Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「権限委譲」を否定するナイーブさ

権限委譲、リーダーシップ、チーム - naoyaのはてなダイアリー
リーダーの役割は、組織が向かう目的を決めること、そしてその目的の実現に向けて、それぞれの組織の構成員が自分の責任にとらわれず自発的に行動をとるように、仕組みや全体の雰囲気を作ること、というのが言いたかったことなんではないかと解釈。別にそれそのものはあまり否定するものではないし、正しいことを言っているのではないかと思う。


私自身、2万人規模の大きな組織の一員だったこともあれば、60名程のこじんまりした会社の一員だったこともある。大きな組織ほど、「これは自分の仕事ではありません」という奴ばかりで、それぞれが「これが私の仕事」というのを足して合わせても、全体の目的を達成するための半分もカバーできなくて穴だらけ、なんてクソみたいな状況に陥りがちで、「権限」があればこいつら全員クビにしてやるのに、と思ったことは数知れない。「私の仕事はここまで」とか、「これをやると他に大事なことができなくなる」とか聞く度に「あなたの一番の仕事は、自分の仕事と他人の仕事の間に線をひくことじゃないですか?」という言葉をぐっと飲み込む(たまにこぼれるでるが)。


また、大きな組織程、人事のレポートライン上「上司」であることや、人事権を発動できる「部下」をなるべく沢山持つことに情熱を注ぐ人が多く、「上司」と「部下」って区分けは小さな組織よりも重視されることが多いのも事実。「部下の数が減った(または、部下がいなくなった)からモチベーションが下がる」とかいうような話しを聞くと「変わった考え方する人だなぁ」とか思う。「自分のダイレクト・レポートが少ないから、私は大きな仕事ができない」とか聞く度に、「問題は『部下』の少なさじゃなくて『器』の小ささでしょう」という言葉をぐっと飲み込む(大人なのでこれはさすがにこぼれでない)。


なんで、id:naoyaさんの言わんとしていること、理想としていることはなんとなくわかる。だけど、そういった大組織の力学にモノを申したり、小さなプロジェクトの活力の素晴らしさを強調するのに、「組織における上下関係」と「権限の付与」という考え方そのものを否定する、という論理の組み立てが私にはよくわからない上下関係や権限があったって、リーダーは目的を決められるし、その目的実現に向けた自立的な貢献を「部下」に促すことはできる。
また、「権限」に必ずくっついてくる「責任」に言及をせず、「上下関係」と「権限」だけで語っているのでわかりにくくなっているのだと思う。「権限」っていうのは「責任」と共に委譲されるもので、どの「責任」と「権限」をどういう風に配分するかを決めるのもリーダーの役割と思う。自発的に何かの「責任」を負う人がいても、そこに「権限」がなければ何もできない。水担当は、オフィスに水をある程度備蓄しておき、水の調達に個々人のリソースが過度にとられないようにするという「責任」と共に組織のお金を使い水を調達するという「権限」をえる。別に水担当が自発的にその役割をかってでようが、誰かに水担当を任命されようが、水担当は組織のお金で水を調達する「権限」をえることに変わりはないし、お金の使途を決めることができる人から「権限」を「委譲」されていることにもかわりはないじゃないかと思う。
なので、「自分の『責任』や『権限』に部下がとらわれすぎないようにリーダーシップを発揮せよ!」ならわかるが、「目的に向けてメンバーが自分がなすべきことを自律的に考えるのが理想だから、『上下関係』や『権限』なんてくそくらえだ!」というのはよくわからない。

相手と自分の間には明確な上下関係があって、意志決定権限・リソース・器、なんでもいいのだけど自分のほうが全部あるいはたくさん持っていて、その中の一部を相手に渡す・・・。そういう考え方が無自覚にも潜んでいる。

いや、無自覚ではなく、誰しもが自覚的にやっていることだと思う。あなただって組織に属するなら誰かから「責任」と「権限」をあたられているのではないかと思うし、そこに自覚がなければ、それは問題だと思う。


私の勤めている会社はかなりフラットな会社で、役職とかで誰も呼ばないし、オープンに色々モノを申せるし、各従業員がいつでも、誰にでも、何回でも金銭的なAwardの授与することができ*1、私はとても働きやすく、いい会社だと思っている。でも、組織における「上下関係」や「責任と権限」というものは存在するし、それなくして組織が回ることは私には想像できない。組織の大きい小さいに関わらず、適切に「責任」と「権限」が配分され、かつ組織の構成員が今手元にある「責任」にとらわれすぎないことが大事なんであり、それを実現するために「上下関係」を否定する必要は別にない。


冒頭にふれた通り、きっと言いたかったことは、「組織の上下関係」や「権限」の否定ではなく、個々人が目的に向けて自発的に動くようにするのはリーダーの大事な役割であるってことだったんだと思う。なので、言いたかったそのものを大きく否定するわけではない。ただ、感銘を受けた多くの若者がいるみたいだが、記事中のナイーブな論理の組み立てでは、組織の上にいるおじさんやおばさんには通用せず、現実の世界に変化は起こせないと思う。部下の数で仕事のやりがいを測ったり、自分の役割を自分自身で規定してしまう人に内在するロジックを「わけわかんねー」ではなく、その人たちが何に縛られているのか理解しないと現実の世界に変化は起こせない。いい話しであるがゆえに、変に「わかものの勝手な解釈」とならないように願いたい。

*1:最終的には、Awardを受ける人の上司が承認をしなければならない

『転がる香港に苔は生えない』 地面を疑わず苔むす日本

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

資本主義路線を歩みながら、国家として社会主義の面子を絶対に捨てない中国。何よりも管理されることを嫌う香港。その二つが合体するという、世界で初めての実験に立ち向かおうとしているのだ。それを他人の口からお祭り騒ぎのニュースという形で聞かされるのだけは耐えられなかった。
『転がる香港に苔は生えない』 〜一九九六年八月一九日、香港時間午後一時四〇分 P.6〜

イギリスから中国への返還前後の2年間、筆者自身が現地の生活に頭の毛の先までどっぷりと浸って描かれたルポタージュ。対象となる素材の面白さ、現地の人々に溶け込みきる大胆さ、返還前後の香港人の想いと葛藤の生々しさ、など読み所の多い一冊であるが、白眉なのは筆者の取材対象の本質をとらえきる洞察力とそれを見事に活写する表現力。それぞれの人の背負う過去や背景が一様ではなく、平均的な香港人像というものは存在しないという一筋縄ではいかない取材対象。それでも筆者は臆することなく相手の懐に飛び込み、その人の背景、本音にせまり、聞き出し、「何故その人がそういうモノの見方をするのか」をとらえ、描く。 家族を中国本土に残したまま中国から密航して、家族に仕送りを続ける男性、香港生まれながらカナダに移民してパスポートをえるも、カナダでも香港でも成功の機を逃してキャリアの隘路に迷い込んだ大学の同級生、香港で先進的なキャリアをつつも中国本土出身であるというコンプレックスに悩む女性カメラマン、その対象は実に多様。どこで生まれたのか、現在の国籍はどこなのか、そもそも香港にいることが違法なのか、合法なのか、そういう根本的な多様性があるところが日本との大きな違い。そういった全く異なる出自の人たちを、とらえ、描く作業をひたすら繰り返し、出来上がったのが文庫にして623ページという大作。膨大な数の人に取材をし、描くことにより立体的に香港を浮かび上がらせると共に、その上でやっぱり平均的な香港人像なんてものはないんだ、という事実を同時に浮き彫りにする手法は圧巻である。

少なくとも私は日本において、ここをいつ立ち去るべきか、どこに行ったら一番チャンスが残っているのか、という選択に迫られた記憶はない。自分の経っている地面を疑ったことがない。自分の立っている地面を疑うこと、それがどれほど緊張を強いられる感覚なのか、私には想像がつかなかった。
『転がる香港に苔は生えない』 〜第6章 それぞれの明日 P.530〜

香港を語りに語り尽くした後に、本書の矛先は最後に日本に向けられる。「自分のよって立つ地面」に常に疑問を頂き、「なぜ、自分がここにいるのかを常に考え続ける」香港人、そんな過酷な環境の中でも活き活きと生きる香港人に比較して、日本はどうだ。

私が心配そうな顔でもしようものなら、「自分の心配でもしてな!」と怒鳴り声がとんでくるだろう。確かにその通りだ。私は自分たちの心配をするべきだ。
私たちはどこへ向かおうとしているのか。考えることにも飽きて、苔むそうとしているのか。

立っている地面が崩れてきているのに、考えることを止め、単一性のぬるま湯の中に浸って、自分の地面を疑わない苔むす日本人に対する筆者の視線は厳しい。本書が出版されてから十年たつが、状況の厳しさとむしている苔の量は増えるばかり。いよいよ「地面に疑いを持つ」ステージにある日本人が目を冷ますきっかけとして、本書は丁度よいように思う。なるべく多くの内向きな日本人に本書を手にとって頂きたい。

『成功は一日で捨て去れ』 ファーストリテイリング 社員と経営者が直面する苦悩

前著「一勝九敗」は2002年11月に代表取締役社長の座を玉塚氏に引き継ぐまでの物語、本書「成功は一日で捨て去れ」は2005年9月に柳井氏が代表取締役社長に返り咲いた後の物語ととらえて、大枠で間違いはないだろう。経営に原理原則を貫き、ぶれることのない筆者の姿と、失敗をしながらも飛躍的な発展をとげる同社の成長の歴史が相交わるファーストリテイリングの成長物語という爽快感が前著にはあったが、本書は少し趣が異なる。


その違いを思い切って言えば、前著にあった爽快感は消え、大企業病と戦う筆者の悲壮感が本書には漂う現状を否定し、飽くなき成長を志向し続ける企業のあり方を問う、というのが本書のメイントピック。

成功は一日で捨て去れ

成功は一日で捨て去れ

 第1章 安定志向という病
 第2章 「第二創業」の悪銭苦闘
 第3章 「成功」は捨て去れ
 第4章 世界を相手に戦うために
 第5章 次世代の経営者へ

という章立てで、ぶれない筆者の経営観が前著と同様に語られる。ただ、本書のメッセージが誰に向けられているか少しひいてみて見ると、一般に向けられているというより、ファーストリテイリング社内に向けられているような読後感を覚える。原理原則を貫く姿勢は一切衰えておらず、実体験から紡ぎ出された筆者の経営観から学ぶことは非常に多い。その一方で、高い理想を追う筆者とその期待にそうのに苦闘する社員、そういった同社の現実が本書で語られる「べき論」から透けて見える。


筆者に対する批判的な記事をウェブ界隈で見ることが最近多い。そういう噂ならびに本書を読んで感じたのは、筆者の高い視線と同社の平均的な社員の間に、指導を暴力としてしかとらえられないくらいの能力のギャップがあるのだろうなぁ、ということ。なんというか、大リーグの一流コーチが平均的な高校球児を指導したら、いくら手心を加えた指導であっても中には「殺人的なしごきをするブラックコーチ」呼ばわりする者がきっとでてくるだろう、みたいな。
上記リンク記事や本書に記載されている年頭の社員へのメッセージをみると、現場主義を貫く筆者の指導の射程範囲の広さと、ファーストリテイリングという会社のハイヤリングパワーの弱さが浮き彫りになってくる。特に後者については、同社が真のグローバル企業になるためには大きな経営課題となるだろう。


あまりポジティブな評になっていないが、決しておすすめしていないわけではない。「2005年9月に柳井氏が代表取締役社長に返り咲いた後の物語」なので、海外展開や合併買収の失敗と成功の体験が凝縮して盛り込まれているのが本書の特徴。そういった実体験に基づいた海外展開、合併買収についての筆者の経営観を学ぶことができることは本書の素晴らしいところ。前著に引き続き、そこら辺の経営書よりずっと役にたつので、前著を読んだことがある方にもない方にも、是非すすめたい一冊。

英文メールを早く仕上げるための「書き出し」、「書き終わり」の10個の表現

最近、会社の若手の書いた英文メールをレビューすることが多い。見ていて感じるのは、内容はそれなりに伝わるであろうが、書きっぷりがあまり英文メールっぽくないということ。その原因を考えるに、「書き出し」と「書き終わり」が型にはまっていないことが大きいように思われる。 本題の英語表現が多少稚拙でも、「書き出し」、「書き終わり」がきちんとしてるとそれなりの雰囲気は漂う。
一方で、これらの表現を都度都度調べるのはそれなりに時間がかかる。「本題にスムーズにつなげる書き出し」と「社交辞令も含め相手との継続的なやりとりをするための書き終わり」を書くのは大事だが、そこに時間をかけすぎると肝心な本題に割くエネルギーが減ってしまう。
私は英語を仕事で使うようになり、7−8年経ち、一週間に少なくとも百通以上英語メールをうつが、何度も使う表現は数える程しかない(それはそれで問題だが、何とか生きてこれている)。本エントリーでは私がよく使う「書き出し」、「書き終わり」の10個の表現を紹介したい。ちなみに、こった表現はなく、全て基本的な表現と思うので、初学者向けとなっていることは事前にご了承頂きたい。


1.「返信遅れてすみません」 ”Sorry for the lateness of my reply.”
山のような仕事に追われてつい返信が送れる何てことはよくあること。「あぁ、遅れてわるいなぁ」と思いつつも、「返信遅れてすみません」って英語での一言がでてこないので、さらに放置するなんてことになりがち。そんな時は、”Sorry for the lateness of my reply.”とか、”My apology for the lateness of my reply.”から書き出す。何気に一番使う表現かもしれない・・・。


2.「添付の通りファイルを送信します」 ”Please find the attached file.”
メールでファイルをやり取りするのはよくあること。そんな時、”I sent the attached file.”とか書くともっさりしてしまうので、”Please find the attached file.”とか、”Let me send the file as attached.”とか書く。メールによってはこの一言で終わることも・・・。


3.「ご指摘頂きありがとうございます」 “Thank you for pointing this out.”
相手から意見や提案や時として苦情があったりする時は軽く受け流す書き出しが大事。そういう時は、いきなり本題に入るのではなく、 “Thank you very much for pointing this out.”とか、”Thank you for your input on this matter”とかから書き出すことが多い。議論や反論が伴うメール程”Thank you”から始めるのが大事かと。


4.「以下コメントします。」 ”Let me reply inline below;”
相手のメールを引用して、自分のコメントを書くのはメールのやりとりでよくあること。そういう時は、”Let me reply inline below;”とか、”Let me make comments inline below;”とか書いて、相手のメールにコメントをいれていく。返信メールでの頻出の表現。


5.「いつもお世話になっております(的表現)」 “Thanks for your all support.”
「いつもお世話になっております」の訳かどうかは微妙だが、 “Thanks for your all support.”というのは同僚に対するメールとしてはよく使う。”all”のところを”excellent”としたり、”support”の部分を”efforts”としたり、”update”としたりバリエーションは色々ある。何かにつけて演歌調に”Thank you”の世界なので、特に書き出しで特筆すべきことがない場合は、この書き出しから始めることが多い。


6.「至急対応してもらえると助かります」 “Your quick support is much appreciated.”
何かを依頼したメールの最後に締めの一言としていれるなら”Your quick support is much appreciated.”とか”Your quick action is much appreciated.”とかが便利。”as soon as possible”とか”ASAP”とかの表現もありだが、語調が強くなる感じがするので、この表現のほうが私は好み。


7.「本件どう思われますか」 ”Please let me know your thoughts.”
自分の意見に対して相手かどう思っているか聞きたい時には、メールの最後を”Please let me know your thoughts.”で締める。口頭だと”How does that sound to you?”というのをよく使うが、書き言葉だと丁寧に感じるこの表現を一番使う。


8.「お会いできるのを楽しみにしてます」 “Looking forward to seeing you.”
外国人と仕事をしているとメールや電話会議は沢山しているが会ったことがないというケースが多い。こっちが出張で行くとか、向こうが出張で来るなどのケースは締めに”Looking forward to seeing you.”を使う。文法としては”I am”をつけてもよいが、Nativeでつけている人はあまりいない。


9.「何かございましたら遠慮なくご連絡ください」 “Please feel free to contact me.”
相手の質問や依頼に対して返信をした後は、 “Please feel free to contact me.”で締める。”if you have any questions and concerns”とかつけるともっと丁寧な感じになる。特に意図がなくてもきもち丁寧になるので、最後にいれてしまうことが多い。


10.「今しばらくお待ちください」 “Thank you for your patience.”
進展がない事態の状況報告をした後には、”Please wait for a while”とかも使うが、 “Thanks for your patience.”とか”Please wait patiently while this request is processed.”とか”patient”をつけるとそれっぽくなる。ちょっと相手に不満が残りそうな内容をメールで送信する場合は、これで事前に理解を求める。


普段仕事で英文でメールをやりとりしている人には学びはないと思うが、このあたりがぱっとでるとでないとでは負担がかなり違う。昔の自分の英文のメールをみるとへったくそな英語で書いているが、やはり書き出しと書き終わりに常用句がはいっていないことが原因と思う。本エントリーが参考になる方が少しでも入れば幸いです。なお、初学者の方は下記のエントリーも参考になるかもしれません。5年近く前に書いたものですが、未だに多くの方から頻繁にアクセス頂いています。
30歳からのビジネス英語 英会話学校に通うなんてやめなさい

『ブラック・スワン降臨 9.11-3.11 インテリジェンス十年戦争』 本書自体がインテリジェンス

ブラック・スワン降臨―9・11‐3・11インテリジェンス十年戦争

ブラック・スワン降臨―9・11‐3・11インテリジェンス十年戦争

ブラック・スワン降臨 9.11-3.11 インテリジェンス十年戦争』、サブタイトルをみれば、本書が米国同時多発テロ東日本大震災という二羽のブラックスワンを描いた物語であることに気付かない人はいないだろう。語り手は、元NHKワシントン支局長手嶋龍一。『インテリジェンス 武器なき戦争』で佐藤優と共にインテリジェンスなの世界の奥の深さを世に紹介し、『ウルトラ・ダラー』では小説という形式をとったドキュメンタリーでインテリジェンスの世界を描き、作家という肩書きに恥じない筆致を見せた。本書は上述した二羽のブラックスワンという題材が、筆者のインテリジェンスに対する高い知見と華麗な筆致で描かれるという贅沢な内容となっている。


米国同時多発テロに端を発するアメリカのテロとの戦い、その重要な区切りであるビンラディン殺害のオペレーションの模様を描く所から物語はスタートする。オバマ大統領が、如何にビンラディンの潜入先を突き止め、如何に決断をし、如何にその決断を秘匿したかが、パキスタンで繰り広げられる緊迫のオペレーションと並行して語られ、冒頭から読者をぐいぐいと物語に引き込む。

そこには一国のリーダーの決断とインテリジェンスのありようが比類のない簡潔さで示されている。インテリジェンスとは、単なる極秘情報などではない。国家指導者の最終決断の拠り所となる選り抜かれた情報なのである。
ブラック・スワン降臨』 P.28

過去10年でアメリカにとって最も重要なオペレーションを取り上げ、国家におけるインテリジェンスの死活的な大切さが冒頭で強調される。


インテリジェンス戦争におけるアメリカの華麗なる勝利から物語はスタートするが、単純なアメリカ礼賛、日本批判に与しないところが手嶋龍一。次章からの展開を一言でいえば、過去十年のアメリカ・インテリジェンス敗北の歴史だ。アメリカが同時多発テロを未然に防ぐ機会を如何に逸し、どのようにテロとの戦いの深みにはまっていくかが、描かれている。読み進めるごとにひしひしと伝わるリアリティ。ここで描かれているのは、ありきたりの一般論でも、ありがちな根拠の乏しい陰謀論でもない。米国同時多発テロ発生時にNHKワシントン支局長だった筆者が持つ一次情報に基づく一級のインテリジェンスなのだ。この自らの足で獲得した一次情報とインテリジェンスに対する筆者の造詣がこの物語に独特の彩りを与え、読み応えを増幅している。


後半は、日米関係を主軸に据えた日本外交論。おそらく月刊「FACTA」での筆者の連載がベースになっていると推察される。筆者の幅広い経験と知見に基づく日本外交論は、知的刺激、読み応えにあふれる。取り上げられているトピックも普天間基地移転問題から北方領土問題まで幅広く、年間購読費13,200円の雑誌を購入しないと読めない筆者の外交観にまとめて触れることができるというのは大変お得である。 結びの「黒鳥が舞い降りた」という章では、二匹目のブラックスワンである東日本大震災が、米国同時多発テロへの米国の対応と対比しながら、インテリジェンスという切り口で語られる。

情報とは命じて集まるものではなく、リーダーの力量で磁石のように吸い寄せるものだ。
ブラック・スワン降臨』 P.233

筆者の今回の政府の対応への批判はもちろん容赦なく、そしてその適切さが故に外交や未曾有の危機対応を国に委ねる国民としての不安は増すばかりだ。



全体を通した物語としてみると、後半部はどうしても雑誌連載のつなぎ合わせという感が強く、渾然一体としてストーリーとしての完成度に満点をつけれないが、通して一気に読み進めることのできる力のある作品。本書の一番のセールスポイントは、筆者の筆致でも、外交についての深い知見でもなく、本書自体が筆者の足、ネットワークで集めたインテリジェンスとなっている点だろう。外交、インテリジェンスなどに明るくない人にもわかりやすい内容となっているので、是非多くの方に手にとって頂きたい。

『挫折力』 経営書と現場の乖離をうめる発想

『ビジョナリーカンパニー』は名著ではあるが、『ビジョナリーカンパニー』を参考にしながら、ビジョナリーカンパニーを作れる人は万に一人としていない。よく整理されており、視点も斬新で、否定のしどころがないビジネス書を読んでも、ビジネスの現場からの隔離感にもやっとした読後感をおぼえた経験は誰もがあるだろう。そんなもやっと感を解消したい人は本書を是非手にとって欲しい。本書は、ビジネス書と現場の間にどんな乖離があり、それを解消するには何が必要かが書かれている。


本書の著書は、産業再生機構でCOOをつとめ、現在株式会社経営共創基盤のCEOの冨山和彦氏。産業再生機構ではカネボウ経営共創基盤では日本航空の再生を手がけた日本の企業再生の代名詞。様々な血生臭い現場経験の中で紡ぎ出された筆者の主張は、他人の論によらず、 自らの頭で考え抜かれた凄みにあふれる。

挫折力―一流になれる50の思考・行動術 (PHPビジネス新書)

挫折力―一流になれる50の思考・行動術 (PHPビジネス新書)

古くから人間観に関して、性善説か、性悪説かという議論がある。しかし、厳しい状況にあって殆どの人間が剥き出しにするのは、「性において弱い」という本性だ。そう、「性弱説」に立って人間を見つめるのが私は正しいと思う。
『挫折力』 〜P.117〜

筆者は独自の「性弱説」を本書で説き、これが本質的で説得力があり面白い。人間は何に弱いのか、一つは個々に人が個別に持つ「性格」という心理因子、もう一つは自身の大切なことについての利害損得である「インセンティヴ」と筆者は説く。「インセンティヴ」と言っても成果主義を導入しましょう、という話しをしているわけではない。成果と対価を連動させる仕組みを作っても、組織と人が一つの方向に向かって全速力で進むわけではない。何故ならば、人を突き動かす「インセンティヴ」というのは、対価の他に、人間関係、家族の事情、年齢、健康状態など多様な要素の影響を受けているし、いわんや「性格」に至っては千差万別だからだ。経営書にかかれている「理」を現場で追求すると、必ずそこで働く人の「性格」と「インセンティヴ」の多様性の壁につきあたる。組織を束ねて一つの方向に向かうにはそういった「情」も十分に考慮し、「理」とのバランスを如何にとるかが大事であり、それこそは経営の巧みさであると筆者は説く。


本書には上記のような、「理」と「情」の乖離を如何に埋めるかという話しが沢山紹介されている。独特の冨山節は健在で、『会社は頭から腐る』とか、『カイシャ維新』などの筆者の本を読んだことがある人も十分楽しめる内容となっている。経営書を沢山読んだが、リアルな手応えが今ひとつない、という方には是非本書を手にとって頂きたい。

習慣の効用と功罪

友人の薦めで“WHAT THE MOST SUCCESSFUL PEOPLE DO BEFORE BREAKFAST”を読んだ(Kindle Storeでのみの販売)。要点をまとめると、

  1. 朝食前の時間は邪魔の入りにくい最もコントロールのしやすい時間帯である
  2. 意思の力というのは一日の終わりになるほどに減退するものである
  3. 緊急ではないが、重要なことは、コントロールしやすく、かつ意思の力が充実している朝食前に実施するのが良い

という感じ。
山のようにやることがあると、長期的な視点で見て非常に重要なことは、どうしてもその瞬間の優先順位により後回しにされ、結局手付かずになることが多い。日々の忙しさに忙殺されず、長期的に重要なことをこなすには、早朝の時間を有効活用することが効果的であり、成功している人によく見られる特徴であるとのこと。簡潔に、要点がまとめられておりなかなか面白かったし、最近サボリ気味な早起きを再開し、自己投資の時間をもっと確保せねばと思いを新たにするきっかけとなった。


いいことが色々書いてあるが、その中でも一番興味をひいたのは下記。

“Getting things down to routines and habits takes willpower at first but in the long run conserve will power,” says Baumeister. “Once things become habitual, they operate as automatic processes, which consume less willpower.”
何かを習慣化したり、決まった手順におとすことは、始めは強い意志の力が必要となりますが、長い目で見ると負担は逆に軽減されます。一度、習慣化し、決まった手続きとしてながれるようになれば、それを実施する時に求められる意思の力はぐっと減ります。
http://www.amazon.com/dp/B007K3E2YK/

物事を習慣化することの効用を「負荷の軽減」という視点でとらえていることが私には新しかった。習慣化の利点を私は「継続」という点でしかみていなかったが、筆者がいうとおり、一度習慣化してしまえば、その負荷は確かに格段に減る。本文では歯磨きが例にとられている。食事の後に洗面所に行き、歯を磨くというのは、それなりの負担ではあるが、一度習慣となってしまえば、初めほどの負荷はないし、むしろしないことに違和感を感じるようになるものだ。
筆者は習慣化まで持って行くことが、とにかく大事であり、そのために最初はハードルを下げるとか、進捗を可視化するとか、自分に多めにご褒美をあげるとか、いくつかのアイデアが共有されており、参考になる。


一方で、習慣化というのは純粋に善であるかというと、実はそうではなく功罪もある。その点については、最近読んだGuy Kawasakiの"Enchantment"で下記のようにふれられており示唆に富む。

Enchantment: The Art of Changing Hearts, Minds and Actions

Enchantment: The Art of Changing Hearts, Minds and Actions

Most of the time, habits simplify life and enable fast, safe, and good decision. But they can also prevent the adoption of a new idea that challenges the status quo.
ほとんどの場合は、習慣は日々の暮らしをよりシンプルにすると共に、迅速で、手堅く、妥当な選択をとることを容易にする。しかし、一方で現状を打開するような新しいアイデアを採用する上での阻害要因となりうる点も見逃せない。

一度習慣として取り込まれてしまうと、その習慣がうまく機能しなくなり、見直す必要が出た場合でも、なかなかやめることができない、というのがGuy Kawasakiのポイント。これは企業の業務プロセスによく起きがちな話で、「なんでこんなことやっているのか」と聞くと、前にいた人から引き継いだから以外に理由がないということはよくある。
我が身を振り返ってみても、週末なんとなく家族と買い物に出かけるとか、長く読んでいるからというだけの理由であんまり面白くないブログを読んだり、あまり効果のない定例会への参加など習慣として染みついた無駄というのは結構あるものだ。


習慣というのは内容次第でプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。また、プラスに働いていた習慣が、状況が変わりマイナスに転じることもある。こう考えると、習慣として続けること、現在の習慣であるが見直すべきこと、習慣として生活に新たに取り込むことを決めることは自己管理を考える時に中心にすえるべき重要なテーマのように思える。
時間、意思の力などの自分の有限性と、善なる習慣をマッピングする、月に一度はそういう検討をすることにしよう(早朝に・・・)。

Creative Commons License
本ブログの本文は、 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 非営利 - 継承)の下でライセンスされています。
ブログ本文以外に含まれる著作物(引用部、画像、動画、コメントなど)は、それらの著作権保持者に帰属します。