Thoughts and Notes from CA

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

産後女性のコモンセンスとパートナーシップへの雑感

先日マドレネットワークサロンという会に妻と一緒に参加をしてきた。マドレボニータという主に産後の女性を支援するNPO法人が主催するもので、妻もその活動の参加している。二組の夫婦をパネラーにして子育てというより夫婦間のパートナーシップについて色々語りあうという会。会社の同僚とは、昼飯を食べながら子育ての話をしたりするが、あまり普段を話をする機会のない方からのインプットをえることができ、なかなか有意義だった。


産後の女性の巣窟に単身乗り込むというような恐ろしさがあり、身構えていったが、私の他にも必ずしも居心地のよさそうでない男性が何名かいたので幾分か救われた。アウェー独特の緊張感の中、言葉を交わさずともうまれる男同士の妙な連帯感。初対面の人とすぐに友達になれそうなどと感じたのは何年ぶりだろうか。
だが、男性が参加しているとはいえ、参加者の8割は女性。パネラーの議論が盛り上がっていく中、参加女性の琴線にふれる発言があると、会場の女性の頭が一斉に「そうそう」と上下運動を繰り返す。2割の男性ではとても生み出すことのできない「うねり」。正に数の論理。妻と1対1で話していたら思わずスルーしてしまいそうな内容にも、「これは産後女性のコモンセンスなんだ」という無言の圧力が押し寄せる。妻がこの会に私を誘った理由はこれだったのかと得心。話を聞かない男に対する戦術としては、これ以上はないだろう。


なお、参加女性の上下運動から紡ぎだされたコモンセンスの中で、大きな「うねり」を生み出していたのは下記の3点。

  1. 育児・家事というのは世間一般で理解されているよりも、はるかに精神的・肉体的に負担が重い
  2. 子供がすくすくと育っても、子育てに腐心するあまり社会との接点が少なくなり、社会から隔絶されているという疎外感を産後女性は感じている
  3. おむつ替え、お風呂などの通り一遍の子育て「支援」で満足し、それ以上は業務多忙を理由に踏み込まない夫への産後女性の不満は大きい

多分、この文章だけ見て、実態を理解できる男性は少ないと思うし、理解をしたとしても共感にまでいたる男性はさらに少ないだろう。別に私自身もことさら共感すべきと言うつもりもない。ただ、こういったコモンセンスがあることは、一つの現実であり、その現実をみることが、パートナーとの会話のプロトコルを構築するには必要だろう。


現実という言葉で思い出したのが、先日読んだ塩野七生の『日本人へ』の冒頭で紹介されているカエサルの有名な言葉。

人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない。
ユリウス・カエサル

仕事は忙しいながらも充実し、子供は可愛く、自分も育児に対して協力的で、妻もそれに対して感謝をしているというのが、世の男性の見たいと思う現実であり、それに対する産後女性の見方は結構きびしい。ただ、そういった男性の態度を「おめでたい」と評するのもよいが、現実のすべてが見えず、見たい現実しか見てないというのは2000年前から続く人間の特性であるというのもまた現実
あらためてパートナーシップとは何かを考えるに、

  • 相手も自分も現実のすべてを見ておらず、相手も自分も見たい現実しかみていないということをまずは受け入れる
  • 相手にとっての現実と自分の見たくない現実を、相手のために見ようとする

という点が肝なのではないかと思った。


(予想通りまとまりきらず・・・)つづく

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