Thoughts and Notes from CA

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

アメリカ生活の英語小噺 〜子育て編〜

2013年11月に日本からアメリカに移住し、先日めでたく5周年を迎えることができた。当時、5歳と8歳だった子供たちは当たり前ではあるが10歳と13歳になり、未だに四苦八苦する場面はあるものの、アメリカでサバイブしているのは手前味噌ではあるが立派だと思う。彼らは彼らで立派に育っているわけだが、親は親でそれなりに、いや相当苦労しながらアメリカで子育てをしているのも事実。本エントリーでは、ここ5年間の子育てにかかわる英語小噺をいくつか披露したい。

 

「サマンサ先生は誰だ」事件

アメリカに移住した当初は5歳だった息子。当時はプリスクールという日本でいう保育園に通っていた。英語の勉強はおろか、およそ何かを学ぶという行為にまだ馴染みのなかった息子は正に徒手空拳。アメリカ生活1年目で家族の中で最も苦労をしたのはおそらく彼だろう。とは言っても何もないというのは、それはそれで強みでもあり、耳に入った英語をそのまま口から発するという原始的な学習方法で、ネイティブと同等の発音をいち早く身につけたのも息子である。一生懸命練習はしているものの、体に染み付いたカタカナ英語が抜けきれない私からすると羨ましい限りだ。

そんなネイティブ同等の発音力を持ち合わせる息子であるが、「あぁ、こいつの頭の中にはカタカナ英語という層がないないんだ、、、」、と強く感じさせられる事件がある晩に起きた。夕食を囲みながら、今日の出来事をみんなで話していた時のことだ。

 

「ねぇねぇ、サマンサ先生っているじゃない?」
と妻が息子に話しかけたところ、息子はきょとんとした顔をしてこう言うではないか。

 

「えっ?そんな先生いないよ、、、」。
毎日プリスクールに送り、毎日サマンサ先生を見ている妻は当然の如く驚きを隠しきれない。

 

「えっ!?サマンサ先生だよ!?」
というが、息子は困った顔をするばかり。

 

「ほら、今日は青い服をきていて、ちょっと太めの年配の女の先生よ」
どうも話が通じないようなので、事細かに先生の特徴を妻が語り始めると、ようやく合点がいった模様の息子。

 

「あ〜」
と得心した後の息子の一言。

 

「スェムェアーンスァ先生ね!(無理矢理カタカナで書くとこんな感じ、、、)」。
”Samantha=サマンサ”の等式が頭にない息子との間ならではのミスコミュニケーション。妻がへこんで立ち直るのに少々の時間を要したのはここだけの秘密である。


「ポストがぶっ倒された」事件

あれは渡米してそろそろ2年になろうかという夏の終わりのことであった。子供は語学を身につけるのは早いとは言うものの、わが家は家では完全に日本語であるし、特に娘は積極的に人と会話をする方ではないので、クラスの友達と雑談を楽しむことができるレベルになったのは渡米して1年半程後というのが本人の談。そう、子どもとはいえ、母国語以外の言語を身に付けるのはそんな簡単なものではないのだ。

私は、職場には日本人が一人もおらず、仕事中はずっと英語なので、「まだまだ、若いもんには負けん」って感じで子どもより高い英語力を維持しているつもりであった。そんな時に、「ポストがぶっ倒された」事件が起きてしまった。

とある日曜日の昼下がり、娘と出先から帰る途中のことである。運転中に電話がかかってきたので、Bluetoothで受けると、FEDEXの人間が猛然と話しかけてくるではないか。運転中であることと南部の訛りのきつさもあり、ところどころしか理解できなかったのだが、どうも私の家に荷物は既に配送したのだけど、もう一度私の家に来たいと言っているらしい。が、荷物の配達人が、荷物を配達済みにもかかわらず、もう一度わが家に来る理由がわからず、運転中ということもあり、適当に会話を終了して電話をきってしまった。
するとBluetoothで会話を一部始終聞いていた娘が驚きながら私に言うではないか。

 

「おとうさん、今の人、うちのポストをぶっ倒した、I knocked your mail box out!って言っていたけどいいの?

え〜!?全然、聞き取れなかった!って感じで強い衝撃をうけた私。これは、再度電話をして確認せねば、と急いで車を路肩に停めた私。

 

Did you knock my mailbox out?
着信履歴から折り返しの電話をし、先程の配達人にあらためて聞いてみる。

 

Yes sir...
罪を認めた配達人(というかこちらが聞き取れなかっただけなのだが)。娘はやはり正しかったのだ。急いで家に戻ってみると、無残にももげ落ちたポストが地面に寂しげに鎮座しているではないか。娘は正しかったことをあらためて確認する。

渡米二年目にして初めて子どもに英語で助けられた。また、いかに普段は文脈から推測をして英語を聞いているのか、ということを思い知らされることになる。もちろん、それ以降、子どもに英語で助けられる回数は加速度的に増えていくこととなったのは言うまでもない。


骨折した倅の英語が格好よかった話

どうしてかはわからないが、わが家の子ども達は親の前で英語を話すことを極端に嫌がる。たまに私がアメリカ人の友人と英語で会話をしていて、その場にいる娘に英語で話を振ったりしても、年頃のせいもあるが「英語で話しかけてきて馬鹿じゃない?」みたいな白い目で見られることが多々ある。きれいな発音で、かなり話せることは知っているのだが、子供が話す英語を聞く機会はかなり少ない。
先日、ハロウィンの際に近所の友人とはしゃぎすぎて、転倒をし、左腕を痛めた息子。翌朝になってもかなりの痛みがある、ということなので、仕方ないので当日診てくれる医者を何とか探し出し、病院の予約をとった。
負傷した左腕のレントゲンをとり、いざ医師による診察。明く、フレンドリーな先生でほっと一安心。私が一通り状況を説明すると、後は息子と先生の間のやりとりになる。先生の質問に、流暢な英語でよどみなく受け答えをする息子。5年も住んでるので「このくらいは話せるんだろうな」という感覚はあるが、滅多に英語を話すところをみないので、「おぉぉ!」という感じ

 

「How is that?(これは痛い?)」
左手をある方向に曲げられ、痛みを確認されると、

 

「kind of(ちょっと痛い)」

と答えた息子

 

それを聞いた時に「な〜にがkind ofだよ、生意気な」とか内心ちょっと思いつつ、そのやりとりの自然さに、実は息子にこっそり嫉妬してしまった私。"kind of"とか、"you know?"とか、"〜ish"みたいな英語を端々にやたらと散りばめる日本人は結構多いが、大して上手くもない英語をそれっぽく見せようとしている感が強くなるので、私は自らに禁止令をかしている。そんな、自然に"kind of"を使いこなせない私から見ると、息子のやりとりは外連味がなく、「ちくしょう、こいつかっこいい」と感じてしまったのだ。

 

なお、診察の結果、若木骨折と診断され5週間のプロテクターを着用を命じられた息子。そのプロテクターは10歳の男子の琴線にふれたようで、

 

「おとうさん、格闘家みたいじゃない!?」

と興奮気味。

 

そんな息子に

「なーんだ、お前、まだ子供だなぁ」

と精一杯の強がりを見せる父なのであった。。。

 

 

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