『暴走する資本主義』は話題になっただけあって、現代の資本主義に対する考察として質はかなり高いし、興味深く読むことができた。ただ、企業に求められる社会的な責任に対するライシュの結論に対しては、私はかなり違和感を覚える。
経営者は法に従う義務があり、いかなる不正行為に対しても責任を負っている。しかし、経営者はそれ以上のことはできないし、するべきでもない。経営者の仕事は消費者を満足させ、それによって株主に利益を生み出すことである。この決まりを経営者が果たせなかった場合や競争相手よりもうまくやれない場合には、経営者は消費者や株主から罰せられ、株主は他の投資先を探すのだ。
- 作者: ロバートライシュ,雨宮寛,今井章子
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2008/06/13
- メディア: 単行本
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『暴走する資本主義』 〜第6章 超資本主義への処方箋 P.293〜
人々はまた、企業は「公益」を促進するためだとか「社会的責任」を果たすために活動しているのだという経営者たちの言い分にも気をつけなければならない。企業というものは「公益」に関心があるわけではないし、善良であることも彼らの責任ではない。企業は売上げと利益を上げるために、ブランドイメージを良くしようと善行を積むことはあるかもしれないし、本業にいそしんだ結果、偶然に社会貢献という副次的効果を生むこともある。しかし、彼らは善良であると思われたいから、良いことをするわけではないのである。
『暴走する資本主義』 〜第6章 超資本主義への処方箋 P.296〜
ライシュは、企業の役割は民主主義に足を踏み入れることなく消費者と投資家を満足させることであり、「社会的責任」や「公益」に対して無関心であっても何も問題はない、と一刀両断する。彼の理屈が正しければ、「企業は社会の公器である」と言った松下幸之助は経営者失格、もしくは心にも思っていないことを世間体を気にしていった嘘つきということになる。
私は株主に対して利益を提供することは、株式会社の経営者の重要な役割であることには同意するし、株主価値を不当に軽視している経営者が日本に多いことは問題だとも思っている。しかし、だからと言って、ライシュのように株主に利益を提供することのみが経営者の役割で、消費者の満足を実現するのもそのための手段でしかないと言い切ることには同意できない。消費者や従業員や地域社会や取引先などの様々なステークホルダーと良好な関係を築くことも経営者の重要な役割だ。
株主にどれだけ利益を提供したかというのは確かに測定が容易だ。そして、「わかりやすい尺度」がなければ動けない、そして一度「わかりやすい尺度」が設定されるとそれに盲進してしまう、というのはアメリカ人の気質なように思う。そういった彼らの気質を考えると、ライシュの思い切った割り切りというのも気持ちとしてはわからなくはないし、割り切らざるをえないところにアメリカ企業の限界も感じる。ただ、繰り返しになるが、様々なステークホルダーがいる企業活動を営む上で、経営者の責任を売上と利益に限定するのは明らかに間違っている。