみてとれる。オンラインショッピングで買ったものを返品することはよくあることなので、一度返品された商品をそのまま他の人に新品として販売しているのだろう。

当初は、「新品買ったのに、誰かが開けた形跡がある物を送るのか!?」といらっとしたが、箱なんてどうせ捨ててしまうだけなので、きれいに梱包しなおしたり、箱だけ変えるなんてことを本当にする必要があるかと考えてみると、それが無駄という考え方も理解できる。なので、「箱に開けた形跡があっても、商品が新品であれば気にしない」というように、自分の考え方を変えたら楽になった。

 

ブレイディみかこさんの『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー2』がこの9月に発売されたということで早速手にとってみた。

英国で労働者階級の配偶者と中学生の息子と暮らす日常が、生々しく、そしてコミカルかつ軽やかな筆致で描かれており、誰でも親しめるエッセイだ。が、数ある同じタッチのエッセイと比較し、私が本シリーズに惹かれるのは、その題材として多様性、格差、文化の壁が中心に据えられているからだ。個別のシーンはリサイクルのゴミ出し、学校の音楽会、ちょっとした近所付き合い、学校の授業など、何でもない日常の風景だ。が、そういった何気ない日常の隙間にも、英国社会内部の分断、移民との衝突、貧富の格差、人種差別という問題が様々な形で入り込む様が巧みに描かれている。些細な形で忍び寄るそういった問題に蓋をして見てみぬ振りをすることもできるし、やたらめったら蓋を開けることだってできる。本書の根底にあるのは「思考を止めずにとにかく考えろ」という説教臭さではなく、どの蓋を開けるかという選択にも個人の価値観が投影されており、その価値観の差に対する寛容さも多様性と向き合う素養であるというメッセージであると私は読んだ。日常の至る所にあふれる大小の多様性の風に常にさらされている、私自身、そしての家族の姿と本書の主人公のとある英国の家庭を重ね合わせることにより、大いに感情移入しながら没入できる楽しい読書経験となった。

 

その「どの蓋を開けるか」という選択について思うところのあった最近の私のエピソードを紹介したい。

 

現在の仕事で、とある自社製品の受注情報を一箇所に集約したファイルを作成し、色々な関係者がそのファイルを参照できるようにしている。そのファイルを、私は「Order Master File」という名前をつけて運用し、関係各所から「ばらばらだった情報が一元的に管理されており、便利だ」と好評を博していた
そのファイルの運用を私のチームメンバーであるチベット人の女性に任せることにした。しばらくすると、彼女が言いにくそうな雰囲気で、「やっぱり、あのファイルの名前は良くないので、変えたいんだけれども」という相談を持ちかけてきた。正直その相談を受けた時は「えっ!?どこに問題となる要素があるのだろう?」という感じで、少し固まってしまった。「どのあたりが適切でないのか、勉強不足なので教えてもらって良いだろうか」と聞くと彼女は「今どき、Masterって単語が入っているのが、やっぱり良くないと思う」というではないか。
「あぁ、Masterね、、、」という「いや、お前わかってないだろう」というリアクションをとると、「MasterとSlave(主人と奴隷)という言葉を想起させるから最近は使わないと思うんだけど、、、」と補足説明をしてくれた。「そう言われてみるとそうか」という気持ちと「ふーん、そうなんだぁ」という気持ちが入り混じったというのが正直なところであった。
私は昔SAPの導入などを仕事でやっていたので、マスターという言葉は昔からよく使っていた。とある大手商社のプロジェクトでは「統合マスターチーム」、英語に訳せば「Integrated Master Team」という主人と奴隷というコンテキストで考えると大分あかん名前のチームまであったりした。

では、アメリカで最近はこの言葉がそんなに使われないのかと言うと、アメリカの家で一番大きなベッドルームのことを「Master Bed Room」と呼ぶ。これは「ご主人さまのベッドルーム」というあかん名前なんではないかという疑問が浮かんでくる。そもそも複数の意味のある言葉の一つの意味が問題だからといってその言葉そのものを使わないようにするという考え方はどうなのだろう、とか色々な疑問が浮かんだし、英語が私よりも既に達者な娘に聞いてみたら、「Slaveに対するのはMasterよりもOwnerの方が多いと思うけどなぁ」というコメントをもらい、本件については今ひとつ私の納得感は高まらなかった。とは言っても、別にファイル名そのものには深いこだわりはないので、「Order Master File」は「Order Detail File」と名前を変えることにした。


が、関係各署が使っていたファイルだったので、名前が急に変わることになって、オリジナルを作った私の所に「Order Master Fileはどこにいったんだ?」と問い合わせが沢山入ることになり、その度に私は「Order Detail File」という新たな名前になったと説明することに追われることになる。「あ、そうなんだ」という人もいれば、「何で今更名前を変えるんだ、わかりずらい」という文句をいう人もおり、決して私だけがポリコレの観点から遅れをとった不勉強なやつでないことは確認できた。新しい名前が定着するまでにしばらくの時間を要し、Master and Slaveのことを説明する機会にも恵まれ、「ふーん」というリアクションを受けながら、マスターという言葉に対する人々の捉え方の多様性に直面することとなった。

 

「危なそうな場合は敢えて触らずに距離をとる」というのは、こういう環境で楽しく生活するためのコツではあるが、「時と場合によっては踏み込む信念と勇気」も同様に大事で、そのバランスにはいつも悩まされる。筆者の息子とわが家の子どもたちの年が近いこともおり、共感したり、感銘を受けたり、違和感を覚えたりと刺激の多い読書であった。

私の中1と高1の子ども本書を読んで、それぞれの書評を書くことになっている。アメリカの学校に長く通うわが子が、本書を読んで何を感じ、何を考えるのかを見るのが楽しみだ。海外在住で多様性の中に身をおいて、日々そういう話題に直面している人には是非薦めたいし、中学高校の子どもがいる多くの方には親子で読んでみることを強く薦めたい。

日本のワクチン接種率、米国をやっぱりぶっちぎる

日米のワクチン接種率の比較を本ブログで紹介してから2週間ほどたった。予想通り私の住む米国は、箱根駅伝で抜かれる時に一瞬だけテレビにうつる大学の如く、日本に華麗に抜き去られた。日本は接種率が60%に達し、米国は未だに55%程度なので、あっという間に5%も差をつけられ、もう背中も見えないやつだ*1日本は、米国などに目もくれず、先進国の中でトップ集団を形成する英国67%、フランス66%を猛追しているが、英国もフランスも伸び止まっているので、1ヶ月もしないうちに先頭集団を引っ張る形になるだろう。

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日米英仏のワクチン接種率

下記は10万人あたりのコロナによる死者数の推移である。ド派手に行動制限解除をしている英国は、接種率が1位に対して、死者率が多くなってしまってはいるが、米国を遥かに下回っている。ワクチン未接種者に対してのみ、かなり厳しい行動制限を課しているフランスは、死者数の抑え込みに成功しているとみることができるだろう。日本は医療崩壊が声高に叫ばれているが、他国と比較すると圧倒的な低さをほこっており、この傾向はワクチン接種率の増加に伴い、一層加速していくだろう。今となっては、飲食店に過度に課されている極端に厳しい制限の方が問題だろう。小池都知事のような政治家のパフォーマンスに利用されている飲食店が気の毒でならない。劣等生の米国ではなく、英国やフランスのような優等生を参考にして、経済の正常化に向けて舵をきるべきだ。

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日米英仏のコロナ死者率

さて、私の住む米国に少し話を向けたい。前エントリーで紹介した南部諸州は下記のグラフで見て取れるとおり高い死者率となっている。その中でも特に接種率の低いアラバマ州とミシシッピ州は1%を超えてしまっており、一方で全米の大きな州の中で最も高いワクチン接種率をほこるマサチューセッツ州は英国並みの比率を維持していおり、コロナという視点ではここだけ米国ではないみたいだ。

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南部諸州とマサチューセッツ州のコロナ死者率

これだけ、ワクチン接種率と死亡率のきれいな逆相関がデータとして表れているのだから、もっとワクチンの接種率が伸びても良いように思うのだが、そうならない所にアメリカ社会の根深い問題がある。私の知人の話を聞くと、結構な割合でコロナとワクチンの陰謀論を信じている人が多いのだ。上記のデータはジョン・ホプキンス大学のデータをフィナンシャル・タイムズが公開しているのだが、反ワクチン派の人からしてみると、「法外な医療費を民から徴収する米国エスタブリッシュメントの権化である医科大学のデータを使って、同じく既得権益層の片棒を担いでいる大手新聞社が作った資料だろ、ファイザーから両方とも多額のお金をもらっているに違いないじゃん、見るに値しない」という感じなのだろう。

 

先日読んだ『現代思想2021年5月号 「陰謀論」の時代』に、こんな一節があった。

メディアを含めた大企業や連邦政府の権限がますます大きくなっていき、自分の手の届かない巨大な権力に多くの人々が無力感を覚えていることにくわえて、特に白人たちのなかには、人口動態という点でも経済的にも自分たちの行く末がどんどん先細りになっているという感覚があると言えます。
<中略>
「自分はこんなに頑張っているのに何故報われないのか、きっと誰かがどこかでズルして得をしていて、自分はその割を食わされているんだ」という考え方が出てくる。ではいったい誰が得をしているのかというと、それは既得権益をもっている政治家やロビイスト、一部の知識人、あるいは主要メディアやシンクタンクである・・・というふうにして「われわれ」対「やつら」という構図が作られていくわけですね。

『現代思想2021年5月号 「陰謀論」の時代』
〜現代アメリカ社会における<陰謀>のイマジネーション

1990年台頃から米国でグローバル化が進み、その荒波にのまれていった人たちは沢山いて、そういう人たちの大企業や連邦政府への不信感はものすごく大きい。そうやって進んでいった社会の「格差と分断」をトランプが浮き彫りにしつつ、さらに加速させたのが過去の4年間であった。共和党トランプ政権が倒れて、行き場を探したそういううねりが、反エスタブリッシュ・反ワクチンという波として一つの形で押し寄せている、そんな見方を私はしている。86%の民主党支持者は1回はワクチンを接種したと言っているが、共和党の支持者については60%にとどまるという調査*2もあり、あながち間違っていないのではないか。なので、これはワクチンの効果に対する正しい理解を促進するためのコミュニケーションで解決できる問題ではなく、イデオロギーの問題なのでその根深さに目眩がしてしまう。

 

私はアメリカに住んで8年位たつが、ノースカロライナ州に本社のあるグローバルなIT企業に勤めているせいか、国際的で多様性を尊重する文化・土壌の中で快適に仕事をさせて頂いている。それは私が持っていたアメリカのイメージであるが、実際に住み始めてみると、それは多様なアメリカのほんの一部であることがわかってきた。地元で開催される州内から多くの人が集まるお祭りや郊外に車で足を伸ばしたりすると、アメリカ国内どころか、ノースカロライナ州内から殆どでたことがない人と接する機会をえて、自分が日常生活の中でみることのないアメリカに触れることができる。最近ワクチンネタが多いが、それはこの問題に多様なアメリカの縮図をみてとることができ、アメリカ社会を理解するための格好の材料にうつるからだ。「アメリカ南部って何?」という方が本ブログの読者の殆どであろうが、興味のある方は引き続きお付き合い頂きたい。

 

アメリカ南部在住日本人のコロナ禍の憂鬱

2021年9月16日時点で日本でワクチンを2回接種した人の数は53.2%。1ヶ月前の37.9%と比較すると+15.3%となる。これは私が住んでいるアメリカから見ると爆速とも言うべきペースだ。我がアメリカ合衆国は、同じ時点で55.0%と辛うじて上回っているが、この1ヶ月の伸び率は何と+3.6%である。箱根駅伝に例えれば、第二区でごぼう抜きをしていく助っ人留学生選手に背中につかれ、あっという間に姿が見えなくなるやつだ。

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日米のワクチン接種率*1

若者が中々予約がとれないという嘆きはニュースなどでよく目にするが、予約無しでいつでも受けれる状態なのに、なめくじのようなスピードでしか接種率が伸びないアメリカと比較し、ワクチン供給に応じて接種率が上がっていくというのは羨ましい限りだ。色々批判は多いようであるが、日本政府はよくやっているのではないだろうか。

 

なお、そんなアメリカでも、マサチューセッツ州やコネチカット州は現時点で接種率が67%を既に超えており頭一つ飛び抜けている。こういった州であっても感染力の強いデルタ株の影響で感染者数は決して少なくないのだが、死者数が激減していることは見逃せない。両州とも猛威を奮った2020年4月頃の10分の1程度の死亡者数であり、ワクチンの重症化率を抑える効果がてきめんに表れていると私はみている。

8月のCDCのデータ*2をみると全米の死者数の中でCOVIDに起因するものは15%となっているが、マサチューセッツ州3%、コネチカット州5%と全国平均を遥かに下回っているのは興味深い。日本も2ヶ月もすれば、両州と同じかそれ以上のワクチン接種率となる。年末に向けて乾燥が進むので感染者は激減するには至らないが、重症化率はかなり抑えられ、少なくともデルタ株の猛攻を防ぐことはできる、と私は見ている。

 

一方でアメリカの中で、ワクチンの接種率で地を這っているのは、アラバマ州、ルイジアナ州、ミシシッピ州などのいわゆる南部諸州だ。それぞれ、41.1%、44.2%、42.1%という残念な進捗だ。そして、8月の全死亡率におけるCOVIDの比率は25%、29%、29%と衝撃的な高さを誇る。先に紹介した州も含めて表にまとめると下記のようになる。

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私の住むノースカロライナ州もノースとついてはいるものの一応南部諸州の一角をなしており、ちょっと北側ということもありアラバマ州やミシシッピ州ほどはひどくはないが、決して褒められた数字ではない。

 

同じアメリカの中でも、どうしてこんなに差がでるのだろうか。私が住むノースカロライナ州については、オンラインでWalgreenやCVSのような薬局でワクチン接種の予約をすれば翌日にでも接種ができるので、決して供給量の差ではない。アラバマ州や他の接種の遅れている州に家族や親戚が住むという友人や同僚に聞いてみると、少なくない数の人たちが、

  • COVID-19なんていうのは、国や製薬会社が大騒ぎしているだけで、ワクチンを売りたいだけなんだ
  • 私は毎週日曜日に教会に礼拝にいっており、マスクやワクチンなどが無くても、神様が私のことを守ってくれる

ということを言っているとの話を良く聞く。これは決して極端でケースではなく、特に南部諸州の片田舎では普通の話だ。国際結婚をしている私の友人が、アラバマ州に住む夫の両親、親戚が、同じようなことを言って、「だから、今年の感謝祭は絶対にこちらに来て一緒に過ごそう」と言われるのだが、怖くてとても行けないとぼやいていた。

 

もう一つデータを紹介したい。下記はアメリカの州別の信心深さを示したデータで、青が"Very Religious"、紺が"Moderately Religious"、グレーが"Nonreligious"で上記に紹介した南部諸州はプロテスタントが多いので、軒並み全米でトップに入っている。上位の中で南部でないのはモルモン教徒が人口の70%を占めると言われるユタ州くらいだ。

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州別の信心深さ(上位)

そして、同じランキングの最下位群を見ると、上記で紹介したコネチカット州、マサチューセッツ州などの接種率高い組が名を連ねる。最下位に位置するバーモント州とメイン州のワクチン接種率を見ると、68.9% / 67.5%と全米ベスト5にランクインしており、ワクチンの接種率と信心深さはきれいな逆相関を示しているのが興味深い。

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州別の信心深さ(下位)

 

最近読んだ『現代思想の教科書 世界を考える地の地平15章』という本に下記のことが書いてあった。

宗教改革によって何が起こったのかというと、信仰というものはそのような所与の制度によって保証されるのではなく、一人ひとりの人間が「内面」で神と向き合うことによって初めて成り立ち、人はそのことで「義」とされる、つまり正しいとされる、そういう転換が起こったのです。

『現代思想の教科書 世界を考える地の地平15章』 「第12章 宗教について」

宗教や信仰心を自分の内面にとどめ、世俗社会との折り合いをつけるという特にプロテスタント系のキリスト教の現代のあり方を、政教分離をしないで制度システムとしての機能を前面に備えるイスラム教と対比する形で本書では語られている。「神は『コーラン』を掲示し、我々に対して、全ての宗教が神のものとなるまで戦い続けよと命じた」という声明をイスラム国は発しているが、同じ宗教・信仰であっても確かにアメリカのキリスト教信仰はイスラム原理主義のそれとは大きくことなり、現代の世俗社会にうまく適合しているようにも見える。信仰の自由というのは、誰にでも認められるものであり、それ程信心深くない私も、他の方の信仰の自由は大いに尊重したい。

ただ、上記のような統計をみると、内面の信仰という自由がこのパンデミック化では、内面にとどまらない形で表出しているように私には思えてならない。別に教義の中でワクチンの接種を禁止しているわけではないんだから、牧歌的に「神様が守ってくれるから大丈夫」とか言ってないで、世俗社会ともう少し折り合いをつけてくれよ、即ちとっととウェブで予約してワクチン接種してくれよ、と南部諸州の片隅に住む者として、ぼやきと言うか、悲鳴に近い思いを持っているわけである。

でも、建屋と建屋の間が100メートル間隔の田舎町にやたらと立派な教会がそこかしこにあるアメリカ南部の典型的な田園風景を思うと、そんな私の思いは届きえないことは自明である。なので、嗚呼と嘆息しながら「アメリカ南部在住日本人のコロナ禍の憂鬱」なんてタイトルのブログを綴って母国に発信するくらいしか、私にできることはないのだ。

日本の皆さま、日本はきっともう一息ですよ。



『安いニッポン 「価格が示す停滞」』 安いけどサービスも製品も人材も一流があふれる日本

アメリカに住むわが家にとって夏の日本への一時帰国は一年の最大のイベントだ。コロナ禍で日本への一時帰国がしばらくできていないが、日本に住む家族と一緒に時間を過ごし、日本の美味しい料理の数々を堪能することを、家族全員がとても楽しみにしている。渡米間もない頃は、アメリカでは3倍ほどの値段をつける日本の食事などを適正な値段で楽しめることに安心感や満足感を感じていた。が、最近一時帰国する時に感じるのは、「これは安すぎるんじゃない」というお得感を超えた違和感だ。職人が経験と技術の粋を詰め込んで丹精込めて作ったラーメンが700〜800円というのは異常とも感じる安値であるし、500円以内で食べることができる昼食のバラエティもとても先進国とは思えない。アメリカでは低所得者層向けのファーストフードと位置づけられるマクドナルドですら500円以下でセットメニューは食べることができない。

 

そんな経験があったので、本日紹介する『安いニッポン 「価格が示す停滞」』は私の問題意識を的確に、色々な事例と共に示してくれた。

 

話題になった本なので既読の方もいると思うが要点をまとめると以下のような感じである。

  • ディズニーランドの入場料やダイソー製品などを複数の国に渡って価格比較してみると日本が最安値であることが非常に多く、これは日本の国際的な購買力の低下を表している。
  • 日本の安さの大きな要因はその人件費の安さにあり、労働生産性の低さや旧態依然とした人事・雇用慣行がその原因にある。結果として、海外からの人材獲得できず、さらに優秀な人材の国外流出してしまって、日本の競争力を下げる要因となっている。
  • 優秀な人材だけでなく、観光地、製造業の技術などのその割安感から海外から「買われる」状況が続いており、日本国内のマーケットも日本にやってくる海外の方に向けた「高いサービス」と日本の消費者に向けた「安いサービス」に二極化が始まっている。
  • 「政策的に労働者の賃金を上げる」、「価値があるものにはその対価をきちんと払うよう消費行為を改める」「雇用慣行を是正し、労働市場を整備し、より労働生産性を高める」、などの施策を実施し、「安いニッポン」から脱却しなければ、未来は明るくない。

全体的に、このコロナ禍での閉塞感を助長する論調で、あまり元気のでる内容ではあったが、丹念な取材に基づき、日本の問題点をリアルにえぐり出していると思う。一方で、内容に問題はないのだが、「危機感を煽るだけではなく、もっと日本の良いところに目を向けようよ」という感想を覚えた。日本の状況は決して「安かろう悪かろう」ではなく、むしろ「安かろうに良かろう」という状況なのだ。提供する製品やサービスの質が悪いのであれば、かなりの重症と言えるが、製品とサービス、そしてその支えとなる人は未だ一流なのだから、そういう点をもっと強調して欲しかった。そこで、筆者に変わってアメリカ在住8年ほどの私が感じる日本のサービス、製品、質の素晴らしさをいくつか紹介したい。

 

「おもてなし」が日常の日本

この夏に日本に一時帰国できないので家族でオーランドのディズニーワールドに行った。そのアトラクションの質、作り出された世界観は、流石という感じではあるが、やはりパーク内、ホテルの個々の従業員のホスピタリティの高さにはいつも驚かされる。そこには「もてなし」の精神があり、普段もてなされていないアメリカの方々の心に潤いを与えてくれ、それが人気の要因の一つであることは間違いない。勿論アメリカにも「もてなし」の精神を感じることもあるが、正直ムラがかなりあるし、無いところには干からびたように徹底的にないのだ。

翻って日本に目を向けると、「もてなし」が非日常ではなく、日常なのだ。勿論、旅館やホテルに泊まって、はずれくじをひくことだってあるけれども、それはまれであるし、カスタマーサービスや行政サービスというアメリカでは「もてなし砂漠状態」のエリアにすら、自然と「もてなし」の潤いが溢れているのは、日本の素晴らしいところだと思う。「もてなし」の気持ちはお金では表せない、という思い込みを捨てて、是非サービスの価値に見合った対価を胸をはって請求して欲しいし、消費者も気持ちよく支払って欲しい。

 

日本はグローバルで活躍できる人材の宝庫

手前味噌になるが、私はアメリカに来て8年くらい経つが、頂いているお給金は何度か昇進したこともあって8割ほど上がっている(余談ではあるが労働時間は3〜4割は減っている)。以下の日本人の感覚としては普通のことをやっているだけなのだが、そういうことを息を吸うように普通にできるということは、アメリカではものすごい強みなのだ。

  • 小さな仕事から大きな仕事まで、約束した期日はきちんと守って完了するし、完了が難しい場合は、その旨と事情を期日前に連絡をする。
  • 自分がミスを犯したら、そのミスを認めミスが発生した理由説明や再発防止策の提示を必要に応じてする
  • 自分個人の都合だけを言うのではなく、チームや組織全体のことを常に念頭においた上で発言をする。
  • 小学生レベルの算数であれば、息を吸うようにできる。

こちらで生活をしていると、日本人コミュニティのボランティアなどで日本企業の駐在員と一緒にファンドレイズの活動をさせて頂くことが多い。海外駐在の機会が与えられるということで、できる方が沢山きているのだろうが、体系的に物事をまとめる能力、ふわっとした議論をアクションまでちゃんと落とし込む力、既定路線に流されず新しい見方を提示する視点などを持ち合わせている素晴らしい方々とご一緒させて頂く機会に恵まれている。そんな方々が、日本時間にあわせたこちらの深夜まで電話会議にでたり、土日も通常のごとく仕事をしている姿を見てると「あなたなら、今の半分の労働時間で、もっと高い給料もらえるから、こっちの企業に勤めちゃいなよ」と言いたくなる。少し話がそれたが、日本には世界で十分に通用する人材が多いのだから、政府主導でそういう方々が、本当にやるべき仕事にフォーカスでき、能力に見合った給料がもらえるような雇用慣行と労働市場を整備してあげてほしい。

 

落とせる質は勇気をもって落としてしまおう

きりがないので、この辺りにしておくが、最後に質が良いのはよいことであるが、過剰品質を企業も消費者も求めすぎなので、その点は是正して、もっと労働生産性をあげたほうが良いと思う。以下参考までに、2点ほど渡米当初は気になったのだが、慣れてしまえばそれ程気にならないことをあげてみたい。

  • 置き配
    これは日本でもアマゾン主導で進んでいるが、アメリカでは置き配が標準だ。受領確認をしないので、配送ミスに気付きにくくなるというのがデメリットで、今年に入って誤配や未配は3回ほどあって、その度に面倒な思いはしているが、全体の効率が圧倒的にあがるので、消費者が許容すべきことだと思う。
  • 他人の返品物を再配達
    アメリカではオンラインショップが主流であり、気に入らなかったら気軽に返品できるのが良い。が、企業側は返品された商品について、意外と箱の上のテープを張り直すくらいの手間しかかけずに、他の注文者に発送をしている。正直、大きな金額のものほど、「誰かが一度は開けた感」があるものを送ってくる傾向にある。はじめは気になったが、一度使い初めてしまえば、その後は気にならないので、あまり余計な手間をかけないほうが良いと思うようになった。

 

プロテスタントの国アメリカで日本、そして世界の宗教を考える

「あなたのどの宗教を信仰していますか?」

というのは、アメリカに住み始めて8年近く経ち、未だに直接的に聞かれたことはないがが、いつも「聞かれたらどのように答えよう」と頭の中であれこれ答えを考えている問いだ。アメリカは、キリスト教のプロテスタントが主流の国で、車で街を走れば、至るところに立派な教会がある。フランスやイギリスでは、一桁台の教会への礼拝も未だに40−50%をアメリカでは維持しているという。自然科学の発展を牽引し、グローバル資本主義の中心地であるアメリカで、かくもキリスト教が活発というのは、正直渡米後の驚きの一つであった。そして、それが故に冒頭の質問に答える機会がいつくるともわからない緊張感の中で生活をしているわけである。

 

それらの環境が影響してか、宗教についての本を読んだり、勉強をする時間は日本にいる時よりも遥かに長くなった。今まで何冊も宗教関連の本を読み、「宗教」のカバーする範囲の広さに、手を焼きつつも、少しずつではあるが、知見も深まってきた。そんな手にとった宗教関連の本の中で本日紹介する『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』は、ダントツで同じような緊張感を抱いている方々におすすめしたい本だ。タイトルこそ、『宗教と日本人』と日本限定の宗教論のように見受けられるが、その射程範囲は日本に留まらない。前近代から現代までを俯瞰する縦の視点と、日本のみならずアメリカやヨーロッパ諸国にまでを対象に加える横の視点を備え、とても新書とは思えない充実ぶりだ。

 

色々な宗教論が世の中にはあるが、本書の一番の要点は宗教をわかりやすい形で以下の三点に因数分解している点にある。

  • 神様という人智を超えた存在を信じ、その教えに自己を委ねるという『信仰』
  • 教義に基づいて定められた行動規範に従って、某かのアクションをとる『実践』
  • 特定の宗教組織に参加することにより、他の信者と結束したり、神様の恩恵に与る『所属』

ヤハウェやキリストの存在を信じ、彼らの隣人愛などの教えを『信仰』し、教会に『所属』しつつ、幼児洗礼や日曜礼拝という『実践』を通して、最後の審判の後の救済を受けるという三要素をもれなくカバーしているキリスト教のような宗教を本書では『信仰中心の宗教』と呼ぶ。そして、そのフレームワークに基づいた対比で、日本の葬式仏教を『信仰なき実践』、地域コミュティの中心としての神社を『信仰なき所属』、最近のスピリチュアル文化を『所属意識が極めて希薄な、個人主体の信仰と実践』と仕分けるその明快さが、私にはとても気持ちよく腹落ちした。

 

そういう流れで疑問としてあがるのは、では『信仰、実践、所属』の3点セットが揃っていないと宗教ではないのかという点だ。筆者は、3つの要素を全て兼ね備える宗教もあるが、そうでないものもあるとしつつも、同じ宗教の中ですら、現代ではまだら模様になっていると指摘をする。具体的には、キリスト教信者の中にも

  • 日曜礼拝に行かず教会組織には属していないが、聖書に書かれているキリスト教の教義は信じるという『所属なき信仰』
  • 全知全能の神による救済を信じず、聖書の内容が歴史的な事実と異なると考えつつも、自己犠牲や隣人愛という定められる道徳・行動規範は受け入れるという『信仰なき実践』

など、バラエティが増し、そして年々そういった層の割合が増えていると指摘をする。伝統的なキリスト教の信者、信仰のあり方も、時代と共に変わっている点を具体例を交えてわかりやすく語ってくれる。元々、信仰中心の宗教が社会の土台としてなかった日本の状況を『信仰、実践、所属』という点で捉えつつ、宗教が社会の基盤であった欧米諸国の最近の動向を同じフレームワークで比較、対比する手腕はお見事という他ない。

 

『終章 信仰なき社会のゆくえ』では、世界で最も注目を浴びる歴史学者であるユヴァル・ハラリの宗教観を同様に『信仰、実践、所属』の3要素で解釈してみせる。この箇所が本書の一番の読みどころであるため、本エントリーでの紹介は避けるので、興味のある方は、是非手にとって内容を楽しんで頂きたい。

 

日本の宗教を理解することが、本書を読む当初の目的であったが、思いがけず俯瞰的な視座に触れることができ、現代アメリカの宗教の動向、そして今後の宗教と社会の関わり相方を考えるきっかけとなった。海外で仕事をし、折に触れて宗教が話題にでるという方には強くおすすめしたい一冊だ。

 

『SONY 平井改革の1500日』 GAFAM本じゃなく、これを読め

ソニーが1.1兆円という過去最高益を20年度の決算で叩き出したらしい。2010年から2014年までは、殆ど純利益赤字という状況からすると見事な復活劇と言って良いだろう。これは2012年にハワード・ストリンガー氏からCEOのバトンを受けた平井一夫氏の手腕の成果とみて間違いない。

 

平井氏と言えば今年7月に出版された『ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」』が話題になっており、手にとろうかと食指が動いた。が、アマゾンで検索をしたところ『SONY 平井改革の1500日』という日経産業新聞が出版している本も同様に目に飛び込んだ。こちらは、出版が2016年。2021年に最高益を達成したソニー本としては古く、パスしようかと思ったのだが、どうも本書が「読んでみろよ」と手招きしているようで気になった。少し調べてみると2016年というのは、平井氏CEO就任から4年が経ち、各事業部で営業黒字が出始めたタイミングという。変革をリードした本人が自ら語る物語も興味深いが、客観的な日経産業新聞の取材ベースのノンフィクションというのも気になり、本読みの勘で『SONY 平井改革の1500日』を読んでみることにした。そして、期待に違わない当たり本であった。

 

本書は、苦境にあえぐ日本の製造業に勤める方には強く薦めたい。何故ならば、日本企業再生のためのエッセンスが全て詰まっているからだ。

  • 生産施設、多角的な事業を抱える超大型の製造業
  • 世界を席巻したこともあったが、ローエンドは韓国・中国・台湾企業にボコされ、ハイエンドはアップルに背中が見えなくらいに引き離される苦境に直面
  • 痛みを伴う構造改革をやりきり、売上規模重視から価値と利益重視に見事に転換
  • 単なるモノづくりから、サービスやコンテンツのコト需要へのシフトに成功

おかれている状況、実施しなければならないことが似通った日本の製造業は多いはずだ。例にもれず、書かれていることは、目新しいことはそれほどない。

  • 再生と撤退、組織再編などの決定的な判断を誤らず
  • 痛みを伴う構造改革をやりきり
  • 成長への投資を短期の事業採算と中長期の仕込みのバランスをとりながら実施する

という基本に忠実な経営を愚直に遂行するソニーの挑戦が淡々と綴られている。こう書いてしまうと簡単に見えるが、企業が苦境に置かれている状況で、

  • 正しい課題設定をして、その課題解決に向けての正しい方向性を示す
  • 適正な効果が見込める構造改革の規模を見極める
  • ビジネスモデルを転換するための施策を定義し、効果的に投資をする

というのは、正に経営のプロの仕事であり、決して簡単なことではない。ソニー再生のエッセンスの詰まった本書は、悩める経営者の力に必ずなる。不調の日本の製造業が本当に参考にすべきはソニーのようなであるべきだと思う。

 

GAFAMも日本での認知度は高まってきているが、アメリカに住む私の肌感覚として日本からGAFAMのような企業が生まれることはないし、彼らのモデルを参考にし、同じステージにのぼることのできる日本企業は存在しない。というのも、GAFAMは、あらゆる人種や民族を受け入れ、その中で優秀な人間を人種や元の国籍に限らず、活躍する場を提供するアメリカだからこそ、生まれた企業であり、土壌が全く異なる日本では生まれ得ないし、その経営そのものも参考にはならない。平井氏就任前に7年間で累積一兆円の赤字をだしていたエレキ事業を、21年度に単年で1400億円の黒字にまでターンアラウンドさせたソニーの事例にこそ、日本の経営者は多くを学ぶことができるはずだ。流行りのGAFAM本を読んでいる場合ではない。

 

『SONY 平井改革の1500日』は如何にも日経らしい丹念な取材がベースになっている。リアルな経営改革の現場のルポである点は高く評価できるが、取材班の取材録に収まっている感が強く、平井改革のエッセンスが取材班の視点で抽出されているわけではない点は書評として申し添えたい。なので、本書から変革のエッセンスを読み取るためには自分なりの解釈が必要になり、その点は類書と比べると少し骨が折れる。が、逆に読み手に委ねられているところでもあり、ある意味楽しい読書体験となるだろう。2020年度の決算も睨みつつ、以下私なりの本書の読みどころを紹介させて頂く。

  • 再生する事業と売却する事業の見極め
    10年間で8000億円の累積赤字を出しているテレビ事業は再生させ、営業赤字ながらも単年の売上4000億円の事業規模を誇るPC事業を売却するという決断をどのようにしたのか
  • 競争が激しく、構造的に赤字の続くスマホ事業の再生
    大規模なリストラと事業領域の大胆な絞り込みをすることにより、営業赤字の続くスマホ事業の止血を如何に実施し、その上で2020年度単年黒字実現に向けて、どのような種まき・施策実施をしたのか
  • ゲーム事業赤字からの再生と成長エンジンへの転換
    一節によると累積赤字9000億円と言われるPS3の失敗をどのように止血し、そして事業の収益構造の変化させつつ、PS4/PS5とヒットを連発し、ソニーの成長エンジンを返り咲かせたのか

繰り返しになるが、本書にはソニー再生にあたっての処方箋の数々が凝縮されている。効果があったものもあれば、効果が薄かったものもある。また、2016年時点で実施した種まきが2020年決算でどのように結実しているのかという答え合わせもできるので一粒で二度美味しい。しつこいようだが、GAFAM本は別世界の話で、読み物としては面白いが、日本企業の経営の参考にはあまりならない。是非、課題を抱える日本企業にお勤めの方は本書を手にとって頂きたい。

 

10秒で仕上げる英文メールの書き出し 会議の要点・フォロー編

仕事で英文メールを書かないといけないという人は多いだろう。本題にさっと入りたいのだが、書き出しで苦戦をしている人は意外に多いのではないか。書き出しの言い回しをググっているうちに、10分〜15分時間を使ってしまったという経験は誰にでもあるだろう。だが、「英文メールの書き出し」というのは難しいことではない。シーンごとに鉄板の型があるため、その型さえ覚えてしまえば書き出しは10秒ですますことができる。

 

私は現在アメリカに住み、7年以上アメリカの現地企業で仕事をしている。最近は書き出しで時間をかけることはまずない。同僚のアメリカ人が送付したメールから使えそうな鉄板の言い回しを抜粋してストックしているからだ。この「10秒で仕上げる英文メールの書き出し」シリーズでは、私の使っている鉄板表現をシーンごとに紹介し、読者の英文メールを書く時間の大幅な削減をお手伝いしたい。

 

会議の要点をまとめ、フォローする

外資系企業に勤める方の中には、本社の人間と夜遅くによく電話会議をしているという人は多いだろう。「日中の激務にプラスして、週に何度か夜の電話会議があってつらい」、というのは私も日本法人で働いていた時はそうだったのでよく分かる。「折角、夜電話をして、向こうに宿題を作ったはずなのに、いつまでたっても進捗がない」、というのは外資系企業あるあるだ。特にアメリカ人は、「プッシュがないということは優先順位が低いに違いない」と考えるので、会議後に特に重要なポイントについて、要点をまとめてフォローをするというのはとても重要だ。今回は、そういったメールの書き出しとして、以下の3つを紹介したい。

  • Per my comments on the call (電話会議でコメントした通り)
  • As we discussed in the meeting(先日の会議で話し合った通り)
  • Here are a few points we discussed on today's call(本日の会議での検討事項を以下の通りまとめます)

それでは、以下例文付きでそれぞれの言い回しを解説していきたい。

 

Per my comments on the call (電話会議でコメントした通り)

<例文>
Per my comments on the call this morning, we are still working to get final sign-off of the CY21 incentive plan.
今朝の会議でコメントした通り、21年度のインセンティブプランの最終承認をえるべく、現在鋭意対応中です。

「今回の会議でこれだけは相手ときちんと合意形成したい」、という要点を会議前にまとめておくことは大事だ。そして、その内容を会議で確認した上で、さらにダメ押しでメールで確認するというのも同じくらい大切なことだ。残念ながらわれわれ日本人は手数ではネイティブに勝つことはできない。なので、渾身の一発を相手に打ち込むための準備を怠ってはならない。そんなメールの書き出しで、便利なのが"Per my comments on the call"だ。

英語での議論というのは、日本人にとってはまとめるのが日本語と比較して当然難しい。こちらが強調したつもりでも、他の発言の中に容易に埋もれがちだ。なので、「自分が言った通り」と自分が最も強調したかったことを、ズバッとまとめることはとても大事だ。この"Per"というのは、色々応用が効いて、非常に使い勝手が良い。以下、いくつか用例を紹介するのであわせて参考にして頂きたい。

  • Per our email exchange yesterday(昨日からのメールのやり取りの通り)
  • Per my conversation with Dave(デイブとの話し合いに基づいて)
  • Per my earlier message below(私の方から下記の通り送らせて頂いた通り)

 

As we discussed in the meeting(先日の会議で話し合った通り)

As we discussed in the working session this Wednesday, please ensure your details are captured in the attached file.
今週の水曜日の検討会で話し合った通り、添付ファイルに記載された内容について詳細を確認頂くようお願い致します。

 会議で話し合った内容を確認する上で、"As we discussed in"というのは鉄板の表現だ。メールの書き出しとしても自然だし、そのまま確認したい内容に直行できるのが特徴だ。会議の中での煮詰まり度合いが弱かった内容であっても、会議の後に確認とダメ押しを送ることはとても大事なので活用頂きたい。

この"As we discussed"の後に、会議や時間を状況を記載すると、ビジネス英語で色々応用が効く表現だ。以下に、いくつか派生系を紹介するので、参考にして頂きたい。

  • As we discussed on our team call today, (本日の部内会議で話した通り)
  • As we discussed in a previous email, (先般のメールでやり取りさせて頂いた通り)
  • As we discussed before, (前に話し合った通り)

 

Here are a few points we discussed on today's call(本日の会議での検討事項を以下の通りまとめます)

<例文>
Here are a few points we discussed on today's call. If you missed the call, you may want to listen to the reply for more words and context.
本日の会議での検討事項を以下の通りまとめます。もし、本日の会議に参加できなかった方は、会議のレコードを聞くようにしてください。より詳細な背景、並びに説明を確認することができます。

会議の要点を箇条書きするのは難しくないが、そこにいたる便利な導入の表現を知りたい、という方には、"Here are a few point we discussed"はおすすめの表現だ。相手に念押しをしたいことが複数ある場合は、使い勝手のよい表現だ。この書き出しから開始をして、こちらが強調したい内容を箇条書きして行けばよい。

この"a few points"は、文中に箇条書きを挟む場合でも使い勝手が良くて重宝する。いくつか他の例を以下に紹介するので活用頂きたい。

  • This is a tricky question. Let's start thinking with a basic analysis on a few points;
    これは一筋縄ではいかない問いだと思います。まずは、下記のような基本的な分析から考え初めてみましょう。
  • I think we are in a good place with the adjustments we made to our H1 quotas. There are a few points I wanted to get clarity on;
    上半期のゴールの調整については、順調な進捗をみせていると思います。さらに進めるうえで、下記のいくつかの点について確認をしたいと思います。
  • Really appreciate the hard work you and the rest of the team are putting into this very critical activity. A few points / thoughts below;
    この最重要案件について、チーム全体で多大な貢献を頂いたことにとても感謝しています。とりまとめてもらった内容について、いくつか私の考えを下記の通り共有させて頂きます。

 

まとめ

メールの背景や目的を説明する、英文メールの書き出しとして以下の3つの表現を紹介してきた。どれも、使い勝手の良い表現なので、是非参考にして頂いて、英文メールを書く時間の短縮に役立てて頂きたい。

  • Per my comments on the call (電話会議でコメントした通り)
  • As we discussed in the meeting(先日の会議で話し合った通り)
  • Here are a few points we discussed on today's call(本日の会議での検討事項を以下の通りまとめます)


なお、例文の殆どは私が実際にアメリカ人から受信したメールからの抜粋だ。私はIT企業のファイナンスやセールスオペレーションでの経験が長いので、同じ職種の方は、ほぼ丸パクリできるケースもあると思うので、お役に立てれば幸いである。

この度、自由に生きる海外移住”という新ブログを立ち上げました。より多くの日本人が海外で活躍できるように、アメリカでの仕事や生活についての情報発信をしています。興味のある方は是非御覧ください。新ブログでのリンクをこちらにも掲載させて頂きます。

www.liveyourlife-emigration.com

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