Thoughts and Notes from NC

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

アメリカ生活の英語小噺 〜子育て編〜

2013年11月に日本からアメリカに移住し、先日めでたく5周年を迎えることができた。当時、5歳と8歳だった子供たちは当たり前ではあるが10歳と13歳になり、未だに四苦八苦する場面はあるものの、アメリカでサバイブしているのは手前味噌ではあるが立派だと思う。彼らは彼らで立派に育っているわけだが、親は親でそれなりに、いや相当苦労しながらアメリカで子育てをしているのも事実。本エントリーでは、ここ5年間の子育てにかかわる英語小噺をいくつか披露したい。

 

「サマンサ先生は誰だ」事件

アメリカに移住した当初は5歳だった息子。当時はプリスクールという日本でいう保育園に通っていた。英語の勉強はおろか、およそ何かを学ぶという行為にまだ馴染みのなかった息子は正に徒手空拳。アメリカ生活1年目で家族の中で最も苦労をしたのはおそらく彼だろう。とは言っても何もないというのは、それはそれで強みでもあり、耳に入った英語をそのまま口から発するという原始的な学習方法で、ネイティブと同等の発音をいち早く身につけたのも息子である。一生懸命練習はしているものの、体に染み付いたカタカナ英語が抜けきれない私からすると羨ましい限りだ。

そんなネイティブ同等の発音力を持ち合わせる息子であるが、「あぁ、こいつの頭の中にはカタカナ英語という層がないないんだ、、、」、と強く感じさせられる事件がある晩に起きた。夕食を囲みながら、今日の出来事をみんなで話していた時のことだ。

 

「ねぇねぇ、サマンサ先生っているじゃない?」
と妻が息子に話しかけたところ、息子はきょとんとした顔をしてこう言うではないか。

 

「えっ?そんな先生いないよ、、、」。
毎日プリスクールに送り、毎日サマンサ先生を見ている妻は当然の如く驚きを隠しきれない。

 

「えっ!?サマンサ先生だよ!?」
というが、息子は困った顔をするばかり。

 

「ほら、今日は青い服をきていて、ちょっと太めの年配の女の先生よ」
どうも話が通じないようなので、事細かに先生の特徴を妻が語り始めると、ようやく合点がいった模様の息子。

 

「あ〜」
と得心した後の息子の一言。

 

「スェムェアーンスァ先生ね!(無理矢理カタカナで書くとこんな感じ、、、)」。
”Samantha=サマンサ”の等式が頭にない息子との間ならではのミスコミュニケーション。妻がへこんで立ち直るのに少々の時間を要したのはここだけの秘密である。


「ポストがぶっ倒された」事件

あれは渡米してそろそろ2年になろうかという夏の終わりのことであった。子供は語学を身につけるのは早いとは言うものの、わが家は家では完全に日本語であるし、特に娘は積極的に人と会話をする方ではないので、クラスの友達と雑談を楽しむことができるレベルになったのは渡米して1年半程後というのが本人の談。そう、子どもとはいえ、母国語以外の言語を身に付けるのはそんな簡単なものではないのだ。

私は、職場には日本人が一人もおらず、仕事中はずっと英語なので、「まだまだ、若いもんには負けん」って感じで子どもより高い英語力を維持しているつもりであった。そんな時に、「ポストがぶっ倒された」事件が起きてしまった。

とある日曜日の昼下がり、娘と出先から帰る途中のことである。運転中に電話がかかってきたので、Bluetoothで受けると、FEDEXの人間が猛然と話しかけてくるではないか。運転中であることと南部の訛りのきつさもあり、ところどころしか理解できなかったのだが、どうも私の家に荷物は既に配送したのだけど、もう一度私の家に来たいと言っているらしい。が、荷物の配達人が、荷物を配達済みにもかかわらず、もう一度わが家に来る理由がわからず、運転中ということもあり、適当に会話を終了して電話をきってしまった。
するとBluetoothで会話を一部始終聞いていた娘が驚きながら私に言うではないか。

 

「おとうさん、今の人、うちのポストをぶっ倒した、I knocked your mail box out!って言っていたけどいいの?

え〜!?全然、聞き取れなかった!って感じで強い衝撃をうけた私。これは、再度電話をして確認せねば、と急いで車を路肩に停めた私。

 

Did you knock my mailbox out?
着信履歴から折り返しの電話をし、先程の配達人にあらためて聞いてみる。

 

Yes sir...
罪を認めた配達人(というかこちらが聞き取れなかっただけなのだが)。娘はやはり正しかったのだ。急いで家に戻ってみると、無残にももげ落ちたポストが地面に寂しげに鎮座しているではないか。娘は正しかったことをあらためて確認する。

渡米二年目にして初めて子どもに英語で助けられた。また、いかに普段は文脈から推測をして英語を聞いているのか、ということを思い知らされることになる。もちろん、それ以降、子どもに英語で助けられる回数は加速度的に増えていくこととなったのは言うまでもない。


骨折した倅の英語が格好よかった話

どうしてかはわからないが、わが家の子ども達は親の前で英語を話すことを極端に嫌がる。たまに私がアメリカ人の友人と英語で会話をしていて、その場にいる娘に英語で話を振ったりしても、年頃のせいもあるが「英語で話しかけてきて馬鹿じゃない?」みたいな白い目で見られることが多々ある。きれいな発音で、かなり話せることは知っているのだが、子供が話す英語を聞く機会はかなり少ない。
先日、ハロウィンの際に近所の友人とはしゃぎすぎて、転倒をし、左腕を痛めた息子。翌朝になってもかなりの痛みがある、ということなので、仕方ないので当日診てくれる医者を何とか探し出し、病院の予約をとった。
負傷した左腕のレントゲンをとり、いざ医師による診察。明く、フレンドリーな先生でほっと一安心。私が一通り状況を説明すると、後は息子と先生の間のやりとりになる。先生の質問に、流暢な英語でよどみなく受け答えをする息子。5年も住んでるので「このくらいは話せるんだろうな」という感覚はあるが、滅多に英語を話すところをみないので、「おぉぉ!」という感じ

 

「How is that?(これは痛い?)」
左手をある方向に曲げられ、痛みを確認されると、

 

「kind of(ちょっと痛い)」

と答えた息子

 

それを聞いた時に「な〜にがkind ofだよ、生意気な」とか内心ちょっと思いつつ、そのやりとりの自然さに、実は息子にこっそり嫉妬してしまった私。"kind of"とか、"you know?"とか、"〜ish"みたいな英語を端々にやたらと散りばめる日本人は結構多いが、大して上手くもない英語をそれっぽく見せようとしている感が強くなるので、私は自らに禁止令をかしている。そんな、自然に"kind of"を使いこなせない私から見ると、息子のやりとりは外連味がなく、「ちくしょう、こいつかっこいい」と感じてしまったのだ。

 

なお、診察の結果、若木骨折と診断され5週間のプロテクターを着用を命じられた息子。そのプロテクターは10歳の男子の琴線にふれたようで、

 

「おとうさん、格闘家みたいじゃない!?」

と興奮気味。

 

そんな息子に

「なーんだ、お前、まだ子供だなぁ」

と精一杯の強がりを見せる父なのであった。。。

 

 

アメリカで働いて感じる日本人の強み

家族共々アメリカに移り住み、そろそろ5年目を迎えようとしている。私はいわゆる赴任ではなく、普通のアメリカ企業の社員なので、自身のパフォーマンスや会社の業績次第で、いつクビをきられてもおかしくない。言語の壁も含めて未だに苦労は絶えないが、それでも働きと能力を認められ、米国法人入社時は一般社員だったが、今は昇進をして管理職としてチームを任されている。どうにか、アメリカでそれなりの成果を出せているのは、今迄培った経験やスキルに依るところは勿論大きいが、日本人が一般的に持ち合わせている特性の一部が差別化要因になっているのも事実こういう所は日本人の強みなんだなぁ、と私が日々の業務の中で感じていることを本エントリーでは共有したい。



働き者であり、残業を厭わない
ぶっちゃけ強みとしてどうなんだろう、という疑問もあるが、これは正直強く感じる。

今は経営陣に近いところで仕事をしているので、突発的に緊急の仕事が入ることが多い(英語でFire Drillという)。普段は私も夕方5時から6時の間に会社をでるが、たまに昼くらいに緊急の案件が入り、関係者が招集され、「悪いけど今日中!!」みたいな檄が飛ぶことは少なくない。それなりの地位であっても、こういう突発の仕事をものすごく嫌がるアメリカ人は多い。露骨に嫌な顔をして、キーボードが叩く音が5倍くらいになって、「本当に今日必要なのか?明日じゃ、どうしてダメなんだ?」と文句を言う人も結構いる。私だって残業が好きなわけではないが、残業に対する耐性はある程度鍛えられているし、会社員なんだからやらないといけないことはやらないといけないので、「ま、しょうがないじゃん(It is what it is)」みたいな感じで、粛々と取り組むのだが、「あいつはこういう状況に腹がたたないのか?」と不思議に思われることが多い

滅多にないが夜の9時くらいまでかかったりすると、周囲のアメリカ人の目は死んだ魚のようになってしまうが、そんな中「ま、毎日じゃなければいいじゃん?」みたいな感じで、平常運転していると「日本人にとって夜中の9時っていうのは、俺らにとってのスナックタイムくらいなんだろう、、、」と周りから感心される。皆がそういう風に疲弊している時に、抜群の安定感を発揮すると、全体の雰囲気もよくなることもあり、マネジメントからも同僚からも、働き者であり、残業耐性が強いという点で、一緒に働いていて頼もしいと思われているようだ。アメリカでは残業をする奴は無能と見做される、みたいな話をよく聞いていたのだが、それって都市伝説なんじゃないかと思う。



算数の能力が高い
アメリカ人の算数能力は正直言ってかなり低めだ。というか、できる人とできない人の差が激しいと言ったほうが正確か。大学の勉強でそれなりに数学を使っている場合は、日本の平均よりもかなり高いが、そういう専攻をしていない人の算数力は「えっ!?」と驚くくらい低い。うちの子供たちに聞くと、小学校を卒業する時でも九九ができない子どもが多いらしいし、「日本では二年生でみんな覚えるよ」と言ったらものすごくショックを受けるらしい。
私はファイナンスの部署で働いているのだが、驚くべきことにそういう部署にいても、「頼みますよ〜」とがっかりすることがよくある。例えば、北米、欧州、アジアパシフィックの営業一人あたりの平均売上を計算してもらって、「じゃぁ、一番下に世界全体の一人あたりの売上の平均も足しといて」とお願いしたら、3つの数字の平均を出されたことがあった(というか、これは"average of average"と名がついているくらいかなり頻繁におこる間違いである)。
「いや、それだとグローバルの数字にならないから、分母を全世界の営業の人数にして、分子を全世界の売上にして計算して」と細かに指示をだしても、「えっ、俺のやり方と何が違うの?」と聞かれ、自分の間違いをぱっと理解してもらえなく、さらに困る具体的に例を出してホワイトボードでその違いを説明しても、そうは言わないが「不思議だなぁ」みたいな表情をして、腹の底から理解をしてもらえないことが多く、しょんぼりしてしまう。
そんな感じなので、部内で投資対効果のシミュレーションモデルなどを作成して、数値の整合性がとれなくて行き詰まると私に声がかかることが多い。「すまん、どうしても数字が合わないから、ちょっと見てくれ」と言われて、一通りロジックを説明されて、すぐに「ここの数式があってないんじゃない?」と指摘して、そこを修正してぴったり数字が合うと、そうやってお前は俺たちが如何に馬鹿かということを証明して気分がいいだろう」などと(多分)冗談を飛ばされることが多い。
まぁ、日本人でも数学の得意不得意は勿論あるが、大学受験で数学を使っていれば、アメリカにきたら「あいつは数字に強いやつだ」という評価がもらえることは間違いないと思う。


批判されることに耐性があり、間違えを認めることにあまり躊躇がない
私の経験上日本人と比較すると、アメリカ人は批判されること、並びに間違えを認めることがとても苦手だ。謝ることと間違いを認めることは同義なので、何かミスをしても謝らない人は徹底して謝らないし、間違いを指摘されたり、批判的な意見を寄せられるとオーバーリアクションする人が多い。
私は、新卒でコンサルティング会社に入って、若い頃からクライアントの改革反対派の人から「この若造やっつけてやる」みたいな攻撃にさらされることが日常茶飯事だったし、外資系企業のセールスオペレーションとしてグローバルのシステムを日本展開する時に、現場の営業の人のサンドバッグになるというようなことが多かったので、提案に対して批判的な意見を浴びせられたり、非難されても、相手の言っていることが正しければ、そんなに気にならないし、どうすれば、一番いいですかね?」と、反対意見を糧にして生産的な議論を展開することが得意だ。
そういう経験を活かして「素直に間違えを認めたり、他人の視点を受け入れたりして、生産的な議論にフォーカスする」という姿勢で日々の業務と人間関係にのぞんでいるが、思った以上にアメリカで高く評価されている。これは私の体感であるが、「他の自己中な連中には死んでも間違えは認めないけど、あいつになら直に認めることができる」とか、「あいつは面倒臭くなくて本当に一緒に働きやすいやつだ」と思われていることを日々実感している。言語の壁が多少あっても「一緒に働きやすい人ランキング」みたいなものをやったら、結構上位に食い込めるのではないかと勝手に思っている。

 
以上、3点アメリカで働いて感じる日本人としての強みを共有させてもらった。私は20年以上、外資系企業で働いているが、上記のような強みを認識するようになったのは、アメリカで働き始めてからだ。本ブログの読者には外資系企業や海外プロジェクトで奮闘している方が結構多いと思うが、少しでも参考になれば。また、自分はこういうところが差別化要因としてあるという方がいれば、是非共有ください。
 

続「人は自由を獲得するために働いている」

「君はディレクターに昇進したくないのか?」、先日私のマネージャーと話をしている時にそんなことを聞かれた。彼曰く、1)私は日々の業務遂行能力、立ち上げたプロジェクトの推進能力については申し分ないが、中長期的なビジョンを描く能力にかけており、2)会社の中長期的な成長を見据えた上での課題定義、並びに施策の策定力に今一つかく、その2点が改善されればディレクターに昇進させることができるが、逆にディレクターに昇進する気がないのであれば、そこまでは求めない、とのこと。正直私の現時点での足りないところを指摘した素晴らしいフィードバックであり、とても感謝すると共に真摯に受け止めたいのだが、そこに昇進と昇給を絡めて話すことに対して、私はどうしても違和感を覚えてしまう。

 

アメリカで一緒に仕事をする同僚に「何のために働いているのか?」と聞くと、驚くほど同じ答えが返ってくる、「自分は金のために働いている」。なので、「昇進=より高い給与」という等式に基き、昇進するためには必達の目標を決め、それに向けて定期的に評価をするというのは、成果主義のアメリカにおいて一般的な人事考課の実施方法であり、上述の私のマネージャーの指摘は、そういった価値観に基づいた至極一般的なものである。反面、「昇進と昇給にそれ程興味がない」、とアメリカで言うと、「そうか、お前は家族との時間は大事だから仕事はそこそこでいいや、というワークライフバランス派なのだな」と捉えられてしまうのだが、別に仕事で高い成果をだすために一生懸命働く気概がないわけではない。

 

1)「昇進、昇給、やりがいのある仕事」というのは追いかけるものではなく、ついてくるものであり、2)本当に追いかけるべきは、高い価値を提供するための自己研鑽、不断の努力であり、3)昇進のための条件設定をするのではなく、ポジションに見合った成果を私が出した時に、その評価として昇進がくっついてくれば良い、というのが私のキャリア感に基づいた考え。なので、冒頭のマネージャーとのやり取りの中で、「君の私の足りない点についての指摘は全くもって正しく、より高い価値を提供するためにできる限り努力をしたい」と言いつつ、でも「ディレクターへの昇進(並びにそれに付随する昇給)そのものは私は興味がない」という私の本音を言ったところ、話がまったく噛み合わなくなってしまった。

 

話を単純にするために、「ディレクターに昇進したいから頑張る」と言えば良かっただけの話しなのだが、「本音のところで昇進にはそれ程興味がない」という以外にも、何かひっかかることがあって、「もっと頑張るが昇進には興味がない」と言い続けたのだと思う。そのひっかかっていることは何なのか考えていたのだが、それは「何のために働くのか?」という問いに対する答えの違いによるものではないかと思うに至った。

 

「何のために働くのか?」と聞かれたら、私は迷うことなく「自由を獲得するために働いている」と答える。

 

そりゃ、もちろんお金は大事ではある。だけど、お金は生活の自由度を高め、先々の選択肢を広げるための手段に過ぎない。逆に言えば、一定の生活の自由度が確保でき、お金が原因で何かを我慢することを日々強いられなければ、必要以上にお金が欲しいとは私は思わない(元来、私が贅沢に興味が無く、ケチであることに由来しているとは思うし、現在のお給金も悪くないということもそう考える理由としては大きいに違いないが)。私にとってはお金はそのものは目的ではなく、自由を獲得するための手段にすぎない。

 

肩書というのは、もう少しややこしい。転職などを考えた場合、現在の肩書が高ければ、高いほど、転職先の肩書きもそれに応じて高くなるため、将来の選択肢は広がるように見える。一方で、より高い肩書、並びに今と同等の肩書にこだわり過ぎると、それは逆に選択肢を狭めることになる。私は中途入社の面接を100件以上こなしてきたが、現在マネージャーだからという理由で、マネージャー職にこだわる人がとても多いことにいつも驚かされる。転職先の会社のビジョンに共感し、そこで待ち構えている仕事が自分にとってやりがいのあるものであれば、肩書をそんなに気にしなくても良いのではないかと思うが、今より下ることを嫌い選択肢を狭める人は意外と多い。

 

「目先の昇進、昇給ではなく、将来の自らと家族の自由度を高めるために、何を今すべきなのか」というのが、私のものごとの選択の基準である。なので、目先の昇進というニンジンよりも、先々に広がるであろう自由度の方にどうしても目がいってしまう。8年も前に”人は自由を獲得するために働いている”というエントリーを書いたが、働き、そして住んでいる国が変わっても、その考え方は今も変わらない。

アメリカで臼を保管する方法

念願の自分の臼と杵をアメリカで入手した私。はるばる日本から運ばれたきた臼と杵を、とりあえずガレージに角材を二本しき、大きめのビーチタオル2枚でくるんで保管していたのだが、翌朝衝撃の事件が発生。子どもを補習校に送る前にビーチタオルをめくって臼の様子を見てみると、何ともう臼にひびが入っているではありせんか。えぇ!たった一晩で、、、。

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ぎゃぁぁ、いきなりひびが、、、

年をとるにつれ、胆がすわり、最近はめったなことでは狼狽することがない私。はい、このひびには、相当狼狽しました。理由は完全に養生不足。カビかひびなら、カビの方がずっとよいので、養生をすごく厚くしてください、と三喜木材さんから言われたいたのに、乾燥したガレージにぺらぺらのビーチタオルで臼を放置してしまったことに後悔しても、後の祭り。

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敗因はこの養生の薄さ、、、

ひびは小さなもので、機能には全く問題はなさそうなのが不幸中の幸い。その週末は、養生を厚くするために文字通り走り回り、まずは応急手当て。そして、その後も改良を重ねて、三喜木材さんからも太鼓判を頂けるくらいの保管方法を築くことができた。本エントリーでは、アメリカで入手できるものを使って、どのように臼を保管するのか、私のノウハウをアメリカ在住者のために公開したい。

 


臼と杵の管理上の基本原則

私のようなビギナーが原則を語るのは心苦しいが、色々なご意見覚悟で私の学びを共有したい。

  • 「直射日光」「風の通る場所」「エアコン空調」は臼・杵にとって三大悪
  • 作りたての臼はひび割れがおきやすいので初めの養生が肝心
  • ひび割れがおきない程度の湿度を保ちつつ、カビが生えない程度の湿度に抑えることが大事
  • ダンボールは保湿性と換気性の両立を可能にする、臼の保管に最適な身近な素材
  • ひびかカビなら、カビをとるべき、カビは拭けばとれるが、ひびは入ったら直らない

臼は素人が想像する以上にデリケートなものであることを今回の失敗から学んだ。上記の原則を頭にいれた上で、どのような保管方法を私がとっているのか、以下共有したい。

 


そもそもどこに保管するか

わが家では臼と杵はガレージに保管をしている。屋外は論外であることを考えると、アメリカの普通の一軒屋に住んでいたらガレージの一択なのではないだろうか。地下室という選択肢もとれる方はいるかもしれないが、臼の重量を考えると、上げ下ろしが大変なので、運用上現実的ではでないと思う。わが家のガレージは車が2台はいる大きさで、エアコン空調はない。シャッターをしめておけば、直射日光や風は防ぐことができる。下がコンクリートなので、乾燥しがちなのが欠点だが、条件はそれ程悪くないように思われる。



現在私が使用しているもの

次に、臼の養生のために私がこれまでに購入したものを紹介したい。

角材二本
角材を二本しき、その上に臼を保管するというのが通常の保管方法のようなので、私はLOWE’S(アメリカのホームセンター)で角材を日本購入。全く同じものではないと思うが、LOWE’Sのサイトのリンクも参考までに共有しておく(リンク先の商品の長さであれば一本購入し、二つに切れば丁度良いと思う)。あまり、床と臼の空間が広すぎると感想しすぎるので、3 - 4 cm程度の角材が丁度よいとだろう。

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ダンボール
アメリカにはU-HAULというトラックのレンタル会社があり、引越し用のトラックを借りるだけでなく、引越しに必要なダンボール箱を一通り入手することができる。私は、ガレージのコンクリートにしくためのダンボール(36*36*6)と養生した臼を最後にすっぽり覆うための巨大なダンボール(36*36*36)を購入した。店のお兄ちゃんから「36*36*36なんて絶対に大きすぎる、お前は一体何を運ぶつもりなんだ?」と聞かれるものの、「いや、日本から臼を送ってもらってな、、、」という説明は間違いなく理解できないと思うので、返答に苦慮したものだ。なお、U-HALUに引っ越しの際に家具などを保護するための薄いマットも売っており、こちらもあわせて購入したが、なかなか重宝している。

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巻きダンボール

また、全体を覆う四角いダンボールとは別に、臼の形状にあわせたダンボールを作るためにAmazonで巻きダンボールも購入した。

smile.amazon.com

36 feet x 36" Single-face Corrugated B Flute Cardboard Roll.

臼の直径より15cmほど大きな筒を作り、筒の上部に15cm間隔で切込みをいれて蓋を制作。

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まずは筒状のダンボールを作成

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切込みをいれて、折り込んで蓋を作成



なお、今回新規に購入したわけではないが、上記に追加して、使い古したクイーンサイズの掛けぶとんと、いらなくなった子供用ベッドのパッドも今回養生に利用している。

 

いよいよ保管方法

では、必要な道具もそろったところで、いよいよ保管の手順を共有したい。言葉で書くより写真で手順を紹介したほうが、分かりやすいと思うので以下写真で手順を紹介していきたい。

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コンクリートの上にダンボール、そして角材をしく

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その上にU-HAULの青いマットをしく

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角材の上に臼を置く

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保湿のためにプラスチックのボウルに水をいれ臼の中におく

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青いマットで臼をくるむ

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子どものベッドパットでくるむ

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作成した筒型のダンボールを被せる

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クイーンサイズの掛ふとんでくるむ

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最後に大きなダンボールをかぶせて保管

上述したこと以外のポイントは、臼の中におくボウルはプラスチック製品を使うのが大事ということ。金属製のボウルだと木が変色してしまうとのこと。また、ボウルの下には写真では見えにくいが、割り箸を二本おいて一応空間をもたしている。

これでもか、というくらいにがちがちに養生したので、湿度が高すぎないか気になったが、今のところは湿度過多というわけではなさそう。2週間ほどして、さっと拭きとればすぐきれいになるくらいのカビが生える程度。

今のところは、大きな問題なく保管できているが、今後も継続的に手間と養生のバランスをうまくとりながら改善していきたいと考えている。また、進展があれば共有をしていきたい。

 

臼と杵を日本からアメリカにどうにかこうにか運んだ話

「アメリカで自分の臼と杵を使って家族で餅つきをしたい」 

さして壮大ではない、ささやかな夢が先日ついにかなった。

私は現在、家族とアメリカに住んでいる。日本に住んでいた頃は子どもの通う幼稚園で餅つき力をかなり鍛えられ、米国移住後も日本人コミュニティの餅つきリーダーとして、アメリカにいながらも餅つきをする機会に恵まれてきた。

アメリカで仲間や家族とわいわいと餅つきをするうちに、自分の臼と杵が欲しい、という希望がおさえ切れなくなってきた。幸なことに収納スペースには欠くことがない。が、どこで買って、どうやってアメリカまで臼と杵を運ぶのかが大きな問題だ。さんざんネットで調べたものの、海外在住者が日本で購入した臼と杵をアメリカまで運んできたという具体的な話は一切みつからなかった。昨年の11月から臼の製造販売店に問い合わせを開始し、半年ほどかけ、ようやくこの度、自分の臼と杵をアメリカの自宅にむかえることができた。同じ希望を持っている方もいるかもしれないので、このエントリーでは、アメリカで臼と杵を入手するための必要な手順を私の経験を元に共有したい。

臼と杵の製造販売店を探す

購入した臼を海外まで配送してくれる臼の製造販売店があるとベストなのだが、残念ながら私が7〜8店に問い合わせた限り、そういうお店を私は見つけることができなかった。そういう問い合わせが多いのか、「海外へは配送できません」、とウェブに記載しているお店も少くない。

なので、海外の顧客に対して臼と杵を販売した経験のあるお店を見つけることが第一ステップとなる。配送の手配まではしてくれなくても、配送業者のやりとりの経験があったり、海外での臼のメンテナンスの知見のあるお店が心強い。

私は、この度三喜木材店様から購入をしたが、私と同様に海外に在住しており、臼と杵を購入したいという方がいたら、三喜木材店様を強くオススメしたい。理由は、

  • フランス、ドイツ、そしてアメリカに住む人に販売した実績と経験がある
  • 出荷後メンテナンスができないという海外在住者の状況を考慮し、フチの部分を厚く作り、割れにくく製作するなどの配慮をしてくれる
  • 問い合わせた全店の中で、対応が最も誠意があふれ、また臼と杵への愛情もあふれている

など、あげればきりがない。一連の手続きで、「こ、これはもう無理か、、、」と途方に暮れることも多かったが、三喜木材店様の誠意ある対応に何度助けられたことか。作ったものをただ売るというのではなく、海外で自分の臼と杵でもちつきをしたいという私の夢にのっかり、それを親身にサポート頂いた心意気が何よりも嬉しかった。もちろん、日本国内にお住まいの方にも強く勧めたい。

臼・杵製造販売 | 三喜木材 公式サイト

 

臼と杵をアメリカまで運ぶ

臼と杵を入手する上で、最大のチャレンジは輸送である。日本に住む家族に、かつお節や塩昆布を送ってもらうのとはわけが違う。総重量が100kgほどの巨大な物体をはるばる日本からアメリカまで運ぶかが、解決しなければならない最大の問題だ。私が調べた限りは主に二つのやり方がある。

  • 海外に引越しをする人の、引越荷物と一緒に輸送してもらう
  • 臼を海外輸送できる業者に頼む

個人的に調べた限りでは、前者のほうが一般的らしい。私の知人でも家族のアメリカへの引越にあわせて臼と杵をアメリカまで送ってもらったという方がいた。

生憎私はそういう知人もいなかったため、今回は日本通運様の国際航空輸送サービスを利用した。日本を代表する大企業にとっては取引として小さすぎたのか、対応が必ずしもよくなかったが、いざ輸送作業に入ってからは、国際便なので数日で届き、かつ通関などの諸手続きもスムーズにこなしてくれたのはさすが。作りたての臼はデリケートなので、信頼できる大手に確実に送ってもらうというのは結構大事だと思う。

今回は母に輸出者になってもらい、諸手続きは基本的には私自身が対応した。臼の製造販売店が輸出者となると関税などのややこしい問題が発生するので、家族や知人に輸出者になってもらい、その人がアメリカに臼と杵を送るという形式をとったほうが良い。

また、日通様を利用する場合は、こちら側がパレットにのせてフォークリフトで日通様の輸送車に積み込まないといけないというややこしい制約があった。当初は実家に日通様に集荷にきて頂くことを想定していたが、実家にフォークリフトなどあるわけがないので、日通様に直接三喜木材店様まで集荷にいって頂き、輸送車への積み込みの部分は三喜木材店様に対応頂いた。輸送物が巨大であるため、集荷の際の条件などを物流業者とよくよく事前につめて、その内容を見積りに反映してもらうことが必要だ。

私の場合は、三喜木材店様までの集荷、輸出規格に適した梱包作業、輸出書類作成費など、当初の見積もりに含まれていなかった想定外の費用が発生し、輸送料は当初の想定を大幅に上回るものとなってしまった。船便を使った海外引越し業者に依頼をするなどの方法のほうがより経済的である可能性は高い。

おわりに

2017年11月5日から色々実際に問い合わせを開始し、実際にわが家に到着したのは2018年4月13日。トータルで半年のビッグプロジェクトになってしまった。長くかかってしまった理由は、臼と杵の製造販売店に注文が殺到する年末に発注をしてしまったので、製造が完了するまでに時間がかかってしまったことと、発送依頼をしてから実際に発送作業に移るまで、上述したあれやこれやの追加事項について、時差をかかえて日通様と往復書簡を繰り返し、時間を要したことにある。

そんなこんなの苦労はあったものの、どうにかこうにか臼と杵を日本からアメリカに運ぶことができた。この週末、念願のマイ臼と杵を使っての餅つきを、アメリカの自宅で家族と楽しむことができて、感無量であった。このエントリーが海外に住んでいる方で、自分の臼と杵が欲しいという変わった希望を持つ方の少しでも参考になれば、嬉しさもひとしおである。

なお、わが家に到着してからも別のドラマがあったりしたわけだが、それは別のエントリーで紹介したい。

体重は減らすものではなく、生活習慣についてくるもの

「外食は控える」、「万歩計をつけ、一日に一万歩は歩く」、「筋肉をつけ、基礎代謝をあげる」、「炭水化物をとらない」、「毎日体重をはかる」などダイエットのコツというのはあげればきりがない。私は社会人になってから増えた体重をずっと減らすことができないまま、十年近く過ごしたが、いくつかの生活習慣を改善することにより、学生の頃と同等、並びにそれ以上の体型を最近は維持することができている。未だに色々苦労や努力はしているが、自分の保ちたい体型を維持することが、最近ようやく上手にできるようになった。体重や体脂肪率の増減を繰り返しながらようやく今にいたるわけだが、その経験を通して、私が大事だと思う点をいくつか共有したい。

 

1. 「〜すれば痩せる」式の単体のソリューションで解決しようとしない

人にどうやって痩せたのか、と聞かれたら、「週に2〜3度ジョギングをする」、「ビールの代わりにホッピーを飲む」、「野菜中心に食生活を心掛け、あまり外食しない」、「間食をしない」など色々私がやっていることを共有することはできるが、それをやったからと言って誰もが痩せることができるわけではない。体重や体型に影響を及ぼす要素は多岐に渡り、誰もに普遍的に当てはまる黄金の法則なんてものは絶対にない(だからこそ、ありもしない黄金の法則を売ろうとするダイエット商法が成り立つのだろうが、、、)。ダイエットのスタートポイントは、何か一つのことをすることにより、劇的な成果をえようとすることをまず諦めることだと思う。

 

2. 体重をコントロールするのではなく、生活習慣をコントロールする

「今62キロの体重を58キロにする」という目標設定をから入り、体重を減らす努力を重ねるタイプのダイエットをして、うまくいった試しが私にはない。短期的に目標に近付くために、運動をしたり、食事制限をしたり、怪しげなサプリを飲んだりするが、大抵は続かない。肝入りで始めたことが、思ったより成果があがらないことに落胆し、気づいたら何もしない生活に逆戻りしているということを何度繰り返したことか。
最近は少し考え方を変え、生活習慣の何かを変え、体重が減るかどうか、そしてそれが持続可能かどうかを確かめ、上手く機能するようなら、それを新しい生活習慣として取り入れるようにしている。普通のダイエットと同じように聞こえるかもしれないが、体重を減らすために何かをするという考え方と、目標体重に見合った生活習慣を作り込んでいくという考え方は、私は全く別物だと考える。減量というのは追い求めるものではなく、生活習慣についてくるものだ、というように発想を転換してから、いわゆるリバウンドをしなくなったし、こんなに努力しているのに体重が減らない、とストレスを感じることも少くなった。


3. 体重は点で管理しないで、面で管理する
目標体重を達成することよりも、その体重を常にキープすることは十倍以上難しい。私が求めているのは、瞬間最大風速で過去最軽の体重を実現することによる達成感ではなく、望ましい体型をずっとキープすることなので、最近は体重を月単位の平均でみるようにしている。体重をこのように面で管理をすると、日ごとに増減する体重ではなく、生活習慣にもっと目を向けやすくなる。また、体調を崩したり、出張が入ったり、急激に仕事が忙しくなったりするようなダイエットのリズムを壊す突発的なイベントで、ダイエットを継続できなかったことが以前はあったが、体重を面で管理するようになってから、あれやこれやが起きてもリズムを崩すことなく、継続的に体重と体型の管理ができるようになった。


4. インとアウトではなく、生活環境に目を向ける
摂取するエネルギーを減らし、消費するエネルギーを増やすという算数によって体重はめでたく減っていくわけであるが、本当に一番力を注がないといけないことは、摂取するエネルギーを減らすことでも、消費するエネルギーを増やすことでもなく、その二つを管理・コントロールしやすい環境を作ることだと思う。例えば、仕事が忙しく、ストレスの多い生活をしていれば、どうしても運動する時間がとりにくいし、ストレスが引き金になって暴飲暴食をしてしまう。また、ジムやジョギングができる公園などの運動施設が家のそばになければ、やる気があってもなかなか運動を継続することはできない。私は、今は外食は殆どしないし、週に4〜5回はジョギングをしているそれは自分の努力と我慢によるところもあるが、殆どの日は5〜6時に仕事を切り上げることができる環境によるところが大きい。現在のライフスタイルを所与としてインとアウトを無理矢理コントロールをしようとするのではなく、生活環境を変えていくことが持続的な体型維持には一番必要なことだと思う。


4年前にアメリカに移り住んで、生活環境が大きく変わった。車通勤になり運動の機会が劇的に減り、高カロリーの外食産業に囲まれ、ホッピーが売ってない代わりに、安くて最高に美味いクラフトビールが溢れている、などダイエットに取り組む上でチャレンジもあれば、信号に阻まれることなく気持ち良くジョギングできる環境が家のそばにあったり、オフィスにジムがあってそこで運動ができたり、外食が高い上にあまり美味しくないので家で食事をとることが多くなったり、などポジティブな面もある。アメリカの環境にあわせて生活習慣を作りこんできたが、繰り返しになるが、体重というのは生活習慣についてくるものだと思う。短期的な無理なやり方で体重を減らそうというのではなく、自分の求める体重と体型に見合った生活習慣を時間をかけて作り上げていくことこそが大事だということを私の経験から強調したい。Good Luck!

『日本人が海外で最高の仕事をする方法』 多様性と向き合い、自分を変える

『日本人が海外で最高の仕事をする方法』というタイトルで、Amazonのレビュー結果が抜群。海外で仕事をする日本人としては、これは読まないわけにはいかない、と手にとって見た。これは確かに良書である。

 

日本人が海外で最高の仕事をする方法 ― スキルよりも大切なもの

日本人が海外で最高の仕事をする方法 ― スキルよりも大切なもの

 

 筆者は、ソニーで20年もの間、9カ国の国々で仕事をしたという強者。その筆者の成功体験と失敗体験を赤裸々に語り、多用な価値観、バックグラウンドを持つ人と仕事をする上での肝を記している。私は、アメリカの会社のアメリカ本社で現地採用社員として働く身なので、いわゆる「赴任」のカテゴリーにはあたらないが、本書で語られる仕事論の普遍性の前で、その程度の違いは重要ではない。

 

本書では、赴任先のベトナムでベトナム語で有名な歌をカラオケで歌ったり、赴任先の韓国でアクの強い郷土料理を楽しむことを通して、現地の社員に受け入れられていく筆者の姿が紹介されている。だがこれを、小手先の人気とり、と捉えては同じことをしても、決して成功はしない。筆者の行動の背景にあるのは、相手に対する強烈なまでの興味・関心である。自分に興味を持ってくれる人に、人は興味・関心を持つ。相手に興味を持ち、その興味を満たすために、相手の領域に果敢に飛び込み、徹底的に行動を移す筆者の姿に、各国の現地社員が強く惹きつけられていく様子は本書の見所の一つだ。

 

また、国や地域で単純に人を一括りにせず、飽くまでも「個」に焦点をあてている点もとても勉強になる。赴任した国々で筆者が先ず取り組むのは「現場回り」だ。まだ、その国になれない中で、強行スケジュールを組んで「現場」を回り、一人ひとりの社員に耳を方向け、真剣に向き合う姿とその徹底っぷりには舌を巻く。現地法人を単なる会社ではなく、現地で働く人の集合体として捉え、「個」にきちんと目を向けた形で様々な施策をうっていく姿は正にプロの経営者だ。下記の文章は筆者のそういう姿勢がよく表れている。


ビジネスにおいて、「人」を単なる交渉相手とか、乗り越えるべきハードルとか、単なる労働力とか、単なる役職というような、無機質なとらえ方をしてしまっていることが、ないでしょうか。たとえ表面に見えているものがそうだとしても、その裏には必ず、さまざまな面を持った人間一人ひとりの姿があります。そのことを意識するだけで、表面に見えているものを違って見えてくるかもしれません。
『日本人が海外で最高の仕事をする方法』

 

海外での仕事を経験する意義は、単に海外慣れしたり言葉を学ぶことではなく、異なる文化、異なる考え方、異なる環境などの自分と異なるものと向き合い、自分自身並びに会社をその多様性に対応させ、変化させること、だと筆者は説く。私は、日本から赴任してきている日本企業に勤める方たちと話をする機会が沢山あるが、少し日本語ができるだけのアメリカ人をやたら重宝したり、複数の企業の人があつまるゴルフ・コンペで自社の人間だけの組を作るよう調整する、など海外にいながら、なお内向きな日本企業の姿勢を目の当たりにすることが多い。これから海外に赴任する機会のある方、現在赴任中の方には是非本書を手にとって頂きたい。

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