ktdiskのブログ

読んだ本の感想、所々の雑感、日々のあれこれを綴るブログ。

アメリカの負け組の逆襲とオススメの本二冊

「まじかよ〜」と朝から床にへたり込む小学校5年生の娘、昨年の大統領選挙の開票翌朝にトランプを勝利を告げた際のリアクションである。わが家はアメリカのノースカロライナ州に住んでおり、娘の通うアメリカの現地校は白人の比率が26%と非常に低い。学校内の下馬評では圧倒的にクリントン優位であったとのこと、それ故の衝撃である。

もちろん、「まさか!?」というのは、私も同じであった。同僚と昼ご飯を食べている際に、大統領選の話題がのぼることはしばしばあり、「お前は実はトランプ支持派だろぉ」というのはランチタイムの軽いジョークであった。娘の学校と同様に私も白人の同僚は少く、部署を統括するディレクターはイラン人であり、その下に日本人(私)、中国人、フランス人、ルーマニア人、そして一人だけアメリカ人(白人)というようなチーム構成であった。要するに私も娘も、「国際色豊か」というアメリカの一側面しか触れたことがなかったのである。

「アメリカの負け組の逆襲」、選挙後に浮かんできたのは、そんな言葉である。多くの移民を受け入れ、国際色豊かであり、実力がある者が男女を問わずのし上がるというアメリカのイメージは光の部分。アメリカ国内には4300万人もの移民がおり、「ガラスの壁なんてご冗談でしょう」と思わず言いたくなる強い女性たちもこれまた沢山いる。逆の見方をすれば、そういう層との闘いに敗れた白人男性も沢山いるわけだ。今回の選挙は文字通り負け組の鬱積した不満が爆発したと言える。下記はトランプ支持率内訳であるが、「大学に進学していない白人」の支持率が突出して高く、ものの見事に上述した構図を反映しており興味深い。

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この夏の一時帰国の際に、本読みの兄から二冊の本をプレゼントしてもらった。

一冊は『ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く』。

ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)

ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)

 

 もう一冊は『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

 私がアメリカ在住でトランプ旋風を目の当たりにして衝撃を受けていることを考慮してのセレクションであり、流石というチョイスであった。両書に共通するのは、上述した負け組白人男性の生の声、生身の姿にふれることができる点だ。

 『ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く』は、アメリカの14の州を回り、筆者自らが実施した約150人の一般のトランプ支持者への取材に基づいて書かれている。

トランプ支持者へのインタビューは、なかなか疲れる。5人の話を聞き終わると、座り込みたくなる。それは、政治への期待や希望ではなく、不満を多く聞く取材になるからだろう。
〜『ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く』 プロローグ P.13〜

という苦労と丹念な取材の元、集められたトランプ支持者の生の声は、歴史的な結果となった先の大統領選挙にまつわる貴重な史実と言っても過言ではない。よくぞここまで食い込んで聞込んだな、という内容のオンパレードだが、それは筆者がニューヨークタイムズの記者ではなく、朝日新聞というインタビューされる側にとっては「謎の極東の新聞社に所属する記者」であったからというのも非常に大きい。日本人だからこそ書くことができたルポタージュであり、トランプ支持者の温度感に触れるための絶好の一冊なので、是非手にとって欲しい。

 もう一冊、『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』はトーンがかなり異る。本書の本文には「トランプ」という言葉は一度も出てこない。本書は、アメリカ白人労働者層の現実を生々しく活写したドキュメンタリーであり、その環境から自らの選択と努力で抜け出し、アメリカンドリームを実現した成功者の物語であり、アメリカに存在する二つの階層を中立的、かつ善悪の判断を交えず、そして億せず深く切り込んで対比をした評論書でもある。アメリカ白人労働者層をリアリティを持ち、ユーモアと愛情を交えて語る筆致に引き込まれること間違いなし。こちらも大くの方に手にとって欲しい。

海外でパスポートをなくした話

旅にトラブルはつきものである。私はおそらく他の人よりもトラブルと格闘する確率が高い。妻からは「あなたは問題解決能力が高いが故に、トラブルを回避することへの注意力が散漫だから、よくトラブルに巻き込まれるのよ」と言われた。遠回しに褒められているのか、けなされているのか微妙だが、多分後者の方だろう。

アメリカに住んでいるわが家の夏の一大イベントは日本への一時帰国。家族は6週間、私は3週間ほど帰るのが通例。今年は、家族は既に日本に旅立っており、この7月2日の日曜日に私も追いかけて日本に帰国する予定だった。前週は一時帰国前の追い込みで仕事がスーパー忙しかったのだが、少し宿題は残ったものの、何とか6月30日の金曜日の夜を迎えることができた。一切手付かずのパッキングと一時帰国に向けての家のセットアップと残務処理が7月1日の土曜日のTO DO。まあ、午後の2時くらいにはひと通り片付きそうで、落ち着いたらブリューワリーでもいって、来る一時帰国への祝杯をあげようと思っていたのだが、、、なんとパスポートが探せど探せど見つからないではないか。前週はブラジルに出張したため、使ったばっかりなのに何故ないのか全く謎、まさにイリュージョン。オフィスにおいてきたとか、子どものプリントに紛れ込んでしまったとか、どこかの店で落としてしまったとか、一時帰国をしている家族が持って帰ってしまったとか、ありとあらゆる可能性を徹底的につぶしていったがどうしても見つからない。「なくしたモノを見つけることが私の人生」というくらい私はよくモノを失くすのだが、この手のオオモノは大体最後の最後に発見され感動のフィナーレを迎えるのが常。が、今回は「ま、そのうち出てくるさ」が、「ちょっとまずい気がしてきたが、きっと出てくるに違いない」に変わり、「これは流石にやばいかも、ミラクルよ、何とかおきてくれ」をむかえ、ついに「もうお手上げ、ギブアップ」になってしまい、ついにパスポートがでてくることはなかった。
アメリカ在住者が一時帰国間際にパスポートがないことが発覚してどのように対処したのか、というケースが当てはまる人は殆どいないと思うが(散々ググったが、もちろんそんなバカは一人もいなかった)、今回私がとった対応を、万一同じ事態に遭遇してしまった残念な方のためにまとめたておきたい。

1.旅行代理店に連絡をし、フライトのキャンセル

日曜日の早朝に出立する予定が、土曜日の午後遅くとなってもパスポートがないという悲劇的な状況下で気になるのはまず航空券をどうするかということ。一番安いチケットを買っているので、柔軟な変更は望めない。今回はユナイテッドで帰国予定だったのだが、代理店に相談をしたら、今回の私の場合の手続きは下記の通りであった(航空会社、チケットによって条件は異なるので代理店もしくは航空会社に個別に要確認)。

  • 飛行機が出発するまでにパスポートが見つからなければ搭乗できないので、キャンセルとするしかない(なお、キャンセル処理は出発の直前まで可能)
  • キャンセルをしても一年以内に変更手数料として$400ドルを払えば、再度予約が可能
  • 今回支払った金額の範囲であれば、変更手数料以外は発生しないが、それ以上の場合は差額の支払いが必要
  • 国際線を前提にしてのフライトであるため、出発地でパスポートが提示できなければ、アメリカ国内の移動もできない

$400はもちろん痛いが、全くキャンセルになるわけではないというのは有り難い。だが、4番目のポイントが今回は痛かった。元々、サンフランシスコ経由で成田に行く予定だったので、領事館のあるサンフランシスコまでとりあえず行って、そこでパスポートの手配を完了させてから、フライトの時間を変更して日本に飛ぶという都合の作戦をねっていたのだが、そういうことはできないとのこと。けち、、、。今回は仕方ないので、ひとまずフライトをキャンセルし、パスポート取得の目処がたってから、再度フライトの予約をすることに。運転して6時間かかるアトランタまで車で行こうかどうしようか悩んだが、けちるのはやめて別途航空券を購入して、アトランタに飛ぶこととした。
なお、補習校への寄付プログラムがしっかりしているアムネットという日本の旅行代理店に予約をお願いしていたのだが、これは結果として大正解であった。アメリカに4年も住んでいるので、そこそこには英語はできるが、やはりプレッシャーがものすごくかかる中、ややこしい話を母国語でできるというのは本当に有難かった。24時間対応で、懇切丁寧に支援や助言をして頂いて、本当に助かった。今後も是非アムネットを利用しよう。

 

2.ポリスレポートの取得

領事館サイトを調べた際に、紛失や盗難を証明するためのポリスレポートなるものが必要で、これはアメリカの警察から取得しなければならない。パスポートの紛失が発生したのが土曜日だったので、とりあえず最寄りの警察署に電話をしたところ、以下の指示をうける。

  • 土曜日だから今電話をしている警察署に直接来ても対応できない
  • 近くを巡回している警察官を派遣するから、自宅で待機せよ

まさか自宅に警察を呼ぶはめになるとは思わなかったが、連絡をして1時間ほどでスキンヘッドの警察官がわが家にやってきた。パスポートを紛失して、再発行のためにはポリスレポートが必要なんだと言うと、いつなくしたのか、どこでなくしたのか、盗まれた可能性はあるのか、盗まれたとしたらどこなのか、他に盗まれたものはあるか、など根掘り葉掘り聞かれた。

ぶっちゃけ、いつどこでなくしたかなんて、モノがなくなる場合は大概わからないものだが、そのあたりをぐちゃぐちゃ言っても話が進まないので、「多分、この時に、多分この場所でなくした」とはっきり言い切ることが大事だ。
色々やりとりをした後に、その警察官は、

 

「うーん、話を聞いていると、これは盗難ではなく、紛失だな。紛失の場合は、ポリスレポートはだせないから


との回答をするではないか。えーっ!それは困る。万一領事館にポリスレポート無しで行って、ポリスレポートが無いと手続きが進まないと言われると、かなりの手戻りとなってしまう。こんな細かいことは日米で規則を取り決めているわけはないので、国をまたがる役所の処理にはこの手の穴が発生するのが常。この手続きのギャップは、ひと踏ん張りして何とか自分で解決しなければならない。

 

「飛行の予約の時間が迫っており、どうしても直ぐにパスポートの発行が必要で、そのためにはどうしてもポリスレポートが必要で、紛失の場合でも必ず出せと領事館から言われていて、ないと、チケットがムダになるし、日本にも戻れず、ものすごく困るんだけど」


と許される範囲の誇張を交えて、懇願すると、


「仕方ないなぁ、でもそういうケースは俺は聞いたことがない。ちょっとマネージャーに確認するよ」


とその場で上司に確認をしてくれた。アメリカでは、担当レベルでNOと言われても、「そうなんだ」とあっさり引き下がっては絶対にいけない。何度も辛酸をなめ、磨いてきた「押し」のスキルを、今回はスキンヘッドの警察官に活用することができて良かった。
その後、上司に確認をした警察官は、


「まぁ、何とか出せそうだ、但し、今出せるのはポリスレポートの番号だけで、レポートはそのものは休み明けになるからな」


と言い、自分の名刺にレポート番号を手書きして、私に渡してくれた。この「ポリスレポートの番号」というのが日本の領事館で必要になるものなので、実際のレポートはさておき「ポリスレポートの番号」だけは、必ずその場で警察官から貰わなければならない。もし、「じゃ、手続きしておいたから、後日連絡」なんてことを言われても、必ず絶対に「ポリスレポートの番号」だけは、貰わないといけないことを強調しておきたい。


3.「帰国の為の渡航証明」を取得する

日本に戻らないといけないのに海外でパスポートを無くしてしまった場合は、対応は主に二つある。一つ目はパスポートを新規に発行すること、二つ目は「帰国の為の渡航証明」を取得すること。両者の主な違いは、下記の通り。

  • パスポートの再発行は数日かかる可能性があるが、「帰国の為の渡航証明」は1−2日でできる(もちろん領事館の混み具合による)
  • 「帰国の為の渡航証明」で日本に帰国する場合は、日本で再度パスポートを新規に作成しないといけない

日本領事館の緊急問い合わせ窓口に週末に連絡をして、色々話を聞いた限り、「帰国の為の渡航証明」であれば、多くの場合は当日に発行できるとのこと。なので、「帰国の為の渡航証明」を何とか当日取得するために下記の事前準備をしていった。

  • 紛失一般旅券等届出書(必要)
  • 半年以内に発行された戸籍謄本(必要)
  • 日本に帰国する旅程表(必要)
  • 3.5cm✕4.5cmのパスポート用写真2枚(必要)
  • ポリスレポートの番号(必要)
  • 最新のi94(念の為)
  • 最新のi797のコピー(念の為)
  • なくしたパスポートのコピー(念の為)
  • なくした査証のコピー(念の為)

なお、「帰国の為の渡航書発給申請書」という書類も作成しないといけないが、これはウェブでは入手できないので、領事館に行って記入する必要がある

領事館の開館時間である朝9時に領事館に行き、領事に事情をすべて説明する。何とか「帰国の為の渡航証明」を本日中に発行頂きたいとお願いをすると、幸いなことに準備資料が十分であったことと、かつ領事館が空いていたため当日発行をしてもらえることに。領事館でスピード感をもって処理を進めてもらう上で一番大事なのは、きちんとした事前準備であることは強調したい。限られたリソースで、「自分のトラブルは特別で緊急のはず」という人を日常的に支援しないといけない領事館の仕事はとても大変だと思う。パスポートをなくし、パニックになった人が、手ぶらでやってきて、必要な書類の説明に対して、泣いたり、笑ったり、怒ったりするシーンは容易に想像できる(何で戸籍謄本が必要なんだ!とか、、、)。領事館だって人出に限りがあるのだから、申請者にとってはものすごく特別で緊急であっても、その人につきっきりで対応できるわけではない。事前に必要書類などを入念に確認して、事前準備できる書類を万全の形で揃え、「よろしくお願いします!」と差し出せば、相手だって決して悪い気はせず、「できる努力をこの人はしているから何とか力になってあげたい」と思ってくれると思う。緊急の際にあっても、相手の立場も考えながら、支援依頼をすることはとても大事だ。
なお、以下個別の書類について細かな点も記載しておきたい。

「紛失一般旅券等届出書」
この書類は領事館のウェブサイトからダウンロードができる。ブランクフォームを印刷して、自分で記入するのではなく、PDFの入力フォームに必要事項を記入し、印刷するという形式であった。私はプライベートはMAC、仕事はLINUXを使っているのだが、このフォームが何とWINDOWSでしか使用できない。こういう時のために、一応家においてあるWINDOWSで何とか対応できたが、文字コードやアドインを追加インストールするのに結構手間取った、、、。

「半年以内に発行された戸籍謄本」
全ての書類の中でおそらく最も入手難易度が高い。コピーでも大丈夫なので、手元にない場合は日本で家族に取得してもらい、FAXをするなどの処理が必要となる。なお、私は幸いなことに、ワークパーミットを取得するために妻がつい最近「戸籍謄本」を取り寄せており(しかも予備も含めて2通!)、原本ががっつりあった。素敵な妻をもった幸せをかみしめている。

「日本に帰国する旅程表」
領事館の緊急問い合わせ窓口からは、日本に帰国する旅程表が必要と言われた。が、これは少し悩ましい。「帰国の為の渡航証明」が申請日に確実に取得できればよいのだが、もし翌日にずれ込むようであれば、再度フライトの変更をしなければならない。仕方がないので代理店に電話をして、帰国のフライトを変更可能な形で仮押さえしてもらい、仮の旅程表をメールで送ってもらい、「帰国の為の渡航証明」がその日に取得できることが確約できた時点で、フライトの確定をするというやり方をとったが、うまくいった。

「3.5cm✕4.5cmのパスポート用写真2枚」
簡単なようでいて、少し悩ましく、意外と手間がかかるのがパスポート写真。CVSやWALGREENにいけばアメリカ用のパスポート写真はとれるが、日本のものとはサイズが異なる。今回は下記のサイトを利用して、申請用のサイズに手持ちの写真を落とし込んだ。

shoumeishashin.strud.net

が、CVSで印刷した際に、写真が勝手に拡大されてしまって困った。CVSの店の中でパソコンを取り出して、サイズを何とか変更して、事なきをえたが、思ったより手間と時間がかかってしまった。

「その他の書類」
私は、パスポートやビザに関する全ての手続き書類は、仕事用のラップトップに保存してあるが、今回はその中から必要そうなものを全てプリントアウトしてもっていった。領事館では「i94がもしあるならコピーさせて下さい」とお願いされたので、提出をした。海外で暮らす上では、自分の身や滞在期間を立証するそれぞれの書類の役割を理解し、電子媒体であっても手元に取り出せるようにしておくことは大事なことだと、数々のトラブルから学んだ。

「どの領事館で手続きをするか」
最後に領事館からみで、今回悩んだことをもう一点。海外在住者であれば、管轄領事館にいくか、管轄外にいくかがひとつの悩みどころになる。私の場合は、ノースカロライナ在住で、管轄領事館はアトランタとなる。ただ、地理的にはワシントンの方が近く、ユナイテッド航空の乗り継ぎもワシントンの方がはるかに良い。大いに悩んだが、

  • 実際に出張領事などで何度か顔を合わせたことのある人がいる点
  • 管轄領事館の方が私についての情報が多いに違いない点
  • 管轄が故に対応もきっと優しいのではないかという邪推

をもって、アトランタ領事館で手続きをした。別に管轄でないといけないわけではないが、選択肢がある場合は、管轄領事館のほうが良い気はするし、今回は大変親身になって支援頂き、しばらくアトランタに足をむけて寝ることができない。


そんなこんなで何とか必要書類を入手し、ただいま乗り継ぎのシカゴ空港にいる私。「パスポートをなくす日」は、モノの管理がだらしない私のXデーだったのだが、Xデーを迎え、乗り切り、ほっと一息というところだ。今回、親身なサポートを頂いた多くの方に感謝したい。なお、この問題はまだ終わったわけではなく、次の課題はどうやって米国に再入国するか。一時帰国の3週間の期間でこの課題に取り組みたい。ブログ記事にするまでもないくらいのあっさり手続きで済めばよいのだが、、、。後編に続く。



許してやれよ、「おとう飯」

内閣府の「おとう飯」キャンペーン炎上しているとのこと。男性の炊事への参画を促すキャンペーンのようで、私からみれば厚労省の「イクメン」キャンペーンと大差はない気がするのだが、敢え無く炎上してしまったようで、色々なご苦労の末、推進されてきたご担当の方にはご愁傷さまとしか言い用がない。主な炎上のポイントは下記の模様。

  • 自分はきちんと料理をやっている、男性を舐めている!
  • 洗い物までしっかりやらなければ意味がない!
  • 長時間労働の是正が先だ!

何と言うか、「みんな心が狭いな、「おとう飯」を許して、もっと温かく迎えてやれよ」って感じ。

私は「イクメン」キャンペーンなんてものがが始まる前から父親業に真剣に取り組んでいたので、「〇〇さんってイクメンですよね」って言われても、ちっとも嬉しくない(むしろ煩わしい)。でも、男性の育児への参加を促すことそのものは良いことだし、そのキャンペーンをきっかけに子育ての楽しさを覚える男性が増えるのはとても良いことだと思う。なので、「おれは元々ちゃんと父親やってるんだよ、舐めんな!」とかは思わないし、「キャンペーンがうまく浸透しているようで良かったね(自分はあまり関係ないけど)」、というようにポジティブにとらえている。既に「料理をよくやっているよ」という人も、「おとう飯」キャンペーンをみて「男を舐めるな!」とか憤るのではなく、「あぁ、自分はキャンペーンのターゲットではないんだ」とさらっと流し、「料理の楽しさに目覚める男性がもっと増えればよいね」と応援してあげればいいのにと思う。

「家に帰るまでが遠足」と一緒で、「調理器具・キッチンを片付けるまでが料理」というのが私の信条なので、「洗い物までしっかりやらなければ意味がない」というポイントもわからないでもない。だけど、今時料理をしない男性というのは、それなりの理由があって今に至るわけだから、いきなりハードルをあげずに、まずはキッチンに立ってもらうところから始めないと。「人に料理を作って、美味しいと喜んでもらえる楽しさを覚えてもらうこと」が第一に超えてもらうハードルであって、それを過ぎた後に片付けや段取りの話をもってこないと長続きしないだろうに。料理に慣れてくれば、段取りや片付けを意識しながらしたほうが、調理がスムーズに進んで楽しい、という別の料理の楽しみを自然と覚えるようになると思うのだが。

上記の2点は外野からの突っ込みと思われるが、「長時間労働の是正が先だ!」という点は、「おとう飯」キャンペーン対象の料理をしない層からもでている声だろう。この批判にも私は違和感がかなりある。長時間労働是正にしても、男性の家事・育児への参加にしても、長く培われてきた慣習をより良い方向に変えていこう、という話しなのだから、どっちが先で、どっちが後というものでもない。「長時間労働は国が何とかしてくれ」という他力本願具合も何とも頂けない。そんな批判をしている人は、残業時間が一時間減ったくらいで、その時間を料理に回すということはまずないんではないだろうか。まぁ、育休取得奨励という働き方とセットで進めた「イクメン」と、肩に力いれずに飯作りなよ、というメッセージングのみの「おとう飯」の、キャンペーンとして構想力の違いが、受け取られ方の差を作っているのだろうが。

若干、進め方やメッセージに頂けない点はあったかもしれないが、そこは目をつぶって、「おとう飯」キャンペーンの意図を汲んで温かく見守ってあげたい。

連日6時30分まで残業をして離婚の危機!?アメリカの残業事情

このままじゃ、俺、離婚されちまうよ!7時以降ならオンラインに戻れるから、悪いけど宜しく!」、悲鳴とも聞こえる言葉を残して、ものすごくやりかけの作業を残してオフィスを夕方5時に去る同僚に対して、呆然としながらも「g, good luck...」という言葉しか私は出てこなかった。

子供の送り迎えをどのように夫婦間で分担するのかについては、日本よりずっと進んだアメリカにおいても、家庭によってかなりトーンが異る。ベジタリアンの中にも、牛乳や蜂蜜も食べないという純度の高い人もいれば、たまに肉を食うことも厭わないという軽いタッチの人がいるように、子供の送り迎えについても、完全な共働きで完全な分担をしている純度の高い人もいれば、妻が中心だがたまに夫も送り迎えをすれば許されるというレベルの人もいる

冒頭で紹介した同僚は純度の高い部類に入る人で、緊急度の高い”Fire Drill"をその週に私と一緒に取り組んでおり、毎日夕方にVPとレビューをして、翌日にレビューででたアクションを二人でつぶす、ということを数日繰り返していた。ばたばたと慌しく、プレッシャーはきついものの、6時30分くらいにはオフィスをいつも出ていたので、私にしてみれば全然オッケーという感じだったのだが、私の同僚はと言えば、4時30分くらいに困った顔をして、「ちょっと、緊急の仕事がまた入って、今日も迎えにいけないんだけど、お願いできないかなぁ」と彼の妻に電話をする日が続いていた。ある日、VPのレビューが6時に後ろ倒しになってしまった上に、追加でいくつかの分析をその日のレビュー前までに完了させるよう頼まれた。きっと彼はその日の朝に「今週は代わりに何度も迎えにいってくれてありがとう、今日こそは絶対俺が迎えにいくから!」なんて会話をしていたと想像される。そんな日に限ってVPの都合でレビューの時間が後ろ倒しになってしまったが、子供の迎えを先に終えて、レビューは家から電話で入ればいいや、という算段をしていたに違いない。悪いことにさらに追加の分析作業が入ってしまい、ぎりぎり迄オフィスで私と頑張ったのだが、これはもう無理そうだという判断をお迎えに間に合うぎりぎりのタイミングで下し、冒頭のシーンになったわけである。

私は妻が在宅勤務なので、そういう苦しみはあまりないのだが、そういう苦労話については皆ネタを持っていて結構面白い。他の同僚と昼食を食べた際も、「送りは妻、迎えは俺って役割分担なんだけど、いつもギリギリの時間の5時半にプリスクールに駆け込むことが多くて、娘から『どうして、私はいつも最後の一人なの?いつも教室で一人ぼっちだわ』って怒られちゃってさぁなるべく少しでも早くいくように4時半から5時はスケジュールをブロックしているんだけどね、、、」と切ない愚痴を聞かされた。

心置き無く残業ができることについて、妻に感謝の気持ちを覚えることなど、正直日本で働いていた頃はなかった。でも、そういう同僚に沢山触れることにより、「気兼ねなく残業できるなんて、自分は恵まれているんだ、妻よありがとう」という気持ちが少しづつ湧いてきている。パフォーマンスが悪ければ容赦なく解雇される環境にありながら、家族との時間についても重いコミットメントを背負っているアメリカのワーキングファーザーに幸あれ!

「環境」が変われば「働き方」は変わる 〜 アメリカで「働き方」を改革された私の話

先日、13年間日本で暮らし、2年前にアメリカに移住してきたインド人家族と知り合い、家に招待をして食事をするような間柄になった。お父さんのほうは、日本で13年も仕事をしていたので日本語はペラペラ。盛り上がる話題は、やはり「日本とアメリカの違い」。お父さんの方から開口一番ででたのは、日本では遅くまで会社で仕事をしないといけなかったけど、アメリカは早く帰れるのが本当にいいところです」ということ。それに対するお母さんの切り替えしが秀逸。「アメリカに来てからは一緒に過ごす時間が多いからケンカが増えた、帰ってくるのが早すぎ」、爆笑。


アメリカのノースカロライナ州で生活を始めてから3年半ほど経つ私。アメリカに来て良かったことは、「家が広く、裏庭でビール飲みながらバーベキューとか手軽にできて快適」とか、「見ず知らずの人でも積極的に助けようとするオープンな互助精神に溢れていて暮らしやすい」とか、「信号に阻まれることなく、長距離を快適にジョギングできる」とか、色々あるが(もちろん悪いことも沢山ある)、「労働時間が減って、自分や家族のため時間が増えた」ことが正直一番嬉しい。

最近は日本でも「プレミアム・フライデー」とか、「働き方改革」とか、盛り上がっている模様。私は、働き始めて最初の10年は激務の外資系コンサルティング会社に勤めて、その後も今勤めているアメリカ資本のソフトウェア企業の日本法人でハードワークをこなしてきた。長時間労働が体に染み付いているし、仕事を断るのも下手だし、誰も拾わないけど会社にとって大事な仕事があると放っておけない性分だし、何より仕事が嫌いではない。そんな私も今は夕方18時から19時の間には仕事を切り上げ、ジョギングをしたり、子どもの宿題をじっくりみたりして、生活における仕事や会社の比重が下がりつつある。未だに、深夜2時まで働いたり、休日に仕事をすることだってあるが、働く時間は日本に住んでいた頃より激的に減っている。でも、自らの意志で仕事に対する考え方を変えたというわけではなく、環境」が変わり、それに合わせて「働き方」が少しづつ変わってきというのが正直なところだ。

以下、私の経験から、アメリカで感じた、日本と異なる働く環境・文化の違いをあげてみたい。多分、ニューヨークとかの大都会はきっとトーンが異なるだろうし、パフォーマンスが悪ければ容赦なく解雇されるアメリカ企業であるが故の部分もあると思うがご参考まで。特に「働き方改革」を掲げるお偉いさま方にはご一読頂きたい

 

1.男女を問わず「子どものお迎え」は残業を断る至極真当な理由となる

アメリカに住んで間もない頃、子どもが通う学校から仕事中に電話がかかってきて、「あなたの子どもがスクールバスに乗り遅れてしまったので学校に向かえに来てほしい」、と言われた。渡米して2ヶ月もたたない頃で、妻はまだ車がなかったので、私がいくしかない。まだ16時くらいだったので、上司を10分くらい探して了解をとろうとすると、「学校から第一報を受けた時点で直ぐにオフィスを出発すべきだ、私への報告なんてテキストを後から送れば宜しい」と注意を受けた。あぁ、日本とは考え方が違うなぁ、という印象を受けたことを今でも覚えている。
午後に緊急の仕事が入ることは私の部署ではよくあるが、「今日は子どもの迎えがあり、今会社をでないと行けないので、家に帰ってからフォローさせて」というのはよくある夕方の会話で、上司も「あぁ、子どもの向かえ?じゃぁ仕方がないね、さあ行って行って」という感じ。アメリカでは「子どもの迎え」が突発的に(もちろん計画的にも)発生するのは家族を持つ人は誰もがあることなので、上司の理解もあるし、同僚同士で助けあおうという雰囲気もとても強い。ワーキングマザーが「子どもの迎え」を理由に残業を断り、肩身の狭い思いをするなんて雰囲気は微塵もない(というか、終業時間前でもそれを理由に帰っている人はかなり多い)男女に関係なく、家族第一という精神が根付いているので、とても働きやすい。

 

2.緊急の仕事が入っても、優先順位をつけて、17時には皆で帰社しようとする

私の部署は、経営管理部なので、経営陣から突発的な分析のリクエストが入ることがよくある。3年半のアメリカ生活で新たに得た語彙は勉強不足のため大変少ないが、”Fire Drill(文字通りの意味は火災非難訓練だが「緊急度の高いやっつけ仕事」という意味で使うことのほうが私は多い)”は数少ない中の一つ。「早朝の経営会議であがった事案を明日の朝までに提出!」というのはたまにある話で、”Fire Drill”に必要な人は会議室に招集され、目的、成果物のイメージが共有され、作業指示がとばされる。私の感覚だと、「あぁ、今日は会議が詰まっているから、残業確定だなぁ」という感じなのだが、アメリカの同僚たちはまずその日に入っている打ち合わせを翌日以降にずらすことから始める。指示をだしたマネージャーも「何か緊急度の高い他の作業や会議がある奴はいるか?」と必ず確認し、「そんなのは明日以降だな」、とか「その成果物の期限は今週末までにのばせるように私が調整するから」とか、緊急の案件にフォーカスできるよう協力してくれる。もちろん、それでも夜遅くまで対応しないといけないこともあるが突発的に入った仕事に対してマネージャーも含めてきちんと優先順位付けをして、定時以内に仕事を終わらせようと常にトライする姿勢をアメリカにきて学んだ

 

3.マネージャーが「Go home(早く帰れ)」というだけでなく、早く帰るためのヘルプをしてくれる

営業部署のトップの役員にレポートを送付しなければならなくて、ある晩一人でオフィスに残って仕事をしていた。レポートそのものは大体できあがっていたのだが、役員向けなのできちんとした英語でサマリーをメールの本文に書かなければならない。日本法人で働いていた頃は通じればよかったのだが、流石にアメリカ本社だと、きちんとした書き英語が求められ、私は未だに勉強不足で時間がかかる。そこに私より5倍以上忙しい私の部署のトップの役員が夜遅くまでかかった会議をようやく終え通りかかった。「まだ、やっているのか、あぁ、あのレポートだな、あとどれくらいかかる?」と聞かれた。正直1時間はかかるなぁと思っていたのだが、「後10分くらいで送れると思うので、先に帰っていて下さい」と答えた。「そうか、ちょっと資料を見せてみろ」と言って、私のまとめたレポートをざーっと読んで、「うん、よく出来ている」と一言残し、自分の部屋に入っていった。5分くらい後に、その役員が鞄を抱えて私の席に立ち寄り、「今、メールでサマリーをお前に送ったから、ちょっと開いてみろ」というので、メールをチェックすると美しい英語で書かれた完璧なレポートのサマリーがそこにはあるではないか。「内容を確認して、問題なければ、今すぐに送るんだ。俺はお前を待っているから直ぐにやってくれ」と言われたので、急いでコピペをして、レポートを添付して営業担当役員に送付をした。私が送付し終わるのを後ろで仁王立ちして確認をしたその役員は「さ、帰るぞ、お前はこれで俺が手伝わなければ22時までやる奴だからな」と言い、顎でエレベーターホールのほう指した。
アメリカでは遅くまで残業していると無能とみなされる、というのは良く聞く話ではあるが、私の肌感覚とは少し異なる。高い成果をあげるために一生懸命働くことは評価の対象となるし、ハードワークに対して感謝をされることも多い(もちろん、きちんとした成果が伴うことが前提だが)。が、ハードワークを奨励しつつも、家族との時間にも十分敬意を払い、本当に必要なことにフォーカスし、またそれをなるべく早く終えるためのサポートをマネージャーがきちんとしてくれるのが今のアメリカの職場の良いところだ。上から頼まれたことをそのまま下に投げるということも殆どなく、各階層で何が本当に必要なのかを判断する裁量の余地が日本よりも大きいように感じ、それも大事な要素だと思う。

 


私は「環境」が変わって、「働き方」が大いに変わった。私の経験を振り返るに、もちろん働く人個々人の意識も大事であるが、トップも含めた会社の上層部の意識が「職場環境」に大きな影響を与える。「働き方改革」を標榜しているが、進んでいないなぁ、と感じる方々は、上の人の意識改革がきちんと進んでいるか、まず確認することを強くお勧めしたい。


行きはよいよい帰りは怖い 帰米時に空港で「別室送り」になった話

アメリカでは不法移民を厳しく取り締まると豪語するトランプ氏が予想を覆して大統領になったが、合法移民の私の移民ばなしを本日は共有したい。

 

アメリカという国は出国をするのは非常に容易い。何度もアメリカ国外にでているが、未だにどこを通った時点でアメリカ出国となっているのか正直わからない。「気づかないうちに出国していた」というくらい出国は容易い一方で、入国は簡単ではない。自動化されているESTAとは異なり、VISAだと入国審査で質問を色々されて、一筋縄ではいかないことが多い。アメリカでは不法移民が1千万人を超え、社会問題となっているので、「出ていきたい奴はどんどん出ていってくれ、ただ簡単には入国させないぞ」という感じなのだろう。先日、インド・シンガポールに出張をしたのだが、帰米時に入国審査でひっかかり、あえなく「別室送り」になってしまったので、その際の話を共有したい。


現在VISAをL1BからL1Aというタイプに切り替え中で、状況が少しややこしいので、インド出張の前に、弁護士にどの書類を持っていったら良いのか相談をした。「君の場合は、i94しか今時点では持っていけるものがないので、i94を持っていって」との返答があった。i94というのは、アメリカへの出入国記録で、平たく言うと「どんなVISAでアメリカにいつ入国し、いつまで滞在ができるのか」ということが記載された用紙で、私は2017年7月までi94上は滞在できることになっていた。弁護士の確認もとれたので、i94をウェブからダウンロードして意気揚々と出張に出発することに。


2週間のインド・シンガポール出張を終えて、シンガポールから香港へ、香港からシカゴへという長旅をへて、無事アメリカに着陸。飛行機をおりて、いざ入国審査に。こればっかりは何度やっても緊張する。ESTAの列が早々にはけたのを横目に遅々として進まないVISAの列で本を読みながら自分の番を待つ。乗り継ぎの時間は3時間半あったので、トラブルがなければ時間に大きな心配はない。


ようやく私の番になり、パスポートとi94を入国審査官に見せる。「無事に通してくれ!」と心の中で祈るも、怪訝な顔をした入国審査官が「I129SかI797を見せてくれる?お前のVISAの滞在期限は2015年4月だから」とおっしゃるではありませんか。「いや、弁護士に確認をしたらi94だけで大丈夫って話だったんだけど」と返答するも、「I129SかI797がないなら、俺はお前を通せない、じゃぁあっちの部屋に行ってくれ」と別室を指差す。ひぃ、このままでは別室送りになってしまう。何とかi94で通れないかお願いするが、こういうモードになったらアメリカの役人は自分のポジションを変えることはまずない。あえなく恐怖の「別室送り」になってしまった。


大きな空港は色々な国籍の人がいる国際色豊かな場所である。その一画に位置するCustom Boarder and Protection、税関国境警備局の別室は同敷地内においても、より一層濃密な国際性を醸し出している。米国入国に何らかの問題のある人間が狭い密室に閉じ込められ、自分への処遇に不安を覚えながら一様に眉間をシワをよせて鎮座している様は、移民大国アメリカの縮図と言っても過言ではない。


席に座って待つように指示されたので、弁護士からのメールや追加の書類をパソコンを探していると、一人の職員がやってきた。


職員A「お前、何をやってるんだ(もちろん詰問調)?」


私「いや、必要な書類をさがしているんだけど」


職員A「今直ぐパソコンをしまえ、今直ぐにだ!」


そんな言い方しなくてもいいのにと渋々パソコンを鞄にしまう。仕方ないので、スマフォで調べようと電話を取り出すと、予想はされていたが再び「お前、何をやってるんだ?」とまた厳しい口調で言われるので、仕方なく無言で電話もしまうことに、、、。Kindleでも読もうかと思ったが、また怒られると嫌なので仕方なくしばらく席で待つことに。しばらくして、私の名前が呼ばれたのでカウンターに行く。


職員B「お前のパスポートのVISAの滞在期限は2015年だから、I129SかI797がなければ、お前は入国できない」


私「いや、今VISAの延長申請中で、出国前に弁護士に確認をしたら、今回はi94を持っていけって言われて、それで十分なはずだと言っていたんだけど、、、」


職員B「いいか、お前が入国できるのを決めることができるのは、お前の弁護士じゃない、この俺なんだ!


うひぃ、正しいけど、この高圧的な態度と置かれているピンチな状況で胃がきりきりと痛くなる。


私「じゃぁ、弁護士にちょっと電話で相談をしていいですか」


職員B「分かった、電話をして、直ぐにI129SかI797を送ってもらえ」


私「電話をここで使っていいですか」


職員B「電話をここで使わずに、一体全体どうやって弁護士に連絡をとるつもりなんだ、お前は?


さっき別の職員に電話を使うなときつく言われているから聞いただけなのに、、、。弁護士事務所に電話をし、何度かたらい回しにされつつも、何とか担当弁護士をつかまえることができ、事情を説明。立ちながらパソコンをひらいて色々弁護士と話をしていると、パソコンと電話の使用について先ほど私に厳重注意を下した職員Aが唖然とした顔で私を見ているではありませんか。


職員A「お前は、なぜここでパソコンをみて、なぜここで電話をしているんだ!!


職員Bはさっさといなくなってしまったので、何と説明したらよいのやら、、、。仕方ないので、


私「別の職員の方から、直ぐに"自分のパソコン"と"自分の電話"を使って、今直ぐ弁護士に電話をしなさい、って言われたんです」


と、嘘か誠かと言われたら、嘘と言われてもおかしくない回答をする。職員Aは不満げ、面倒臭げな面持ちで去っていった。米国入国に向けて前に進めば何でもよいのだ。そんなやりとりをしている傍らで、事情はよくわからないが一文無しなので入国できないと泣き崩れるメキシコ人女性がいたりして、カオス感が最高潮に達する「別室」なのでした。


結局、この後、弁護士が職員と直接話しをして、弁護士から追加の書類をメールで送付をしてもらうことになり、ようやく無罪放免になる。正直、弁護士が何の書類を送ったのか、そもそも本当に書類を送ったのかどうかは、私にはわからないが、、、。


なお、VISAについて、正直あまりに不勉強だったので、これを機会に少し勉強をした。どうも、私のパスポートに貼ってあるVISAは2018年が「有効期限」である反面、それとは別に記載される「滞在期限」は2015年4月となっていた模様(今まで、そこを突っ込まれることはあまりなかったのだが、、、)。私の会社が「滞在期限」の延長申請を提出しており、それが仮に承認されれば、延長申請に新しい「滞在期限」が記載され、その書類をI129Sというらしい。また、VISAが承認された場合に、新しい「滞在期限」を記載した私自身に発行される通知がI797Aらしい。

 

無事、入国できたからよかったが、「別室」は本当に二度といきたくない。乗り継ぎの空港というのは、ビールをパイントで楽しむ場所であるべきだ。トランプ大統領、どうかお手柔らかに。

グリーンカードから垣間見るインドのグローバリズム

アメリカに来てそろそろ3年になる。相変わらず英語力は今ひとつなものの、勤め先からは戦力とみなしてもらい、グリーンカード取得のための支援をもらっている。先日、私のチームメンバーと私自身のグリーンカード申請の状況を確認するために人事部と打ち合わせをした。そこで新たな発見があり、考えるところがあったので共有させて頂きたい。

人事によると、私はEB1種類のグリーンカードを取得しようとしている、とのこと。EB1の特徴は、1)マネージャー職も含め、専門性が高い人のみ取得可能であり2)労働市場テストが必要でなく、申請手続き・期間がそれほどかからない、という点にある。
労働市場テストというのは私も馴染みがない言葉であったが、平たく言うと「アメリカの労働市場で同様の人材が採用できるかどうか」をテストし、 実際に「採用ができなかった」なら、海外の人材にグリーンカードを付与しましょう、というもの。即ち、アメリカで採用できる人がいる場合は、自国の労働市場から人材を調達しなさい、だけれども、代替人材の採用ができなければ仕方がないよね、という考え方。この労働市場テストのために、実際に新聞に求人広告をだして、書類選考・採用面接までするので、時間とお金と手間が非常にかかる。私は、労働市場テストをスキップできるので、順調に行けば来年の後半にはグリーンカードが取得できるだろう、とのことだった。

一方で、私のチームメンバーはインド生まれのインド人であり、彼はマネージャ職にないため、EB2というグリーンカードを申請している。幸いなことに彼は既に労働市場テストはパスしているため、最後の申請を残すのみとなっている。私より先にグリーンカードの手続きをし始めている彼の取得タイミングは私と同様、並びに少し遅いくらいかと思っていたが、それがとんでもない思い違いであることをこの人事との打ち合わせで知ることになる。何と、インド生まれの彼は後10年は少なくとも待たないといけない、とのこと。

インド、中国、フィリピン、メキシコの4カ国は申請者が多いため、別枠が設けられており、個別の枠毎に毎年発行するグリーンカードに制限がある。中でもインド枠は、発行数に対して申請者が圧倒的に多いため、長蛇の列ができており、10年近く待たなくてはならないとのことであった(もちろん状況は刻々と変化するが)。

アメリカという国に移り住み、同じように永住権を申請しようとしているが、生まれた国の違いということをもって、10年も取得期間に差がでるという事実にショックを覚えた。その一方で、インドという国の人々の外にでようとする力の強さにも衝撃を覚えた。米国企業の現地採用社員として様々な国籍の人と働く機会があるが、インド人は中でもやはり集団として異才を放っている。よりよい仕事・生活環境を求めて、国境をものともせず、自身の成功に向けて邁進する彼らの力強さを日々体感しているが、永住権取得の行列の長さを数字で示されると得心するところが大きい。日本の中だけで仕事をしていた時は「インドが住みにくいから、みんな他の国に行きたがるんじゃないの?」という穿った内向きな見方しか多分できなかっただろう。でも今は、自分の根を張る地面を探し求め、国境を超えることを厭わず、成功に向けてチャレンジを続ける層の厚さ、これこそがインドという国のグローバリズムであり、国としての強さなのだと感じる。

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