Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『アメリカ大統領選』 アメリカの政治の3つのトリビア

アメリカの大統領選というのは4年に一度のお祭だ。昨年の日本における自民党総裁選もかなり盛り上がったが、アメリカの大統領選というのはあの比ではない。職場では政治の話題というのは極力避けられる傾向にあるが、大統領選の時期だけは抑えきれずに政治の話題があがることが多い。普段から民主党支持なのか、共和党支持なのかという政治的な立場をはっきりさせることの多いアメリカ。先日も、運転中に前方の車に目をやると「BAIDEN MAKING THE TALIBAN GREAT AGAIN(バイデンはタリバンを再び偉大にする)」というステッカーが貼られており、思わず苦笑いしてしまった。そんな国に住んでいるので、「もう少しアメリカ政治について勉強しなければ」を前から思っていたのだが、アメリカの投票権をもっていないので(私は永住権は持っているが、市民権は持っていない)食指が今ひとつ動こなかった。が、先日読んだ『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』でエンジンがかかり、今週は『アメリカ大統領選』という本を読んでみたのだが、非常に勉強になったので紹介したい。

本書は、アメリカ政治の中心となる大統領制と大統領選の仕組みを解説しながらも、その選抜プロセスや政権交代の実際に迫りながら、アメリカ政治全体の特徴を浮き上がらせようという良書。タイトルこそ大統領選にフォーカスをあてているものの、どちらかと言うと政治家と市井の人間の立場の両面からアメリカ政治全体をわかりやすく解説している「アメリカ政治基礎」という言うにふさわしい本だ。本エントリーでは、本書で解説されているアメリカ政治の仕組みの中で、私が「へぇ、日本とこんなところが違うんだ」と思ったことを紹介していきた。

 

アメリカでは事務次官から局長級までの官僚組織を大統領が直接指名できる

日本の政治では、内閣総理大臣が各大臣を任命し、その人事に政権発足の際には注目が集まる。大臣や副大臣は政治が任用するわけであるが、そのカウンターとなる官僚組織の事務次官やその下の局長というのは各省庁の裁量で決定され、巨大の権限が付与されている。官邸主導という言葉が最近は使われるようになったが、巨大の官僚組織の人事はきっちり各省庁が握っているので、政治主導で物事を進めようとしても官僚からの抵抗にあい、進まないということが日本ではよくある。

一方で、アメリカでは官僚組織のトップである事務次官だけでなく、局長級のポストまで就任した大統領が直接指名するというのだから驚きである。それらのポジションも、基本的には官僚組織の内部から任命するのではなく、外部からの登用が殆どというのだから驚きである。なので、大統領選があって、大統領が新しくなる度に、官僚組織のトップがごっそり入れ替わる、別の見方をすれば前政権の事務次官と局長は職を失うというのは非常に興味深い。

よって、日本のように首相の言うことを面従腹背で官僚がなかなか聞かないということは起こらず、自分に機会を与えてくれた大統領の実現したい政策の実現に向けて高い忠誠心をもって官僚が動いてくれるというのがアメリカ政治のダイナミズムのようだ。勿論、大統領の任期にあわせてメンバーががらっと変わるので長期的な視線で政策をうちずらい、という欠点はある。

 

アメリカでは与党であっても、野党であっても議員は頻繁に造反する

現在の日本は自公の連立政権である。内閣総理大臣がと通そうとする法案や政策に対して、自民党員263名はおろか、公明党員の32名が反対して票を投じないということは滅多におこらない。が、アメリカでは大統領が進めようとする政策に対して、その大統領の政党の議員が普通に反対票を投じて、造反するのは日常茶飯事だというから驚きだ。最近のわかりやすい例で言うと、共和党のトランプ大統領が進めようとしていたオバマケア撤廃法案を共和党多数の上院で可決に持ち込むことができなかった、というのは興味深い。

これには2つの構造的な要因がある。まず、よく知られている通り、アメリカ大統領というのは実質的には国民の民主的な直接投票によって選出される。日本のように与党議員の投票によって選ばれるわけではないので、自然と大統領の自政党に対するグリップというのは弱くなってしまう、ということがある。また、日本では、党総裁が自党の公認候補の決定権を持つため、党国会議員の党総裁への忠誠は非常に強い。ところがアメリカでは、大統領はこのような権限は与えられておらず、公認候補というのは党執行部ではなく党員に与えられているという。なので、「党執行部に逆らうやつは公認しないぞ」というプレッシャーから各政治家は開放されているわけだ。今の自民党で同じ仕組みを当てはめて考えると、安倍政権は存在せずに石破茂氏が総理大臣になっていたし、岸田政権ではなく河野太郎政権になっていたことになるだろうし、もっと言えば小泉進次郎政権が発足する可能性が高いということになる。うーん、良し悪しではあるな。

 

「小さな政府」を支持するのは、「リベラル」ではなく「保守」

「リベラル」と「保守」という言葉はアメリカ政治を語る上で欠かせない単語だ。が、私はどうもこの区分けがしっくりこずに、混乱することが多い。一般的に「リベラル」は民主党で「保守」は共和党だ。経済政策を見ると、「保守」の共和党は、政府の規制強化や増税による福祉政策の充実に反対の立場をとる。こういった政策は私の中では新自由主義やリバタリアンとリンクし、「リベラル」というラベル付けがしっくりくるのだが、社会福祉の充実を看板政策にかかげている民主党が「リベラル」なのでいつも混乱してしまう。

本書曰く、この「リベラル」という言葉遣いはヨーロッパとは逆の使い方だから、しばしば混乱をきたすという。考え方としては、福祉政策を充実させ、人々の基本的な経済的自由を確保させるという意味で「リベラル」という言葉を使っているらしいが、私にはやはりわかりにくい。もともと共和党が「リベラル」という特色を打ち出していたらしいが、フランクリン・ルーズベルトがニューディール政策を打ち出して福祉政策を推し進めた時に、自らを「リベラル」と呼び始め、その語法がメディアと国民の間ですぐに浸透してしまったことがきっかけらしい。おのれ、ルーズベルト。

 

以上、3点ほどアメリカ政治の3つの「へぇ」を紹介させて頂いた。本書は、大上段に構えてアメリカの政治構造を解説するというものではなく、大統領選の現場や市井の人間に焦点をあてて「アメリカの民主主義」を丸ごと捉えようという良書だ。アメリカ在住の人で政治に興味のある方は読んだら絶対に面白いと思うし、アメリカ政治に興味があるが難しそうでどうもなぁ、と思っている方には強く薦めたい。

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