「米がない」、息子の昼食の危機
アメリカに住んでいても主食は白米のわが家。晩御飯の支度をしている時に、米がないことが発覚し、買いに行くにはもう時間が遅く、その日の夕食はパスタに切り替えてしのいだ。問題になるのは次の日の朝食と昼食。高校生の息子は生粋の米党であり、昼食には、白米、そぼろ、自作の味付け卵を毎日持っていっている。
そうだった、カリフォルニア州では幼稚園から高校生までカフェテリアでご飯が無料で提供されているのだ。これが、昼食だけでなく、なんと朝食まで対象となっているからすごい。
カフェテリアのメニュー
なお、今週の昼食のメニューは下記のような感じ。
まぁ、レストランのキッズメニューっぽく、食材に偏りがあることは否めないが、週ごとにスペシャルメニューがあり、オレンジチキンなどのアジア料理もあり、健闘していると思う。
カリフォルニア州の無料給食制度
このカリフォルニア州の制度はユニバーサル・ミール・プログラムというが、コロナ禍で連邦政府主導が実施したプログラムを恒久化したもの。なお、
日本の給食制度とその歴史
アメリカのカフェテリアを見ると、どうしても日本の給食と比べてしまう。
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子どもたちが自らの手で用意や片付けをする
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みんなが同じ食事を一緒に食べる
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バラエティに富み、より栄養学的な配慮もされている
など、日本の給食の素晴らしさを強調してしすぎることはない。
が、上記のようなことは在米日本人に既に語り尽くされていることである。新たな給食の知見をえるために、『給食の歴史』を手にとってみた。
本書は日本の給食の歴史を振り返りつつ、
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子どもたちに栄養価の高い食事を提供し、飢えのない社会の実現のために給食の果たしてきた役割
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アメリカの余った小麦の受け入れ先としてのパン給食の導入、また余剰米の消費先としての米飯給食へのより戻しなどの政治的な意味合い
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行革の対象として合理化・民間委託に伴う、質の低下と保護者の反対と社会運動
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欧米と異なり「食育」という教育の一環として位置づけられた日本の給食の独自性
など、網羅的かつ俯瞰的に給食の歴史を振り返る盛りだくさんの内容。自分の経験からしか見たことのなかった給食の様々な側面を立体的に浮き上がらせる力作であった。
あらためて日米の給食について考える
アメリカに来て、子どもたちから聞くアメリカのカフェテリアの現状を聞く度に、日本の給食の素晴らしさを再認識してきた。ハンバーガーやピザなどの偏ったメニュー、自分で掃除をしないので食事やゴミの散乱するカフェテリアの床、などの話に眉を潜めてきた。
が、カルフォルニア州のユニバーサル・ミール・プログラムや日本の給食の歴史を見て、最近は少し違う感じ方をしている。「食育」まで射程にいれた日本の給食制度は確かに素晴らしい。が、それには当然コストが伴うわけで、合理化によって低コスト・低負担を追求するか、質を求め充実と教育的効果の充実をはかるか、常にいったりきたりしてきた歴史もある。
給食の歴史とカリフォルニア州の現状をみると、まずは貧困家庭の子供が心に後ろめたいことを感じることなく給食を食べることができることが一番大事なのではないかと思う。
日本では多くの全国で3割の自治体が小中学校で無料給食を実現しているため、給食費未納は徐々には減ってきているが、2018年の調査では42%の学校に給食費未納の家族がいるという。衣食足りて、食事の質や教育効果に目が行くのは自然の流れではあるが、まずは給食無償化の実現があり、その後で質や効果を問うのがあるべきだと感じている。
まとめ
日本の給食制度は、食育を通じて子どもたちに栄養バランスの取れた食事を提供し、子どもたちの成長を支えてきた。アメリカではカリフォルニア州を含めユニバーサル・ミール・プログラムを9つの州が実施している拡大を続けている。一方で、日本ではすでに3割の自治体が無償化を進めており、食事と教育を結びつけた取り組みという点で世界的に見ても大変優れており誇らしい。今後、無償化をさらに推進し、貧困の有無に関わらずすべての子どもが公平に給食を受けられる環境を作ることが重要だ。日本はその道をさらに切り開き、世界の給食モデルケースとして注目される存在になっていってほしい。