一列に整列し、出発するリムジンバスに深々とお辞儀をする係りの人たち。今年の夏の一時帰国を終え、成田空港へ向かうリムジンバスから見た、新宿のバスターミナルでのワンシーンだ。これはアメリカでは絶対に見ることのできない風景。お辞儀は文化的なものだからおいておくとしても、出発したリムジンバスに手を振るという行為もアメリカの職員はまずしないだろうし、まして一列に並んで全員があわせてするということは考えられない。
礼儀正しいと言えば礼儀正しいのだが、私はこのシーンを見ると、いつも少しだけ胸が苦しくなる。リムジンバス会社の上の人の判断で、「お客様に礼をつくすためにやろう」と決まったことなのか、「バスが出発したら挨拶もしないのか」という変な客のクレームから決められたことなのか、私にはわからない。9割の人が期待どころか注意も払わないことを、確立されてしまった社会通念と会社の方針に基づいて、毎回しなければ職員の方の気持ちを思うと、少しだけ息苦しさを覚えるのだ。
本日は『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を紹介したい。
昨年の年末に家族で「2022年に読んだ本の中で、一番面白かったものを紹介する」という企画をやったのだが、妻があげていたのが本書だ。妻とは読書の嗜好は少し異るものの、本読みの彼女が一番というのだから、これは読まねばと手にとってみたが、確かに良書であった。
筆者の熊代亨氏は、私と同い年の精神科医であり、ブログ『シロクマの星屑』で現代人の社会適応については骨太の発信を長らくされている。丁度私と同じくらいのタイミングではてなでブログを開設されたので、勿論ブログは存じ上げていたが、本書の筆者と同一人物というのは読後に知って驚いた。
精神科医としての経験、知見を活かし、ADHDなどの発達障害が近年病気として認識されるに至った社会的な経緯をつぶさにみながら、日本に限らず現代社会の「生きずらさ」がどこからきているのかを、すっきり、わかりやすくまとめあげているの流石。また、自身の精神科医としてのバックグラウンドに限らず、資本主義や社会契約という現代社会を形作るイデオロギーにも議論を範囲を広げているので、読み応えがありつつも、より本質的な理解へと導いてくれる。
確かに私たちは旧来の不自由から自由にはなった。しかし現代社会の通念と、その通念にそむいた時の劣等感や罪悪感からは自由とは言えない。そうした義務や道徳の不履行に不安を覚える人々は、人間市場で勝ち上がるべく、フェイスブックやインスタグラムに好もしい投稿を心がけてやまない。
『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』
現代社会、特に日本社会は健康的で、清潔で、道徳的で秩序があるため、非常に快適になった反面、その快適さとえた自由と引き換えに、われわれは新な不自由さを受け入れなければならなくなったのではないか、それが本書のキーメッセージだ。そして、その不自由さというものが現代社会の構造上、IQ70ー84の境界知能の方や、特に女性を中心とした子育て世帯や、それらの社会通念に自然と適応できない人に、偏ってしまっていると筆者はみてとる。
毎年一時帰国で帰る日本の東京というのは確かに本書のタイトル通りだ。
- 無数の無糖のペットボトル飲料が自販機にあふれ、年に一度の帰国のたびに、新しい健康食品がコンビニの棚に並び、
- 街に驚くほどごみ箱がないにもかかわらず*1、街は驚愕するほどきれいであり、
- 法的拘束力がなかろうが、コロナ禍で外出制限が粛々と実行されるし、
- 通勤ラッシュ時の山手線など、乗車率が150%を越えているにも関わらず、一糸乱れぬ美しさで昇降がなされ、2分おきに遅れず運行されており、
まさに、健康的で、清潔で、道徳的で、秩序のある社会である。ただ、その社会規範の徹底されぶりゆえに、社会規範なんて全く身についていない赤ん坊とその赤ん坊を公共の場につれていかなければならない親には、不自由さが伴ってしまうのも事実だ。冒頭のリムジンバスの例でも感じることなのだが、みんながもう少し規範を緩め、規範から外れた人へもう少しだけ寛容になれるように、微調整が行われれば、もっとみんなが幸せで、住みやすい社会になると思う。
あえて「微調整」という言葉を使ったのは、日本より不健康で、不衛生で、道徳観念が希薄で、混沌としているアメリカが必ずしもいいとは思わないからだ。確かに、移民が多く、多民族であるため、統一された強力な社会規範がないため、多少規範から外れても受け入れられるという寛容さは日本よりはるかにある(そして、それは私がアメリカが住みやすいと感じる大きな理由の一つだ)。ただ、周りの寛容を享受するために、周りの人や社会に、自分自身が寛容であらなければならない。この1ヵ月で私におきた「不自由さ」、「ま、しょうがねーな」と受け入れたことをあげてみよう。
- 会社の部署で立食形式での集まりがあったのだが、春巻、揚げ餃子、フライドチキン、など食事の9割が揚げ物で、大変不健康(が、低コストで、多様なバックグラウンドの方に考慮した最大公約数をとると、どうしてもこうなってしまう)
- レストランやスーパーのトイレを使ったが、7割くらいの確率で流れていないので、自分の用を足す前に、まず前の利用者の排泄物を流すことからはじめなければならず、不衛生で非道徳的
- Amazonで購入した姿鏡が到着したのだが、明らかに箱を誰かが開封した後があり、箱のよれぐあいとテープ止めの跡から、2ー3回は開封されたことがみてとれ(おそらく、他の顧客から返品されたものをそのまま転送)、商品と配送管理が無秩序
- 友人に送るために手配したホリデーギフトが、12月25日の配送に間に合わないという一方的かつ宗教的な理由で、こちらへの確認なく勝手にキャンセルされてしまい、顧客対応が無秩序
- 上記について、カスタマーサービスに問い合わせたところ、担当者につながるまで60分待たされたうえ、「折り返し確認して、電話します」と言われたのに、折り返しがなく、顧客との約束簡単に反故にして非道徳的(ちなみに、アメリカでは「折り返しします」と言われても、30回に1回くらいしか折り返しはない)
- 妻が医師の診断に基づいて追加の検査を受けたのだが、保険会社からこれは必要の無い検査だから保険はおりないという一方的な通告が到着
あげはじめたら気持ちが高ぶってきた、つい沢山書いてしまった。繰り返すが、これはここ1ヶ月ほどで起きたことであり、別に特別なことではない。
どんな社会にも一定の自由があり、また一定の不自由さがある。ただ、その中で楽しく過ごすためには、
- 目の前の不自由さの対価として、自分がどんな自由をえているのかを理解すること
- 一定の寛容さをもって、相手や状況を許すこと
- よりよい社会にしていくために、確立された社会規範に挑戦することも恐れないこと
そういうことが大事なんだと思う。本書『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』は、現代日本社会を痛烈に批判したり、欧米のよりよい慣習を賛美するものではない。次世代のために社会をたゆまず良くしていくためには、問題意識をもって議論を重ねることが大事で、そのための現状把握のための視点を提供することに主眼がおかれている。今の社会に少し、もしくは大いに「生きずらさ」を感じている全ての人におすすめした良書であり、2023年の読書体験の絶好のスタートとなる読書体験であった。
*1:東京と同様にきれいな都市はあると思うが、これだけごみ箱が少ないのにこれだけのきれいさを保っているのはにほんだけだと思う