Thoughts and Notes from CA

アメリカ在住、外資系企業歴30年の日本人会社員。 アメリカでの生活、海外での子育て、外資でのキャリア構築、そして現地に暮らして見えてきたアメリカ政治のリアルまで、日々の体験を通じて気づいたことをゆるく発信。 グローバルに挑戦する日本人が、少しでも勇気を持てるような発信を目指しています。

「国語力」はまだ取り戻せる 帰国入試というヒント

『誰が国語力を殺すのか』

アメリカで子育てをする人にとって、子供の日本語力、国語力をいかに育むかは大きなテーマだ。

 

そんな国語力について語った『誰が国語力を殺すのか』という興味深い本を読んだ。本書は現代日本の世相を丁寧に読み解きながら、国語力の低下の原因に迫る意欲作だ。

 


私は自身の日本での経験とアメリカでの子育て経験から日米の両方の教育形式を知っている。本書で語られる内容は、日米比較という面でも示唆に富む。特に日本のゆとり教育について多くの頁が割かれている。「授業時間が減って学力を下げた」みたいなザクっとしたイメージしか持っていなかったが、この箇所は非常に勉強になった。

 

本書では「ゆとり教育」の要点が、下記のように整理されている。

ゆとり教育の目玉は次の三つだった。
1、授業時間の縮減(完全週五日制、年間七〇単位削減)
2、教育内容の厳選(高度内容の削減、「総合的な学習の時間」、絶対評価、選択教科の拡大)
3、国際化への対応(小学校での外国語教育、中高で「話す・聞く」に重点)

 

意外なことに、この整理を読んで私は

あっ、これは私がいつも思っている、日本の教育のここを直して、アメリカの教育のあそころを取り入れればよいのに、という点をよくカバーしているじゃないか。

と感心してしまった。

 

一言で言えば「詰め込みからの脱却」であり、方向性としては正しい。今高校に通う息子は、先日まで高校の選択授業で何を選ぶのか大いに悩んでいた。その悩みの幅は「デジタルアート」から「陶芸」まで幅が広い。高校のこの選択教科のことを「Elective」というのだが、「選択教育の拡大」というのはそれを見越したものだろう。日本の大学受験で、5教科6科目をがっつり詰め込んで、文字通り受験戦争を潜り抜けた私としては、思考力や表現力に軸足を移し、多様性をはぐくもうという意図はわかるし、納得感も高い。

 

では、何が問題だったのか。

 

変わらなかった大学入試

小学校から高校までのカリキュラムは変わりながら、大学入試制度がほとんど変わらなかったことが、意図通りにことが進まなかった一番の原因だろう。

 

どれだけ、思考力や表現力と掲げても、出口の大学受験が従来型の知識偏重試験である限り、学校も塾も、そして家庭もそちらに向かわざるをえない。

 

学歴重視で「良い大学に入ることが成功への手堅い道」という市場原理がある以上、入試が変わらなければ現場は変わらない。

 

ゆとり教育は、方向性としては新しかったが、高等教育機関である大学が変わることができず、結果として「単なる授業時間の削減」になってしまったことが残念だ。

 

アメリカの大学のように、高校の成績と基礎学力レベルと個人の経験と資質を問う受験形式にすれば、違った道が見えたに違いない。

 

娘の帰国入試で感じたこと

昨年の春から大学生になったわが家の娘。日本に戻って帰国入試に挑んだ。その内容は私の経験した大学入試と異なり、英語・面接・小論文が中心。

受験勉強として中心になるのは、

  • 予備校で薦められる大量の推薦図書の読書

  • 課題文を読んでの小論文作成

  • 各大学学部の志望動機と希望研究内容の記述

  • 日本の受験英語のお作法の学習

という感じ。最後はご愛敬であるが、私が経験した詰込み型受験勉強と比較して、はるかに「考えさせられる」入試となっている。

 

正直、離れて暮らしていたこの大学受験の時期が、私の人生の中で娘から最も相談を受けた期間であった。

 

「こういう方向まとめたいんだけど、この点がうまく言語化できない」
「読んでいる本のこの記述が、言葉の意味はわかるが、腹落ちしない」

 

もちろん、私だって正解を提供できる質問ばかりではない。が、娘に伴走して、彼女が自分の頭で咀嚼し、自分の言葉を紡ぐことくらいは手伝うことができる。

そんな「考えさせられる」受験をしている娘の姿を見て、私は「いいなぁ、自分も高校3年生の時にこういう受験をしたかった」とひそかに思ったのであった。

 

「ゆとり教育」が悪かったのか

「ゆとり教育」には非常に残念ながら「失敗」というハンコが既に押されてしまっている。文部科学省主導で、再度この方向に舵を切るのは難しいだろう。日本が「詰込み教育」を変える機会を逸してしまったのは痛恨の極みだ。

 

過程を変えようとしたが、最終着地点である大学が変わらなかったので失敗に終わってしまった。もう次の手は最終着地点の形を変えるしかないのではないか。

 

大学受験で問う内容を、知識量ではなく、考え、書き、語る力を見る。

娘の帰国入試を通して、「日本の受験だって一部でこれやってるんだから、もっとこういう枠を拡大すればいいんじゃないか」と思ってしまう。

 

本書は、ゆとり教育をやり玉にあげるのではなく、「子どもたちにどんな教育を提供してあげれば良いのか、そのために政府、学校、家庭で何ができるのか」を多角的に問う。お子さんがいる方々にはぜひ手にとって頂きたい一冊だ。

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