Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『ブラック・スワン』を読んで思う原発問題 原発事故は再び起こることを受け入れる

「東関東大震災福島原発の事故は”ブラック・スワン”である」という話を最近よく耳にする。ナシム・ニコラス・タレブという人が『ブラック・スワン』という本を書いて非常に話題になったこと、予期しなかった非常に稀な現象のことをタレブが”ブラック・スワン”と呼んでいることくらいは知っていたが、まだ手にとるに至っていなかったので、再度話題になっているこの機を逃すまいと読んでみた。


内容があまり平易ではない上、独特の口語調の語り口が肌にあわず、読んで理解をするのに非常に苦労した(もっと正確に言えば、まだ理解しきれていない)。ただ、現在進行形で起きている原発問題に当てはめて考えると、ぴったりあてはまって腹におちるというケースが多く、奇しくも原発問題が私の本書に対する理解を助けてくれた。本エントリーでは一部その内容を紹介したい。


「1.全く想定の範囲外でありながら、2.影響が衝撃的に大きく、3.発生した後に後講釈で実は想定可能であったと語られるモノ」のことを筆者は”ブラック・スワン”と呼んでいる。上記の定義に従えば、東関東大震災福島原発もなるほど”ブラック・スワン”である。本書を読む前は、定義の1番目と2番目しか私の頭の中にはなかったのだが、3番目が実は最も大事なポイントであり、3番目の特性がある故、”ブラック・スワン”はいつまでも”ブラック・スワン”であるというのが本書の肝であると思う。


もう少し細かくみていく。「発生した後に後講釈で実は想定可能であったと語られる」とはどういうことか。即ちこういうことだ。

見解を公表したのは、ロバート・ゲラー東京大教授。同教授によると、チリやスマトラ沖など環太平洋地域では過去100年間に、東日本大震災と同様のメカニズムを持つマグニチュード(M)9以上の地震が4回発生。東北の太平洋沿岸でも大きな津波を記録した1896年の明治三陸地震などが起きている。こうした世界の地震活動の度合いや東北の歴史を考慮すれば、今回の震災は想定できたと指摘。福島第1原子力発電所の事故についても、設計段階で巨大津波を想定した対策を打つことができたはずだとしている。

非常に分かりやすい例である。上記は百年単位でものを見ているが、貞観地震がおよそ千百年前に発生したこと、三陸沖で数十年から百年の中で大きな地震が発生していること、そこからすると今回の東関東大震災は想定可能であったし、高さ14メートルの津波がくることは想定可能であった、という講釈はよく目にする。
そして、その講釈に基づき、東海地震が向こう三十年で起こる可能性は極めて高く、浜岡原発はそれにそなえて高さ15メートルの防波壁を作るべきであり、それができるまでは原発は停止すべきだ、と。こういうもっともらしい講釈にふれると「わかったような」気持になり、整理された感があり、自分の中で安心感が少し醸成されることを私は否定できない。しかし、タレブはこういったもっともらしい後講釈が”ブラック・スワン”を見えなくするのだと、本書を通して主張する。


さらに細かく見ていく。本書では「講釈の誤り」「追認の誤り」という考え方が提示されている。何かというと「1.人間という生き物は、何かにつけてわかりやすい講釈や理屈をつけて、物事を単純化して見たがる性質をもっており、2.この単純化を通して見えてくることを過大評価し、単純化によって切り捨てられることを過小評価(もしくは全く無視)する傾向があり、3.その過小評価したものの中から”ブラック・スワン”はやってくる」ということだ。講釈を裏付けるような事実ばかり追認する性質を我々はもっていることを筆者は本書でひたすら繰り返す。


では浜岡原発の対策で生じている「講釈の誤り」「追認の誤り」とは何か。まず地震予測を千年のスパンでするという単純化をはかり、それ以上のスパン、例えば一万年単位の情報を過小評価している、という点があげられる。で、千年のスパンで想定していなかった地震、即ち”ブラック・スワン”が発生したら、実は一万年単位で見ると今回の地震も想定できた、という後講釈がきっと付け加えられるのだ。
もう1点、こちらのほうが重大と思うが、原発事故の生じるリスクを過度に単純化し、「地震による15メートルの津波」というリスクを過大に評価し、他の同程度のリスクを過小評価(及び無視)するという「講釈の誤り」を犯している。
「15メートルの防波壁ができるまでは浜岡原発は稼働してはならないが、浜岡原発以外は地震の起きる確率も東海沖ほど高くないので稼働停止までしなくてもよい」、これが政府の見解だ。「15メートル」という波の高さを単純にあてはめてよいのだろうか、地震に伴う災害は津波だけなのだろうか、そもそも原発事故の原因を地震だけに特定していいのだろうか。このような「講釈の誤り」によって、「30メートルの津波」、「地震による地盤崩壊」、「地震を受けたの原子炉の停止機能の故障」、「作業員の単純なオペレーションミス」、はたまた「テロリストによる原発攻撃」などがブラック・スワン”になってしまうのだ。


じゃぁ、タレブは「講釈の誤り」や「追認の誤り」を超えてあらゆる事態を想定し、それに対応しろと言っているか、答えはNOだ。彼の答えは下記の通り。

とても稀な事象の確率は計算できない。でも、そういった事象が起こった時に私たちに及ぶ影響なら、かなり簡単に見極められる(事象が稀であるほどオッズも曖昧になる)。ある事象が起こる可能性がどれくらいかわからなくても、その事象が起こったらどんな影響があるかはちゃんと把握できることがある。地震が起こるオッズはわからないが、起こったらサンフランシスコがどんなことになるか想像はできる。意思決定をするときは、確率(これはわからない)よりも影響(これはわかるかもしれない)のほうに焦点をあてるべきなのだ。不確実性の本質はそこにある。
ブラック・スワン』 〜第13章 画家のアベレス、あるいは予測が無理ならどうする? P.78

一見、わかりやすいように見えるが、結構難しいことを言っていると思う(というか、私自身今ひとつ腹に落ちていない)。稀な事象の確率の算定には焦点をあてず、事象が発生してしまった時の影響に焦点をあてるほうが良い、というのは何となくわかる。だが、その影響をはかるべき事象をどう特定するのか、どのレベルの事象にフォーカスをあてるのかという点が難しい問題として残る。「M9の地震が起きた時の影響をはかるのか、M10の地震が起きた時の影響をはかるのか」、「原発津波が押し寄せ浸水した時の影響をはかるのか、原子炉がとまったが、冷却がうまくできなかった時の影響をはかるのか」、「メルトダウンをおこして原子炉が制御できず核物質が拡散したしまった際の影響をはかるのか」、事象の確率をはかり施策を講じるよりましだろうが、 現実の世界の不確実性を前に、わかりやすい答えを提示してくれるわけではない。


じゃぁ、不確実な現象の確率も算定できず、影響を評価すべき現象が特定できないほど世界は単純ではなく非常に複雑である、ということを受け入れた時に私たちは何をすればよいのか。二つの見方があると思う。一つ目は最悪のシナリオの影響が周辺地域に数万年住めなくなるなんてものには手を出さないという考え方。もう一つは、最悪かどうかはさておき想定の外から"ブラック・スワン"がやってきて、原発事故が起きるということをまず受け入れる。そして、想定外のケースに対して、その時点で人類のとりうる最良の施策を短時間で導きだす「仕組み」を作っておく、というのがもう一つ。可能な限り多くの原子炉の情報を集め、世界中の専門家を総動員し状況判断をし、とるべき施策を洗い出し、それらの実行に向けての最良の判断を実施する、そういうことができる「仕組み」作りに徹底的にこだわるべきではないだろうか。一企業が情報を抱え込み、日本電力村という限られた人だけで対応案を考え、電力会社の社長と政治家が綱引き、お見合いをするという「仕組み」は少なくとも機能しないことは今回実証された。


地震発生前まで時計の針を戻して「あれをすべきだった」「これはすべきだった」と対応を考えるのは良い。もちろん、それはそれでやるべきだ。ただ、思考実験としてはいずれ”ブラック・スワン”はやってくるんだから、時計の針を津波福島原発をおそった直後までしか戻さず、そこから不確実性の非常に高い中、事態解決に向けて最高のリソースをかき集め、最善の対応をとるためには何が必要だったかを考えることのほうが遥かに重要だ。リアルティをもってその思考実験ができるのは日本だけなのだから、すぐに着手すべきだと思う*1 *2


負の”ブラック・スワン”に襲われた日本の状況を眺めるのに、本書は多くの示唆に富んでいる。特に現在の日本は「講釈の誤り」と「追認の誤り」がかつてないレベルで発生しており、考える材料で溢れかえっている。「読んでみたいとは思っていたが、未だ手にとっていない」という方、この機会をお見逃し無く。是非手にして頂きたい。

*1:「海水を早く注入すべきだった」、「電力会社の社長のリーダーシップが必要だった」とかそういう話ではない、例えば「海水をすぐに注入する」という結論を導き、それが正しいと高い確度で判断できるような「仕組み」を作ることが必要ということ。リーダーシップのような属人的で不確実性の強いものに左右されない「仕組み」が必要だ。

*2:私は個人的に、津波が直撃した直後に、わかっている情報も、わかっていない情報も、確かな情報も、不確かな情報もインターネット上に全て開示し、可能な限りリアルタイムにアップデートし、世界中の叡智を集めて対策をうっていれば、こんなにひどいことにならなかったんではないか、と強く思っている。原発施設内部の状況を把握する機構を強烈に強化すると共に、それを平時にはセキュリティ上許す限り公開し、有事には全て公開する、という体制が、防波堤なんかより原発には必要なんではないかと思う。

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