Thoughts and Notes from NC

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『暇と退屈の倫理学』 高度消費社会を生きる知恵

シックな木目調の机と椅子、少し和風で温かみのある光が溢れる照明、客席の中央に配置され、火がゆらゆらと揺れる暖炉、カロリーが表示され脂っこいアメリカンフードとは全く異なる健康的な食事、プラムジンジャーハイビスカスティーとカタカナで書くとなんのこっちゃみたいに見える無糖のオリジナルな飲み物。アメリカで流行っているパネラ・ブレッドという店で倅と昼食をとった後に書評を書いているのだが、店内は家族連れやヨガクラスなどを終えた如何にも健康大事にしてますみたいな人たちで溢れている。

 

チーズとマヨネーズとフレンチフライがど~ん!みたいな伝統的なファーストフードやレストランも未だ多いが、より適正な量の健康的な食事を提供しようというチェーン店はアメリカではどんどん増えている。そういう店には決まって「健康に気をつけてます」感が艶々な顔から溢れてヨガマットを抱えている人が多い。確かに健康的ではあるんだが、何故か内在する不健康さが透けて見えて以前から違和感を覚えていたのだが、本書『暇と退屈の倫理学』を読んで、私がぼんやり感じていた違和感がより立体的になった。

 

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

高度消費社会ー彼の言う「ゆたかな社会」ーにおいては、供給が需要に先行している。いやそれどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせようとしている、と

 

 

そう、カロリーが抑えられた健康的な店でヨガマットを抱えている人は、アメリカのヘルスケア産業という供給側にコントロールされたサイボーグ感が私には漂うのだ。「ヨガで自分の体に向き合い、脂っこいジャンクフードは口にせず、オーガニックな食事をとり、スリムな体を保つ」というライフスタイルがセット販売されており、それをそのまま買った人たちなのだ。本書は哲学書なのでそういうことについての良し悪しの判断をしたり、批判することに重きはおいていない。そういう社会において、幸せになるためにはいかにあるべきかについて、暇と退屈という視点で切り込んでいるところが本書の面白いところだ。

 

かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。

 

かつては労働力が搾取されていたが、今は資本家によって暇が搾取されているという視点は私には大変新鮮であった。確かに、日曜日の自由な時間がヨガのプログラムとヘルシー志向レストランによって埋められているというのは間違っていない。そして、人がなぜ搾取をされてしまうのかについて、筆者は人間は退屈を嫌う生き物であるからという原則をたて、そこを出発点に暇と退屈の本質について360ページ超語っていく。

最大限の平易な言葉で語られているが、箇所によっては難解すぎて理解が追いつかないところも多々あった。本性は哲学書であるため、さっと読んでぱっとわかるという類なものではなく、テーマをもって深読みを重ねていくとじわじわと得るものが広がっていくというタイプの本だと感じた。幸せに生きるために、暇の中でいかに生き、退屈とどう向き合うべきか、についての直接的な答えは与えてくれないが、日々の生活を形作るための思考のきっかけを多く提供してくれるので、興味を持った方は手にとって頂きたい。

『AI救国論』キャリアの獣道と開かれた学習環境

本書『AI救国論』の第一章は「日本衰退の責任は若手の実力不足にある」という刺激的なタイトルが付されている。老人が若者への責任転嫁で書きなぐったような本なら読むに値しないが、31歳にして東京大学准教授でありながら、代表取締役として株式会社Daisyを経営する大澤昇平による著となると読まないわけにはいかない。

 

AI救国論 (新潮新書)

AI救国論 (新潮新書)

 

 今の日本は既にテクノロジストを優遇する実力社会であるが、残念ながらそこに若手が付いてこれていない。日本が年功序列なのではなく、教育が古いので若手に実力がないだけである。

 「日本の競争力が低いのは、実力社会の中にあって若者に実力がないからである」と舌鋒鋭く一刀両断する。年寄りに文句を言ったり責任転嫁をするのはやめて、若者よ自分たちの力でなんとかしようではないかという咆哮は、若手以上年寄未満の四十代半ばには何とも小気味良い。

もちろん、若手を吊るしあげるだけではなく、その若者の実力不足の構造的な問題、例えば貴重な高校生時代を詰め込み型の受験勉強に時間を割かなければならない大学受験の仕組み外注丸投げでテクノロジストの価値が正当に評価できないIT業界の構造、などにも言及している。これも単なる体制批判であれば、類似の書籍は掃いて捨てるほどあるが、本書の価値は筆者の展開する「べき論」に全て行動と現実的な解決策が伴っているところにある。例えば、「一般の大学受験をせずに、高等専門学校に進学をして専門知識を身につける」という詰め込み受験の迂回策を自らの経験を元に紹介し、会社経営をしながらも大学准教授として教鞭をとり、自分の思い描くこれからの時代に必要な教育を実力不足予備群の若手に実際に提供している。

 

高校受験の段階で高等専門学校に進学をするという決断までできるのはほんの一握りの人間であり、それが全ての人にとって現実的な解かというと疑問も残る。だが、ぶっちゃけここで提示される個別の解決策の汎用性はあまり重要ではない。本書の胆はAIが日本の未来を救うことでもなければ、ブロックチェーンの可能性でもない。本書の若手へのメッセージは、日本でひかれている壊れかけレールの上を進むのではなく、誰も入っていったことのない「獣道」を自分なりにかきわけていく胆力を持とうという点と、「獣道」をかきわけていくための技術を身につける手段は、一握りの人に開かれているわけではなく、全ての人に開かれているという点、に集約されると私は読んだ。

筆者は高専、筑波大学、東大大学院、IBM基礎研究所とテクノロジストとしての芸を極めるために歩を進めてきたが、高校の普通科の在学生数がおよそ250万人に対して、高専はわずか5万人である。そこから大学に編入し、日本最高学府の大学院に進学するというのは、後から振り返ってみれば「あり」な道ではあるが、誰もが通ることができるようになっているハイキングロードではなく、筆者がかきわけてきた「獣道」だ。

 

現在のIT業界はオープンイノベーションが極限まで進行し、多くのエンジニアはその上澄みだけを救うことで新規の概念を学習することが可能になっている。

ポイントは気合いを入れてそういった獣道に飛び込もうということだけではなく、AIやブロックチェーンなどのテクノロジストの領域は、学習環境が整備されているということだろう。クラウド上に開発環境が開かれていたりや中核技術がオープンソースで構成されているから、大きな組織に所属することなくとも最先端の技術が学習でき、自力さえあれば途中で野垂れ死ぬ可能性は低いということだ。なお、こういう学習環境については、テクノロジーの世界だけでなく、インターネットの力で様々な領域に広がっている。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が共同で立ち上げたedXのようなオンライン教育サービスは、テクノロジー領域のみではなく幅広い教育サービスが提供されている。こういった開かれた学習環境を活用し、筆者のような獣道をかき分けていく人材が幅広い領域からでて欲しいと思う。

 

繰り返すが本書は題材としてAIやブロックチェーンのようなテクノロジーが使われているが、学びをえることができるのはテクノロジストだけではない。年寄の高みの見物の説教はうんざりという若者には是非手にとって欲しい。

 

以下は完全に余談であるが、本書でも度々でてくるデータサイエンティストと日々仕事をすることが多い。同じ部署で新しくデータサイエンティストを採用しようとしている同僚がおり、「いやぁ、思ったより給料が高くて予算不足なんだよね」とこぼしていた。どのくらい高いんだろう調べてみたら、全米の平均が$121K*1くらいということなので、日本円にすると1,300万円近くになる。日本の平均は655万円*2とほぼ半分である。

データサイエンティストの部署のマネージャーと仲が良いので、「近隣の州立大学でコンピューターサイエンスを学んだデータサイエンティストを新卒で採用すると年収はいくらくらいなの?」と聞いてみたら、「もちろんスキルや経験によるけど、俺は即戦力を採用するより有能な若手を育てる主義だから、低めの$90K台(大体1,000万円くらい)を採用することが多いかな」との返事が返ってきた。海外に流出した私が言うのもなんだが、日本から海外への人材流出というのも別の課題としてあることは間違いない。

 

社内異動から垣間見るアメリカのキャリア模様

アメリカで働き始めてかれこれ6年ほどになるが、この11月から今まで働いていたファイナンスの部署を離れ、自分で希望をだして別の部署に異動した。渡米以後、初めての異動となり、その経験を通して、いくつか興味深い発見があったので本エントリーで共有したい。

 

仕事は社外にも社内にも等しく開かれている

私の勤める会社では、人を採用する場合は、まずマネージャーが職務記述書(ジョブディスクリプション)を作って、採用システムに登録をする。財務や人事のレビューをへて、外部に開かれた採用ページにそのポジションが掲載され、はれて募集がスタートすることになる。

今のアメリカの職場でまず驚いたことは、社内の人もその採用ページを滅茶苦茶まめにチェックをしているということ。どの部署のどのポジションがオープンであるというのは昼御飯の際の良く出る話題の一つだ。私は今の会社で長く働いているし、顔も広いので、同僚から「あの部署でこういうポジションを募集しているみたいなんだけど、どう思う?」と相談を受けることが結構多いし、自分の部下からさえも同様の相談をたまに受ける。

アメリカ人はキャリアアップに対する欲望は肌感覚としては日本人よりかなり強いので、今勤める会社でどんなキャリアアップの機会があるのか、常にアンテナをはって、貪欲により良い機会を社内でも狙っているというのが、私にはとても新鮮であった。

 

辞令が上から降ってくるということはない

私の会社では、上の方で人事を決めて、それが決定事項として下に振ってくることはまずない。所属長同士で話を進めたとしても、最終決定の前に必ず本人への確認も入り、本人の希望が最も尊重される。唯一の例外として、本人の希望が考慮されずに決定がされるのは、クビくらいのものだ(これも頻繁におきるが)。

なので、私の今回の異動も、同じ会社の中で面白そうな部署が設立されたので、そこの役員にまずは相談をして、私向けにポジションを作ってもらい、所属している部署に異動をしたいという意思表示をするというように、私主導で進めていった。希望をだしたとしても、もちろん所属部署と異動先の部署の合意は必要ではあるが、異動先と本人の間で合意形成がされていると、所属部署がそれを止めるのは正直かなり難しい

なお、私は所属していた部署からはかなり強く慰留をされ、最終的にはCFOに呼び出され、「私がこれだけ遺留しているのに、それでも異動するというのか」と迫られ、「遺留頂いているのは光栄ですが、やっぱり異動したいです」と答えて、無言のまま3分間睨まれるという、貴重な経験もした。CFOに呼び出された時には「これは流石に無理かなぁ」と思ったが、それでも自分の意思表示をすればそれが尊重されて通ることが実感できた得難い経験であった。

 

引き継ぎ期間が短い

上記のようなやりとりがあり、渋々ながらCFOから異動の了解をとりつけたのだが、その際に強く言われたのが、「君の意思が堅いのはよくわかった、でも今の部署の状況を考えて、少なくとも3ヵ月は引継期間をとってもらうからな!」ということ。ものすごく強い語調で言われたので少し怯んだのだが、その時に内心思っていのが「えっ!?すっげー普通!!」ということ。

そのポジションは4年半ほど務め、オフショアセンターも含めると10人近くマネージしていたので、ビジネスに支障がでないように引継ぎをするのが少し悩みのタネではあったが、怒れるCFOから異動の条件として提示されたのが「3か月の引き継ぎ期間」というのに少し拍子抜けしてしまった。
それでもアメリカでは異動が決まってから1ヶ月というのが通常なので、3ヵ月というのは異例の長さの模様。異動先の部署や同僚に引継は3ヶ月というと、物凄く気の毒そうな目でみられたり、中には「Crazy!!」と憤る人もおり、興味深いリアクションであった。

 

新しい挑戦は良いことで、みんなが祝福をする

私の異動の話は、私は自分のチームと、新旧のマネージャー、異動の決定プロセスにあった役員にしか私は話していなかったのだが、みんな噂話が好きなのでまたたく間に社内に広がっていった。私が異動の希望をだした時に、実は私の直属の上司が丁度会社を辞めてしまったので、正直異動するタイミングとしてはあまり良くない。私までいなくなってしまうと困るだろうなぁ、という懸念は私にもあり、「今のタイミングはないんじゃない?」という批判もされるだろうという覚悟はあった。

が、話す人話す人が「新しい部署に異動するみたいじゃん、おめでとう!」と口々に言ってくれたことには驚いた。周りから”Cool!!”、"Congratulations!!"、"Great opportunity for you!!などの言葉のシャワーをあびると、おめでたい性格なので当初の懸念はどっかにいき、「きっと今回の異動は素晴らしいものに違いない」と前向きな気持ちに自然となる。

こういうリアクションの背景には、会社や部署の事情より個人のキャリアアップが一番大事という考え方にプラスして、「挑戦をすること」と「挑戦する人をサポートすること」は美徳というアメリカの文化があると思う。それは日々のアメリカの暮らしでも実感していることであり、色々苦労はあるが「自分の人生を生きやすい社会」であると思う。

1ヶ月前の通知でいつでも解雇されるという可能性もあり、決して優しい環境ではないが、私にはこちらの方が働きやすいかな。

 

『なぜ倒産、平成倒産史編』転ばぬ先の杖

「敗軍の将、兵を語る」は日経ビジネスの人気の連載だ。Googleで「敗軍の」とうつと、「敗軍の将は兵を語らず」よりも上位に「敗軍の将は兵を語る」という言葉が候補としてでてくることからもその人気ぶりがうかがえよう。倒産に追い込まれた経営者たちが、外部環境の荒波にもまれた不遇、本人としてはあと一息のところで資金がつきた無念、己の力不足への悔恨の念、などを赤裸々に語る様は、勉強になるというよりも、濃厚な短編ノンフィクションとして、読み応えに溢れ、ついつい引き込まれてしまう。
 
「敗軍の将、兵を語る」が倒産に対してミクロの視点で切り込むのに対して、東京商工リサーチの全国企業倒産状況というページはマクロの視点で倒産についてのデータと分析が惜し気もなく提供されており、こちらも大変興味深い。
2018年の全国企業倒産(負債総額1,000万円以上)は8,235件、負債総額が1兆4,854億6,900万円だった。
倒産件数は、前年比2.0%減(170件減)。2009年から10年連続で前年を下回り、過去30年では1990年(6,468件)、1989年(7,234件)に次いで3番目に少ない水準だった。

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平成は2008年のリーマンショックをピークに倒産件数と負債総額が減少傾向にあるものの、昨年の倒産件数は8,235件と決して少ない数ではない。

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業種別にみると、建設業や製造業が減少傾向にある中、サービス業の倒産件数が横這い傾向にある。産業のパラダイムシフトが同時進行で進んでいることが見て取れて興味深い。

 
さて、前置きが長くなったが『なぜ倒産、平成倒産史編』を今回は紹介したい。
なぜ倒産 平成倒産史編

なぜ倒産 平成倒産史編

  • 作者: 日経トップリーダー,帝国データバンク,東京商工リサーチ
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 本書は平成に発生した24の倒産の事例を紹介し、何がその倒産のトリガーとなったのかを編集者が考察するという形をとっており、上述の2つの丁度間の立ち位置をとっている。具体的な事例を後から振り返って客観的に分析しているので、ポイントが大変わかりやすい。

本書で紹介されるよう倒産の原因は凡そ下記の5つに集約される。
  • 新商品が不発で、過当な価格競争に巻き込まれた
  • 特定の取引先への過度の依存し、そこから脱却できなかった
  • 環境変化への対応並びに経営改革が推進できなかった
  • 逆風の中、経営幹部、もしくは現場をまとめることができなかった
  • 過剰投資により財務体質が大幅に悪化してしまった

成功事例は再現性が低いが、失敗事例は再現性が高い。言い換えれば「成功はアート、失敗はサイエンス」

というのが本書の持論であり、過去に学べば倒産を回避する可能性は高まるという。しかし、本書で紹介される企業が倒産していく様をみていくと、私には「失敗はサイエンス」という言葉が強すぎるように思う。「失敗は成功よりも科学的であるがアートであることに変わりなし」という方が私にはしっくりくる。倒産した会社を倒産すべくした倒産したと断じるのは簡単だ。だが、環境変化に対応するために積極果敢に投資をした結果「過剰投資による財務投資の悪化」となるケースもあれば、堅実な事業運営をしつつも積極策が打ち出せずに「環境変化への対応が遅延してしまう」ということもあり、「こうすれば失敗しない」という黄金律は経営にはない、という思いが本書を読んで強まった。環境変化が起きたタイミングというのも、インテルのアンディ・グローブは「変化のおきた正確な瞬間は終わったあとでもわからない」と下記のように語っている。

 

インテル戦略転換

インテル戦略転換

  • 作者: アンドリュー・S.グローブ,Andrew S. Grove,佐々木かをり
  • 出版社/メーカー: 七賢出版
  • 発売日: 1997/11
  • メディア: 単行本
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振り返ってみても、コンピューター業界にいつ戦略転換点が訪れたのか明確にわからない。<中略>

 私の頭の中にはコンピューター上で人の顔を別の顔に変えていく「モーフィング」のイメージが浮かんでくる。一つの顔がいつ消えて、それに代わる顔がいつ表れたのか、正確な瞬間を示すことはできない。ただわかるのは、初めに一つの顔があって、最後には別の顔があるということだけだ。どのあたりでどちらの顔により近かったかはわからないし、終わってから考えてみても、やはりわからない。

『インテル戦略転換』  〜第三章 P.53〜

 とは言っても、本書はわかりやるい答えを与えてくれるわけではないが、特に中小企業の経営者にどこに落とし穴がありそうなのかについては教えてくれる非常に有用な書だ。また、私的整理、民事再生法、破産などの業績不振に陥った際の手段がまとめられている第8章「倒産というカード」の切り方は全ての中小企業経営者が把握しておく内容だと思う。転ばぬことまでは保証はしないが、転んだ場合の転び方まで指南してくれる本書は中小企業経営者にとっての転ばぬ先の杖と言えるだろう。

 

『なんでもわかるキリスト教大事典』 キリスト教を横軸で捉える

先日読んだ『キリスト教から読む世界史』がキリスト教を歴史という縦軸で捉える本だとしたら、本書『なんでもわかるキリスト教大事典』は教派という横軸で捉えている。

 

なんでもわかるキリスト教大事典 (朝日文庫)

なんでもわかるキリスト教大事典 (朝日文庫)

 

 

筆者八木谷涼子女史はキリスト教徒ではないにも関わらず、その幅広い教派横断な知識を元に、協会運営者の勉強会などに登壇する変わり者だ。教会とそこにおける教徒の振る舞いなどの「現場」の視点からキリスト教は語る独特な視点は、工場という現場から製造業を語るような独特の凄みがあり、興味深い。


「第2章 比べてみよう教派いろいろ」は、本書の屋台骨であり、各教派の特徴が紹介されているが、その構成こそが本書の真骨頂。

  • 名称の由来と起源
  • 特徴と教義
  • サクラメント
  • 組織形態
  • 礼拝に行ってみると
  • 人の傾向
  • 外から見るとこんな側面も
  • 四方山話
  • 翻訳者や作家へのアドバイス

というフレームワークで9つの大きな教派が紹介されている。これはかなり大胆な構成だ。何が大胆かと言えば、フレームワークを作りあげるのは困難ではないと思うが、9つの教派について書き上げることが容易ではない。机上の学習だけでなく、教会に足繁く通い、各教徒と色々なことを話し込んでえた情報、そして多くの映画や文学作品やニュースなどの幅広いソースからとりいれたあらゆる知識が、これでもかとばかりにてんこ盛りに、惜しげもなく提供されており舌をまく。

が、その内容も決して冗長ではなく、簡潔なのがありがたい。「外から見るとこんな側面も」という箇所は、他の教派との対比が中心に語られつつも、他の教派からの「あいつらの、ああいう点はどうなの?」みたいな話もマイルドかつ知的に語られており興味がそそられた。そして、どのカテゴリーにも当てはまらなかったが開陳せずにいられなかった知識が「四方山話」にぶち込まれており、またこの「四方山話」の分量が半端でないところも本書の特色の一つだ。


長くアメリカに住んでいるの読書はもっぱらキンドルで、本書もキンドルで読んだ。キンドルの弱点はぱらぱらと拾い読みをしたり、手軽に読み返しができないことにある。本書は、是非実際の本を是非手元に置いて、たまに見返したり、他の本を読む際の参考にしたいと思った。タイトルで謳っている「大事典」という言葉に偽りはない。

『キリスト教からよむ世界史 』 5年越しのお勉強

アメリカの日常生活にはキリスト教が溢れている。街の至る所に教会があるし、日曜日の午前中は教会に礼拝に行く人が多いためゴルフやヨガはがら隙だし、子どもに人気のファストフードのチックフィレイ(Chick-fil-A)は安息日である日曜日には営業をしない。人々が誰に対してもオープンでフレンドリーであるのも「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」というキリスト教の教えがその支柱にあるのではないかという肌感覚がある。

そんな環境で生活しながら、私のキリスト教についての知識は穴があったらはいりたいくらい乏しい。小室直樹氏の『日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか』とマックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)』の端っこをかじった知識くらいしかなく、アメリカの街角でよくみかけるバプテスト教会って、どういうポジショニングなのかとか、恥ずかしながら理解していなかった。

流石にもう少し勉強しないといけないだろう、という問題意識をうっすら持ちつづけて彼此5年くらい経つのだが、今年の夏の一時帰国の折に本屋で本書『キリスト教からよむ世界史 (日経ビジネス人文庫)』を見かけ、遂に着手をすることになる。

 

本書を選んだ一番の理由は「わかりやすそう」だから、である。「教皇権と皇帝権 ヨーロッパ世界の形成」、「修道院と農業改革 祈り・学び・働く世界の誕生と変遷」、「十字軍と東西交流 当初の目的から外れていった運動」、「パントワインの否定から始まる 宗教改革とローマとの決別」というような30のトピックで構成されており、主だったキリスト教史をお手軽に理解するには良さそうに見えた。

各トピックは、タイトル、サブタイトル、概要、そして本文という形で構成されている。一例をあげるとこんな感じだ。 

キリスト教からよむ世界史 (日経ビジネス人文庫)

キリスト教からよむ世界史 (日経ビジネス人文庫)

 

 タイトル:宗教戦争
サブタイトル:新旧の衝突と主権国家の誕生
概要:
歴史が大きく変動する時には、何らかの原因があります。16〜17世紀の宗教改革・宗教戦争はヨーロッパの歴史を大きく変えましたが、教会の腐敗という言葉だけではない、もっと大きな社会の変化がありました。経済活動が盛んになり、農民や市民の意識が高まっていたこと、さらに諸侯たちが、教会と皇帝という2つの権力が対立している中で、新しい問題意識を持ち始めていたことです。宗教改革者の問い掛けはこれらに応えるものになりました。
本文:(割愛)

このタイトルとサブタイトルの内容の意味するところを理解しつつ、概要の内容を頭にいれれば、キリスト教を軸に大ぐくりに世界史をおさえることができる。そういう意味で、初学者である私にとって、本書の一番の価値は、このわかりやすい構成である。

一度読み通した後に、タイトル、サブタイトル、概要だけを拾い読みをしていくと歴史の流れをつかむことができるし、特定のトピックについて本文を再度読み直し、深堀りすることもできる。また、各章のくくり方も絶妙である上、その各章が10ページほどの本文まとめられているので、キリスト教や世界史の知識がさほど無くても、各章を読み切ることは苦ではない。読み通せば、カトリック、プロテスタント、イギリス国教会、ピューリタン、イエズス会、バプテストなどの関係とその世界史上の役割をより立体的に捉えることができるようになる。

 

上述した長所をあげつつ、本書の欠点もあげさせてもらうと、ある程度前提となる世界史並びにキリスト教の知識がないと理解が容易ではない点だ。表紙から感じる印象は「わかりやすそう!」だが、読んで見たら意外と初学者に優しい本ではなかった。

本書だけ読めばある程度の理解をえることができるようになっていれば良いのだが、ウェブなどで少し勉強をした上で読まないと、章によっては理解が容易ではない。例えば、「十字軍と東西交流 当初の目的から外れていった運動」について言えば、「十字軍というのは当初はエルサレムをイスラム世界から奪還することを目的に派遣され、当初は一定の役割を果すものの、そのうち対象がイスラム勢力が盛んなエジプトに変わったり、政治的な思惑によりキリスト教圏である東ローマ帝国を征服したり、迷走をみせる。一方で、イスラム圏の高度な文化がヨーロッパ圏に展開され経済と文化を発展させるきっかけとなる。」というような理解をもって本文にあたるとぐいぐい読めるが、そういうバックボーンがないと高々10ページを読む足取りが一気に重くなる。

 

私の場合はYouTubeにあがっている動画などで勉強をした上で、本書にあたるという作戦で大いに勉強にはなった。私のような不勉強な人間には少し骨があるが、世界史にある程度あかるい、もしくは粘り強く勉強しつつ読み進める意欲のある方には本書はオススメである。

甥がアメリカにやってきた アメリカの日常と日本の日常

この春に大学生になった甥がアメリカを訪問したい、と言っているというのを聞き私の心は踊った。その甥は私の兄の長男であり、所謂初孫であった。初節句には巨大鯉のぼりを引っ張り出すという両親の張り切り様は当然のことであるが、私はこの甥を大いに可愛がり、その溺愛ぶりは周囲がひくレベルのものであった。「子供嫌い」であった私の中にあった「子供=うるさい=嫌い」という数式がガラガラと音を立てて崩れ去り、甥と接することを通して、私は「子供好き」に転身してしまった。

 

自分にも子供ができたことにより、甥熱はそのまま、いや当然それ以上にわが子に注がれるようになった。そして、私の渡米も伴って甥と会う機会は減っていき、会う頻度も数年に一度くらいに下がっていった。が、「甥が来たら色々アメリカで経験をさせてあげられるのに」とその来訪を待ち望んでいたのも事実であり、渡米5年目にしてその機会がついに訪れて、心が踊ったわけである。

 

やることなすこと初めてのことで、ホテルの朝食のカリカリベーコンから黄色いスクールバスまで、細かなアメリカの日常に大いに楽しんだようだ。その中でも、特にアメリカの人々がオープンでフレンドリーにあることには驚きと感銘を受けた模様。LOWE’Sというホームセンターで買い物を私としている時、隣で庭仕事用に手袋を物色していた男性が、「君たちはどこの国の言葉が話せるんだい?」といきなり聞いてきた。日本語だと答えると「Helloは日本語でなんて言うんだい」と聞いてきて、片言の日本語で「コンニチハ!」を連発する。アメリカ生活が5年以上に及ぶ私にしてみれば、なんでもない多民族国家アメリカの日常であるが、会ったこともない人が買い物中に急に親しげに話しかけることそのものが甥には驚きであったようだ。

 

また、住んでいるコミュニティー内を二人で早朝にランニングをしている時に、庭仕事をしていた見知らぬおじさんが「Hi good morning!」と声をかけてきたので、私は「Hey good morning」と声をかけるも無言の甥。そのまま走りながら「声をかけてもらったんだから、こちらも挨拶しないと感じ悪いよ」と注意すると、「えっ!?あれは叔父御(甥は私をそう呼ぶ)の知り合いで、叔父御に話しかけたんじゃないの?」と言うではないか。

「いや、全然知らない人だけど、ランニングしたり、庭仕事したりの朝活をしている者同士なんだから、声くらいかけるって」と言うが、これもかなり驚きだった模様。日本ではランニング中に会釈くらいはするかもしれないが、声をかけるなんてことは皆無だという。しばらくしていると、50メートルくらい先からこちらに向かって走ってくる人を発見。「あの人も間違いなく、5メートルくらいまで近づいたら声をかけるから、Good Morningって言うんだぞ」と指示し、案の定声をかけられ、手堅く「Good Morning」と打ち返すことができた甥。結局10キロくらいのランニングの中で4−5回挨拶することになり、アメリカ式の挨拶筋が鍛えられたようだ。

 

ショッピングモールや食料品店など、そこかしこで誰に対してもオープンでフレンドリーなアメリカの日常に触れた甥。2週間ほどの滞在で観光地への短期の旅行だけでは触れることのできない多くのアメリカの日常に接し、日本の日常を見つめ直す機会となっているようでシメシメという感じだ。続く。

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