Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」』 ブラック・スワン後の世界

前回紹介した『死の淵を見た男』は、ノンフィクションでありながらヒーロー性に富む物語でもあり、『Fukushima 50』という形で映画化される程だ。事実に忠実ながらも、現場 vs 東電本店と官邸という対立軸を用いることにより物語性が高まっている。東電本店と官邸の指示に背いて一号機への海水注入を続行した吉田所長の英断は、本書の大きな読みどころであり、世間の耳目を大きく集めた。

 

が、その後の検証から事故後の12日間は一号機には実は殆ど海水が入っていなかったという衝撃の事実が明らかになる。本書『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」』は、NHKの圧倒的な取材力を元に、事件を検証し、一号機への海水の注入が何故失敗してしまったかの根本的な原因に迫るドキュメンタリーだ。『死の淵を見た男』の読後の現場びいきの感覚を引きずっている身には、「後から見たから言える後付の批判」という不満も覚えなくもないが、壮絶な現場で何が起きていたのかについて、AIも駆使しながら、科学的に迫るそのアプローチは興味深く、また学びが大きい。

 

本書では1号機への海水注入失敗の原因を、冷却装置イソコンを過去に運転員が一度も使用したことがなかったということにみて、その調査内容に前半部を割いている。イソコンというのは電源が喪失した際でも原子炉を冷却できる1号機にのみ備えられた装置で、イソコンをきちんと稼働させていたら、1号機の被害をより抑えることができという取材班の見方は説得力がある。事件当時の運転員が一度もイソコンを使用したことがなく、事故時にイソコンが動いているかどうかを見極めることができず、それが被害の拡大につながったとの指摘が本書であり、確かに残念である。取材班は、イソコンを備える原発を稼働しているアメリカでは、5年に一度稼働試験をし、それを通して運転員の訓練もしていることを引き合いに出し、実際の事故を想定した訓練が不十分であったと断じる。

 

福島の原発事故は、

  • 過去に照らせばそんなことが起きるかもしれないとはっきり示すものはなく(高さ10メートルの津波が襲い、全電源を喪失する)
  • 影響が甚大であり(メルトダウンとメルトスルーに伴う途方も無い事件処理)
  • 異常な事故であるにも関わらず「事故が起こってから予測可能であった」ように捉えてしまう(10メートル規模の津波は想定できた、イソコンが必要な事態が発生しうることは想定できた)

というブラックスワンの三要件を備えている。取材班の粘りには脱帽するし、舌を巻くところもあるが、イソコンの運転試験をしなかったということからの学びはそれ程大きいものなのかという疑問が私には残る。全ての冷却施設の定期試験を実施するという類の学びでは、次に到来するブラックスワンには対応できない。何故なら、想定を超える事態が我々の想像の先から必ず現れるからだ。

 

本書の後半は、事故発生からのテレビ会議の内容をAIで解析するという取り組みをしており、想定外の事態が発生した際にどのような対応がなされたのか、どうすればより適切な事故対応できたのかに焦点が当てられており、こちらのほうが価値が高いように思う。1号機への冷却水の投入が不十分であることが数多くの重大案件が同時並行的に発生する中で見過ごされていった過程や、複合的に発生していくトラブル対応にあたり吉田所長という一人の人間に長時間高負荷がかかってボトルネックになってしまったなどの問題点が紹介されている。これらは、ブラック・スワンが発生した後の対応についての検証であり、何故異常事態が事前に想定できなかったかより興味深い。AIを使って意思疎通の系統を可視化したり、キーパーソンの疲労度を数値化するなどの新しい取組も面白い。

 

フランスの原子力安全研究所も吉田調書に強い関心を示している。

事故対応の責任者だった原発所長がこれだけ長時間証言しているのは、歴史上初めてで、危機に対して、技術者が何を考え、どう行動したかのディテールに強い関心がある

というのは同研究所のフランク・ガルニエリ氏のコメントであるが、想定外の事態が発生した際の対応の中にこそ、現在自分たちの想定しえない事故への対応の鍵があるという確信と原子力の安全性を担うものとしての使命感が伺え、好感がもてた。


現在、新たなブラック・スワンの猛威に世界中が直面しているが、極限状態の中が戦った事故現場の対応からの学びは貴重だ。『死の淵を見た男』とセットであわせて薦めたい。

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