Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

Googleの目指す新しい資本主義の形

グーグルという会社はギーク(エンジニア)が一級市民で、スーツ(ビジネスパーソン)は二級市民と言えるほど、エンジニア優位の文化を持った会社である。グーグルは、その思想を、これほどの大きな会社になってまでも維持している稀有な会社だ。
・・・<中略>
戦略においても組織論においても、他社とは全く異なる世界観で競争が行なわれている
グーグルは「次の大ヒット」を生み出せるのか

梅田さんはGoogleは他社とは異なる世界観で経営をしていると強調されている。
この世界観の違いが何に起因しているのかと言うと、私はずばり「資本」というものの捉え方の違いにあると考える。


資本とは、「生産活動を行う元手になるもののこと」。


資本の代表として「お金」がある。従業員の給与を払うにも、研究開発をするにも、設備投資をするにも、手元に「お金」がなければ何もできない。
なので、典型的なアメリカ型資本主義経済では、元手として「お金という資本」を提供する投資家は非常に重んじられるし、コスト削減や資本政策によって経営者は「お金という資本」の厚みをますことに注力をする。


では、資本は「お金」だけかというとそうではない。今読み途中のドラッカーの『テクノロジストの条件』に下記のPhraseがある。

テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編))

テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編))

肉体労働者と知識労働者の違いは、彼らをめぐる経済原理において最も大きい。経済学も現実の経営も、肉体労働者をコストとして扱う。しかし、知識労働者を生産的な存在とするには、彼らを資本財として扱わなければならない。コストは管理し減らさなければならないが、資本財は増やさなければならない
『テクノロジストの条件』 〜5章知識労働の生産性 P.84〜

知識労働者は削減すべきコストではなく、増やすべき資本であるとのこと。
上記をもとに考えるに、Googleは「知識労働者という資本」の厚みをますことを経営の中心にすえている、新しいタイプの資本主義経営を強烈に推進しているということはできないだろうか。


こういう話をすると、「それは正に日本型経営の得意とするところで、やはり拝金主義・投資家重視のアメリカ型資本主義はいかん!」と鬼の首をとったように勝ち誇る人がいるが、だれかれ構わず大事にしてリストラという目先の痛みを避けている大半の日本企業ととても同じにはできない。


「知識労働者という資本」を本当に経営の中心にすえた資本主義経営、最近の経営学の書籍などではよくでる考えた方ではあるが、投資家を軽んじ、知識労働者であるエンジニアを最も厚遇するという域にまで達している大企業はGoogleをおいて他はないだろう。


「お金」が手元にあればそれは経営者の思いのままになるが、「知識労働者」はそうはいかない。より高度な資本政策が求められる新しいタイプの資本主義経営を痛みを伴いながら実践しているGoogle10年経ったら、エンジニアによる技術力だけでなく、その新しい資本主義経営のノウハウがGoogleの強みになっているかもしれない。

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