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ktdiskのブログ

読んだ本の感想、所々の雑感、日々のあれこれを綴るブログ。

『昭和16年夏の敗戦』 日米開戦という意思決定とその失敗の本質

Book

猪瀬直樹(@inosenaoki)の『昭和16年夏の敗戦』を読んだので書評。

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

十六年夏、彼らが到達した彼らの内閣の結論は次のようなものだったからである。
十二月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦は何としてでも避けねばならない。
『昭和16年夏の敗戦』 〜第二章 イカロスたちの夏〜

太平洋戦争での日本の敗戦は昭和20年夏。その4年も前に、日本とアメリカとの戦争がいかなる終結を迎えるかが予測されていたという。その予測を作成したのは、日本中のエリートが集められて設立された総力戦研究所。『昭和16年夏の敗戦』は総力戦研究所に招集された30代の精鋭たちが如何に日本必敗という結論を導きだしたのか、そして日本という国がそのような分析もある中で、真逆の日米開戦という決定に如何に踏み切ったのか、が描かれている。


本書の読みどころは2点ある。一つ目は、日本が如何にアメリカとの戦争に突入していったのかという史実を学ぶという点。本書を読む前は、日米開戦は軍部の暴走と独断専行により勢いのみで決定され、それを中心となり推進した人物が軍部出身の内閣総理大臣である東条英機、というような理解をぼんやりしていたのだが、それが全くの間違いであることを本書を通して知り、歴史認識を改める非常に良い機会となった。


総力戦研究所では総力戦を「長期戦を予期すべき国家間の戦争において武力対武力の抗争のほか、あらゆる手段を尽くして相手国を屈服させるための諸方策」と定義し、戦争を進める上で不可欠となる石油の需給を詳細にシミュレーションし、日本という国が総力をあげてアメリカとどれくらいの期間戦争ができるのかを算定していく。「社会を知らない学生のように性急で観念的でもなく、熟年世代のように分別盛りでもない」三十代の知性が導き出した試算は、結果として非常に高い精度をもっていた。彼らの正確なシミュレーションは当時の東条英機内閣に提示されるにいたるが、その提案が受け入れられることはなかった。「戦闘機に対して竹槍でつっこむような無謀な戦争」と後付けで言われる戦争に突入する前に、その実証研究が実は内閣に提示されていたという事実は興味深い。
総力戦研究所とは別に企画院という組織が石油の需給バランスを同じくシミュレーションするのだが、こちらの方は「戦争をやる!」という勢いにのまれたつじつま合わせの数字が提示され、結局日本はこの数字を元に日米開戦に踏み切ってしまう。著者がまだ存命の企画院総裁の鈴木氏に当時の模様を詰め寄るようにインタビューするシーンが本書に登場するのだが、その箇所は圧巻。委細はここでは紹介しないが、是非本書を手にとって読んで頂きたい。



二つ目の読みどころは、小説でありながら「意思決定」ということについて重要な示唆を提供してくれる点。本書は「大日本帝国憲法」上で定義される「統帥(大本営)」と「国務(政府)」という2つの機能を解説しながら、軍人と政治家がどのように「日米開戦」という意思決定をしていったのか、その失敗の本質はなんだったのかを描いている。東条英機内閣総理大臣として、そして天皇の意思を受け、開戦を止めようとするのだが、「国務(政府)」という機能しか担わないため、満州事変日中戦争などの過去のしがらみに縛られる「統帥(大本営)」を押さえることができない。「統帥(大本営)」と「国務(政府)」という機能の分離によりおこる意思決定の機能不全の結果、日本は「国家の最高の政治的意思決定」であるべき「開戦」という行為を最終的な意思決定者不在のまま、事務手続き的に進めていくこととなる。「仕組み」に不備があり、その「仕組み」を乗り越えてリーダーシップを発揮する能力を保持する人がいないと、こんな大きな誤りをこんな簡単に起こしてしまうものなのかと、意思決定のための「仕組み」作りの重要性を再認識するにいたった。


また、「数字」という意思決定をする上で重要な客観的指標についても、下記のような非常に興味深い指摘がなされている。

数字というものは冷酷だと、しばしばいわれる。数字は客観的なものの象徴であり、願望などいっさいの主観的要求を排除した厳然たる事実の究極の姿だと信じられているからである。数字がすべてを物語る、という場合、それはもはや人知を超えた真理として立ち現れている。数字は神の声となった。
しかし、コンピュータが、いかに精巧につくられていても、データをインプットするのは人間である、という警句と同じで、数字の客観性というものも、結局は人間の主観から生じたものなのであった
『昭和16年夏の敗戦』 〜第二章 イカロスたちの夏〜

外資系企業で日々データと格闘している私にはこのポイントが痛い程わかる。数字が重要ではないとは言わないが、

  • 数字を選び、選ばれた数字に対して重み付けをするのはあくまで主観であり、数字が自体が客観性の究極の姿にはなかなかなりえない
  • 人間というのは、「不都合な真実」をきちんと直視し、常に客観性を保って行動できるほど強い存在ではない

という2つの点も 同時に理解した上で、「数字」に向き合わなければならない。このたった2つのことが理解されていなかったが故に、300万人もの命を失う戦争に日本は身を投じてしまった。私自身が戦争を始めるかどうかの意思決定をすることなどありえないが、日々「数字」と向き合っている中で、事実に真摯に向き合う姿勢を失えば、ビジネス上の大きな失敗など簡単におきうる、ということを再認識するにいたった。


以上、長々書いたが、日米開戦という日本の歴史にターニングポイントを学ぶ、そして「日米開戦」という意思決定の失敗の本質を学ぶ、という2点で本書はとてもおすすめ。8月15日も近いことだし、まだ読んでいない方は夏休みの課題図書に是非加えてはいかがだろうか。

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