Thoughts and Notes from NC

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『妻のトリセツ』 「話を聞かない夫」に「話」を聞いてもらうのに大事なこと続編

何年も前に書いたエントリーなのに、未だに高アクセスのものがいくつかある。『「話を聞かない夫」に「話」を聞いてもらうのに大事な5つのこと』はその一つなのだが、アクセスが多いだけでなく、怒髪天をついた女性がその心情を吐露するコメントを継続的によせる、本ブログの中では珍しいエントリーだ。話を聞かない夫の視点で、現実解を提供したつもりだったのだが、むしろ相互理解の芽をつみ、諦めと断絶の温床となっているケースが散見されることは私にとっては大いなる学びであった。よくよせられるコメントは、「妻だけでなく、夫がどう変わらなければならないのかも、書いてほしい」というもの。気持ちはわかるが食指が動かなかったので放置をさせて頂いているうちに、『妻のトリセツ』という素晴らしい本が出版された。

妻のトリセツ (講談社+α新書)

妻のトリセツ (講談社+α新書)

 

「妻の話を聞くために夫が理解すべきことが書かれた指南書が欲しい」と切望されている女性は、本書を購入し、夫の書架にこっそり鎮座させるのがオススメである。

 

実は、本書を本屋で見かけた時は正直あまり食指が動かなかった。ぱらぱらとめくってみても目新しいことはなかったし、「トリセツ」というモノ扱いする語感に今一つ共感できなかったからだ。が、帰米のフライトは本土まで13時間もかかる。なので、読み応えがある本から読み流せる本までその時々の気分に応じて色々な本が読めるようラインアップをそろえておきたい。というわけで、読み流し用として本書を購入することとした。が、機内で手にとって読み込んでみて、良い意味で期待を裏切られた。これはアタリである。

 

本書は黒川伊保子女史による著で、筆者が女性であるという点でまず信憑性がある。私のようなおっさんが、捉えどころのない女心を多面的にとらえ、論理と説得力をもって語ろうという試みは無謀の一言につきる。やはり餅は餅屋だ。いかにもありそうな、男性が理解しがたい女性同士の会話をいくつも紹介できるのは、女性ならではだ。そして、筆者の新骨頂は、女心のどの部分がおっさんにとって理解が容易でないことを理解した上で、その女心を科学的に解釈し、具体例を用いながら説明し、フレームワークに落とし込む、というビジネスパーソンがすんなり受け入れることのできる論理構成にしていることだ。きっと筆者は『夫のトリセツ』を書かせても、うまく書き込なすであろう。

一つ具体例をあげよう。筆者は女性の会話の感じ方を、

  1. 心は肯定 ー 事実も肯定
  2. 心は肯定 ー 事実は否定
  3. 心は否定 ー 事実は肯定
  4. 心は否定 ー 事実も否定

という四象限にわけ、女性は3番目と4番目は使用しないと断じる。この「心は肯定」というのは、別の言い方をすれば共感をしめすということだ。即ち、共感させ示しておけば、その後の発言や行動の許容度は飛躍的に増す、というのだ。筆者は事実を否定しても、心を肯定しておけば全く問題ないということを下記のような例で紹介する。

ファミリーレストランに中年の女性3人が入ってきた。席に着くなり、一人が季節の限定メニューのマンゴーパフェを見つけた。
女性A「見て!季節限定のマンゴーパフェだって。美味しそうじゃない?」
女性B「あら、ほんと!マンゴーって美味しいよね」
女性C「まったりしてて、アイスクリームと相性もいいし」
ひとしきり旬のマンゴーの美味しさについて盛り上がったのち、Bが「でも、私、チョコね」とあっさり一抜け、Cも「私は白玉にしとくわ」と二抜けした。それでもAは特に機嫌をそこねるわけでもない。
この状況、女性脳同士なら全然不思議でもなんでもない。最初にちゃんとAの心(気持ち)を肯定しているから、あとは何を頼むのも自由というわけだ。

この男性視点で見ると理解し難いやりとりを、四象限のフレームワークで仕訳をして、説明しきる手腕はお見事である。

 

「話を聞かない夫」に「話」を聞いてもらうのに大事な5つのこと』というエントリーとそれに寄せられたコメントをみて、「女性は共感して欲しいのよ」と妻に指摘をされ、「そうだよねぇ」と軽くわかった風に受け流していたが、本書を通してその言葉がようやく腹におちた。その点では、心を入れ替えたつもりであっても、私は未だ「話を聞かない夫」らしい。道のりは遠く険しい。

『ティール組織』へのありがちな誤解

 

全面緑色の派手な表紙に、「上下関係も、売上目標も、予算もない!?」という言葉が踊るこれまた派手な黄色の帯の本と言えば、話題になっている『ティール組織』だ。

 

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

 

 

「売上目標も、予算もない」という箇所がインパクトが強く「目標や指標がなくても余裕で良い数字で作れる魔法の経営」というような大きな誤解をしている人が意外と多いし、そういう誤解から「今一つ現実味に欠き、しっくりこない」と思っている人が多いのはとても残念だ。本エントリーでは帯の「売上目標も、予算もない」という部分を少し深掘りをして、考察してみたい。

 

進化型(ティール)組織はトップダウンの目標を設定しない。

『ティール組織』 P.356

 

 「トップダウンの目標を設定しない」と「目標を設定しない」は、「肉や魚などの食事をとらない」と「食事をとらない」と同じくらい異なることであるが、「トップダウンの」という言葉を取り払って「ティール組織は目標を設定しない」という誤解をしている方が多いことに驚かされる。

 

私は長くアメリカ資本の会社に勤めている。なので、本書の一つの狙いは、株主至上主義のアメリカ型経営に対して、「人々はその仕組に疲れ切っており、もうそれは限界なんじゃない?」という疑問を投げかけることにある、ということが肌感覚として良く分かる。

 

一般的なアメリカ企業では、「トップダウンの目標」は、株主並びに証券アナリストから降ってくる。決算発表の後に、各アナリストが売上、利益率、一株当り利益などの予想値を発表し、その各会社のだしてきた数値の平均が大凡の「マーケットの期待値」として扱われる。その期待値を上回る結果をだせば株価は上がり、下回れば株価が下がるため、その投資家からの期待値が達成すべき目標となる。そういった会社全体に対するマーケットの期待値を部門ごとの目標値として割り振っていき、晴れてその企業の隅々にまで売上目標がばらまかれ、トラッキングが始まるわけだ。

 

その期待値を上回るための熾烈な企業間の競争が、消費者により大きな価値を提供する結果につながったことはもちろん否めないが、企業という生身の人間の集合体を、「労働をインプットとして、売上や利益というアウトプットとする機械」かのように扱う経営に人々が疲れて、滅入っているということが、『ティール組織』に注目が集る背景としてあるのは間違いない。

 

売上や利益というのは、抜群にわかりやすいし、測定もしやすい便利な指標だ。投資家の視点でたてば、様々な会社のパフォーマンスを同一の指標ではかることができれば便利この上ない。が、売上や利益という指標が全ての会社に適した指標なのかといえばそんなことはない。それぞれの企業の存在意義に立ち返って、その活動成果を測ろうとすると、とたんに売上や利益という指標はその輝きを失ってしまう。「未来のモビリティ社会をリードする」というTOYOTAのビジョンの達成度合いを売上と利益ではかろうとしてもそれは無理というものだ。

 

なので、投資家からふってきた売上や利益というトップダウンの指標や予算ではなく、その会社の事業を最も理解している社員自身が、何をもって事業のパフォーマンスを測るかを自発的に考え、コントロールを投資家から自分たちに戻そうぜ、というのが『ティール組織』の自主経営の胆なんだと思う。なので、「トップダウンの目標設定」をせずに、「ボトムアップの実があり、納得感のある目標設定」をするというのが、大事な要素だ。

 

ビュートゾルフというオランダの訪問看護の会社が本書では『ティール組織』の代表格として度々紹介される。ビュートゾルフは12名を最大とした看護チームを形成し、各チームによる自主経営により運営されている。活動のコアとなる看護チームに売上や利益のゴールがトップダウンで割り振られていないという点が本書では強調されるが、売上や利益の代わりに60%の顧客に請求可能な時間の稼働率が求められていることは何故か本書では多く語られていない。

Individual team members are asked to meet a productivity target of 60% i.e. 60% of their contracted hours must be billable. Individual and team productivity are monitored centrally. Team members whose productivity falls below the target are notified individually. Team productivity is visible to other teams through the organisation’s intranet called the BuurtzorgWeb.

A systematic overview of the literature in English on Buurtzorg Nederland

 

私は過去にコンサルティング会社に勤め、稼働率の目標を追っていたのでわかるが、60%というのは厳しすぎはしないが、決して優しい目標ではない。ビュートゾルフの各グループは目標が設定されていないわけではなく、「勤務している時間の内、60%は患者から対価を得て、訪問看護サービスを提供することに少なくとも時間を使うようにしなさい」という売上目標とは異る目標が設定されている点は大事なポイントだ。

 

また、自チーム並びに他のチームの様々な生産性に関する指標*1が社内のデータウェアハウスでガラス張りになっており、いつでも参照することができるし、ハイパフォーマンスのチームに助言を求めることができるというのも興味深い。自分たちが納得感を持って対峙できる経営指標を用い、自分たちのパフォーマンスをあげるために、自身で管理している、というのが自主経営において最も重要なことだ。

 

本書を読んで、今一つ現実味がなく腹落ちしないという方は上記の視点を見逃している人が多いのではないか。上に引用したリンクをたどるとビュートゾルフの経営管理が、より生生しく語られているので一読をオススメしたい。

*1:顧客数、チームの経費、看護の品質、顧客とのやりとりの回数、顧客あたりの看護人数、顧客満足度、チームごとの生産性

アメリカでカスタマーサービスとやりとりする際の十箇条

アメリカ生活できってもきれないのはカスタマーサービスとの電話やチャットのやり取り。やれ請求書が間違っている、やれ届いた品物が来ない、やれ予約内容が違っている、やれネットワークがつながらない、などオペミスや小さなトラブルにあふれるアメリカ。そういう「困った事案が発生した際の第一相談窓口」がカスタマーサービスである。

 

これが強い味方のように見えるが、実際に問い合わせて見ると、杓子定規でサービス精神に欠くし、確認して折り返すと言いながら折り返しの連絡はないし、タライ回しにされる度に一から説明が求められるし、担当者によって当り外れがあるしで、良い思いをしたという人は結構少ないのではないか。とかく日本のハイタッチのサービスに慣れていると、折り返すと言ったのに折り返さない、というだけで「ありえない!」と怒り心頭と言ったところだろう。

 

カスタマーサービスの問い合わせに、時に怒り、時に失望し、時に途方に暮れ、時に怒髪天をつく思いをした私も、最近は大分慣れてきたこともあり、必要なサポートを比較的にスムーズに得ることができるようになった。その要点を一言で言えば、短い時間の中でもカスタマーサービスの担当と良好な人間関係を築き、「今日は沢山の電話を受けてきたが、この人の助けになりたい」と思ってもらうよう、彼らのマインドシェアをとることだ。本エントリーでは、私の経験を下に、カスタマーサービスとのやり取りをスムーズにする10箇条を共有したい。

 

1. 感情を横に置き、問題にフォーカスする
請求金額が異なっていたり、指定日に品物が届かない時に発生する感情は怒りや失望である。別にその感情をおぼえるなとは言わないが、その感情を担当者にただぶつけても多くの場合はうまくいかない。「どーなってんだ、ごるぁ!」という感情をそっと横に置き、何が問題で、その問題によりどう困っており、解決に至らないとどうなってしまうのか、という事実を整理し、きちんと説明することが大事だ。オリエンタリズムの漂う微妙な発音で、怒りにまかせて英語で怒鳴ったところで、何一つ好転しない。

 

2. 敬意をもって接する
カスタマーサービスというのは決して人気職業ではない。大体の担当者は薄給であり、一日に100件を超える電話を受け、そして怒鳴りつけられることが多く、敬意を払われることは少ない職業だ。電話口で怒鳴られまくっているうちに、お客様の問題を解決してサポートしたい、という気持ちが吹き飛んでしまった人は少くないはずだ(もちろん、そんな気持ち初めから持ち合わせてない人も沢山いるであろうが、、、)。相手を自分の怒りやイライラをぶつけるはけ口として見るのではなく、一生懸命仕事をしている一人の人間として見て、敬意を持って接することが、相手から親身なサポートをえるための入り口だ。

 

3. 出だしが肝心、明くフレンドリーに接する
担当につながると大体、「Hi, this is Mike with AT&T, how can I help you today?」みたいな感じで会話がスタートをする。まずは、喧嘩腰ではなく、

"Hi Mike, I'm ktdisk, I hope you can help me with my problem."

というようなことを、なるべくフレンドリーに、明く言うことが大事だ。ここの出だしを上げ調子でいくことで、まずは「あぁ、怒鳴られなくて済む」と相手のガードが下げることができる。怒りのはけ口扱いされることが多いので、始めに友好的かつ敬意を込めて接することは、短いコミュニケーションの中で良好な人間関係を築くためにはとても大事なことだ。

 

4. 担当者の名前を適宜会話におりまぜる
こちらから説明をし、向こうが確認や質問をし、こちらがされにそれに答えるという会話のキャッチボールを担当とするわけだが、こちらが答える際に"Mike, good point"とか、"Yes, Mike"とか、とにかく相手の名前を呼ぶことから自分の発言を始めることは、会話に友好的な雰囲気を醸し出すためには大事だ。よい担当者の受け答えをよく聞いていると、必ず一回一回こちらの名前をおりまぜているのに気付くはずだ。また、これは対応が悪かったり、急にたらい回しされたとしても、「君の名前をきちんと覚えているからね」という牽制にもなる

 

5. 怒るのではなく、助けを求め、その状況に共感をえる
一番やりたいことは、怒鳴って溜飲を下げることではなく、今の問題を解決することのはず。なので、今自分がどのように困っているのかをきちんと説明し、その困った状況に共感をしてもらうことが大事だ。共感をえるのに多少の感情の吐露はあってもよいかもしれないが、怒鳴っては共感はえられない。また、
"You must have a lot of patience to help people like me all day."
というようなことを言って、相手の困っている状況に共感を示すのも有効な手立てだ。自分が相手を理解しようとすれば、相手だって自分のことを理解しようとしてくれる。根は困った人を助けたい人たちなんだ、という相手への信頼が、共感をえて、サポートを引き出す重要な鍵だ。

 

6. 相手が営業行為に及んだ際は受け流す
多くの場合、カスタマーサービスの人たちは、追加並びに特別なサービスを営業することも仕事のうちに入っている。たまに、助けを求めて電話をしているのに、そっちのけで新しいサービスの提案をする場合がある。そういう時も「ふざけんな!問題解決が先だろう!」という感情はおいておき、
"Thank you, I have already talked to customer service five times this week, and I already have the best deal. I just need help with my problem."
みたいな感じで受け流すことが大事だ。カスタマーサービスの人間は基本的には営業は好きではないけど、義務としてやらないといけないのだ。なので、既に案内済みであった、ということがログに残せればよいので、さらっと上記のように受け流すことが肝要だ。

 

7. 顧客満足度調査に協力する
顧客満足度調査のスコアというのは、カスタマーサービス部署の担当の評価としてとても大事なものだ。雲行きが怪しくなると低いスコアを避けるために、急に別担当者に回されることもあるくらいだ(腹の底からむかつくが、、、)。もし、相手の親身なサポートで無事問題が解決に至った場合は、

"You have been SO helpful today, thank you so much! Can I complete a survey about your customer service?"

というように、心の底からお礼をいった上で、顧客満足度調査に協力する姿勢をみせると良い。良いサービスをすれば、心の底から感謝されるという成功体験が、カスタマーサービスの質全体の向上に繋がるはずだ。

 

8. 次もこの担当のサービスを受けたいという場合は、連絡先を聞いてしまう
カスタマーサービスは当たり外れが大きい。良好な人間関係を構築しようとベストを尽くしても、ダメな担当はまったくダメということもあるので、当たりをひいたら、連絡先を教えてもらい、直接その担当者に連絡できるよう

"Can you give me the number I should call to reach you if I have further problems?"

という感じで聞いてみると良い。正直、教えてくれないケースもかなりあるが、駄目元でも聞く価値は十分にある。

 

9. 電話の終わり際にはきちんと内容を記録する
何月何日に、どの担当と話をして、どんなフォローをすることになったのかという点をきちんと最後に記録することはとても大事だ。カスタマーサービスに電話をすると某かのフォローが必要になることが多い。が、残念ながらそのフォローがこちらの期待通りに遂行されないケースもままあり、その場合は再度電話をしないといけない。その際に、
"I talked to Mike on 1/20 and he set a technician appointment for 1pm on Tuesday."
のような形で前回の内容からスタートしないと、結局振り出しに戻る状態になってしまう。追加の手間と、不要なストレスを感じないために、面倒でもきちんと記録をとるべきだ。

 

10. 最終手段はRetention Department
上記のような手を尽くしても、あたった相手が悪いとどうしても物事が前に進まない。これは最終手段であるが、今の担当者ではもうお手上げ状態になったら、

"Please connect me to the Retention Department."

とお願いする手がある。この部署は文字通り顧客離れを防ぐための最後の砦であるため、熟練の手練が出てくることが多い。いつも「Retention Departmentでてこい!」だと要注意顧客リストにのってしまう恐れもあるので、これは最後の手段であることは強調しておきたい。

 

以上、私のアメリカ生活での経験、並びに様々な友人からもらったアドバイスに基づいて、カスタマーサービスとやりとりする際の十箇条を記載してみた。少しでも参考になり、読者がよりよいアメリカ生活を送れることを願ってやまない。Good Luck!

アメリカで日本のお風呂を夢見るはなし

私は湯船につかるのが大好きだ。芯まで冷えた体がじわじわと温められるぬくもり感、足腰の疲れが緩みほぐされていく心地良さ、うっすら汗をかきつつ体の中の不純物がでていく爽快感、など入浴は晩酌につぐ至福の一時である。この年末年始は渡米以後初めて日本で過し、真冬に湯船のある生活を満喫しつくした。わが家はアメリカの学校の夏休みにあわせ、通常は夏に一時帰国する。その際にも毎日湯船にはつかるのだが、やはり真冬のお風呂の気持良さは夏の比ではない。寒い冬に毎日湯船につかることの幸せをかみしめた年末年始の数週間であった。

 

その冬の日本への一時帰国を終え、帰米する帰途に本エントリーを書いているのだが、果たして湯船のない生活に戻れるのだろうか、それが一番の不安である。風呂好きの私ですら、アメリカ生活においてお湯をはるのは、冬であっても月に2回程度だ。そういうことを言うと、「バスタブってないんですか?」とよく聞かれる。もちろん、バスタブはあるのだが(しかもわが家には風呂が3つある)、日本のお湯はり機能や追い炊き機能がないので、どうしても面倒でお湯をはるのを敬遠してしまうのだ。

 

湯船を洗って栓さえしておけば、キッチンにあるパネルのボタンを押すことで湯量と湯温を設定できる日本のお風呂機能は、アメリカの感覚で言えば23世紀のテクノロジーだ。アメリカはといえば、お湯の蛇口と水の蛇口を回し、手で熱さを確認し、その時ではなくお湯がたまった後に最適になるように微妙な温度調整を二つの蛇口をひねりながらして、お湯がたまるまでその場で仁王立ちしていなければならない。おまけに、他の家族も入るとなると追い炊きができないので、お父さんは後の人が快適にはいれるよう地獄の釜のように熱いお湯に入るのがわが家の習わしだ。そういう細かな手間やチャレンジについて考えると、ついお湯をはるのが面倒くさくなってしまうのだ。

 

日本の良い文化や技術をとりいれようという気運はアメリカでは高いのに、どうしてこの素晴らしい風呂機能はアメリカで展開されていないのだろう。これには文化的なものとマーケティングの二面で問題があると私はにらんでいる。

 

アメリカの職場の同僚から、今度東京に行くのだけど土日にオススメのスポットはあるか、とたまに聞かれ、冬であれば箱根の温泉を勧める。が、温泉宿での過ごし方を説明すると「いやぁ、それはちょっと違うかな、、、」というリアクションが殆んどだ。アメリカでは、大人が服を着たまま子どもをお風呂にいれることはあれど、大人も裸になって子どもと一緒にお風呂にはいることはない。家族であっても裸をみせることに抵抗はある模様で、いわんや公衆浴場をや、というところなのだろう。文化の障壁から寒い日に温泉に入って体を芯から温めるという原体験に到ることがないので、家の風呂でも湯船につかって追体験をしたい、という気にならないのだろう。

 

そういう壁を超えるためには、レオナルド・ディカプリオやマドンナが日本のウォシュレットを絶賛したように、レディ・ガガとか、テイラー・スウィフトとかに、日本の温泉と給湯システムを絶賛してもらうようにリンナイとかがマーケティング活動をすればよいのではないかと思う。日本贔屓のハリウッドスターの来日時に、強羅花壇とかに招待をして、温泉を満喫してもらい、さらに最新の給湯システムを彼らの家にプレゼントして絶賛してもらう。アメリカはブームで火がつくと市場がぱっと広がるので、そういうマーケティング活動をリンナイとかノーリツとかに積極的に実施してもらい、日本の湯船文化をアメリカに是非浸透させて欲しい。

さて、そろそろシャワーでも浴びるか、、、。

『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』

あまり将棋界に詳しくない私が棋士先崎学を私が知ったのは、人気将棋漫画の『3月のライオン』だ。先崎九段は『3月のライオン』の監修をされており、その単行本の中で将棋にまつわるコラムを掲載し、将棋界の広報活動に尽力されてきた。その豊かな表現力とユーモア溢れる筆致が好きで、先崎九段のエッセイ集も数冊読んだことがある。その先崎九段がうつ病を発症し、その闘病記を出版されたということを先日テレビ番組で知り、早速読んでみた。

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 (文春e-book)

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 (文春e-book)

 

 

本書は、「不正ソフト使用疑惑事件」、「『3月のライオン』の映画化」、「順位戦からの重圧」などからの過重なストレスにより脳の病気「うつ」を発症した先崎九段の回復までの道筋を描く闘病記という形をとりながら、棋士の生態、棋界独特の世界観、そこにある美しいプロフェッショナリズムを描く将棋連盟の宣伝本でもあり、そしてその後者の要素が本書に一般の闘病記と異る独特の魅力を加えている

 

なんと詰まなかった。そんな馬鹿なと思って何度もチャレンジしたが詰まない。七手詰も形によってはすごく難しいのであるが、しかし私が解こうとしたのは、アマチュア向けの本であり、実に典型的な七手詰だった。
口惜しかった。自分をこんな目にあわせたうつ病が憎かった。うつ病患者としてあるまじきことをあえて書けば、死ぬより辛かった。

愛読書である『ドラゴンボール』ですら、うつ病による疾患でストーリーを追えなくなってしまった筆者が、パズルゲームとしての要素もある詰め将棋に手をつけた時のくだりである。将棋の初級者からすると信じ難いが、筆者は「さすがにこれなら解けるだろう」とまず手をだしたのが、十三手詰の詰め将棋。無念にも十三手詰を解くことができず、やむなく七手詰に挑戦した際のくだりが上記の引用である。本書はうつ病の回復期に執筆されたものらしく、筆者は大真面目で書いているのであろうが、私は申し訳ないがこのくだりを読むといつも笑ってしまう。七手詰の詰め将棋に大いに頭を悩ませる将棋初級者の視点で見ると、七手詰がとけないことが死ぬより辛いと嘆く姿はやはり浮世離れしており、滑稽極まりない。その後に、筆者は泣く泣く五手詰に挑戦するわけだが(なお、流石にこれは詰んだとのこと)、その姿が悲痛に描かれていれば、描かれている程、読者にとっては申し訳ないが面白おかしいことこの上ない。本書には、こういう将棋初級者が読むと、くすりと笑ってしまうエピソードが沢山あり、とても楽しめる。

 

二局目はスタートから私がうまく指して、中盤ではっきり優勢になった。これはいけるかなと思って顔を上げて中村君の顔を見ると、必死の形相で歯を食いしばっている。一瞬ちらっと思った。あっさり諦めてくれてもいいのにー。
だが、この論法は一流の棋士には通じない。相手がお世話になった先輩「だからこそ」一所懸命に指し、その人間が病気なら「なおさら」頑張るのがこの業界の礼節なのだ。

少しづつ脳の病気うつ病から回復を見せていく筆者。また、厳しい紙一重の勝負の世界に身を投じるべく、後輩のプロ棋士と練習で対局をする際のくだりである。プロと渡り合えるだけの棋力を取り戻したとはいえ、筆者は依然、ささいなことで簡単に心がぽきりと折れてしまって、気分があっと言う間に地の底まで落ちてしまう治りかけの「うつ病」患者である。そんな方を相手に必死の形相になるまで何とか勝とうと思うだろうか、普通の人はそんなことはできまい。仮にそうしたほうが本人にとって良いとわかっていたとしても、言うは易し行うは難しで、私にもとてもできない。中村棋士のその際の心象風景は本書では描かれていないが、そこには愛する将棋を指す以上は一切の手抜きはできないという棋士の美学が垣間見られる。脳の病気を抱える先輩が再びプロの世界に復帰しようとしている以上は、プロの棋士として全力でぶつからなければならない、という勝負の世界に生きるプロフェッショナルの粋を感じる。

 

筆者が生きているのは通常の会社員の世界ではない。天才同士がしのぎを削り、日々身を斬られる嵐の真っ只中である。健康であったとしても、負ければ身が焼かれるほど悔しいし、常に降格や退場と隣合わせの厳しい勝負の世界だ。「うつ」という脳の病気を発症し、その戦場に戻るべく筆者を駆り立てたものは何なのだろうか。本書では一つの筆者の思いが描かれている。

弱くなる恐怖に比べたら勝てない恐怖などものの数ではなかった。

引退をして一線を退けば、将棋に負けて心が散り散りになるような目に合わなくて済むのだが、「将棋が強い」ということがアイデンティティである筆者は、「将棋が弱くなる」ことの方に比較にならないほどの恐怖を感じるという。年をとると共に、徐々に棋力と体力が減退していくのは仕方がないにしても、病気ごときで弱くなってたまるか、と黙々という練習対局を重ね、徐々に脳の病気を乗り越えていく棋士としての筆者の意地は見ていて清々しい

 

本書は普通のうつ病の闘病記ではなく、一般人にはあまり当てはまらないことは確かに多い。だが、抜群の記憶力を備えつつ、かつ棋界一の文章力を誇る
先崎九段ならではの魅力が詰まっている。是非多くの人に手にとってほしい。

アメリカ生活の英語小噺 〜子育て編〜

2013年11月に日本からアメリカに移住し、先日めでたく5周年を迎えることができた。当時、5歳と8歳だった子供たちは当たり前ではあるが10歳と13歳になり、未だに四苦八苦する場面はあるものの、アメリカでサバイブしているのは手前味噌ではあるが立派だと思う。彼らは彼らで立派に育っているわけだが、親は親でそれなりに、いや相当苦労しながらアメリカで子育てをしているのも事実。本エントリーでは、ここ5年間の子育てにかかわる英語小噺をいくつか披露したい。

 

「サマンサ先生は誰だ」事件

アメリカに移住した当初は5歳だった息子。当時はプリスクールという日本でいう保育園に通っていた。英語の勉強はおろか、およそ何かを学ぶという行為にまだ馴染みのなかった息子は正に徒手空拳。アメリカ生活1年目で家族の中で最も苦労をしたのはおそらく彼だろう。とは言っても何もないというのは、それはそれで強みでもあり、耳に入った英語をそのまま口から発するという原始的な学習方法で、ネイティブと同等の発音をいち早く身につけたのも息子である。一生懸命練習はしているものの、体に染み付いたカタカナ英語が抜けきれない私からすると羨ましい限りだ。

そんなネイティブ同等の発音力を持ち合わせる息子であるが、「あぁ、こいつの頭の中にはカタカナ英語という層がないないんだ、、、」、と強く感じさせられる事件がある晩に起きた。夕食を囲みながら、今日の出来事をみんなで話していた時のことだ。

 

「ねぇねぇ、サマンサ先生っているじゃない?」
と妻が息子に話しかけたところ、息子はきょとんとした顔をしてこう言うではないか。

 

「えっ?そんな先生いないよ、、、」。
毎日プリスクールに送り、毎日サマンサ先生を見ている妻は当然の如く驚きを隠しきれない。

 

「えっ!?サマンサ先生だよ!?」
というが、息子は困った顔をするばかり。

 

「ほら、今日は青い服をきていて、ちょっと太めの年配の女の先生よ」
どうも話が通じないようなので、事細かに先生の特徴を妻が語り始めると、ようやく合点がいった模様の息子。

 

「あ〜」
と得心した後の息子の一言。

 

「スェムェアーンスァ先生ね!(無理矢理カタカナで書くとこんな感じ、、、)」。
”Samantha=サマンサ”の等式が頭にない息子との間ならではのミスコミュニケーション。妻がへこんで立ち直るのに少々の時間を要したのはここだけの秘密である。


「ポストがぶっ倒された」事件

あれは渡米してそろそろ2年になろうかという夏の終わりのことであった。子供は語学を身につけるのは早いとは言うものの、わが家は家では完全に日本語であるし、特に娘は積極的に人と会話をする方ではないので、クラスの友達と雑談を楽しむことができるレベルになったのは渡米して1年半程後というのが本人の談。そう、子どもとはいえ、母国語以外の言語を身に付けるのはそんな簡単なものではないのだ。

私は、職場には日本人が一人もおらず、仕事中はずっと英語なので、「まだまだ、若いもんには負けん」って感じで子どもより高い英語力を維持しているつもりであった。そんな時に、「ポストがぶっ倒された」事件が起きてしまった。

とある日曜日の昼下がり、娘と出先から帰る途中のことである。運転中に電話がかかってきたので、Bluetoothで受けると、FEDEXの人間が猛然と話しかけてくるではないか。運転中であることと南部の訛りのきつさもあり、ところどころしか理解できなかったのだが、どうも私の家に荷物は既に配送したのだけど、もう一度私の家に来たいと言っているらしい。が、荷物の配達人が、荷物を配達済みにもかかわらず、もう一度わが家に来る理由がわからず、運転中ということもあり、適当に会話を終了して電話をきってしまった。
するとBluetoothで会話を一部始終聞いていた娘が驚きながら私に言うではないか。

 

「おとうさん、今の人、うちのポストをぶっ倒した、I knocked your mail box out!って言っていたけどいいの?

え〜!?全然、聞き取れなかった!って感じで強い衝撃をうけた私。これは、再度電話をして確認せねば、と急いで車を路肩に停めた私。

 

Did you knock my mailbox out?
着信履歴から折り返しの電話をし、先程の配達人にあらためて聞いてみる。

 

Yes sir...
罪を認めた配達人(というかこちらが聞き取れなかっただけなのだが)。娘はやはり正しかったのだ。急いで家に戻ってみると、無残にももげ落ちたポストが地面に寂しげに鎮座しているではないか。娘は正しかったことをあらためて確認する。

渡米二年目にして初めて子どもに英語で助けられた。また、いかに普段は文脈から推測をして英語を聞いているのか、ということを思い知らされることになる。もちろん、それ以降、子どもに英語で助けられる回数は加速度的に増えていくこととなったのは言うまでもない。


骨折した倅の英語が格好よかった話

どうしてかはわからないが、わが家の子ども達は親の前で英語を話すことを極端に嫌がる。たまに私がアメリカ人の友人と英語で会話をしていて、その場にいる娘に英語で話を振ったりしても、年頃のせいもあるが「英語で話しかけてきて馬鹿じゃない?」みたいな白い目で見られることが多々ある。きれいな発音で、かなり話せることは知っているのだが、子供が話す英語を聞く機会はかなり少ない。
先日、ハロウィンの際に近所の友人とはしゃぎすぎて、転倒をし、左腕を痛めた息子。翌朝になってもかなりの痛みがある、ということなので、仕方ないので当日診てくれる医者を何とか探し出し、病院の予約をとった。
負傷した左腕のレントゲンをとり、いざ医師による診察。明く、フレンドリーな先生でほっと一安心。私が一通り状況を説明すると、後は息子と先生の間のやりとりになる。先生の質問に、流暢な英語でよどみなく受け答えをする息子。5年も住んでるので「このくらいは話せるんだろうな」という感覚はあるが、滅多に英語を話すところをみないので、「おぉぉ!」という感じ

 

「How is that?(これは痛い?)」
左手をある方向に曲げられ、痛みを確認されると、

 

「kind of(ちょっと痛い)」

と答えた息子

 

それを聞いた時に「な〜にがkind ofだよ、生意気な」とか内心ちょっと思いつつ、そのやりとりの自然さに、実は息子にこっそり嫉妬してしまった私。"kind of"とか、"you know?"とか、"〜ish"みたいな英語を端々にやたらと散りばめる日本人は結構多いが、大して上手くもない英語をそれっぽく見せようとしている感が強くなるので、私は自らに禁止令をかしている。そんな、自然に"kind of"を使いこなせない私から見ると、息子のやりとりは外連味がなく、「ちくしょう、こいつかっこいい」と感じてしまったのだ。

 

なお、診察の結果、若木骨折と診断され5週間のプロテクターを着用を命じられた息子。そのプロテクターは10歳の男子の琴線にふれたようで、

 

「おとうさん、格闘家みたいじゃない!?」

と興奮気味。

 

そんな息子に

「なーんだ、お前、まだ子供だなぁ」

と精一杯の強がりを見せる父なのであった。。。

 

 

アメリカで働いて感じる日本人の強み

家族共々アメリカに移り住み、そろそろ5年目を迎えようとしている。私はいわゆる赴任ではなく、普通のアメリカ企業の社員なので、自身のパフォーマンスや会社の業績次第で、いつクビをきられてもおかしくない。言語の壁も含めて未だに苦労は絶えないが、それでも働きと能力を認められ、米国法人入社時は一般社員だったが、今は昇進をして管理職としてチームを任されている。どうにか、アメリカでそれなりの成果を出せているのは、今迄培った経験やスキルに依るところは勿論大きいが、日本人が一般的に持ち合わせている特性の一部が差別化要因になっているのも事実こういう所は日本人の強みなんだなぁ、と私が日々の業務の中で感じていることを本エントリーでは共有したい。



働き者であり、残業を厭わない
ぶっちゃけ強みとしてどうなんだろう、という疑問もあるが、これは正直強く感じる。

今は経営陣に近いところで仕事をしているので、突発的に緊急の仕事が入ることが多い(英語でFire Drillという)。普段は私も夕方5時から6時の間に会社をでるが、たまに昼くらいに緊急の案件が入り、関係者が招集され、「悪いけど今日中!!」みたいな檄が飛ぶことは少なくない。それなりの地位であっても、こういう突発の仕事をものすごく嫌がるアメリカ人は多い。露骨に嫌な顔をして、キーボードが叩く音が5倍くらいになって、「本当に今日必要なのか?明日じゃ、どうしてダメなんだ?」と文句を言う人も結構いる。私だって残業が好きなわけではないが、残業に対する耐性はある程度鍛えられているし、会社員なんだからやらないといけないことはやらないといけないので、「ま、しょうがないじゃん(It is what it is)」みたいな感じで、粛々と取り組むのだが、「あいつはこういう状況に腹がたたないのか?」と不思議に思われることが多い

滅多にないが夜の9時くらいまでかかったりすると、周囲のアメリカ人の目は死んだ魚のようになってしまうが、そんな中「ま、毎日じゃなければいいじゃん?」みたいな感じで、平常運転していると「日本人にとって夜中の9時っていうのは、俺らにとってのスナックタイムくらいなんだろう、、、」と周りから感心される。皆がそういう風に疲弊している時に、抜群の安定感を発揮すると、全体の雰囲気もよくなることもあり、マネジメントからも同僚からも、働き者であり、残業耐性が強いという点で、一緒に働いていて頼もしいと思われているようだ。アメリカでは残業をする奴は無能と見做される、みたいな話をよく聞いていたのだが、それって都市伝説なんじゃないかと思う。



算数の能力が高い
アメリカ人の算数能力は正直言ってかなり低めだ。というか、できる人とできない人の差が激しいと言ったほうが正確か。大学の勉強でそれなりに数学を使っている場合は、日本の平均よりもかなり高いが、そういう専攻をしていない人の算数力は「えっ!?」と驚くくらい低い。うちの子供たちに聞くと、小学校を卒業する時でも九九ができない子どもが多いらしいし、「日本では二年生でみんな覚えるよ」と言ったらものすごくショックを受けるらしい。
私はファイナンスの部署で働いているのだが、驚くべきことにそういう部署にいても、「頼みますよ〜」とがっかりすることがよくある。例えば、北米、欧州、アジアパシフィックの営業一人あたりの平均売上を計算してもらって、「じゃぁ、一番下に世界全体の一人あたりの売上の平均も足しといて」とお願いしたら、3つの数字の平均を出されたことがあった(というか、これは"average of average"と名がついているくらいかなり頻繁におこる間違いである)。
「いや、それだとグローバルの数字にならないから、分母を全世界の営業の人数にして、分子を全世界の売上にして計算して」と細かに指示をだしても、「えっ、俺のやり方と何が違うの?」と聞かれ、自分の間違いをぱっと理解してもらえなく、さらに困る具体的に例を出してホワイトボードでその違いを説明しても、そうは言わないが「不思議だなぁ」みたいな表情をして、腹の底から理解をしてもらえないことが多く、しょんぼりしてしまう。
そんな感じなので、部内で投資対効果のシミュレーションモデルなどを作成して、数値の整合性がとれなくて行き詰まると私に声がかかることが多い。「すまん、どうしても数字が合わないから、ちょっと見てくれ」と言われて、一通りロジックを説明されて、すぐに「ここの数式があってないんじゃない?」と指摘して、そこを修正してぴったり数字が合うと、そうやってお前は俺たちが如何に馬鹿かということを証明して気分がいいだろう」などと(多分)冗談を飛ばされることが多い。
まぁ、日本人でも数学の得意不得意は勿論あるが、大学受験で数学を使っていれば、アメリカにきたら「あいつは数字に強いやつだ」という評価がもらえることは間違いないと思う。


批判されることに耐性があり、間違えを認めることにあまり躊躇がない
私の経験上日本人と比較すると、アメリカ人は批判されること、並びに間違えを認めることがとても苦手だ。謝ることと間違いを認めることは同義なので、何かミスをしても謝らない人は徹底して謝らないし、間違いを指摘されたり、批判的な意見を寄せられるとオーバーリアクションする人が多い。
私は、新卒でコンサルティング会社に入って、若い頃からクライアントの改革反対派の人から「この若造やっつけてやる」みたいな攻撃にさらされることが日常茶飯事だったし、外資系企業のセールスオペレーションとしてグローバルのシステムを日本展開する時に、現場の営業の人のサンドバッグになるというようなことが多かったので、提案に対して批判的な意見を浴びせられたり、非難されても、相手の言っていることが正しければ、そんなに気にならないし、どうすれば、一番いいですかね?」と、反対意見を糧にして生産的な議論を展開することが得意だ。
そういう経験を活かして「素直に間違えを認めたり、他人の視点を受け入れたりして、生産的な議論にフォーカスする」という姿勢で日々の業務と人間関係にのぞんでいるが、思った以上にアメリカで高く評価されている。これは私の体感であるが、「他の自己中な連中には死んでも間違えは認めないけど、あいつになら直に認めることができる」とか、「あいつは面倒臭くなくて本当に一緒に働きやすいやつだ」と思われていることを日々実感している。言語の壁が多少あっても「一緒に働きやすい人ランキング」みたいなものをやったら、結構上位に食い込めるのではないかと勝手に思っている。

 
以上、3点アメリカで働いて感じる日本人としての強みを共有させてもらった。私は20年以上、外資系企業で働いているが、上記のような強みを認識するようになったのは、アメリカで働き始めてからだ。本ブログの読者には外資系企業や海外プロジェクトで奮闘している方が結構多いと思うが、少しでも参考になれば。また、自分はこういうところが差別化要因としてあるという方がいれば、是非共有ください。
 

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