Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『世間ってなんだ』 「社会」で幸せに生きる方

私はアメリカに住んでかれこれ10年近くになる。今までこちらで色々な日本人とお付き合いしてきたが、馴染んでいる人もいれば、あまり馴染まずに苦労している方もいる。勿論、言語の壁というは低くはないが、「こちらの生活は無理!」と思う方は言語プラスアルファで文化的に乗り越えることのできない壁にぶつかる場合がほとんどだ。私の経験上、2つのことを諦めることができれば、こちらでの生活は楽しいものになるし、それができない人は英語がどんなに堪能でもこちらで暮らすことはできないだろう。その諦める(考え方を改めるべきとも言うことができる)2つのこととは

  • 言わずとも自分の気持ちや要望を察して欲しいという想い
  • お客「様」として自分のことを大切に扱って欲しいという期待

である。稀に「まぐれ!」という形で自分の気持を汲んでもらったり、大切な顧客として扱われることもあるが、そういうシーンは「今日はラッキーな日だったなぁ」と思うくらいの頻度でしか訪れない。上記の考え方を改め、

  • 自分の要望を丁寧に相手に伝える
  • サービスの提供者と受益者という対応な立場で敬意をもって相手と接する

という2つのことができれば、逆に息苦しさを感じることのない快適な生活が待っている。

 

そんな違いについて考えていたら、この夏に日本に一時帰国した際に、ユニクロの新宿西口店であった出来事について思い出した。私は3階のメンズフロアの会計の列にいた。そのフロアはセルフレジとなっており、購入する服をレジのボックスにいれると、一気にスキャンされて支払いまで一気に進めるという、アメリカの感覚でいうと近未来的なレジシステムを整備した店舗だ。私の前は50代後半くらいのおじさんだったのだが、おぼつかない足取りでセルフレジまで進み、立ち往生している。

「あぁ、使い方がわからないのかな?」

と思ってみていると、おじさんはそれまでの不安げな雰囲気を吹き飛ばすように激昂して、

「なんだ!これは!?どうやるんだ!?」

と待機している店員を怒鳴りつけて、呼びつけるではないか。

かけよった若い女性店員が

「こちらにお品物を入れてください」

と丁寧に対応し、

「購入のお品物はこちらでよろしかったでしょうか」

などパネルに表示された内容の確認を求めたり、タッチパネルの操作方法をやさしくガイドするも、おじさんは

「なんだ、どうするんだ!」

ととにかく画面が遷移するごとに、怒りを爆発させている。

そして、店員の女性が

「有料となりますが、ショッピングバッグはご入用でしょうか?」

と聞くと、おじさんは

「なんだ、袋に金とるのか、いらないよ!」

とその日の最頂点の怒りをしめし、会計を済ませると商品をつかみとって、肩を怒らせながら下りエレベーターへと進んでいった。その店員が少し悲しそうな顔をしながら、「次のお客様こちらにどうぞ」と案内するので、「大変ですね、お疲れさまです」と声をかけるくらいしか私はできなかった(ので、この文章を書いている)。

おじさんはきっと

  • 自分がわからなそうなのを察し、自分が恥を感じないような対応をしてかったし、
  • お客「様」なのだから、セルフレジではなく、店員に会計をして欲しかったし、
  • 店員が丁寧におじぎをし、自分を神様扱いするというサービスも無料で受けたかった

のだと思う。

 

先程のアメリカであきらめるべきことにあてはめてみれば、

  • 自分は機械が苦手なので、会計を手伝って欲しいという要望、もしくは対人のレジで会計をしたいという要望を伝え、
  • 自分へのサポートを丁寧にしてくれる店員に敬意をもって接する

ということをすれば、おじさんも店員も気持ちよかったと思う。

 

別にアメリカのやり方のほうが正しいなんて言うつもりはない。ただ、日本は経済が先細っており、諸外国と比較し購買力が下がっているのは、全員が認識しなければならない事実だ。そうするとサービスに対価を払うか、モノの値段を維持する代わりに微に入り細に入りのサービスをあきらめざるをえなくなる。今でも百貨店で買い物をすれば、造形美とも言うべき洗練されたおじぎをしてもらえるし、買い物袋に10円払ってもらうなんてみみっちいことは言わずに、そのサービスと袋代すべてを製品の販売価格に無言で含めてくれる。そういうゆとりがある人は、引き続きそういうサービスを享受する生活をすればよいけど、良いものを少しでも安く買いたいという人は、考え方をあらためたほうが日本で幸せ暮らすことができると思う。

 

今週、鴻上尚史さんの『世間ってなんだ』という本を読んだ。

鴻上さんは、「世間」と「社会」を下記のようにすっきり定義している。

  • 世間:自分の関係のある人たちで構成され、気持ち・情・思いやりが行動規範
  • 社会:自分とは関係ない人たちで構成され、法律と規則が行動規範

そして、彼は日本人は「世間」での振る舞い方には長けているが、「社会」とどのように向き合えばよいのかわからず、「社会」に「世間」の行動規範を求めるので、自粛警察やモンスタークレーマーのような人が横行してしまう、と嘆く。

お得意様でもないのに、「世間」レベルの気持ちや思いやりを無料のサービスとしてどこでも受けることができるというのは、それ自体が特別な状態であることに全員が気づく必要がある。今までは、経済が先細る中でも、わずかな資源をそういった無料のサービスに全振りしてきたのだろうが、それも限界に達している。割高なお金を払って無料のように見えるサービスを百貨店などで享受するか、「社会」との付き合い方を身につけるか、の2択を今後は日本の消費者は求められるだろう。

 

日本人は、「世間」の人相手に「腹芸」とか「根回し」とかの訓練をたくさん受けるのですが、「社会」に生きる人に対して、穏やかに「自分の要望を語る」ということに、慣れていないのです。

『世間ってなんだ』

本書には、上記のようなわかりやすい言葉で、「世間」と「社会」の区別をつけて、「社会」で幸せに暮らすための金言が溢れている。より暮らしやすく、幸せな「社会」を作っていくために、多くの日本に住む方に読んで頂きたい。

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