Thoughts and Notes from CA

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『目的への抵抗』 遊び、適当、過剰を追求する勇気

人間が自由であるための重要な要素の一つは、人間が目的に縛られないことであり、目的に抗するところにこそ人間の自由がある。

『目的への抵抗』 ~P.3~

「目的志向」という考えが全盛のこの世の中において、「人間が自由であるためには目的に縛られないことが大事」という、一見すると真逆の考え方から始まる國分功一郎先生の『目的への抵抗』を本日は紹介したい。

 

本書の魅力は、「目的への抵抗」というテーマについて、「コロナ禍の不要不急の外出規制」という直近の題材を扱っている点と、それに対する哲学者の視点がわかりやすく紹介されている点がある。哲学というのは私にはあまり縁のない分野であったが、國分先生の本は非常にわかりやすく、いつも勉強させてもらっている。小難しい哲学書の引用をわかりやすい日本語で解説してくれるだけでなく、日常生活にぐっと近づけて説明してくれるのでとても親しみがもてる

 

少し本の内容にはいる。「目的への抵抗」というテーマと「コロナ禍の不要不急の外出制限」がどのように結びつくのか。以下、簡単に論旨を箇条書きにしたい。

  • コロナ蔓延を防ぐために多くの国で「不要不急の外出制限」が政府によって求められ、多くの方がそれに従い外出制限をした。
  • 「国民の命を守るため」という目的によって、法の制限を超えて政府が国民に外出制限を求めるという手段が正当化されたが、「政府がその権利を超えて国民の生活制限をする」という事実そのものに意を唱える人は少なかった。
  • 目的というものは、こうも簡単に手段を正当化し、人間の自由を奪い去る脅威となりうる。「安全で健康で幸せな社会生活」という目的を実現するために、それに即した活動や行動を求められることは「ある程度」は受け入れなければならない。
  • 一方で、人生を楽しむためには、気のおけない友人と呑んで語らったり、趣味に打ち込んだりする、目的に縛られず、必要の枠を超えた活動や行動も同様に大事である。この「目的志向」全盛の世の中においては、手段は目的のために簡単に正当化されてしまうが、時としてそれに抵抗することが自由のためには重要である。
  • 「必要を超えた移動制限」を多くの方が違和感なく受け止めたが、この特定の目的のための強烈な不自由をかくも大勢の人が容易に受け入れてしまったことには注意が必要だ。目的というものは、する側もされる側も気づかないような形でのマイルドな支配を、全体主義とは異なる形で招き入れる可能性もある。
  • 目的や必要を超えたところに人生の楽しさがあり、目的のために手段を正当化するという論理に時として抵抗することをもって、人間は自分の自由をも守ることができる

 

多くの方が違和感なく受け入れた「コロナ禍の不要不急の外出制限」を、目的・手段・それらからの自由という切り口で整理してみせたのが面白かった。コロナ禍の真っ只中、私は自由の国アメリカにいた。マスクをつけない、ワクチンを接種しない層というのは日本よりアメリカの方が圧倒的に多かった。マスクの着用を求める学校に反対派の保護者と生徒がマスク無着用で押しかけ、すったもんだするなんていうニュースがタイムラインでよく踊った。「コロナ禍の不要不急の外出制限」を違和感を持って受け入れなかった人たちを、当時の私は煩わしく思っていただが、そういう層が一定数いるというのも、それはそれで健全なのかもしれない。また、自分自身の自由ために「目的に抵抗」する際は、それなりの心構えと覚悟も必要であることを認識できた。

 

私たちは、民主主義と資本主義という大きな物語の中で暮らし、その目的に即した活動を日々求められ、その恩恵も享受しつつ、同時に不自由も簡単に受け入れている。「目的への抵抗」というテーマは、その仕組の中であっても自分らしい人生を送る上での、大事な知恵だと思う。「目的志向」全盛の世の中だからこそ、必要の枠を超えた遊び、適当、そして過剰を勇気をもって追求することは、楽しい人生を送る上ではかかせない。力不足で本書の論旨や魅力をどこまで伝えることができたか、疑問が残るが、興味を持たれた方は是非本書を手に取って頂きたい。

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