"生命保険 立ち上げ日誌"経由で知った『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造』を読んだので書評を。
- 作者: フィリップ・デルヴス・ブロートン,岩瀬大輔,吉澤康子
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2009/05/21
- メディア: 単行本
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本書はイギリスのデイリーテレグラフの元記者によるハーバードビジネススクール(以下HBS)への留学記。ジャーナリストならではの生々しく、引き込まれるようなルポタージュとなっており、475ページという大著なるも一気に読むことができた。ジャーナリストならでは表現力もさることながら、HBSに対するその旺盛な批判的精神は、本書に他の多くのHBS留学記とは全く別の輝きを与えている。
ハーバードビジネススクールの教授陣にとって、一〇年足らずのうちに二度までも自らの卒業生が主役をつとめた経済的破局に気づかなかったことは、大いに恥ずべきことである。最初がジェフ・スキリングとそのほか大勢のハーバードMBAが率いていたエンロンの破綻、そして次に今度の経済危機である。グローバル資本主義は多くのものを以前より悪化させたという、長らくくすぶっている意識についても、言うまでもない。
『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造』 〜ペーパーバック版への追記 P.16〜
エンロン事件、リーマンショックという2つの世界に影響を及ぼす経済事件の主犯がHBS卒業生であるという筆者の問題意識は独特で面白い。ジェフ・スキリングや投資銀行家が事件前に基調講演に訪れれば、スタンディングオベーションで迎えながら、事件が発生したら他人事かのように「犯人探しをしても仕方がない」と言ってのける同校の態度には、確かに首をひねらざるをえない。構造的な問題点を見つけるための努力を怠り、場当たり的な問題解決にやる気をみせるその様に恐ろしささえ感じる。
リーダーシップと企業責任(LCA)と呼ばれる科目がエンロン事件後に必修科目化し、倫理を無視して金を追い求める危険について学生が話し合えるようになったらしいが、これは場当たり的な対応の最たるものだ。本書で描かれているLCAの授業の様子は、学校の授業で倫理を学ぶには、同校の生徒が年をとりすぎているという事実を浮き彫りにしている。倫理を備えていない人間に、倫理を教えることはできず、唯一できることは入学許可を与えないこと位だということに聡明な同校の教授陣は気付かないのだろうか?
統計は、卒業生の大部分がHBS卒業後の就職先を一年以内に離職してしまうことを示していた。ビジネススクールの異常な環境とゆとりのない諸条件のせいで早まった決断をしてしまった学生が、実社会に戻ったと単にそれを修正するのだ。
『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造』 〜第十五章 卒業 P.437〜
もう一つ本書が指摘する面白い点は、世界最高峰の教育を受けたHBSの卒業生の大部分が、就職先の決定という最も重要な意思決定を失敗しているということ。HBS学生の就職活動の様子が本書では描かれているが、殆ど全ての学生が病的なまでに、投資銀行やコンサルティング会社を嗜好し、同校自身がその流れを助長していることが良く分かる。ゴールドマンサックス元CEOの「今日、出会うだれもかれもが、巨大の私的資金の投資や取引を行うために母親の子宮から生まれ落ちたと信じているようだ」という言葉もちょっと皮肉がきつすぎるが、HBSに内在する歪みをよく表現している。
ネガティヴな部分を少し強調してしまったが、本書はもちろん単なるHBS批判本ではない。その批判的な視線の中にも、HBSが経営大学院として、学びの場として最高の場である点は、筆者は繰り返し強調しており、読了後にはそこで提供されるトップレベルの教育に羨ましさを覚える。ただ、そこに結集される力の強力さゆえに、歪みが生じた際に社会に同校が与えるインパクトはあまりに強く、ここ数年で同校卒業生が不幸な経済事件の主役を演じたという事実は、何某かの歪みがそこに存在することの証左になるのではないだろうか。
卒業生からこのような問題意識の提起がなされるというのもHBSの底力と思うので、こういった批判精神に対して、書店での同書の買い占めなどではなく、内在する歪みの正体を発見するなどの形で地力を発揮してほしいと思う。