アメリカ社会の分断は深刻な状況にまで至っている
こういった言説はドナルド・トランプがヒラリー・クリントンを破り、大統領に就任して以降、お決まりのものとなっている。広がり続ける経済格差、健康保険加入者の減少、未だにくすぶる人種差別、などの様々な社会問題を抱えるアメリカ。保守とリベラルの対立激化に伴う「アメリカ社会の分断」により、これらの事態は悪化の一途を辿る、という悲観論がメディアでお馴染みのストーリーだ。
だが、こういったホラーストーリーは、アメリカ社会で8年ほど生活をしている市井の人間の肌感覚とは大きく異る。私は、現地の企業で働き、現地のコミュニティで過ごし、子どもたちは現地の学校に通っているが、いわゆる「分断」を強く感じたことはないし、それが深刻なレベルにまで深まっていると言われても、「別の国の話をしているのかな?」とまで思ってしまう。近所を散歩すれば見ず知らずの人でもフレンドリーに話しかけてくるし、学校では多くの保護者のボランティアが子どもたちのために学校運営に協力してあたるし、見知らぬ人であっても困っていれば多くの人が手を差し伸べるし、社会的な意義のある活動に対しては大きな寄付や支援が集まるという「つながり」は未だ健在だ。
「二極化したアメリカ社会」なんて言い方をされることもあるが、アメリカ社会は「二極化」というような単純な言葉で真っ二つに分けれるほど単純にはできていない。人種や民族が多様なことは勿論、地域間の異なりも非常に大きい。昨年はボストン、ロサンゼルス、マイアミ、オーランド、などいくつかのアメリカの都市に旅行をしたが、それぞれの都市はとても同じ国とは思えないくらい、あらゆる面で全く異なる装いをしており驚かされたものだ。所得格差は「二極化」の文脈で取り沙汰されることが多いが、それは何となくわかりやすいからそう言われているだけだろう。金持ちの中にも保守もいれば、リベラルもいるし、貧乏人の中にも共和党支持もいれば、民主党支持もいる。経済格差は一つの対立軸ではあるが、その一つの軸を持って二極にわけることができるようにはアメリカ社会はできていない。
なんで、市井の人間には殆ど感じられない「社会の分断」がこんなに取り沙汰されているのか長年疑問であったが、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか』はその疑問に簡潔に答えてくれる良書だった。Kindle Unliminted本なのだが、つまらないタイトル釣りの本が残念ながら多いKindle Unliminted本の中で、たまにある大当たりの本であった。
民主主義社会におけるアイデンティティの分断は、選挙のマーケティング技術の発展によってもたらされている。
『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか』 はじめに
本来であれば、社会の分断が社会問題を引き起こし、それを政治的に解決するための民衆の代表を選ぶというのが、民主主義の求める選挙のプロセスだ。が、本書はそれが全く逆になっていると指摘する。即ち、選挙の票集めのために、無いはずの分断が知識人や政治主導で定義され、その定義された分断に基づいて民衆にアイデンティティをラベル付けして、自政党への投票に駆り立てる、というのが実情だと言う。トランプ支持者を白人、低所得、低学歴、肉体労働の男性、というラベル付けをして、それ以外の層の支持を取り付けようとした民主党の選挙戦略が例示されており、これはわかりやすい例だろう。
学者は新しい対立軸を生み出すことで自分の仕事を作り、メディアはその対立軸を普及させることにより注目やPVを稼ぎ、政治家は自身の生き残りのために、ないはずの対立軸に乗っかる、というのが、現代アメリカ政治の実情であると筆者は一刀両断し、それは私の肌感覚とも合致するところが大きく、とても興味深かった。日本も対岸の火事であればありがたいのだが、小泉郵政選挙で「改革派」対「抵抗勢力」というわかりやすい対立軸で票集めに大成功した小泉政権以後その傾向が強まっているという。
アイデンティティの分断に限らず、グローバル化の進行や仮想通貨の普及に伴う国民国家のあり方の変容まで本書の扱う射程はかなり長い。参議院選挙も夏に近づいていることもあり、マスメディアからウェブのメディアまで様々な雑多な選挙メッセージにされされることが予想される。本書は、自分の立ち位置や視座を保つための視点を多く提供してくれる良書であるため、一読をお勧めしたい。