Thoughts and Notes from CA

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『日本ノンフィクション史』 ノンフィクションの3つの魅力

私はノンフィクションが好きだ。大宅壮一ノンフィクション大賞や開高健ノンフィクション賞は定期的にチェックし、琴線に触れたものは必ず読むようにする。だが、改めてノンフィクションの魅力は何かと問われると、「フィクションでは出せないリアリティや臨場感が、、、」みたいな感じにスッキリと言葉に落とし込むことができない。

本日紹介する武田徹氏の『日本ノンフィクション史』は、1970年代頃から認知され始めたノンフィクションの歴史について、その成立前夜まで遡り、各時代でどのような役割を果たし、進歩・発展し、そして今どのような限界と課題に対峙しているのかまとめる大作だ。

戦時の従軍記事やジャーナリズムの取材記事から派生し、単なる報告ではなく物語性を帯びた読み物として立ち上がり、社会な多様な面を描き出す道具立てとして発展していく様子が丹念に描かれている。『日本ノンフィクション史』という名に恥じない史実の克明な記録となっており、読み物としての面白みに欠く「重たい」箇所も多かったが、ノンフィクション好きは一読に値する。

 

本書の内容を振り返りながら、改めて考えてみた私にとってのノンフィクションの魅力をいくつか上げてみたい。

 

多様化した現代社会の見過ごされた事実、物語を救う道具として

複雑化した日本の社会が自己の実像を検証するために、あるいは生きかたの多様化した日本人が己の自画像を確認するために、 ものごとの内実を探り事実をして語らしめるノンフィクションという表現方法を求めるようになったのである。

『日本ノンフィクション史 ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで』

ニュースや雑誌記事というのは多様な現代社会を映し出す鏡ではあるが、その時間、紙面の制約からどうしても深掘りをすることに向かない。そして、現代社会に潜む様々な現実や課題というのは、深掘りをしてこそ初めて浮き彫りになるという類のものが多い。そこに焦点をあてるレンズというのがノンフィクションの一つの魅力だ。

国際霊柩送還士という仕事と国際化した社会ならではの死との向き合い方を問う佐々涼子氏による『エンジェルフライト 国際霊柩送還士 (集英社文庫)』、国家権力に潰された天才エンジニア金子勇の裁判闘争の過程を描きつつ、インターネット時代の潮流に乗ることに圧倒的な後塵を拝した日本社会の現実を問う『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』などはその好例だ。

世に認知されていない課題に焦点をあてるという取組はフィクションでも勿論可能ではないが、現在進行形の事象を迫力と具体性をもって描くことができるノンフィクションの方が私は道具立てとして優れていると思う。

 

同時代の異能、異才を描く伝記として

ベタではあるが、私自身がビジネスパーソンであるため、私は経営者の自叙伝が好きだ。凡人には及びもつかない発想力と実行力、種々の課題に果敢に立ち向かい、負けたり勝ったりしつつも通算では勝ち越す勝負強さ、丹念な描写から垣間見える人間臭さやユーモアなどに触れ、刺激を受けつつも、痛快なサクセスストーリーを純粋に読み物として楽しむことができる。

池井戸潤氏の書く『半沢直樹』のようなビジネス小説も手軽で好きだし、読み物としては面白いが、純粋なビジネスパーソンではない作家が描く経済・経営の世界から学ぶことは殆どない。ヤマト運輸の設立・成長のストーリーを描きつつ、自身の経営観を惜しげもなく開陳する小倉昌男氏の『小倉昌男 経営学』、沈没寸前の巨大企業IBMで数々の経営改革を断行し、死の淵から救ったルイス・ガースナー氏の『巨象も踊る』など、何度も読み返す名作が多い。経済ものではないが、佐藤優氏の『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫)』も、絶望的な東京地検の捜査・勾留にあって、それを学びの機会としつつ、時として楽しんでいるようにすら見える氏の常人離れした知性と胆力のほとばしりが感じられ、名作中の名作と思う。

ニュートンやエジソンも大変な偉人であり、教育効果を否定するものではないが、同時代の異能に触れるノンフィクションの名作が数多ある中、あえて大人になってから読もうと思えないというのが正直なところだ。

 

フィクションを時として超える空想とロマンを備えた物語性

「 最近の諸科学の光によつて照し出された現代の事実世界の秘密は、しばしば、人間の空想、想像の限りをつくして描き出された虚構よりも、 実ははるかに空想的であり、 浪漫的である」「 しかも他面、それらは虚構以上に空想的であり、 浪漫的であるにもかかわらず、 決してそれは、現実にありもしない事柄ではない」。
『日本ノンフィクション史 ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで 』

「事実は小説よりも奇なり」というのは使い古された表現ではあるが、本書を読んで、私はノンフィクション作品の物語性に惹かれていると実感した。あまり、ノンフィクションを物語として今まで捉えていなかったのだが、改めて思い返してみると多くのノンフィクション作品を私は物語として読んでいることに気づいた。3~4ヶ月太陽が登らない漆黒の北極で極限の旅を敢行する角幡唯介氏の『極夜行 (文春文庫)』、福島原発の事故の現場を描いた門田隆将氏の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)』、旅紀行としての不朽の名作、沢木耕太郎氏の『深夜特急』など、それぞれが学びを提供してくれる名作ではあるが、物語としての秀逸さもあわせて際立っている。

が、この点については、本書はいくつかの対立する視点を提供してくれて面白かった。「物語性を帯びたジャーナリズム」というより、「記録性を欠き、商業主義を優先して、物語性を全面にだしたジャーナリスト風文学」がはびこっているのではないかと警鐘を鳴らしている。自分が作品を評価する際も参考としたい。

 

つい力が入って、自分の好きなノンフィクションの作品紹介が多くなってしまったが、改めてノンフィクションの魅力を再認識する良い機会となったし、名前に馴染みがあるもののあまりその功績を知らなかった大宅壮一氏が日本におけるノンフィクションというジャンルの立ち上げに如何に中心的な役割を果たしたのも学ぶことができた。同じくノンフィクション好きな方にオススメしたい。

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