私は子供の通う北米の日本語補習学校の運営に長く携わっている。その補習校は、日常的な学校運営は運営委員会が担い、経営面での判断・意思決定を理事会が責任をもつという、北米補習校としては一般的な形態をとっている。補習校の運営委員会、理事会というのは日本に住んでいる方にイメージしやすく言うとPTAのようなものだ。補習校は学校の運営主体は保護者となり、校舎の借用から教員の採用まで、保護者の自治として運営されるという点でPTAと大きな違いはある。が、自身の補習校の運営経験と照らし合わせながら、今回読んだ岡田憲治氏の『政治学者、PTA会長になる』は実感と共感と共に楽しんで読むことができた。
多くの人たちが「さほどそれでいいと思っているわけでもない」のに、誰が作ったのかもよくわからない決め事に縛られてとても苦しそうだし、そこから生まれるネガティヴな気持ちを起点に苦行のようにPTAをやっている人も多い。
『政治学者、PTA会長になる』
本書では、「何のためにやっているのかよくわからないし、わかったとしても効果測定がなされていない作業の束」と「自分の責任でそれを変えることの恐怖におののく女性保護者の集団」と奮闘する筆者の姿がリアリティをもって描かれている。そこにあるのは、「前の人がやった通りにしておけば自分が責められることはない」という保守的な考え方と「続ける1つの理由と止める9つの理由を前にしても、止める提案に踏み出せない」奥ゆかしさである。民間企業であれば、何某かの自浄が作用が働いて、それなりの改革が進むのだが、長い間沈殿した過去の遺物に身動きがとれなくなっているPTAの現状が、本書ではよく描きだされている。
勿論この状況は、今までPTAの運営主体であった専業主婦を中心とした女性保護者のみの問題ではなく、仕事ばかりにうつつを抜かして子供の教育環境の向上や地域コミュニティへの貢献をないがしろにしてきた男性保護者が共に作りあげてきたものだ。私の同性の同年代の人でも、近年PTA会長を務める人が増えている。とっかかりは「式典での挨拶だけはやりたくないので、そこだけでもやってほしい」という魂の叫びを受け取っての登壇となる場合が多いようだが、それだけで済むはずもなく、少しづつ時代に即した改革が随所で進んでいるようで好ましい。そういう時代に即したPTA改革の一翼を担っている方々は、コミカルかつ巧みな筆致で現状を活写する本書は、最高の読み物となることは間違いない。 自分の正論を振りかざすだけでなく、ここに至った先人たちの努力の結果への敬意を払い始めてから、事態が好転していくという展開は、きっと多くの同じ状況におかれている方に役立つはずだ。
幸い北米の補習校というのは、中心となる運営委員が、多種多様なバックグラウンドをもった保護者の中から、完全くじ引き制度で無作為に選出される制度によってか、ダイバーシティが確保されているため、日本のPTAまでは硬直しておらず、2−3歩先を進んでいるように思う。その年度によるのだが、下記のような多士済々が濃淡はありながらも入り乱れたチーム構成となるため、毎年何らかのテーマで何かしら自然と前進することが構造的に担保されているように思う。
- 問題を予見しすぎるよりも、「変えてみて問題が起きたら考えようよ」というアメリカ型お気楽主義者
- アメリカ型ワークライフバランスが身につき、フルタイムワーカーながらも運営委員業務にもがっつり時間をさく民間企業経験者
- フルタイムワークで培った専門性を活かしつつ、女性保護者ネットワークも取り込みながら改革を進めるスーパーウーマン
- アメリカナイズされすぎておらず、日本的調整力とバランス感覚に長けた日本企業駐在員
- 語り口はソフトながらも、数値や事実を下にした意思決定に一切の妥協のない大学研究員
政治学者らしいアカデミックな切り口でPTA組織やボランティアの活動について多様な考察がなされており、私にはそれらも大変学びが多く、有意義であった。海外の日本人学校や補習学校で、運営や理事にあたられている方にも本書は強く勧めたい。私の活動をする補習学校もまだ改革の半ばであるが、いつかこんな風に自分の補習校での経験を書籍にまとめることができたら面白いと思わせる一冊であった。