Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

アメリカで感じる日本と異なる10のこと

下記の日本のアメリカ旅行のアドバイスが海外で話題の模様。というか、本当に話題になっており、私もアメリカ人の友人、同僚から、「あれは、読んだか?どう思うんだお前は?」と実際に何名かのアメリカ人から聞かれることに。冗談や誇張も交えて書かれており、「これはどうかな?」というところもあるが、「まさに、その通り!」というところもあり、なかなか楽しめた。中身は旅行する上でのアドバイスというよりも比較文化論みたいな話しになっており、私も渡米4ヶ月目にして色々感じるところがあるので、元の記事を素材に思うところを少し書き連ねてみたい。
日本のアメリカ旅行のアドバイスが海外で話題
10 Japanese Travel Tips for Visiting America


1. アメリカ人は折角の自然食材を変なマーケティングメッセージで売り出す
日本食の肝は、素材の味を大事にするところにあるため、骨の周りの肉は一番美味しいと考えられ、骨付き肉は「良い食材」と見なされ、値段も骨無しの肉とそれほど変わらない。ただ、アメリカは日本よりかかった手間を価格に反映させるという考えが強いため、例えば鶏肉の場合は骨付きと骨無しではグラムあたりの値段が1.5倍も違う。ポークバックリブも大変安いが、パッケージに「Do it yourself, and save your money!」と書いてあってびっくりした。日本であれば骨付き肉をこういうメッセージで売ることはまずない。


2. アメリカ人は摂氏0度でもTシャツとポロシャツ
日本で大人が冬にTシャツとポロシャツで出歩くことはまずない。だが、この国では気温0度の朝でもエレベーターホールでTシャツとポロシャツのみの勇者が散見される。ある気温マイナス10度の朝、エレベーターホールの全員がコートを着込んでいるのを見て、冬でも普段Tシャツの人がコートを持ってないわけではないことをはからずも知ることとなる。


3. 驚く程ではないが、アメリカ人の運転マナーは思ったより悪くはない
正直いってアメリカ人の運転マナーがいいとは思わない。車線変更の際にウィンカーをつける車は少ないし、交差点で曲がる時にもウィンカーをつけずに曲がる車は結構多い。でも、思った以上に制限速度を守っている車は多い。中央道を120キロで走る車は結構多いが、アメリカでは制限速度の1.5倍のスピードで走る車は少ない。違反すると翌年から自動車保険の料金が跳ね上がるというのが多分一番の原因だと思うが、、、。


4.アメリカ人は飲み過ぎない、日本人は食べ過ぎない
言わずもがなだが、痩せている人の比率はアメリカより日本のほうが遥かに高い。食習慣や食べ物が原因なことは想像に難くない。ジャンクフードやお菓子や清涼飲料水を大量に摂取する日本人は少ないし、食については日本人のほうが自らを律することができるきがする。でも、酒の飲み方に転じて見ると、アメリカ人のほうがきちんと自分を律してアルコールを摂取するようにみえる。金曜の夜の電車ともなると酩酊した人が日本は多数だが、アメリカで酩酊した人というのは殆どみない。レストランではお酒と一緒に大きなグラスに入った水がだされるので、その水を飲みながら、お酒を飲むと飲み過ぎることも酔っぱらうこともあまりない。車で帰らないといけないという事実が強力な抑止力となっている。


5. アメリカ人は平日でも週末でも自分の自由の時間を大事にする
日本人が平日に自由な時間がないなんておもわないが、やっぱりアメリカ人のほうが家族や自分の時間を大事にする。あまり遅くまで残っていると生産性を疑問視される何て話しもあるが、ある日マネージャーが「何でまだ残ってるんだ、早く家族のところに帰んなさい」と言って私のことを追い立てる。定時は9時から18時で、そう言われたのが17時30分だったんだが、、、。別の日に、娘がスクールバスに乗ることができなくて、私が学校まで迎えに行かなければならなくなったので、マネージャーに事情を説明して、「すみませんが、今日はちょっと帰らせて下さい」とお願いしたら、「何で連絡を受けて直に行かなかったんだ、私への報告なんて後でテキストを送るだけでいいのに」と驚かれた。平日の夜でも週末でも会社のメールをチェックしている人は結構多いが、家族を大事にするという文化が強く、暮らしやすいのは事実である。


6.英語がしゃべれない人は日本人が思うよりずっと多い
日本人は自分の英語力にコンプレックスを持っている人は多い。でも、日本人が想像するよりはるかに多くの人が、この国では英語がしゃべれないし、その割には何とか生活をしていることに驚かされる。カスタマーサービスに電話をすると英語でだけでなく、スペイン語が選べることは普通だし、医者に行っても意外と電話での日本語翻訳サービスなんてものもある。そりゃぁ、英語が話せたほうが物事がスムーズに早く進むことは間違いないが、英語が母国語でない人を受け入れたり、支援したりするサービスやインフラが思ったより充実している


7. アメリカ人は豪快に笑う、でも皆優しくてフレンドリーだ
アメリカ人の笑い方があまりに豪快であるため、思わず笑ってしまうということがよくある。この傾向は中年女性によりあてはまるように思われるが、中年女性の笑い方が動物的であるのは日本もあまり変わらないかもしれない。でも、こういう行動は彼らのオープンさや親しみやすさからきている面もあると思う。すごくいいなぁ、と思うのは彼らは見知らぬ人に対しても一貫して親切でフレンドリーなことだ。日本人もそりゃ親切ではあるけど、アメリカ人の親切さはよりオープンだと思う。ある日妻がコストコで小麦粉を探しにいって、不幸にも25キロが最小サイズだったため、巨大な袋をえっちらおっちら運んでいたら、すかさずとある親子が「あなたのカートまで運んであげるから私たちのカートに乗せなさい」と助けてくれたことがあった。この国のほうが、こういう感じの見知らぬ人への小さな親切にあふれているように感じる。


8. スーパーに行くのに本やスマフォは必須
レジは確かに遅い。もちろん人によるわけだが、日本だったら長い列ができていた場合は、レジの担当のうち5人のうち4人はなるべく早くさばこうと頑張る。だけど、この国ではその比率が5人のうち1人くらいまでに落ちるように思う。他の4人は「レジの前に長い列があるのは私の問題ではなくて、レジや人を増やさないマネジメントの問題だから」みたいな雰囲気を醸し出している。忍耐力、そして本やスマフォを片手にもつという準備はスーパーや役所に行く上でかかせない。


9. 確かに自動販売機の選択肢は極端に少ない
自動販売機の選択肢は確かに少ない、ないと言っても過言ではない。また、一番困るのは、自動販売機でお茶を買えないこと。日本だったらどの自販機でも最低3種類くらいはお茶があるが、この国では無糖のお茶は自販機ではまず買えない(というか殆ど売っていない)。日本の自動販売機は温かい飲み物と冷たい飲み物に分かれ、紅茶、コーヒー、色々な種類のお茶、ジュース、清涼飲料水とほぼ何でも売っていると言っても過言ではないが、この国では自販機が扱うのは清涼飲料水だけだ。


10. 挑戦することは美徳だし、挑戦をサポートすることも美徳である
家族と一緒に日本から引っ越してきてばかりなんだと言うと、初めてあった人も含めてほぼ全員が「おぉ、すげぇじゃん」と興奮し、自分が何かサポートでできないかと考えてくれる。あらゆる種類の挑戦がこの国では美徳である、そしてその挑戦をする人を応援することも美徳なんだと日々感じる。アメリカでの生活を立ち上げるということは私の人生の中でも最大の挑戦の一つであるが、それがどうにか成り立っているのも、挑戦する人に対して優しい土壌というのがあると思う。

アメリカで新生活を立ち上げるために渡米後2週間ですべき10のこと

以前のエントリーで紹介したが、昨年11月より米国ノースカロライナ州に居をうつした私。日本の大企業の赴任とは異なり、日本法人に一度辞表を出して、米国法人に入社するという形のため、生活環境のセットアップは一から自分でしなければならず、色々苦労をした。そんな中で一番参考になったのは、同じような経験を綴っている個人のブログ。生々しい様々な経験が書かれたブログには本当に助けて頂いた。
今後ますますグローバル化が進む中で同じような経験をする方も多いと思うので、他の方の少しでも参考になればと、私の経験を「アメリカで新生活を立ち上げるために渡米後2週間ですべき10のこと」としてまとめようと思う。今から思えば、「これは早くやって本当によかった」とか、「これはもっと早くやれば良かった」とか色々あるので、優先順位ごとに、自分がいつやったのかも含めて公開したい。


米国に居をうつす人も色々な事情があり、かつ州によっても大分違うと思うので、以下私の状況を参考までに。
・2013年11月4日に家族も一緒に渡米(到着も4日深夜)
日本法人を退社し、米国法人に入社しなおし
 なお、日本法人の退社は11月30日で、米国法人入社は12月1日。
 12月1日までは日本法人の有給消化。
・2013年8月に一週間、妻と渡米し物件を下見。
・会社の補助で現地のリロケーションエージェントが合計2日ほど
 家探しを支援。逆にそれ以外は全部自分で対応。
・移住先はアメリカのノースカロライナ州
・8歳と5歳の英語が全く話せない子どもと少しだけ英語が話せる妻と一緒に渡米。


渡米後2週間ですべき10のこと
1.住まいの決定
2.銀行口座の開設
3.プリンタ・スキャナの購入
4.携帯電話の購入
5.子どもの通学の申込み
6.ブロードバンド接続の申込み
7.Social Security Numberの申請
8.プレミオカード(クレジットカード)申込み
9.車と保険の手配
10.運転免許の取得



1.住まいの決定

アメリカでは住所が決まらないと、殆どの手続きが進まない。また、家族も含めてのホテル暮しというのはやはり疲れる。手続き、生活の基盤となる住まいは一番初めに決めることだ。
私の場合は、11月4日深夜に到着し、5日から物件を見て回り、7日に契約をして、8日に入居をした。渡米3日目で契約までこぎつけ、かなりのスピード感で進めることができた。
早く決めることが要因は、
1.8月に下見をして条件を詰め、その内容を不動産屋と前もって共有していたこと
2.ネットで調べ、渡米前に見たい物件をある程度絞っていたこと
3.11月渡米後も不動産屋以上にネットで条件に合う物件を調べまくったこと
の主に3つ。
不動産屋も良い物件を紹介してくれるが、結局向こうもネットで条件にあった物件を検索しているに過ぎないので、自分で気合をいれて物件を探しまくって、不動産屋にはその下見のアレンジを頼む、くらいの意気込みほうが早く決まる。なお、不動産の契約書は車の免許などができるまでの間、自分の住所を証明するための数少ない書類のため、肌身話さず持ち運ぶと、手続きの時に必要な書類がない、ということが避けられる。なお、水道、電気、ガスの申込みについては不動産契約後即日実施することが必要でこれも結構大変

2.銀行口座の開設

不動産契約を完了するために家賃の前払いをすることが一般的。そして、不動産の支払いはチェック(いわゆる小切手)であるとが一般的。よって、チェックを発行するための銀行口座とその口座の現金が、不動産契約完了には必要となる。
私の場合は、渡米2日目に口座の作成をした。
数ある手続きの中で住所がなくても手続きが進んだのは私の場合銀行口座開設のみ(もちろん、銀行による、住所がないとダメなところももちろんある)。滞在ホテルの住所を使ってWells Fargoで口座を開設した。パスポートを持って店舗にいけば1時間ほどで口座を開設してくれる。
Wells Fargoはその後の慣れない諸手続きなどを本当に親身になって対応、助言してくれ、とても感謝している。チェックとかアメリカの銀行口座の仕組みがよくわからないという人は、Wells Fargoは絶対におすすめ。目先のしょっぱい金利や手数料よりも、親身になって助けてくれる人がいることがとにかく初めの頃は大事。

3.プリンタ・スキャナの購入

山のような申請手続きを進める上で自宅でプリントアウト、並びにスキャンできる環境を整えるのはかなり大事。
私の場合は、渡米7日目に発注して、9日目に届き、少し後手に回ってしまった。
住所さえ決まればAmazonでぽちっと買えば済む話で、日本よりも配送にかかる日数が長いので、住所が決まり次第購入手続きを直ぐすることがお勧め。
なお、私の購入したものは予想に反しケーブルがはいっておらず、Wi-Fiのみの接続で設定に少し手こずった。

4.携帯電話の購入

多くの手続きを進める上で電話番号は必要事項。また、手続き上、電話での申し込みや問い合わせも頻繁に発生するし、種類によってはHot Spot機能もあるので、購入は早めにした方が良い。
私の場合は、渡米8日後に購入。これでも急いだつもりではあるが、もう少し早く契約をした方が、連絡手段の整備という点ではよかったかもしれない。役所と違って土日もやっているので、他の手続きがしにくい渡米後の初の土日に手続きするのがいいかもしれない。
なお、携帯電話の購入にあたっては、多額のSecurity Depositが必要となるため、クレジットカード払いがもちろんできるが、それなりの心算が必要。

5.子どもの通学の申し込み

渡米直後は山のような諸手続きと生活必需品購入のための買い物にとにかく追われるが、子どもがそれに付き合うのは酷というもの(英語がわからないのに現地校に放り込まれるのは、もちろんもっと酷だが、その問題はとりあえず棚にあげよう、、、)。なので、学校の手続きも早いにこしたことはない。
学校に子どもを通わせるための手続きは、1.English Proficiency Testの予約、2.English Proficiency Testの実施とCenter for International Enrollmentでの申し込み、3.Center for International Enrollmentで紹介された学校での申し込み、の3 Step
私の場合は、1は渡米4日目、2は9日目、3は10日目。学校からは3が終わった次の日から来て良いよと言われたが、金曜日だったのできりよく月曜日から娘は小学校に通学。1の予約をしてから少し間が空くので、テストの申し込みだけは早めにした方が良い。
車で学校まで子供を送ったり、スクールバスでの通学に切り替えたり、慣れるまでには色々大変なことはあるが、やはり日中に諸手続きに子供を付き合わせずに自由に動き回れることのメリットは大きい。色々不安な点はあっても、早く子供に慣れてもらうためには学校へは早く通い始めた方が良いと思う。

6.ブロードバンド接続の申込み

諸手続き書類のダウンロード、Webでのアカウントの作成、各種調べごとをするために、インターネットへのアクセスはかかせない。渡米直後はわからないことが多いので、Webへのアクセスは死活問題と言っても良い。
私の場合は、申込が渡米11日目、実際の設置が14日目となり後手に回った。その間、会社の同僚がHot Spotを貸してくれたので、それで何とかしのぐことができたが、Hot Spotの入手前はウェブに接続するために無料WiFiのあるスターバックスにいったり、Targetに行ったり、さながらWiFi難民といったような生活を送り苦労することになる。
手続きするまでに時間がかかったのも、どのプランにするのか調べたり、決めたりするのに時間がかかったことがある。この手のものは初回の契約の際に大きなディスカウントをもらえるので、よく調べて決めたほうがよいので、渡米前にあたりをつけるのも一つの手だ。なお、私の場合はケーブルテレビと固定電話にあわせて加入したが、両方ともあまり使わないためブロードバンドのみの契約に切り替えたが、契約切り替え時にはキャンペーンの価格などが適用されず、割高な金額を払うことになってしまっている。

7.Social Security Numberの申請

SSNも各種手続きで必要な基本情報であり、後々にクレジットカードを作る際に、クレジットヒストリーをためるために必須の情報のため、渡米後に直に取得した情報だ。下4桁の数字は、その後の生活で本人確認のために使うことが多い。SSNなしでも進めることができる手続きは多いが、後から登録したりしないといけないのが面倒なので、早いにこしたことはない。
私の場合は、渡米8日目に申請し、10日目に取得した。実際のカードが発送されるのはもっと後の話しだが、申請さえすれば1-2営業日で番号だけ教えてくれる。
実は渡米4日目に申請にいったのだが、その時は空いていなくで無駄足になってしまった。水曜日の午後はやっていないとか、早めに今日は締めるとか、そういうことが多いので、行く前にきちんとやっているかやっていないか調べてから行くことが必要。当たり前のことではあるが、渡米後はばたばたして、ネットにつながったりしないことが多いので、こういうことをおろそかにして、かえって時間の無駄になることが多かった。
なお、言ってから1-2時間は待たされることを覚悟して行った方がよい。手続きを早く回して混みを解消しよう、とかそういう発想がないお役所仕事なので、本などの暇つぶしの道具を持っていくことが大事。

8.プレミオカード(クレジットカード)申込み

アメリカでの生活をする上でクレジットカードは必須。日本で作ったカードは為替で手数料がのっかるので、ドル建てのクレジットカードを早めに持った方が良い。だが、アメリカ生活をはじめる上でいつもぶちあたるのがクレジットヒストリー。日本でのクレジットヒストリーはアメリカで引き継げないので、普通のクレジットカードをアメリカで作ることは不可能。そんな日本人への強い味方がプレミオカード。
http://www.premio.com/
アメリカでのクレジットヒストリーがなくても唯一作れるクレジットカード。渡米前に話しは聞いていたのだが、「ま、自分がクレジットカード作れないことはないだろう」と思って、他のクレジットカードを作ろうと試みたのだが、玉砕に玉砕を重ね、手間とクレジットヒストリーを傷つけるだけの結果となった。
私の場合、そういう回り道をしたので、申込をしたのが渡米32日目で、手元に到着したのが渡米51日目。もっと早く作ればよかったが、今となっては後の祭り。手元に届くまで時間がかかるので、渡米2週間以内に申込だけはすることを強くおすすめしたい。

9.車と保険の手配

アメリカは言わずとしれた車社会。家族がいる場合は、自分の車と妻の車の2台は必ず必要になる。どうやって入手をするかは色々人によってあると思うが、私は色々考えリースにした。自分の車が来るまでの間は、会社にレンタカーを借りてもらっていた。入手手段にもよるが、何かと色々時間がかかるので、手続きは早めにはじめるにこしたことはない。
私の場合は、実際にリース会社に必要書類を作成し、申込をしたのが渡米14日目、その後見積りや価格交渉をしてリース契約をしたのが渡米22日目、そして車が納車されたのが渡米39日目。間にサンクス・ギビングが入ったこともあり、ものすごく時間がかかってしまった。
納車されるまでの間、妻は一人ででかけることができなく、かなり不便な思いを強いることになってしまった。大きな買い物なので、ほいほいと買うわけにもいかないが、購入車種、色などは渡米前になるべく決めて、渡米後は一気に手続きを進めたほうが良い。
なお、車のリースには自動車保険への加入も必要となるが、これもなかなか曲者。クレジットカードのヒストリーと同じで、通常の自動車保険はアメリカで免許の取得から何年たっているかで金額が決まるので、アメリカで免許をとっていない人は法外な見積りをもらうことになる。散々インターネットでさがして、セブンヒルズという代理店を経由したら日本での運転履歴、並びに自動車保険加入履歴も考慮したリーズナブルな保険を購入することができた
私の場合は渡米21日目に見積りを取得し、最終的に自動車の納車日にあわせて渡米38日目から保険開始となった。

10.運転免許の取得

国際免許があれば運転免許の取得は必要ないと考え、免許の取得はあまり急がなかったのだが、リースの開始には米国の免許が必要とのことで、免許センターに行くことになる。日本のように教習上に通う必要はなく、交通ルールの試験、視力試験、実技試験に通れば、すぐに取得ができる。運転免許があると各種の申請ごとがスムーズに進むし、免許がないと手続きを進めてくれないことがかなり多い(オンラインバンクの口座作成やリテールストアのデビットカードなど)。なので、免許を早く取得するにこしたことはない。
私の場合、免許を取得しにいったのは渡米14日目、そして無事取得できたのが30日目、、、。なぜ、そんなに間があいたのか、、、。はい、運転免許の実技試験に二度落ちました。詳細はここには記載しないが、実技試験をとおるにはいくつかポイントがあるので、十分に対策をしていったほうが絶対にいいと思います(もちろん、準備しなくても一発合格、という人もいると思いますが)。
また、その他の注意点としては、NCでは自動車保険に入っていないと試験すら受けることができないのです。少し違和感があるのは、車のリース開始には免許が必要なので、順番として、1.自動車保険に加入、2.運転免許取得、3.車の納車、となりとてもわかりにくい。私の場合は、レンタカーに付帯する自動車保険で試験を受けることができたが、事前に問い合わせをした時はレンタカーの保険ではダメと言われていた。このあたりは担当によって言うことが違うので、今もって何が正しいのかは謎。


以上、「渡米後2週間ですべき10のこと」をまとめたが、アメリカは州によって色々異なるので、ノースカロライナ州でない方は、細かいところは違うところもあると思うので要注意で。色々手続きを進めていく上で、身につけた技や注意点はあるのだが、それはまた別エントリーでまとめることとする。同じ境遇の方の少しでも参考になれば。

『経営論Z』 「個」の力の最大化と「理想の組織づくり」

世に経営本は多いが、一般的な考えにとらわれず、筆者自らが原理原則に立ち戻り、本質論に迫る本は少ない。また、世に経営者は多いが、経営者にしかできない仕事のみを徹底的にやっている経営者もこれまた少ない。本書は、20年にわたり経営者にしかできない仕事に取り組み続けてきた筆者による、既成の考えにとらわれない経営論であり、はっとするような気付きを所々で与えてくれる良書。実経営者による経営論のため、机上の空論ではなく、現在進行形で行われている経営の中から紡ぎだされた考えに溢れ、血の通った経営論となっていることが特徴。

シグマクシス 経営論Z

シグマクシス 経営論Z

IBMを辞めてから20年以上、「経営者」の仕事をしてきました。振り返ってみれば、この間、私のテーマは「理想の組織づくり」でした。優秀な社員ほど離れたくないと思える組織は何かーそれだけを考えてきたのです。
『経営論Z』 ~P103~

本書で取り扱うテーマは多岐にわたるが、フォーカスは「個」の力を最大限発揮させるための仕組み作り、とみてよい。IBM副社長、PwCコンサルティング会長、日本テレコム社長などを歴任し、シグマクシスの会長兼社長を勤める筆者。コンサルタントというプロフェッショナル集団の個々の力を最大限高めるためにはどのような組織があるべきか、優秀な人が離れたくなくなるような強い引力を発生させるにはどうしたら良いのか、というテーマにずっと取り組んできた筆者の経営論は、組織の活性化に悩む多くの経営者(特に若い方)に示唆を与えてくれるはずだ。「個」の力を最大化というテーマは、「Google型のエンジニアのパフォーマンスを最大限発揮させる経営」みたいなウェブ界隈で良く語られるものとかぶっているが、ベースとなる素材が一定以上の規模のコンサルティング会社のため、ウェブにあふれる今風の組織論とはトーンや重厚感が異なり、新しい視点を提供してくれる
私が最も読み応えたがあったのは人事評価のくだり。筆者は本書で、人事評価を「手元のお金の配分プロセス」ではなく、「人材という最重要な資産の価値を最大化するための投資プロセス」と再定義している。全社員の人事評価を全社員に公開している点や一番お客様からの引き合いの多いAクラスのコンサルタントを評価に関わらせる点、など一般的な企業と異なる哲学が貫かれており示唆に富む。詳細な仕組みついては本書を読んでのお楽しみとするが、人事評価のあり方の再定義から入り、会社を横断した全社的な仕組みの構築、そしてその仕組みを成り立たせるための大胆なリソースの割り振り、そのコンセプトの定着化に向けての個々人へのフォロー、などの一連の流れが紹介されており、変革の臨場感が伝わってきて、勉強になるだけでなく、読み物としても楽しい。そして、ひと通り読むと、「人事評価の仕組み作りは人事部長の仕事」というありがちな考えでは革新を起こせないことがよくわかる。全社活動として人事評価に取り組んでいるため、これは経営者にしかできない仕事なのだ。


経営論だけでなく筆者の自叙伝のような箇所もあり、前著とかぶる部分もあるが、なるべく新しいネタをという配慮も感じられる。生粋のプロフェッショナルの筆者の考えから学ぶことは多く、後半は読み物としてとても楽しめる。特に、下記の下りは心に染みた。

仕事が忙しい、忙しい、と言っている人がいますが、「忙」という字は心を亡くすと書くので、私は好きではありません。いつも社員に言うのは、「自分の人生で大事なもの3つを優先的にスケジュールして、残りの時間で仕事をしなさい」ということです。・・・<中略>そもそも、仕事では作業のプライオリティ付けするのに、より自分に直結する人生ではプライオリティ付けしない、というのはおかしい。仕事の中に人生があるのではなく、人生の中に仕事があるのですから、ちょっと考えれば分かる話です。
『経営論Z』 ~P139、140~


組織が大きくなるにつれ、創業時のフットワークの軽さや従業員との一体感が薄れてきて、自分の思い描く「理想の組織」との間に生じるギャップに悩んでいる若い経営者は多いはず。「個」の力が最大限発揮されている「理想の組織」を維持したまま、会社を中小企業からもうワンレベル上に持って行くには固有の苦労や乗り越えなければならない壁がある。そういう壁に直面している若い起業家、経営者に。巨大な外資系企業、中小の外資系企業、こてこての日本企業、そしてベンチャー企業という様々企業の変革を経営者として取り組んだ筆者の経験は多くの示唆を与えてくれるはずだ。読み物としての面白みも十分にあるので、是非多くの方に手にとって頂きたい。

『スタンフォードの自分を変える教室』 自分を変えるのではなく、知り、受け入れる

「やるべきことができない、続かないのは、あなたのやる気の問題ではなく、仕組みの問題」という最近の自己啓発に流行である「仕組至上主義」に食傷気味の方には本書はおすすめ。「仕組至上主義」は自らの意志力の弱さという自己管理上避けては通れぬ道をあえて避けて通っている点で一般受けしやすいが、自分の意思力の強さ弱さを問わず、仕組で全て解決というのは無理がある。本書では、意思力がうまく働かずに、好ましくない行動をわれわれがとってしまうメカニズムが優しい言葉で説明され、その失敗を避けるための具体的な指針まで提示がされている。最近の流行に反し、意思力の強さ弱さに正面から取り組んでいる点で他書と趣を異にする。


スタンフォードの自分を変える教室

スタンフォードの自分を変える教室

原書のタイトルが『The Willpower Instinct』のところを『スタンフォードの自分を変える教室』としているが、「自分を変える」という言葉をタイトルにいれることには違和感を覚える。というのも、本書は自分自身を「変える」ことよりも、「知る」ことと「受け入れる」ことにその紙面の大半を割いているからだ。


何かを変えるには、現状をきちんと「知る」ことが大事。惰性で誘惑に従ってしまった過程にあえて意識を向け、その過程を「知る」ことによってコントロールを利かせるという本書のアプローチは非常に興味深い。例えば、本書ではドーパミンの作用は行動を起こすためのもので、幸福感をもたらすものではない、ドーパミンが放出される時に感じるのはあくまで『期待』であり、『喜び』ではない」と紹介されている。どういうことかと言うと、目の前の杯が空きそうになると、脳内でドーパミンが放出され、「お酒を飲むと美味しくて楽しい」という『期待』が高まって興奮状態になり、次の一杯を注ぎ、杯を口に運ぶように促される。実際に放出されたドーパミンの作用に従って行動をしている時に本当に『喜び』を感じたかどうか意識を向けて観察してみると、必ずしもそれが『喜び』につながっているわけではないという。実際に我が身を使って実験をしてみたがこれは確かに正しい。自分の行動を振り返り、『期待』に従ってとった行動が実際の『喜び』につながっているのかを「知る」、その結果、自己をよりコントロールしやすくなる、こういった考えが様々な形で本書では紹介されている。


意思力が弱い自分を卑下したり、叱咤するのではなく、目先の快楽に走ったり、抗ったりする自分の様々な一面を知り、目先の快楽に走る欲求をそのものはコントロールせずに受け入れ、結果として自分がとる行動をうまくコントロールする術を身につけましょう、というのが本書の肝。大変な売れ筋なので、逆に手にとることに躊躇したが、新しい発見があって面白かった。「仕組至上主義」にはもう飽きたという方にはおすすめの一冊。

30代の軌跡 ビジョンとチャレンジ、その結果えたこと

思うところがあり昨年の11月に家族共々米国に居をうつした。これは私の30代の大きな目標の一つであり、何とか形にすることができ安堵感を覚えている。ここしばらくその活動のフォーカスしていたため、ブログがすっかりほったらかしになってしまったが、一つの区切りをむかえたことを機にこれまでの30代の自分の軌跡をまとめてみたい。

はじまりの言葉

フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)

フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)

よいビジョンはたんなる響きのいい言葉の羅列ではない。それは、あなたが心から達成したいと思っている成果の確固たるイメージなのだ。
『フューチャー・オブ・ワーク』 P.226

自分の30代を振り返るに、出発点はこの言葉だった。30歳になり、仕事は超多忙ながらも順風満帆、結婚もして、子どももでき、「さぁ、これからどこに向かっていこうか」と考え始める。自分の天職は何か、適性は何か、キャリアのビジョンはどうあるべきか、なんて切り口であれこれ考えるが、あんまりいい答えに巡り会えない。Steve Jobsのスタンフォード大学の卒業式のスピーチが流行った頃で、天職につくというより、それを探し求めることが是という風潮が今思えばあった時期だ。「これが俺の天職です」みたいなブログエントリーにはてなブックマークとかが一杯つくのを横目に、色々考えるものの自分が満足いくような解には至らず、悶々と悩む日々を過ごす。
そんな中で、「よいビジョンはたんなる響きのいい言葉の羅列ではない。それは、あなたが心から達成したいと思っている成果の確固たるイメージなのだ。」という冒頭の言葉にであう。天職、キャリアなど仕事の枠の中からのみビジョンを作ろうとしていた私には目から鱗であった。仕事にとらわれすぎると『心から達成したいと思っている成果の確固たるイメージ』から遠ざかってしまうように感じ、妻や子どもも含めて家族としてどうなっていたいのかを考えるように視点を切り替えた。自分にとってどんな経験が素晴らしいものだったのか、何をしている時に楽しいと感じるのかを考え、妻と対話をし、キャリアの良きアドバイザーに助言を求め、見栄や外連味を排除し、自分に問いかけつづけ、結果として「カリフォルニア州サンノゼ近辺で悠々自適に暮らし、50歳までには毎日仕事をしないといけない状態から足をあらう」というビジョンを掲げ、そこに向けて走ることにした。「それは無理なんじゃない?」という人もいれば、「何だよそれ、、、甘いな〜」という人もいれば、「素敵で、楽しそうだね、頑張って」とうい人もいてリアクションは色々だったが、「自分が心から達成したいと思った成果のイメージ」なので周囲の評価はあまり気にならなくなっていた。

英語への挑戦

ビジョンが決まったので、そこに到達するためのロードマップを練り、それを実現するための現状の課題を洗い出していった。細かなものも色々あったが、最大の課題はとにもかくにも英語。多少読めるが、聞き取れない、しゃべれない、という典型的なパターン。日本語だと饒舌なのに、英語になるとその場からいなくなったように微動だにしないと揶揄されたことも。日本人であれば多かれ少なかれ誰もがぶちあたる壁。過去に何度か取り組んだことはあったが、突き動かされる何かがあったわけではないので、形にはならなかった。まだ手の届く感のつかめぬビジョンをにらみつつ、毎朝5時に起き、出勤前に毎日1時間半勉強し、通勤時間にパソコンや携帯で仕事をするのは禁止とし、通勤時間も可能な限り英語の勉強に時間をあてた。フォーカスすることにあわせて時間の使い方をドラスティックに返るという考え方をとりいれたのはこの時期からだった。色々な勉強を試したが、幸いなことに「これだ!」という勉強法にかなり早く到達することができ、後は努力するのみというところに歩を進めることができた。じたばたしてると何かしら進むものだ。なお、細かい勉強方法についてはこちらを参照。
座学をかなりやりこんだが、それを活かす場がないとなかなか英語は身に付かない。当時のコンサルタントという職を継続しながら、英語を実務として活かす場を作ることを試みたものの、これは現実的ではないという判断を下すのにそう時間はかからなかった。新卒の頃から取り組んできたコンサルタントという仕事は大好きだったが、英語を使う機会のあるプロジェクトに英語のできない自分が関与し、高いフィーを頂き、それに見合う高い価値をお客様に提供し続けることは難しい。なので、即座に成果の求められる社外のお客様を相手にする仕事ではなく、多少ためのきく社内で英語を使う仕事を探し、部署異動をすることに決めた。グローバルな大企業に勤めていたことと社内にも良い人脈があったことが幸いし、幸運なことに複数の部署からオファーを頂き、無事に異動することができた。今から振り返ってみて、この選択はその後の方向を決める非常に重要なものであった。第一線で価値をお客様に提供する社外の仕事から社内のみの仕事に切り替えることに躊躇はあったが、ビジョンに即して歩を進めることにした。「キャリアアップ」という言葉はある種の思考停止ワードなので気をつけたほうがよい。その言葉にとらわれすぎると、給料が下がったり、職位が下がったり、仕事のレベルが下がったりすることを極端に避け、現状の瞬間最大風速をあげることのみに焦点があたり、結果として将来の選択肢を狭めてしまうことになりがち。目先の昇進、昇給におわれるのではなく、長期的な視点にたって、次にうつ布石を決めることは非常に重要で、地力を養うためにある部分はステップバックを求められる「キャリアの踊り場」を作ることも検討すべき大事な選択肢だ。

初めての転職

英語を勉強したいという不純な動機で異動した部署では、幸いなことに仕事、人にものすごく恵まれ、非常に充実した日々を過ごすことになる。懸案であった英語も座学をやり込んだ成果もあり、年の割りにはメキメキと伸びていった(と自分では思う)。一日は24時間しかなく、その多くの時間は仕事をしているので、仕事の中で英語を活用する環境を整えることが、英語力の強化には必要不可欠だと今でも思う。
正直仕事の面白さはあまり期待していなかったのだが、外部からコンサルタントとしてお客様にサービスを提供するのとは異なる、何というか一蓮托生の一体感というものを異動先の部署では覚え、グローバルな部署統合のような当初想像もしていなかったような仕事の機会にも恵まれ、とても楽しく過ごすことができた。また、会社という枠がなくなっても一生お付き合いができるような素晴らしい方達にも巡り会え、相変わらず大変なるも充実した日々を過ごすことになる。
この部署で米国へのアサインメントのチャンスがあったのだが、タイミングが少し悪く手元からするっと落ちていってしまった。話しが立ち消えてしまった時はショックだったが、機会の窓というのは開いたり閉じたりするものだから、焦らず、きちんと目標を見据えて諸事にあたるように心がけた。
勤めていた会社は世界に名だたるエクセレントカンパニーで非常に素晴らしい会社と今でも思うが、私にとってはそこで全てのキャリアをおえたいと思えるような会社ではなく、どこかで卒業をするんだろうなぁ、という直観を常に持って働いていた。問題はそのタイミングがいつかで、私にとっては「海外にいく前に卒業するのか」、「海外に行ってから卒業するのか」というのが難しい問題であった。残念ながらいきなり米国の現地企業にいって就職できるほどの素養は私にはなく、米国に行く以上どこかを経由しなければならない。その経由地において、自分の希望を通すために、実績や信頼という「貯金」が必要であり、転職をするということはその「貯金」が一旦ゼロに戻ってしまうということに等しい。なので、「貯金」がそれなりに貯まった場所で機会の扉が開くのを待つのか、見切って新しい場所でゼロから「貯金」を貯め始めるのか、この点で大いに悩むこととなる。もちろん、米国に行くことだけが唯一の目的ではないので、その他色々考え、最終的には事業の魅力という一点で今の会社に転職することを決意する。外資系の買収合併の波にもまれ、新卒で入社して以来、会社名は5回程変わってはいたが、初めて自分の意志で勤め先を返ることとなった。なお、色々考えた過程に興味のある方はこちらの2007年あたりをご参照。

新天地 カオスとその醍醐味

転職した会社は日本法人60名ほどの米国ノースカロライナ州に本社をおく外資系企業。転職前の会社は日本法人のみで2万人以上いたことを考えると全く別世界。「カオスを楽しめないとうちの会社ではやっていけないよ」とシンガポールにいる上司から言われていたが、入社してみたらやっぱり想像通りのカオスで腕がなった。時として、想像を上回るカオスに面くらうこともあったが、規模の小さな会社で活躍することの醍醐味にはまり、楽しみながら仕事漬けの生活を送ることになる。2万人もいるような会社に勤めていると、自分の努力が会社全体に及ぼす影響というのは非常に見えにくいし、戦略の間違いというのも即命取りにはならない。会社員であれば多かれ少なかれそうだが、自分が本当に価値を生み出しているのかよくよく意識して取り組まないと、そこに仕事があるからしているけど価値をほとんど生み出していない、何てことになりがちだ。一方で、規模の小さな会社は自分がさぼれがそれが全体への影響として覿面にあらわれるし、戦略の実現に向けて一丸となって取り組んで成果に結びつけないと、本当に命取りになる。自分が頑張れば会社全体が上向くし、頑張らなければ沈滞していくというのは、大変ではある一方、大いにやりがいがあるものだ。入社当初は本当にカオスで、「同じ案件情報を4ヶ所に入力しないといけなくて大変です」とか言いながら若手営業が毎日深夜2時くらいまで働いたりしていて、なんか応急の止血をしないと兵士が討ち死にしてしまうというような状況がそこかしこに見えたり、請求書も発行していないのにお客様に支払いをメールでお願いし、入金されないと出荷できないみたいなローカルルールがある部署があって、ビジネスがぽろぽろこぼれていってる状況が散見されたり、野戦医のような気分で応急処置にあたった。こうやって書いてしまえば、元の状態というのは「何でそんなことに、、、」というようなことが多かったが、コンサルタントとしてプロセスの改善提案などをお客様にしていた時の経験から「現状のプロセスは今いる方のベストの努力の結果であり、その努力に敬意を払いながら、新しい視点でそのプロセスをみることができる者の役割として改善を推進し、その機会を与えてくれた今いる方に感謝をする」というスタンスが非常に大事と認識していたので、諸事にそういうスタンスで全力であたった。まぁ、生来ぱっと見てとっつきやすい人間ではないようで、初めは「あいつ何者?」って感じで遠巻きに警戒されていたが、気づいたら同じ方向を目指す同じ船の同乗者として認めて頂き、職場の方とも良好の関係が自然とできていった。外部から専門家としてお客様に価値を提供するコンサルタントという仕事は今でも素晴らしい職業と思うが、スコープとか期間とか気にせず、会社のためには何を一番すべきかという視点で仲間と仕事ができる事業会社での仕事も大変魅力的で、その醍醐味を大いに堪能することとなる。両方やってみた実感としては、今の方が私には性にあっている。転職して初めの2〜3年はそんな感じでひたすら新しい会社の仕事に没頭した。
プライベートのほうは、転職して間もなく長男を授かり、家族4人での生活がスタートした。「男性の育児への参加」という第3者みたいな視点ではなく、「職業は父親、別の姿として会社員」という心意気で子育てにあたったつもりであったが、まぁ、仕事が忙しいこともあり、自分が思い描くような形でどれだけできたかはわからない(自らこういうくらいだから反省すべき点も大いにあるに違いない)。家族からは何とか合格点はもらえることを期待したい。

そして転籍 米国に居を移す

転職して2年半くらいたったころだろうか。本社からCFOが来日し、One on Oneで話す機会を頂けたので、自分の米国本社への転籍を志願した。赴任プログラムがあるような会社でもなく、もちろん日本法人から本社に人が転籍したなんてケースもない会社なので、一筋縄ではいかないだろうなぁ、と思っていたが、自分が希望をもっていることを表明し、その希望の実現に向けてサポートを依頼しないことには何も始まらない。丁度私の所属する部署のグローバルのトップが退職をし、その席が空白のタイミングであったため、いきなりオッケーとはもちろんならず、「希望を持っていることは認識した、でも今の部署のどたばたが落ち着いてからもう一度考えよう」というような答えをもらうことになる。まぁ、第一ラウンドとしてはこんなものかと。ゴールに向けて地道に努力をしていくと、機会の扉は自ずと開く、というのは経験則としてあったので、あまり焦らず、扉がゆっくり開いていくのを待ちながら、その期が到来する時に色々サポートがもらえるように目の前の仕事を着実にこなすことに腐心した。
ほどなくして空白だったポジションに新しいリーダーが着任し、その人ともOne on Oneで話す機会を得る。仕事の話が一通り終わった後に、米国本社への転籍の希望をストレートに伝えると、しばらく考え「是非サポートしたい、だが自分も新しいポジションについたばかりで、目の前にある山積みの問題を解決しないといけない、だから必ずサポートするが落ち着くまでもう少し時間が欲しいし、一緒に今の問題解決に取り組んで欲しい」というような答えをもらう。まぁ、それはそうだ。入社当初は日本では私一人だった部署も、会社の拡張や役割の見直しなどを受け、10名以上のチームを任せられるようになっており、私の受け持つ範囲はかなり広がっていた。着任したばかりの人にしてみれば、それなりに規模があって落ち着いて回っているところをいきなり動かしたくはないだろう。ただ、サポートをしてくれることを約束してくれたので、一緒に目の前の問題解決にあたり、機会の扉が少しづつ開いていくのを待つこととした。
その後も、竜巻のように吹き荒れる色々な仕事上の問題に取り組み、嵐のように過ぎ去る日常の中でも子どもも健やかに成長し、地域社会への関わりみたいなことも徐々にして増やしたりして、充実した日々が過ぎていった。転職して、そろそろ5年目に近づこうかという頃、シンガポール人の上司と話をしていると、「本社への転籍について具体的な日付とプランをそろそろ決めたい、だからまず移行プランの素案を作って欲しい」という打診を受ける。鍵はかかってないんだけど、ちょこっとしか開いていない機会の扉が、「ぎぎぎぎっ」みたいな鈍い音をたてて自然と少しだけ開き、自分の手をそこに差し入れる余地がようやくできる、そんな感触を覚えた。
扉が開きかけたら、後はそこに向けて力を集中するのみ。ターゲットとする移行日をがちっと決めて、そこから逆算した詳細な移行プランを作ったり、引き継ぎのための体制作りをしたり、米国本社への出張の際に家族を連れていって現地を視察してもらったり、日常の仕事はもちろん疎かにはしないが、それ以外の力をほとんど転籍の実現に注いだ。2013年の11月をターゲットとして、2013年の1月から具体的に色々動き出した。5年も勤めたポジションだったので引き継ぎの体制作りに大いに苦労することとなったが、最終的には自分の居場所のない(笑)体制を作ることができた。赴任システムなんて仕組みがないし、日本から人が米国本社にいくなんてことも初めてだったので、色々物事を進める上で苦労がたえなかったが、多くの方の協力を頂き何とか転籍にこぎつけることができた。壮行会を開いて頂いたコンサルタント時代の大手商社のお客様に「いやぁ、VISAの手続きとか山のような書類の処理があって大変ですよね」とか言ったら、「何?そんなこと自分でしないといけないの??」とか大いに驚かれたりした。まぁ、規模や歴史が違うので当たり前なのだが。なお、ここで日本語で書いても詮ないことであるが、シンガポールにいる直属の上司はこの転籍に向けて、文字通り一番手を動かして助けてくれた。前例のないことは、口を動かす人は一杯いるのだが、前に進めるために苦労しながら手を動かしてくれる人は少ない。私がいなくなって困るのは自分にも関わらず、私の希望をくみ、成長性に期待をかけ、実現に向けて腐心してくれた上司には感謝しても感謝しきれない。そういう上司に恵まれたことは心の底から幸運と思う。

まとめ ビジョンとチャレンジ、その結果えたこと

つらつらと駄文を書き連ねたが、「カリフォルニア州サンノゼ近辺で悠々自適に暮らし、50歳までには毎日仕事をしないといけない状態から足をあらう」というビジョンに向け、色々チャレンジを重ねてきたが、アメリカに居を移すという一歩を踏み出すことができ、大きな前進を遂げることができた。30歳の頭から数えて、この一歩を進めるのに8年も時間がかかってしまったし、場所も西海岸ではなく、東海岸で全然違うし、ここがもちろんゴールでもない。30代頭では見えなかったことが、今は見えることもあるので、ビジョンも見直さないといけないだろう。ただ、今すぐにビジョンを見直すという気には、何か今はなれなく、再設定した中長期のゴールに向けて走り出すまでに半年くらいは少なくともかけてもいいかなぁ、と思っている。住む国が変わるというのはそれ自体が大きな変化なので、その変化に少し身を委ねて、この国でしばらく生活、仕事をして、もう少し色々なことが見えるまで時間をかけようと。


私は、難しい仕事を仲間と一緒に一生懸命取り組んで、大変な思いをしながらもやりきることが大好きだ。今の会社、前職も含めて、チャレンジをともにしてくださる方々、そしてそういう仕事の機会に多く恵まれ、本当に幸せだと思う。その経験、そしてその過程で出会った人々、築いた人脈というのは自分にとっての本当にかけがえのない財産だ。
また、仕事以外では、子育てをしながら幸せな家庭を築くという、これまたものすごく難しいチャレンジを今の妻と取り組んでいることに強い充実感を覚える。世界で最も難しいであろうこの取り組みに一緒にチャレンジする最高のパートナーが自分にはいて、これまた大変幸せなことだと思う。居をうつすにあたり、妻には大変な苦労をかけたが、あらためてその諸処の課題を解決していく能力と物事をやり抜く馬力を目の当たりにし心強く思う。本当にありがとう。
そして、今家族で異国に居を移し、子供たちも仲間に加えて、新しい環境に適応しみんなで楽しく過ごすという一大プロジェクトに取り組み始めた。私や妻だけでなく子供たちもプロジェクトメンバーとして大いに四苦八苦している。お父さんがプロジェクトマネージャーで「よし、成功に向けてみんなで頑張ろうぜ」みたいな感じで、家族という最もつながりの強い仲間とチャレンジできる今の状況を私はとても気に入っている。
天職という言葉に30代の頭はとらわれたが、今は気にならない。私は仲間と難しいチャレンジに取り組み、苦労をわかちあいながらも、成し遂げる、その過程と達成した時に覚える充実感が大好きなんだ。それがわかったのだから、何を天職などというものにこだわろうか、それが今の正直な気持ちだ。


駄文に最後までお付き合いくださった皆さま、ありがとうございました。

『不格好経営 チームDeNAの挑戦』 立案と実行の間の隔たりを埋める知恵

「何でも3点にまとめようと頑張らない。物事が3つにまとまる必然性はない」、本書『不格好経営』にはこんなコンサルタントあがりが思わずほくそ笑んでしまう言葉があふれている。

コンサルタントして、A案にするべきです、と言うのは慣れているのに、Aにします、となると突然とんでもない勇気が必要になる。コンサルタントの「するべき」も判断だ。しかし、プレッシャーのなかでの経営者の意思決定は別次元だった。
『不恰好経営』 第7章 人と組織 P.202

筆者南場智子は言わずとしれたDeNAの創業者。創業前、マッキンゼーのトップコンサルタントであった筆者がDeNAを創業し、「コンサルタントの考える経営」と「経営者として取り組む経営」の溝に奮闘していく日々が、飾らない言葉で実体験として綴られていく。両方の草鞋をはいたことのある筆者にのみだせる味で、これは本書の特徴の一つだ。

意思決定のプロセスを論理的に行うことは悪いことではない。でもそのプロセスを皆とシェアして、決定の迷いを見せることがチームの突破力を極端に弱めることがあるのだ。
検討に巻き込むメンバーは一定人数必要だが、決定したプランを実行チームに話すときは、これしかない、いける、という信念を全面に出したほうがよい
不格好経営』 第7章 人と組織 P.202

戦略を決めることと、その戦略を実行に移すことの間には大きな隔たりがあるものだが、その隔たりを超えるための知恵が本書には随所に記載されており大変勉強になる。例えば、戦略的な意思決定のプロセスをどの程度共有するか、ということ。筆者は、戦略を決める時にいかに迷ったとしても、実行メンバーに対してはその過程をみせず、「これしかない!」という信念のみを示すことが大事という。というのも、色々なとりえた戦略を提示すると、いざ実行に移して想定していなかった大きな課題がでてきた時に「やはり別の案のほうが正しかったのではないか、、、」という思いがメンバーに芽生えてしまい、その壁を乗り越える突破力が弱まってしまうとのこと。川上から川下まで一貫してやり抜き、その中で死ぬほど苦労している筆者だからこそ語れる至言と思う。


本書を手にとり「ほら、経営っていうのはコンサルタントが思うほど簡単じゃないんだ」と思う経営者がいるかもしれない。でも、そう思われた方は溜飲を下げるだけでなく、経営者として筆者の経営力を大いに学んで頂きたい。

1年に1回、株主とお会いするのは実によいことだと思う。実際私の場合、何らかの意思決定をするときに、議長席から見る株主さんの面々を思い出して、あの皆さんに「経営の確からしさ」を感じていただき、信頼していただける決定かどうか、と心に問うことが多い
不格好経営』 第4章 モバイルシフト P.202

こういう緊張感をもって株主総会に、そして日々の経営に臨んでいる真摯な経営者がどれくらい日本にいるだろうか。おそらくあまりいまい(特に日本のサラリーマン社長の中には)。筆者はあえて本書の中に記載していないが、コンサルタントとして多くの経営者と接していく中で、「こういう経営者にはなるまい」と思ったことが筆者にはあるはずだ。もがきながら、自分の描く理想の経営者像を追い求める筆者の姿は非常に清々しい。


勉強にもなるし、思わず声を出して笑ってしまうような驚きのエピソードが多く紹介され読み物としても秀逸。まだ読んでいないかたは是非手にとって頂きたい。

『モダンガール論』 「仕事と家庭の両立」にまつわる歴史のあれこれ

私はジェンダー論を好んで目を通すほうではない。論理的かつ客観的であることを試みている文章でも、男性社会に対する恨み節であったり、恵まれない境遇への悲壮感であったり、善悪に固執する煙たい正義感が充満するものが多く、今ひとつ素直に読み込むことができないからだ。が、先日米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読んでいたら斎藤美奈子の『モダンガール論』が下記のように紹介されており、なかなか面白そうなので読んで見た。

モダンガール論 (文春文庫)

モダンガール論 (文春文庫)

女性の書き手による今までの女性史に漂う「これほどまでに性差別に苦しんできたのよという怨嗟も、「女性解放運動の力でこれだか女たちは進歩した」といううっとおしい正義感もない。いつの時代にも女たちが抱いた、なるべく楽してリッチな暮らしがしたい、世間に認められたいという欲望や出世願望を倫理的に裁くのではなく、社会と歴史を発展させる原動力としてとらえ直しているのが新鮮だ。
『打ちのめされるようなすごい本』 P.31

本書の主題は明治から現代にかけてのここ百年の女性史ではあるが、軽いタッチの筆致のため歴史書としての重苦しさはなく読みやすく、その一方で時代毎に筆者の論の裏付けとなる文献が丁寧に紹介されており説得力がある。そして何より恨み、悲壮感、正義感などの重苦しい感情が皆無でからりとしており、男性に受け入れやすい書きっぷりとなっている。米原万里が指摘するように「女性の欲望や出世願望を倫理的に裁くのではなく、社会と歴史を発展させる原動力としてとらえる」その視点は、おっかないフェミニズム論者のおばさんのものとは異なる新鮮さがあり、また変化の胎動というと大仰だが、時代が動いていく現場感がそこにはある。


私の中での本書からの主立ったつかみは下記の通り。

  • よりリッチで楽な暮らしがしたい、社会の中でもっと評価されたいという女性の欲望、出世願望こそが社会に大きな変化をおこす原動力となってきた
  • 虐げられた女性の権利解放という高邁な思想より、薄っぺらくても旧態依然とした体制側のおじさんに受け入れられやすく、かつ深い思慮がなくとも気軽に飛びつきやすいお題目のほうが重要(例えば、明治時代における「良妻賢母」、など)
  • そういったお題目はマジョリティに浸透した段階で、消費され尽くし、古くさくカビの生えた思想になりさがってしまいがち
  • 新しい考え方がマジョリティに普及する段階では、女性誌によるプロパガンダとその受け皿となる仕組みの整備がセットになる必要がある(例えば、短大+一般事務職、など)


歴史は繰り返すというが、女性史、並びに「仕事と家庭の両立」にまつわるあれこれについてもその例にもれないことが本書を読むとよくわかる。そういった歴史観が語られる本書は、現代の動向を読み解くフレームワークとまではいかないが、いくつかのヒントを与えてくれる。
女性史と表裏一体の男性側の立場としてわが身を振り返るに、やれイクメンだの、家事メンだの、ファザリングだの、イケダン(これはマイナーか、、、)だの、父親となってからその手のバズワードに日々さらされ、新たなプロパガンダの波をざぶざぶと浴びているわけである。たまに高波にさらわれてとんでもないことになっている友人を見るが、はたから見たら自分自身も実は波にされわれているんじゃないかと危惧を覚えたりもする(ま、さすがに自分自身のことをイクメンとか思ったりはしないが、、、)。そういった波にただ流されるのではなく、一歩引いてみる視点を本書は提供してくれるので同世代子持ちの諸氏には是非おすすめしたい。


なお、本書には単行本(1,680円)と文庫(690円)の二種類があるが、装丁を重んじて単行本を買ってはいけない。単行本の副題は「女の子には出生の道が二つある」で、「社長夫人」(高年収の男性を結婚相手としてゲット)と「社長」(ビジネスエリートとして高年収をゲット)の二つの出世街道をあげているが、文庫からは意図的にこの副題が外されている。というのも「文庫版のためのちょっとした補足」という最後の項で三つ目の選択肢があげられているからだ。長くなったので、その選択肢の紹介はここでは割愛するが(別エントリーを書くかも)、是非本書を手にしてそれを確認して頂きたい。

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