『スティーブ・ジョブズの流儀』を読んだので書評を。
- 作者: リーアンダーケイニー,三木俊哉
- 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
- 発売日: 2008/10/23
- メディア: 単行本
- 購入: 14人 クリック: 237回
- この商品を含むブログ (90件) を見る
フォーカスとは、他人がみんなイエスと言っているときに自信をもってノーと言うことでもある。たとえばジョブズが市場に送り出したiMacには、当時は当たり前の装備だったフロッピードライブがついていなかった。いまでこそフロッピードライブなどばかばかしく感じられるが、このときは顧客やマスコミから大反発を招いた。
『スティーヴ・ジョブズの流儀』 〜第1章 P.48〜
iMacからはフロッピードライブという当時のPCの当然の装備が取り除かれた。ジョブズ自身もこの決断が吉とでるか凶とでるかの確信は無かったのだが、インターネットとの接続マシンという目的に立ち戻ると2MBにも満たない記録媒体は無駄であると感じ、その自分の直感にかけたのだという。
「普通はついているモノ」の中から、真の目的とてらして「実は無駄なモノ」を見つけ、取り除くということは、能力と勇気が求められる。100ページの資料を作成するのは頑張れば誰にでもできることであるが、1ページにそれをまとめあげることは誰にでもできることではない。足すことに優先順位付けは必要ないが、引くにあたってはクリアに優先順位が定義されてないといけないからだ。
アップルの製品からは、徹底的に無駄が排除され、シンプルさが貫かれていることは、これ以上くどくどと説明する必要はないと思うが、本書を読んで、驚いたのがこの「能力と勇気をもって無駄を取り除く」というプロセスはアップルにおいては、何も製品開発のプロセスに限ったことではなく、経営全般において適用されているということだ。
まずは、製品のラインナップ。今でこそ、iPhone、ビデオiPod、iPodシャッフルなど色々な種類のiPodがあるが、2008年末までに累計2億台も市場にでると言われている製品のわりに、その種類は驚くほど少ない。そのラインナップの簡潔さの裏には、もちろん「能力と勇気をもって無駄を取り除く」という哲学が存在する。
ソニーはほかの製品への悪影響を恐れたからiPodを開発できなかった、とルービンシュタインは言う。「自社の製品をだめにしたくないんだ。それがうまくいっていたらダメージをあたえたくないからね」。だが、ジョブズは恐れない。彼は最も人気が高かったiPodモデル「ミニ」の生産をその人気絶頂期に打ち切り、さらに薄型の後継モデル「ナノ」を開発した。
『スティーブ・ジョブズの流儀』 〜第6章 発明欲 イノベーションはどこからもたらされるのか P.241〜
他のiPod製品と並べてみると、「ナノ」と「ミニ」はサイズもスペックもそれ程変わらないので、確かに利用ユーザ層はかぶっている。とはいっても、縦長で薄くシャープな「ナノ」とずんぐりむっくりして可愛らしい「ミニ」の形状はかなり異なり、それぞれ別のマーケットが存在するというのは論理的には十分成立しうる。おまけに、「ミニ」は売上がそれなりにあるというレベルではなく、売上は絶好調だったという。そういった環境の中で、簡潔さを追求し「ミニ」を製品のラインナップから外すというのはこれは常人にはできることではない。
もう一つ紹介しよう。
スタッフに関する最も特筆すべき方針は、家電製品の小売では当たり前の販売コミッションをなくすことだった。「アップルに来て頭がへんになったと思われました」とジョンソンは言う。だが彼は、アップルストアをセールス第一のピリピリした店にはしたくなかった。スタッフが顧客の財布ではなくハートを支配するようにしたかった。
『スティーブ・ジョブズの流儀』 〜第6章 発明欲 イノベーションはどこからもたらされるのか P.256〜
潜在的な顧客に何度もMacの店舗に通ってもらい、Macのある生活のエクスペリエンスを体感できるような雰囲気をつくり、やんわりと顧客をMacに囲い込むことを真の目的ととらえると、本当に販売コミッションは必要かと考え、結局それも無駄と定義されたという。もちろん、これはそこで展示される製品、及びMacのある生活に対して絶対的な自信があるからできる話であり、どこの企業でもとるべき施策ではないが、店舗担当から販売コミッションをとっぱらってしまうというのはこれも尋常ではない。
製品に付随する機能だけでなく、このように経営管理上の無駄の排除に対しても果敢にチャレンジするのがスティーヴ・ジョブズの流儀だ。本書の中には、他にも紹介したいジョブズの流儀が満載。実は私にとってはこれが初のジョブズ本なのだが、かなり面白かった。まだジョブズ本を手にしたことのない方にはおすすめの1冊。*1