マイクロソフトのOSは複雑怪奇なAPIの使用をプログラムの開発者に強要し、そのプログラムを他のOSに移植することを極めて困難にしており、非常にけしからんという下記の話を読んでいるところに、
[rakuten:book:10784257:detail]
新しいもの作りの支障となるような状況。これこそが、フリーソフトウェア運動がそもそも勢いづく基礎となっている。これはマイクロソフトのオペレーティングシステム、つまりウィンドウズ用にプログラムを書いたことのあるプログラマに聞けばすぐわかることだが、ウィンドウズにはやっかいなインターフェイスがぎっしりと詰まっている。その目的は、マイクロソフトのライブラリに完全に依存しなければプログラムが作成できないようにするためである。マイクロソフトは、ウィンドウズのネイティブプログラムをほかのオペレーティングシステムに移植することをきわめて難しくしようとして、膨大な数のインターフェイスを提供している。
"マイクロソフト、オープンソースに友好的な姿勢--ビジネス慣行の変更で:ニュース - CNET Japan"というニュースが飛び込んできた。マイクロソフトは今後ウェブページ上に30,000ページ以上の文章を公開し、その複雑怪奇でWindowsへの依存性を高めるAPIの技術資料などを公開するとのこと。
膨大な数のAPIに関する膨大な量の技術資料を公開しても、やっかいさが増すだけで、本当にやらなければならないのは不当にWindowsへの依存度を高めるための複雑怪奇なAPIの簡素化なのではないかと素人考えでは思うが、どうなのだろうか。
マイクロソフトのこの姿勢が、一連のYahoo!買収騒動で一部で強まる同社へのネガティヴなイメージをマイルド化するためだけのPR活動ではなく、スティーヴ・バルマーいうところの本当の"strategic shift"であることを期待したい。