Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『暇と退屈の倫理学』 高度消費社会を生きる知恵

シックな木目調の机と椅子、少し和風で温かみのある光が溢れる照明、客席の中央に配置され、火がゆらゆらと揺れる暖炉、カロリーが表示され脂っこいアメリカンフードとは全く異なる健康的な食事、プラムジンジャーハイビスカスティーとカタカナで書くとなんのこっちゃみたいに見える無糖のオリジナルな飲み物。アメリカで流行っているパネラ・ブレッドという店で倅と昼食をとった後に書評を書いているのだが、店内は家族連れやヨガクラスなどを終えた如何にも健康大事にしてますみたいな人たちで溢れている。

 

チーズとマヨネーズとフレンチフライがど~ん!みたいな伝統的なファーストフードやレストランも未だ多いが、より適正な量の健康的な食事を提供しようというチェーン店はアメリカではどんどん増えている。そういう店には決まって「健康に気をつけてます」感が艶々な顔から溢れてヨガマットを抱えている人が多い。確かに健康的ではあるんだが、何故か内在する不健康さが透けて見えて以前から違和感を覚えていたのだが、本書『暇と退屈の倫理学』を読んで、私がぼんやり感じていた違和感がより立体的になった。

 

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

高度消費社会ー彼の言う「ゆたかな社会」ーにおいては、供給が需要に先行している。いやそれどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせようとしている、と

 

 

そう、カロリーが抑えられた健康的な店でヨガマットを抱えている人は、アメリカのヘルスケア産業という供給側にコントロールされたサイボーグ感が私には漂うのだ。「ヨガで自分の体に向き合い、脂っこいジャンクフードは口にせず、オーガニックな食事をとり、スリムな体を保つ」というライフスタイルがセット販売されており、それをそのまま買った人たちなのだ。本書は哲学書なのでそういうことについての良し悪しの判断をしたり、批判することに重きはおいていない。そういう社会において、幸せになるためにはいかにあるべきかについて、暇と退屈という視点で切り込んでいるところが本書の面白いところだ。

 

かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。

 

かつては労働力が搾取されていたが、今は資本家によって暇が搾取されているという視点は私には大変新鮮であった。確かに、日曜日の自由な時間がヨガのプログラムとヘルシー志向レストランによって埋められているというのは間違っていない。そして、人がなぜ搾取をされてしまうのかについて、筆者は人間は退屈を嫌う生き物であるからという原則をたて、そこを出発点に暇と退屈の本質について360ページ超語っていく。

最大限の平易な言葉で語られているが、箇所によっては難解すぎて理解が追いつかないところも多々あった。本性は哲学書であるため、さっと読んでぱっとわかるという類なものではなく、テーマをもって深読みを重ねていくとじわじわと得るものが広がっていくというタイプの本だと感じた。幸せに生きるために、暇の中でいかに生き、退屈とどう向き合うべきか、についての直接的な答えは与えてくれないが、日々の生活を形作るための思考のきっかけを多く提供してくれるので、興味を持った方は手にとって頂きたい。

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