ktdiskのブログ

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これからのEngineerに求められる素養

"Re-engineering Engineering"というNYTの記事を読んだ。伝統的なEngineeringの教育を否定し、新しいあるべきEngineeringの教育を確立するために奮闘しているOlin Collegeの特集記事。そこで語られる教育方針というのは、ある意味ではこれからのEngineerに求められる素養と言うこともできる。私の解釈もかなり交えながら、記事中で語られていた素養をリストアップすると下記の通り。

  • 専門性の高い理論・知識を単に詰め込むのではなく、創造性・チームワーク・起業家精神を育むような教育を十分に受けている
  • 社会に実際に存在する何某かの問題を解決するための、実践的かつプロジェクト推進型の研究開発を経験している
  • 何かが実現不可能であることを専門的に説明する能力ではなく、社会をよりよくするよう何事かを成す実行能力・自分はそれができるという勇気・自信を有する
  • チームワーク、実践的学習経験、問題把握能力、問題をするために幅広い原理を総動員する能力を有する
  • 計測器にかじりついてごりごり計算に励むとっつきにくい研究者ではなく、もっと親しみやすい一市民になる


私も仕事の中で、Engineerの方を接する機会が多いが、年配の方で、なおかつ専門性が高いほど記事中で指摘されていた素養を備えていない人が多く、周囲の評価も「まぁ、あの人は生粋のEngineerだから」と、そういう欠点を免除される傾向が強い。別の言い方をすれば、高い専門性を持っていれば持っているほど、その専門性が社会性の無さに対する免罪符となる風潮があるように思う。


確かに何某かの専門性を持っていることは非常に重要であるし、特定のエンジニアが持っているずば抜けた専門性をビジネスにつなげることは文系の仕事であるという役割分担にも一理はある。ただ、テクノロジーがこんなに身の回りの生活に溢れている時代に、この役割分担が本当にフェアなものなんだろうかと考えるに少々疑問を覚える。
従来とは比較にならないくらいEngineerの生産性・やる気などが話題になる昨今。高い専門性を備えているだけでなく、その専門性を活用しながら社会貢献しようという情熱に溢れ、そのための訓練も受けているEngineerを輩出するための教育のプラットフォームを作ることは日本という国の競争力を維持するためには実は一番大事なことなんじゃないか、NYTの記事を読みながらそんなことを考えた。

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