Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

Nich Carrの久しぶりの爆発と音楽産業

久しぶりにNick Carrネタを。
Nick Carrと言えば、日本のBlog界隈でもかなり知名度の高い辛口IT批評家。"The amorality of Web 2.0"というエントリーでWEB 2.0熱に対して理性的に冷水を浴びせ、かなりの非難・反論を受けながらも、同時にその論旨に対し多くの賛同もえて、知名度をかなりあげたお方。
Web 2.0万歳という方向に流れやすいBlogosphereにおいて、最新のテクノロジーのトレンドに対する理解と旺盛な批判精神で骨太なエントリーを"Rough Type”という自身のBlogにばしばしあげており、"Rough Type”は私がRSSリーダに登録している数少ない英語Blogのうちのひとつ。
最近はUtility Computingへのシフトという大人のトピックに議論が偏り気味で、少し物足りなかったのだが、久しぶりに"The saddest, stupidest sentence I've ever read(「今まで読んだ中で最もくらだらなく、馬鹿げている文章」、もしくは「こんなくだらなく、馬鹿げた文章読んだことがない」)”というおよそ良識のある大人がつけそうもないタイトルのエントリーを書いており、面白かった。


で、彼が何に対してそんなに怒っているのかというと、TechCrunchの”These Crazy Musicians Still Think They Should Get Paid For Recorded Music録音された音楽でいつまでも昔どおりの金が取れると思っているミュージシャンは頭がおかしいんじゃないのか?)”というこれまた刺激的なタイトルのエントリーの下記のくだり。

Recorded music is nothing but marketing material to drive awareness of an artist.
録音された音楽は、アーチストの認知を高めるためのマーケティング素材でしかない。

CD、DVD、音楽サイトを通して入手可能な録音された音楽なんてものからお金をたっぷりとろうなんていうのは、一時代の前の話であり、今やアーティストは録音された音楽はプロモーション活動の一環として無料に近い形で配信し、ライブなどのExperienceを提供することでお金をとる方向、即ち「音楽のサービス回帰」に時代は流れているんだ、ということを言わんとし、その思いが勢い余って”These Crazy Musicians Still Think They Should Get Paid For Recorded Music(録音された音楽でいつまでも昔どおりの金が取れると思っているミュージシャンは頭がおかしいんじゃないのか?)”という挑戦的なタイトルで噴出してしまったと推察できる。

デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

実際に演奏会に行かなくても蓄音機で音楽を聞けるようになるというのは一大事件だった。蓄音機は音楽の概念を動的なその場限りのエンターテインメント体験から固定化された製品に永遠に変えてしまった。・・・<中略>突き詰めると音楽は演奏やサービスから製品に移行したのである。
『デジタル音楽の行方』 〜第1章 P.21〜

『デジタル音楽の行方』で指摘されているように一度はサービスから製品に移行した音楽が、一巡し再びサービスに回帰していくという流れは理解できる。
また、テクノロジーの力によりアーティストと顧客の距離が短くなり、中抜きされた安価な値段で録音された音楽を楽しめるようになる、という流れも理解できる。だが、録音された音楽は純粋なマーケティング素材にすぎないという位置付けが全ての音楽産業の人間が受け入れるべきこととは、私は思えない。ライブでのExperienceと同等に作品としてそれを元にアーティストが報酬をえることに疑問は覚えない。


多分、Nick Carrもおよそ私と同程度の意見を持っていると推察されるのだが、彼の場合は辛口論客だからもっと激しい。

“Recorded music is nothing but marketing material to drive awareness of an artist.”
I had to read that a few times to convince myself that he was serious. Here it is again:
“Recorded music is nothing but marketing material to drive awareness of an artist.”
As a printed poem, one assumes, is nothing but marketing material to drive awareness of a poet. As a sculpture is nothing but marketing material to drive awareness of a sculptor. As a film is nothing but marketing material to drive awareness of a director.
「録音された音楽は、アーチストの認知を高めるためのマーケティング素材でしかない。」だって?
私は彼がまともなのか理解するために何度も読まなくちゃならなかった。もう一度みてみよう。
「録音された音楽は、アーチストの認知を高めるためのマーケティング素材でしかない。」
はぁ?じゃぁ、印刷された詩というは詩人の認知を高めるためのマーケティング素材でしかないのか?彫刻というのは彫刻家の認知を高めるためのマーケティング素材でしかないのか?映画というのは、映画監督の認知を高めるためのマーケティング素材でしかないのか?

で、タイトルが「今まで読んだ中で最もくらだらなく、馬鹿げている文章」である。辛口批評家の健在ぶりを確認することができ、個人的にはかなり面白かった。


なお、殆ど雑談になってしまうが、私が今まで見たエントリー名の中で「国産」で最も破壊力があるのは池田さんの"バカで無責任な北畑隆生次官"である。もちろん、北畑自身がデイトレーダーを公然と「バカで無責任」よばわりしたという背景があるのだが、ここまで破壊力のあるエントリー名は私はみたことがない。ご本人は一緒にするなと思われるかもしれないが、氏には日本のNick Carrという称号もありだと思う。

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