C-NETの『Wikipediaは果たして「オープンソース」なのか』という記事のタイトルを見た時にきっと下記のようなことが書いてあるんだろうと想像した。
- Wikipediaはオープンソースではない
- なぜならばそもそもソフトウェアではないし、公開するソースコードと呼べるようなものもないから
- SONY製品以外のヘッドフォンステレオも「ウォークマン」と呼んでしまうような感覚で、集合知を活用したこの手の取組を何でもかんでも「オープンソース」と呼ぶのは、混乱をきたすのでよしましょう
Linuxは厳格にコントロールされており、何を一般に公開するかについての重大な決断を下しているごく少数の人々がコードの中味をモニターしている。そういう意味で「オープンソース」という言葉はWikipediaの実態を正しく反映していない。
Wikipediaは果たして「オープンソース」なのか
が、読んでみたら内容が全然違った・・・。
- Linuxを代表するオープンソースソフトには、その開発をリードする責任者がおり、製品に関する責任もその責任者が負うの通常だが、Wikipediaには掲載されるコンテンツに関わる責任者がいない
- Linuxを代表するオープンソースソフトでは、仲間の開発者から実力を認められるまでに2年もかかると言われるくらい参加する敷居が高いが、Wikipediaの場合は編集権を得るのに数秒しかかからず匿名での投稿も可能である
ということが、特徴的な相違点であり、要するに「コンテンツの作成過程が信頼にたるものでないからオープンソース」ではないと言っているように見える。
議論の入り口が全く違ったので、「Wikipediaがオープンソースか否か」という議論については、「ふーん、そんな見方をしてる人もいるのね」という感じになってしまったが、Wikipediaのコンテンツの作成過程について言えば、
- 敷居をあげればあげるほど集合知の集合度合いが弱くなる
- 敷居をさげればさげるほど低品質の情報が流れ込む危険性が高くなる
- 最適な敷居の高さは分野(例えば、百科事典か、ソフトウェアかなど)によって異なる
ということをおさえた上でどこでバランスをとるのが最適か議論する必要があるし、その具体的な検証も必要となる。イレギュラーなケースだけとらえて「敷居をとにかくあげるべきだ!」なんていう議論はナンセンスだ。最適なラインは結局のところやりながらでないとわからないので、"Anonymous Wikipedia(匿名版)"と"Onymous Wikipedia(実名版)"みたいな感じで2つ作ってどちらのコンテンツがより正確かつ充実しているかを一度検証してみたら面白いと思う。