Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『会社は頭から腐る』 再生の修羅場から紡ぎだされた冨山和彦の経営観

『会社は頭から腐る』からを読んだ。著書は4年間で41件の企業再生を手がけ、総額で300億円近い利益をあげた産業再生機構のCOO冨山和彦さん。COOとしてその執行に全責任を負ったその冨山さんの経営観が、「変革もどき」、「机上のおままごと」、「少年少女アナリスト」、「ガチンコ」などの独特の言い回しを交えながら、これでもか、これでもかとばかりに書かれており、非常に読み応えがある1冊。「再生の修羅場で見た日本企業の課題」という副題通り、自らが経営する会社の再生も含め、修羅場の中から紡ぎだされた経営観が提示され、いくつかの経営戦略本からつまみ食いをしながら書かれた経営の本とは明確に一線を画する


経営について様々な視点で冨山論が展開されており、企業再生の現場からの迫力のある「生の声」であるが故に、色々と勉強になることが多かったが、私が最も頷き、強く共感したのが下記のくだり。

どんなに素晴らしい、商品アイデア事業モデルを思いついても、人間が集団として整合的に機能し、さらにそれを顧客という人間の集合体が価値あるものとして評価し続けなくては、この営為は継続することはできない。しかしこの当たり前のことを私たちは時として忘れる。もっと正確にいえば、人という情緒的で、それぞれに異なる背景、個性、動機づけを持った存在が、共通の目的に向かって協働することの難しさを忘れてしまう。
『会社は頭から腐る』 〜第1章 P.2、3〜

この事実から目をそむける経営者は非常に多い。立案された戦略がどんなに素晴らしくても、それが実現されずに(もしくは形だけで、実現されたかのように装われては)、全く意味が無い。なので「だから戦略が立案されたら全社で共有し、迅速に実行に移さなければならない」とは皆言うのだが、言うのは簡単でも、こんなに難しいことはない。これに比べれば有効な戦略を立案することなどどれ程簡単なことだろうか。そんな統計はきっと無いだろうが、世の中で立案された戦略のうち、本当に組織に浸透し、組織に所属する人が一丸となってその方向に向かい、有効活用されたなんて事例は間違いなく1割もないだろう。それ程、「異なる背景、個性、動機づけを持った存在が、共通の目的に向かって協働すること」は難しいのだ。



では、その難しさを腹の底から認識しており、企業再生を手がけながらも自ら経営者である冨山さんはそれをどのように克服しているのか。

そこでなすべきことは、結局、構成員各自のインセンティヴ構造と性格を理解し、相互の個性をうまく噛み合わせ、そこに的確な役割と動機づけを与え、かつそのことを丁寧に根気よくコミュニケーションすることである。それを各階層で持続的、双方向的に、そして環境変化に対応しながら柔軟にやり続けることである。ある意味、当たり前だが、こうやって手間のかかる経営努力を骨惜しみせずにやること以外、私には解が見つからない
『会社は頭から腐る』 〜第1章 P.30〜

この丁寧に根気良くというのができない人が多い。丁寧に根気良くコミュニケーションをとることは自分の仕事ではなく、誰か下の人の仕事だと思っている経営者までもいるくらいだ。一度自社の戦略を自分の言葉で社員に伝えたところで、それで組織に浸透するわけではない。人は安きに流れるし、自分に都合が良いようにしか物事を解釈しない。まして、経営者自らが知恵を絞った程にはその戦略について頭を絞らないわけであるから、なおさら、何度も、直接、手を変え品を変え、コミュニケーションをとらなければ、腹にはおちない


私は今まで『社長の椅子が泣いている』『インテル戦略転換』『われ広告の鬼とならん―電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯』『巨象も踊る』のような一般的なMBA本より、ずっと迫力があり、勉強になる経営者の本を読んできたが、驚かされるのは書店に並ぶMBA本が一様であるのに対して、これらの本からの学びは千差万別である点だ。その理由はそれだけ経営というのは類型化するのが著しく難しく、深遠であるということだろう。冨山さんが本の最後は「今はまだ経営を語らず」と締めくくっているが、その難しさに対する理解故に、本書の含蓄はMBA本よりずっと深いのだろう。今後もこういう良書を読む機会に恵まれたいと心の底から思う。

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