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アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『日本文化の模倣と創造』 再創と独創の戦い

『日本文化の模倣と創造』を読んだので書評を。

日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か (角川選書)

日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か (角川選書)

本書は、「人の創作物を模倣して、新しい何かを加えるという再創」を通して、豊かな日本文化が如何に育まれたかということを歴史的に考察しつつ、コピーにコストのかからないデジタル時代における創造のあり方を論じている。初版は2002年と少し前だが、内容は今もって全く色あせておらず、デジタル時代のコンテンツのあり方に関心のある方には必読の書と言える。

小林秀雄は、『モオツァルト』のなかで、「模倣は独創の母である。唯一人のほんたうの母親である。二人を引き離して了つたのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣できぬものに出会へようか」とすらいう。
模倣のない独創などありえない。
『日本文化の模倣と創造』 〜第三部 日本文化と再創主義のすすめ P.214〜

人類は長い間、模倣をすることにより様々な創作物を創ってきたのであり、独創という考え方自体が近代的な考え方で、歴史の中では例外に過ぎないと本書は言い切る。「独創的であることが良いこと」という考えを小さい頃から言われてきたのが私の世代。言われれば当り前であるが、模倣のない創造などありえないという言葉は、独創という言葉を前に停止しがちな思考を柔らかくしてくれる


本書では、イギリスとフランスでどのように、著作権法が作られていったかという歴史が解説されている。イギリスでもフランスでも、印刷独占権や特定の書物の専売権のような権利が出版業者に与えられることから始まっていることが興味深い。現代の感覚で言えば、コンテンツを実際に創造する著作者にまず何がしかの権利が発生することが普通の流れのように思うが、まず出版業者がコピーライト・版権をえることでコンテンツから莫大な利益を獲得し、著作者が少し遅れて自分たちの権利を主張し著作権が制定されるというのが歴史的な流れとなっている。


そして、以後長い間、印刷施設という希少性の高いインフラによって製造される書物という物理的なメディアでしか、コンテンツを流通させることができない時代が長く続いてきたが、デジタル技術の進歩により再び歴史が動き出す。ソフトウェアの例にとれば、書籍の出版と同様にソフトウェアに著作権を適用し、物理的なメディアにコンテンツを格納し、その販売によって収益をえるというここ200〜300年の慣習どおりにビジネスをする人がいる一方で、印刷施設のようなインフラがなくとも、誰でもソフトウェアというコンテンツを手にすることができることに着目し、コンテンツの配布と改変を自由にし、模倣と再創により創作活動を活性化させる人たちがでてきた。歴史的に考察するに、オープンソースの流れというのは、新しい創造のあり方というより、どちらかというと創作活動の原点回帰に近いことがわかる。


そういう意味で、オープンソースプロプライエタリの戦いは、再創と独創の戦いと言える。人の創作物を模倣して、新しい何かを加えるという再創の爆発的な連鎖で構築されるオープンソースと一つの会社が単独で、著作権で確保される権利と利益を原動力に創作活動に勤しむプロプライエタリ。筆者は下記の通り、結論づけるが、領地はまだまだプロプライエタリの方が大きく、戦いは始まったばかりである。

デジタル技術によって、人類は有史以来、もっとも強力なコピー力を手に入れた。デジタルのコピー力は、情報の独占による近代的な布告の方法をなし崩し的にする。
デジタルコピーの力によって、情報の排他的な所有という近代のパラダイムは終焉を迎えるだろう。わたしたちがいまするべきことは、デジタルのコピー力を人類の文化的な豊かさにつなげるための方法を模索することではないだろうか。
『日本文化の模倣と創造』 〜第三部 日本文化と再創主義のすすめ P.215〜

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