Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

30代の軌跡 ビジョンとチャレンジ、その結果えたこと

思うところがあり昨年の11月に家族共々米国に居をうつした。これは私の30代の大きな目標の一つであり、何とか形にすることができ安堵感を覚えている。ここしばらくその活動のフォーカスしていたため、ブログがすっかりほったらかしになってしまったが、一つの区切りをむかえたことを機にこれまでの30代の自分の軌跡をまとめてみたい。

はじまりの言葉

フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)

フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)

よいビジョンはたんなる響きのいい言葉の羅列ではない。それは、あなたが心から達成したいと思っている成果の確固たるイメージなのだ。
『フューチャー・オブ・ワーク』 P.226

自分の30代を振り返るに、出発点はこの言葉だった。30歳になり、仕事は超多忙ながらも順風満帆、結婚もして、子どももでき、「さぁ、これからどこに向かっていこうか」と考え始める。自分の天職は何か、適性は何か、キャリアのビジョンはどうあるべきか、なんて切り口であれこれ考えるが、あんまりいい答えに巡り会えない。Steve Jobsのスタンフォード大学の卒業式のスピーチが流行った頃で、天職につくというより、それを探し求めることが是という風潮が今思えばあった時期だ。「これが俺の天職です」みたいなブログエントリーにはてなブックマークとかが一杯つくのを横目に、色々考えるものの自分が満足いくような解には至らず、悶々と悩む日々を過ごす。
そんな中で、「よいビジョンはたんなる響きのいい言葉の羅列ではない。それは、あなたが心から達成したいと思っている成果の確固たるイメージなのだ。」という冒頭の言葉にであう。天職、キャリアなど仕事の枠の中からのみビジョンを作ろうとしていた私には目から鱗であった。仕事にとらわれすぎると『心から達成したいと思っている成果の確固たるイメージ』から遠ざかってしまうように感じ、妻や子どもも含めて家族としてどうなっていたいのかを考えるように視点を切り替えた。自分にとってどんな経験が素晴らしいものだったのか、何をしている時に楽しいと感じるのかを考え、妻と対話をし、キャリアの良きアドバイザーに助言を求め、見栄や外連味を排除し、自分に問いかけつづけ、結果として「カリフォルニア州サンノゼ近辺で悠々自適に暮らし、50歳までには毎日仕事をしないといけない状態から足をあらう」というビジョンを掲げ、そこに向けて走ることにした。「それは無理なんじゃない?」という人もいれば、「何だよそれ、、、甘いな〜」という人もいれば、「素敵で、楽しそうだね、頑張って」とうい人もいてリアクションは色々だったが、「自分が心から達成したいと思った成果のイメージ」なので周囲の評価はあまり気にならなくなっていた。

英語への挑戦

ビジョンが決まったので、そこに到達するためのロードマップを練り、それを実現するための現状の課題を洗い出していった。細かなものも色々あったが、最大の課題はとにもかくにも英語。多少読めるが、聞き取れない、しゃべれない、という典型的なパターン。日本語だと饒舌なのに、英語になるとその場からいなくなったように微動だにしないと揶揄されたことも。日本人であれば多かれ少なかれ誰もがぶちあたる壁。過去に何度か取り組んだことはあったが、突き動かされる何かがあったわけではないので、形にはならなかった。まだ手の届く感のつかめぬビジョンをにらみつつ、毎朝5時に起き、出勤前に毎日1時間半勉強し、通勤時間にパソコンや携帯で仕事をするのは禁止とし、通勤時間も可能な限り英語の勉強に時間をあてた。フォーカスすることにあわせて時間の使い方をドラスティックに返るという考え方をとりいれたのはこの時期からだった。色々な勉強を試したが、幸いなことに「これだ!」という勉強法にかなり早く到達することができ、後は努力するのみというところに歩を進めることができた。じたばたしてると何かしら進むものだ。なお、細かい勉強方法についてはこちらを参照。
座学をかなりやりこんだが、それを活かす場がないとなかなか英語は身に付かない。当時のコンサルタントという職を継続しながら、英語を実務として活かす場を作ることを試みたものの、これは現実的ではないという判断を下すのにそう時間はかからなかった。新卒の頃から取り組んできたコンサルタントという仕事は大好きだったが、英語を使う機会のあるプロジェクトに英語のできない自分が関与し、高いフィーを頂き、それに見合う高い価値をお客様に提供し続けることは難しい。なので、即座に成果の求められる社外のお客様を相手にする仕事ではなく、多少ためのきく社内で英語を使う仕事を探し、部署異動をすることに決めた。グローバルな大企業に勤めていたことと社内にも良い人脈があったことが幸いし、幸運なことに複数の部署からオファーを頂き、無事に異動することができた。今から振り返ってみて、この選択はその後の方向を決める非常に重要なものであった。第一線で価値をお客様に提供する社外の仕事から社内のみの仕事に切り替えることに躊躇はあったが、ビジョンに即して歩を進めることにした。「キャリアアップ」という言葉はある種の思考停止ワードなので気をつけたほうがよい。その言葉にとらわれすぎると、給料が下がったり、職位が下がったり、仕事のレベルが下がったりすることを極端に避け、現状の瞬間最大風速をあげることのみに焦点があたり、結果として将来の選択肢を狭めてしまうことになりがち。目先の昇進、昇給におわれるのではなく、長期的な視点にたって、次にうつ布石を決めることは非常に重要で、地力を養うためにある部分はステップバックを求められる「キャリアの踊り場」を作ることも検討すべき大事な選択肢だ。

初めての転職

英語を勉強したいという不純な動機で異動した部署では、幸いなことに仕事、人にものすごく恵まれ、非常に充実した日々を過ごすことになる。懸案であった英語も座学をやり込んだ成果もあり、年の割りにはメキメキと伸びていった(と自分では思う)。一日は24時間しかなく、その多くの時間は仕事をしているので、仕事の中で英語を活用する環境を整えることが、英語力の強化には必要不可欠だと今でも思う。
正直仕事の面白さはあまり期待していなかったのだが、外部からコンサルタントとしてお客様にサービスを提供するのとは異なる、何というか一蓮托生の一体感というものを異動先の部署では覚え、グローバルな部署統合のような当初想像もしていなかったような仕事の機会にも恵まれ、とても楽しく過ごすことができた。また、会社という枠がなくなっても一生お付き合いができるような素晴らしい方達にも巡り会え、相変わらず大変なるも充実した日々を過ごすことになる。
この部署で米国へのアサインメントのチャンスがあったのだが、タイミングが少し悪く手元からするっと落ちていってしまった。話しが立ち消えてしまった時はショックだったが、機会の窓というのは開いたり閉じたりするものだから、焦らず、きちんと目標を見据えて諸事にあたるように心がけた。
勤めていた会社は世界に名だたるエクセレントカンパニーで非常に素晴らしい会社と今でも思うが、私にとってはそこで全てのキャリアをおえたいと思えるような会社ではなく、どこかで卒業をするんだろうなぁ、という直観を常に持って働いていた。問題はそのタイミングがいつかで、私にとっては「海外にいく前に卒業するのか」、「海外に行ってから卒業するのか」というのが難しい問題であった。残念ながらいきなり米国の現地企業にいって就職できるほどの素養は私にはなく、米国に行く以上どこかを経由しなければならない。その経由地において、自分の希望を通すために、実績や信頼という「貯金」が必要であり、転職をするということはその「貯金」が一旦ゼロに戻ってしまうということに等しい。なので、「貯金」がそれなりに貯まった場所で機会の扉が開くのを待つのか、見切って新しい場所でゼロから「貯金」を貯め始めるのか、この点で大いに悩むこととなる。もちろん、米国に行くことだけが唯一の目的ではないので、その他色々考え、最終的には事業の魅力という一点で今の会社に転職することを決意する。外資系の買収合併の波にもまれ、新卒で入社して以来、会社名は5回程変わってはいたが、初めて自分の意志で勤め先を返ることとなった。なお、色々考えた過程に興味のある方はこちらの2007年あたりをご参照。

新天地 カオスとその醍醐味

転職した会社は日本法人60名ほどの米国ノースカロライナ州に本社をおく外資系企業。転職前の会社は日本法人のみで2万人以上いたことを考えると全く別世界。「カオスを楽しめないとうちの会社ではやっていけないよ」とシンガポールにいる上司から言われていたが、入社してみたらやっぱり想像通りのカオスで腕がなった。時として、想像を上回るカオスに面くらうこともあったが、規模の小さな会社で活躍することの醍醐味にはまり、楽しみながら仕事漬けの生活を送ることになる。2万人もいるような会社に勤めていると、自分の努力が会社全体に及ぼす影響というのは非常に見えにくいし、戦略の間違いというのも即命取りにはならない。会社員であれば多かれ少なかれそうだが、自分が本当に価値を生み出しているのかよくよく意識して取り組まないと、そこに仕事があるからしているけど価値をほとんど生み出していない、何てことになりがちだ。一方で、規模の小さな会社は自分がさぼれがそれが全体への影響として覿面にあらわれるし、戦略の実現に向けて一丸となって取り組んで成果に結びつけないと、本当に命取りになる。自分が頑張れば会社全体が上向くし、頑張らなければ沈滞していくというのは、大変ではある一方、大いにやりがいがあるものだ。入社当初は本当にカオスで、「同じ案件情報を4ヶ所に入力しないといけなくて大変です」とか言いながら若手営業が毎日深夜2時くらいまで働いたりしていて、なんか応急の止血をしないと兵士が討ち死にしてしまうというような状況がそこかしこに見えたり、請求書も発行していないのにお客様に支払いをメールでお願いし、入金されないと出荷できないみたいなローカルルールがある部署があって、ビジネスがぽろぽろこぼれていってる状況が散見されたり、野戦医のような気分で応急処置にあたった。こうやって書いてしまえば、元の状態というのは「何でそんなことに、、、」というようなことが多かったが、コンサルタントとしてプロセスの改善提案などをお客様にしていた時の経験から「現状のプロセスは今いる方のベストの努力の結果であり、その努力に敬意を払いながら、新しい視点でそのプロセスをみることができる者の役割として改善を推進し、その機会を与えてくれた今いる方に感謝をする」というスタンスが非常に大事と認識していたので、諸事にそういうスタンスで全力であたった。まぁ、生来ぱっと見てとっつきやすい人間ではないようで、初めは「あいつ何者?」って感じで遠巻きに警戒されていたが、気づいたら同じ方向を目指す同じ船の同乗者として認めて頂き、職場の方とも良好の関係が自然とできていった。外部から専門家としてお客様に価値を提供するコンサルタントという仕事は今でも素晴らしい職業と思うが、スコープとか期間とか気にせず、会社のためには何を一番すべきかという視点で仲間と仕事ができる事業会社での仕事も大変魅力的で、その醍醐味を大いに堪能することとなる。両方やってみた実感としては、今の方が私には性にあっている。転職して初めの2〜3年はそんな感じでひたすら新しい会社の仕事に没頭した。
プライベートのほうは、転職して間もなく長男を授かり、家族4人での生活がスタートした。「男性の育児への参加」という第3者みたいな視点ではなく、「職業は父親、別の姿として会社員」という心意気で子育てにあたったつもりであったが、まぁ、仕事が忙しいこともあり、自分が思い描くような形でどれだけできたかはわからない(自らこういうくらいだから反省すべき点も大いにあるに違いない)。家族からは何とか合格点はもらえることを期待したい。

そして転籍 米国に居を移す

転職して2年半くらいたったころだろうか。本社からCFOが来日し、One on Oneで話す機会を頂けたので、自分の米国本社への転籍を志願した。赴任プログラムがあるような会社でもなく、もちろん日本法人から本社に人が転籍したなんてケースもない会社なので、一筋縄ではいかないだろうなぁ、と思っていたが、自分が希望をもっていることを表明し、その希望の実現に向けてサポートを依頼しないことには何も始まらない。丁度私の所属する部署のグローバルのトップが退職をし、その席が空白のタイミングであったため、いきなりオッケーとはもちろんならず、「希望を持っていることは認識した、でも今の部署のどたばたが落ち着いてからもう一度考えよう」というような答えをもらうことになる。まぁ、第一ラウンドとしてはこんなものかと。ゴールに向けて地道に努力をしていくと、機会の扉は自ずと開く、というのは経験則としてあったので、あまり焦らず、扉がゆっくり開いていくのを待ちながら、その期が到来する時に色々サポートがもらえるように目の前の仕事を着実にこなすことに腐心した。
ほどなくして空白だったポジションに新しいリーダーが着任し、その人ともOne on Oneで話す機会を得る。仕事の話が一通り終わった後に、米国本社への転籍の希望をストレートに伝えると、しばらく考え「是非サポートしたい、だが自分も新しいポジションについたばかりで、目の前にある山積みの問題を解決しないといけない、だから必ずサポートするが落ち着くまでもう少し時間が欲しいし、一緒に今の問題解決に取り組んで欲しい」というような答えをもらう。まぁ、それはそうだ。入社当初は日本では私一人だった部署も、会社の拡張や役割の見直しなどを受け、10名以上のチームを任せられるようになっており、私の受け持つ範囲はかなり広がっていた。着任したばかりの人にしてみれば、それなりに規模があって落ち着いて回っているところをいきなり動かしたくはないだろう。ただ、サポートをしてくれることを約束してくれたので、一緒に目の前の問題解決にあたり、機会の扉が少しづつ開いていくのを待つこととした。
その後も、竜巻のように吹き荒れる色々な仕事上の問題に取り組み、嵐のように過ぎ去る日常の中でも子どもも健やかに成長し、地域社会への関わりみたいなことも徐々にして増やしたりして、充実した日々が過ぎていった。転職して、そろそろ5年目に近づこうかという頃、シンガポール人の上司と話をしていると、「本社への転籍について具体的な日付とプランをそろそろ決めたい、だからまず移行プランの素案を作って欲しい」という打診を受ける。鍵はかかってないんだけど、ちょこっとしか開いていない機会の扉が、「ぎぎぎぎっ」みたいな鈍い音をたてて自然と少しだけ開き、自分の手をそこに差し入れる余地がようやくできる、そんな感触を覚えた。
扉が開きかけたら、後はそこに向けて力を集中するのみ。ターゲットとする移行日をがちっと決めて、そこから逆算した詳細な移行プランを作ったり、引き継ぎのための体制作りをしたり、米国本社への出張の際に家族を連れていって現地を視察してもらったり、日常の仕事はもちろん疎かにはしないが、それ以外の力をほとんど転籍の実現に注いだ。2013年の11月をターゲットとして、2013年の1月から具体的に色々動き出した。5年も勤めたポジションだったので引き継ぎの体制作りに大いに苦労することとなったが、最終的には自分の居場所のない(笑)体制を作ることができた。赴任システムなんて仕組みがないし、日本から人が米国本社にいくなんてことも初めてだったので、色々物事を進める上で苦労がたえなかったが、多くの方の協力を頂き何とか転籍にこぎつけることができた。壮行会を開いて頂いたコンサルタント時代の大手商社のお客様に「いやぁ、VISAの手続きとか山のような書類の処理があって大変ですよね」とか言ったら、「何?そんなこと自分でしないといけないの??」とか大いに驚かれたりした。まぁ、規模や歴史が違うので当たり前なのだが。なお、ここで日本語で書いても詮ないことであるが、シンガポールにいる直属の上司はこの転籍に向けて、文字通り一番手を動かして助けてくれた。前例のないことは、口を動かす人は一杯いるのだが、前に進めるために苦労しながら手を動かしてくれる人は少ない。私がいなくなって困るのは自分にも関わらず、私の希望をくみ、成長性に期待をかけ、実現に向けて腐心してくれた上司には感謝しても感謝しきれない。そういう上司に恵まれたことは心の底から幸運と思う。

まとめ ビジョンとチャレンジ、その結果えたこと

つらつらと駄文を書き連ねたが、「カリフォルニア州サンノゼ近辺で悠々自適に暮らし、50歳までには毎日仕事をしないといけない状態から足をあらう」というビジョンに向け、色々チャレンジを重ねてきたが、アメリカに居を移すという一歩を踏み出すことができ、大きな前進を遂げることができた。30歳の頭から数えて、この一歩を進めるのに8年も時間がかかってしまったし、場所も西海岸ではなく、東海岸で全然違うし、ここがもちろんゴールでもない。30代頭では見えなかったことが、今は見えることもあるので、ビジョンも見直さないといけないだろう。ただ、今すぐにビジョンを見直すという気には、何か今はなれなく、再設定した中長期のゴールに向けて走り出すまでに半年くらいは少なくともかけてもいいかなぁ、と思っている。住む国が変わるというのはそれ自体が大きな変化なので、その変化に少し身を委ねて、この国でしばらく生活、仕事をして、もう少し色々なことが見えるまで時間をかけようと。


私は、難しい仕事を仲間と一緒に一生懸命取り組んで、大変な思いをしながらもやりきることが大好きだ。今の会社、前職も含めて、チャレンジをともにしてくださる方々、そしてそういう仕事の機会に多く恵まれ、本当に幸せだと思う。その経験、そしてその過程で出会った人々、築いた人脈というのは自分にとっての本当にかけがえのない財産だ。
また、仕事以外では、子育てをしながら幸せな家庭を築くという、これまたものすごく難しいチャレンジを今の妻と取り組んでいることに強い充実感を覚える。世界で最も難しいであろうこの取り組みに一緒にチャレンジする最高のパートナーが自分にはいて、これまた大変幸せなことだと思う。居をうつすにあたり、妻には大変な苦労をかけたが、あらためてその諸処の課題を解決していく能力と物事をやり抜く馬力を目の当たりにし心強く思う。本当にありがとう。
そして、今家族で異国に居を移し、子供たちも仲間に加えて、新しい環境に適応しみんなで楽しく過ごすという一大プロジェクトに取り組み始めた。私や妻だけでなく子供たちもプロジェクトメンバーとして大いに四苦八苦している。お父さんがプロジェクトマネージャーで「よし、成功に向けてみんなで頑張ろうぜ」みたいな感じで、家族という最もつながりの強い仲間とチャレンジできる今の状況を私はとても気に入っている。
天職という言葉に30代の頭はとらわれたが、今は気にならない。私は仲間と難しいチャレンジに取り組み、苦労をわかちあいながらも、成し遂げる、その過程と達成した時に覚える充実感が大好きなんだ。それがわかったのだから、何を天職などというものにこだわろうか、それが今の正直な気持ちだ。


駄文に最後までお付き合いくださった皆さま、ありがとうございました。

『不格好経営 チームDeNAの挑戦』 立案と実行の間の隔たりを埋める知恵

「何でも3点にまとめようと頑張らない。物事が3つにまとまる必然性はない」、本書『不格好経営』にはこんなコンサルタントあがりが思わずほくそ笑んでしまう言葉があふれている。

コンサルタントして、A案にするべきです、と言うのは慣れているのに、Aにします、となると突然とんでもない勇気が必要になる。コンサルタントの「するべき」も判断だ。しかし、プレッシャーのなかでの経営者の意思決定は別次元だった。
『不恰好経営』 第7章 人と組織 P.202

筆者南場智子は言わずとしれたDeNAの創業者。創業前、マッキンゼーのトップコンサルタントであった筆者がDeNAを創業し、「コンサルタントの考える経営」と「経営者として取り組む経営」の溝に奮闘していく日々が、飾らない言葉で実体験として綴られていく。両方の草鞋をはいたことのある筆者にのみだせる味で、これは本書の特徴の一つだ。

意思決定のプロセスを論理的に行うことは悪いことではない。でもそのプロセスを皆とシェアして、決定の迷いを見せることがチームの突破力を極端に弱めることがあるのだ。
検討に巻き込むメンバーは一定人数必要だが、決定したプランを実行チームに話すときは、これしかない、いける、という信念を全面に出したほうがよい
不格好経営』 第7章 人と組織 P.202

戦略を決めることと、その戦略を実行に移すことの間には大きな隔たりがあるものだが、その隔たりを超えるための知恵が本書には随所に記載されており大変勉強になる。例えば、戦略的な意思決定のプロセスをどの程度共有するか、ということ。筆者は、戦略を決める時にいかに迷ったとしても、実行メンバーに対してはその過程をみせず、「これしかない!」という信念のみを示すことが大事という。というのも、色々なとりえた戦略を提示すると、いざ実行に移して想定していなかった大きな課題がでてきた時に「やはり別の案のほうが正しかったのではないか、、、」という思いがメンバーに芽生えてしまい、その壁を乗り越える突破力が弱まってしまうとのこと。川上から川下まで一貫してやり抜き、その中で死ぬほど苦労している筆者だからこそ語れる至言と思う。


本書を手にとり「ほら、経営っていうのはコンサルタントが思うほど簡単じゃないんだ」と思う経営者がいるかもしれない。でも、そう思われた方は溜飲を下げるだけでなく、経営者として筆者の経営力を大いに学んで頂きたい。

1年に1回、株主とお会いするのは実によいことだと思う。実際私の場合、何らかの意思決定をするときに、議長席から見る株主さんの面々を思い出して、あの皆さんに「経営の確からしさ」を感じていただき、信頼していただける決定かどうか、と心に問うことが多い
不格好経営』 第4章 モバイルシフト P.202

こういう緊張感をもって株主総会に、そして日々の経営に臨んでいる真摯な経営者がどれくらい日本にいるだろうか。おそらくあまりいまい(特に日本のサラリーマン社長の中には)。筆者はあえて本書の中に記載していないが、コンサルタントとして多くの経営者と接していく中で、「こういう経営者にはなるまい」と思ったことが筆者にはあるはずだ。もがきながら、自分の描く理想の経営者像を追い求める筆者の姿は非常に清々しい。


勉強にもなるし、思わず声を出して笑ってしまうような驚きのエピソードが多く紹介され読み物としても秀逸。まだ読んでいないかたは是非手にとって頂きたい。

『モダンガール論』 「仕事と家庭の両立」にまつわる歴史のあれこれ

私はジェンダー論を好んで目を通すほうではない。論理的かつ客観的であることを試みている文章でも、男性社会に対する恨み節であったり、恵まれない境遇への悲壮感であったり、善悪に固執する煙たい正義感が充満するものが多く、今ひとつ素直に読み込むことができないからだ。が、先日米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読んでいたら斎藤美奈子の『モダンガール論』が下記のように紹介されており、なかなか面白そうなので読んで見た。

モダンガール論 (文春文庫)

モダンガール論 (文春文庫)

女性の書き手による今までの女性史に漂う「これほどまでに性差別に苦しんできたのよという怨嗟も、「女性解放運動の力でこれだか女たちは進歩した」といううっとおしい正義感もない。いつの時代にも女たちが抱いた、なるべく楽してリッチな暮らしがしたい、世間に認められたいという欲望や出世願望を倫理的に裁くのではなく、社会と歴史を発展させる原動力としてとらえ直しているのが新鮮だ。
『打ちのめされるようなすごい本』 P.31

本書の主題は明治から現代にかけてのここ百年の女性史ではあるが、軽いタッチの筆致のため歴史書としての重苦しさはなく読みやすく、その一方で時代毎に筆者の論の裏付けとなる文献が丁寧に紹介されており説得力がある。そして何より恨み、悲壮感、正義感などの重苦しい感情が皆無でからりとしており、男性に受け入れやすい書きっぷりとなっている。米原万里が指摘するように「女性の欲望や出世願望を倫理的に裁くのではなく、社会と歴史を発展させる原動力としてとらえる」その視点は、おっかないフェミニズム論者のおばさんのものとは異なる新鮮さがあり、また変化の胎動というと大仰だが、時代が動いていく現場感がそこにはある。


私の中での本書からの主立ったつかみは下記の通り。

  • よりリッチで楽な暮らしがしたい、社会の中でもっと評価されたいという女性の欲望、出世願望こそが社会に大きな変化をおこす原動力となってきた
  • 虐げられた女性の権利解放という高邁な思想より、薄っぺらくても旧態依然とした体制側のおじさんに受け入れられやすく、かつ深い思慮がなくとも気軽に飛びつきやすいお題目のほうが重要(例えば、明治時代における「良妻賢母」、など)
  • そういったお題目はマジョリティに浸透した段階で、消費され尽くし、古くさくカビの生えた思想になりさがってしまいがち
  • 新しい考え方がマジョリティに普及する段階では、女性誌によるプロパガンダとその受け皿となる仕組みの整備がセットになる必要がある(例えば、短大+一般事務職、など)


歴史は繰り返すというが、女性史、並びに「仕事と家庭の両立」にまつわるあれこれについてもその例にもれないことが本書を読むとよくわかる。そういった歴史観が語られる本書は、現代の動向を読み解くフレームワークとまではいかないが、いくつかのヒントを与えてくれる。
女性史と表裏一体の男性側の立場としてわが身を振り返るに、やれイクメンだの、家事メンだの、ファザリングだの、イケダン(これはマイナーか、、、)だの、父親となってからその手のバズワードに日々さらされ、新たなプロパガンダの波をざぶざぶと浴びているわけである。たまに高波にさらわれてとんでもないことになっている友人を見るが、はたから見たら自分自身も実は波にされわれているんじゃないかと危惧を覚えたりもする(ま、さすがに自分自身のことをイクメンとか思ったりはしないが、、、)。そういった波にただ流されるのではなく、一歩引いてみる視点を本書は提供してくれるので同世代子持ちの諸氏には是非おすすめしたい。


なお、本書には単行本(1,680円)と文庫(690円)の二種類があるが、装丁を重んじて単行本を買ってはいけない。単行本の副題は「女の子には出生の道が二つある」で、「社長夫人」(高年収の男性を結婚相手としてゲット)と「社長」(ビジネスエリートとして高年収をゲット)の二つの出世街道をあげているが、文庫からは意図的にこの副題が外されている。というのも「文庫版のためのちょっとした補足」という最後の項で三つ目の選択肢があげられているからだ。長くなったので、その選択肢の紹介はここでは割愛するが(別エントリーを書くかも)、是非本書を手にしてそれを確認して頂きたい。

「権限委譲」を否定するナイーブさ

権限委譲、リーダーシップ、チーム - naoyaのはてなダイアリー
リーダーの役割は、組織が向かう目的を決めること、そしてその目的の実現に向けて、それぞれの組織の構成員が自分の責任にとらわれず自発的に行動をとるように、仕組みや全体の雰囲気を作ること、というのが言いたかったことなんではないかと解釈。別にそれそのものはあまり否定するものではないし、正しいことを言っているのではないかと思う。


私自身、2万人規模の大きな組織の一員だったこともあれば、60名程のこじんまりした会社の一員だったこともある。大きな組織ほど、「これは自分の仕事ではありません」という奴ばかりで、それぞれが「これが私の仕事」というのを足して合わせても、全体の目的を達成するための半分もカバーできなくて穴だらけ、なんてクソみたいな状況に陥りがちで、「権限」があればこいつら全員クビにしてやるのに、と思ったことは数知れない。「私の仕事はここまで」とか、「これをやると他に大事なことができなくなる」とか聞く度に「あなたの一番の仕事は、自分の仕事と他人の仕事の間に線をひくことじゃないですか?」という言葉をぐっと飲み込む(たまにこぼれるでるが)。


また、大きな組織程、人事のレポートライン上「上司」であることや、人事権を発動できる「部下」をなるべく沢山持つことに情熱を注ぐ人が多く、「上司」と「部下」って区分けは小さな組織よりも重視されることが多いのも事実。「部下の数が減った(または、部下がいなくなった)からモチベーションが下がる」とかいうような話しを聞くと「変わった考え方する人だなぁ」とか思う。「自分のダイレクト・レポートが少ないから、私は大きな仕事ができない」とか聞く度に、「問題は『部下』の少なさじゃなくて『器』の小ささでしょう」という言葉をぐっと飲み込む(大人なのでこれはさすがにこぼれでない)。


なんで、id:naoyaさんの言わんとしていること、理想としていることはなんとなくわかる。だけど、そういった大組織の力学にモノを申したり、小さなプロジェクトの活力の素晴らしさを強調するのに、「組織における上下関係」と「権限の付与」という考え方そのものを否定する、という論理の組み立てが私にはよくわからない上下関係や権限があったって、リーダーは目的を決められるし、その目的実現に向けた自立的な貢献を「部下」に促すことはできる。
また、「権限」に必ずくっついてくる「責任」に言及をせず、「上下関係」と「権限」だけで語っているのでわかりにくくなっているのだと思う。「権限」っていうのは「責任」と共に委譲されるもので、どの「責任」と「権限」をどういう風に配分するかを決めるのもリーダーの役割と思う。自発的に何かの「責任」を負う人がいても、そこに「権限」がなければ何もできない。水担当は、オフィスに水をある程度備蓄しておき、水の調達に個々人のリソースが過度にとられないようにするという「責任」と共に組織のお金を使い水を調達するという「権限」をえる。別に水担当が自発的にその役割をかってでようが、誰かに水担当を任命されようが、水担当は組織のお金で水を調達する「権限」をえることに変わりはないし、お金の使途を決めることができる人から「権限」を「委譲」されていることにもかわりはないじゃないかと思う。
なので、「自分の『責任』や『権限』に部下がとらわれすぎないようにリーダーシップを発揮せよ!」ならわかるが、「目的に向けてメンバーが自分がなすべきことを自律的に考えるのが理想だから、『上下関係』や『権限』なんてくそくらえだ!」というのはよくわからない。

相手と自分の間には明確な上下関係があって、意志決定権限・リソース・器、なんでもいいのだけど自分のほうが全部あるいはたくさん持っていて、その中の一部を相手に渡す・・・。そういう考え方が無自覚にも潜んでいる。

いや、無自覚ではなく、誰しもが自覚的にやっていることだと思う。あなただって組織に属するなら誰かから「責任」と「権限」をあたられているのではないかと思うし、そこに自覚がなければ、それは問題だと思う。


私の勤めている会社はかなりフラットな会社で、役職とかで誰も呼ばないし、オープンに色々モノを申せるし、各従業員がいつでも、誰にでも、何回でも金銭的なAwardの授与することができ*1、私はとても働きやすく、いい会社だと思っている。でも、組織における「上下関係」や「責任と権限」というものは存在するし、それなくして組織が回ることは私には想像できない。組織の大きい小さいに関わらず、適切に「責任」と「権限」が配分され、かつ組織の構成員が今手元にある「責任」にとらわれすぎないことが大事なんであり、それを実現するために「上下関係」を否定する必要は別にない。


冒頭にふれた通り、きっと言いたかったことは、「組織の上下関係」や「権限」の否定ではなく、個々人が目的に向けて自発的に動くようにするのはリーダーの大事な役割であるってことだったんだと思う。なので、言いたかったそのものを大きく否定するわけではない。ただ、感銘を受けた多くの若者がいるみたいだが、記事中のナイーブな論理の組み立てでは、組織の上にいるおじさんやおばさんには通用せず、現実の世界に変化は起こせないと思う。部下の数で仕事のやりがいを測ったり、自分の役割を自分自身で規定してしまう人に内在するロジックを「わけわかんねー」ではなく、その人たちが何に縛られているのか理解しないと現実の世界に変化は起こせない。いい話しであるがゆえに、変に「わかものの勝手な解釈」とならないように願いたい。

*1:最終的には、Awardを受ける人の上司が承認をしなければならない

『転がる香港に苔は生えない』 地面を疑わず苔むす日本

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

資本主義路線を歩みながら、国家として社会主義の面子を絶対に捨てない中国。何よりも管理されることを嫌う香港。その二つが合体するという、世界で初めての実験に立ち向かおうとしているのだ。それを他人の口からお祭り騒ぎのニュースという形で聞かされるのだけは耐えられなかった。
『転がる香港に苔は生えない』 〜一九九六年八月一九日、香港時間午後一時四〇分 P.6〜

イギリスから中国への返還前後の2年間、筆者自身が現地の生活に頭の毛の先までどっぷりと浸って描かれたルポタージュ。対象となる素材の面白さ、現地の人々に溶け込みきる大胆さ、返還前後の香港人の想いと葛藤の生々しさ、など読み所の多い一冊であるが、白眉なのは筆者の取材対象の本質をとらえきる洞察力とそれを見事に活写する表現力。それぞれの人の背負う過去や背景が一様ではなく、平均的な香港人像というものは存在しないという一筋縄ではいかない取材対象。それでも筆者は臆することなく相手の懐に飛び込み、その人の背景、本音にせまり、聞き出し、「何故その人がそういうモノの見方をするのか」をとらえ、描く。 家族を中国本土に残したまま中国から密航して、家族に仕送りを続ける男性、香港生まれながらカナダに移民してパスポートをえるも、カナダでも香港でも成功の機を逃してキャリアの隘路に迷い込んだ大学の同級生、香港で先進的なキャリアをつつも中国本土出身であるというコンプレックスに悩む女性カメラマン、その対象は実に多様。どこで生まれたのか、現在の国籍はどこなのか、そもそも香港にいることが違法なのか、合法なのか、そういう根本的な多様性があるところが日本との大きな違い。そういった全く異なる出自の人たちを、とらえ、描く作業をひたすら繰り返し、出来上がったのが文庫にして623ページという大作。膨大な数の人に取材をし、描くことにより立体的に香港を浮かび上がらせると共に、その上でやっぱり平均的な香港人像なんてものはないんだ、という事実を同時に浮き彫りにする手法は圧巻である。

少なくとも私は日本において、ここをいつ立ち去るべきか、どこに行ったら一番チャンスが残っているのか、という選択に迫られた記憶はない。自分の経っている地面を疑ったことがない。自分の立っている地面を疑うこと、それがどれほど緊張を強いられる感覚なのか、私には想像がつかなかった。
『転がる香港に苔は生えない』 〜第6章 それぞれの明日 P.530〜

香港を語りに語り尽くした後に、本書の矛先は最後に日本に向けられる。「自分のよって立つ地面」に常に疑問を頂き、「なぜ、自分がここにいるのかを常に考え続ける」香港人、そんな過酷な環境の中でも活き活きと生きる香港人に比較して、日本はどうだ。

私が心配そうな顔でもしようものなら、「自分の心配でもしてな!」と怒鳴り声がとんでくるだろう。確かにその通りだ。私は自分たちの心配をするべきだ。
私たちはどこへ向かおうとしているのか。考えることにも飽きて、苔むそうとしているのか。

立っている地面が崩れてきているのに、考えることを止め、単一性のぬるま湯の中に浸って、自分の地面を疑わない苔むす日本人に対する筆者の視線は厳しい。本書が出版されてから十年たつが、状況の厳しさとむしている苔の量は増えるばかり。いよいよ「地面に疑いを持つ」ステージにある日本人が目を冷ますきっかけとして、本書は丁度よいように思う。なるべく多くの内向きな日本人に本書を手にとって頂きたい。

『成功は一日で捨て去れ』 ファーストリテイリング 社員と経営者が直面する苦悩

前著「一勝九敗」は2002年11月に代表取締役社長の座を玉塚氏に引き継ぐまでの物語、本書「成功は一日で捨て去れ」は2005年9月に柳井氏が代表取締役社長に返り咲いた後の物語ととらえて、大枠で間違いはないだろう。経営に原理原則を貫き、ぶれることのない筆者の姿と、失敗をしながらも飛躍的な発展をとげる同社の成長の歴史が相交わるファーストリテイリングの成長物語という爽快感が前著にはあったが、本書は少し趣が異なる。


その違いを思い切って言えば、前著にあった爽快感は消え、大企業病と戦う筆者の悲壮感が本書には漂う現状を否定し、飽くなき成長を志向し続ける企業のあり方を問う、というのが本書のメイントピック。

成功は一日で捨て去れ

成功は一日で捨て去れ

 第1章 安定志向という病
 第2章 「第二創業」の悪銭苦闘
 第3章 「成功」は捨て去れ
 第4章 世界を相手に戦うために
 第5章 次世代の経営者へ

という章立てで、ぶれない筆者の経営観が前著と同様に語られる。ただ、本書のメッセージが誰に向けられているか少しひいてみて見ると、一般に向けられているというより、ファーストリテイリング社内に向けられているような読後感を覚える。原理原則を貫く姿勢は一切衰えておらず、実体験から紡ぎ出された筆者の経営観から学ぶことは非常に多い。その一方で、高い理想を追う筆者とその期待にそうのに苦闘する社員、そういった同社の現実が本書で語られる「べき論」から透けて見える。


筆者に対する批判的な記事をウェブ界隈で見ることが最近多い。そういう噂ならびに本書を読んで感じたのは、筆者の高い視線と同社の平均的な社員の間に、指導を暴力としてしかとらえられないくらいの能力のギャップがあるのだろうなぁ、ということ。なんというか、大リーグの一流コーチが平均的な高校球児を指導したら、いくら手心を加えた指導であっても中には「殺人的なしごきをするブラックコーチ」呼ばわりする者がきっとでてくるだろう、みたいな。
上記リンク記事や本書に記載されている年頭の社員へのメッセージをみると、現場主義を貫く筆者の指導の射程範囲の広さと、ファーストリテイリングという会社のハイヤリングパワーの弱さが浮き彫りになってくる。特に後者については、同社が真のグローバル企業になるためには大きな経営課題となるだろう。


あまりポジティブな評になっていないが、決しておすすめしていないわけではない。「2005年9月に柳井氏が代表取締役社長に返り咲いた後の物語」なので、海外展開や合併買収の失敗と成功の体験が凝縮して盛り込まれているのが本書の特徴。そういった実体験に基づいた海外展開、合併買収についての筆者の経営観を学ぶことができることは本書の素晴らしいところ。前著に引き続き、そこら辺の経営書よりずっと役にたつので、前著を読んだことがある方にもない方にも、是非すすめたい一冊。

英文メールを早く仕上げるための「書き出し」、「書き終わり」の10個の表現

最近、会社の若手の書いた英文メールをレビューすることが多い。見ていて感じるのは、内容はそれなりに伝わるであろうが、書きっぷりがあまり英文メールっぽくないということ。その原因を考えるに、「書き出し」と「書き終わり」が型にはまっていないことが大きいように思われる。 本題の英語表現が多少稚拙でも、「書き出し」、「書き終わり」がきちんとしてるとそれなりの雰囲気は漂う。
一方で、これらの表現を都度都度調べるのはそれなりに時間がかかる。「本題にスムーズにつなげる書き出し」と「社交辞令も含め相手との継続的なやりとりをするための書き終わり」を書くのは大事だが、そこに時間をかけすぎると肝心な本題に割くエネルギーが減ってしまう。
私は英語を仕事で使うようになり、7−8年経ち、一週間に少なくとも百通以上英語メールをうつが、何度も使う表現は数える程しかない(それはそれで問題だが、何とか生きてこれている)。本エントリーでは私がよく使う「書き出し」、「書き終わり」の10個の表現を紹介したい。ちなみに、こった表現はなく、全て基本的な表現と思うので、初学者向けとなっていることは事前にご了承頂きたい。


1.「返信遅れてすみません」 ”Sorry for the lateness of my reply.”
山のような仕事に追われてつい返信が送れる何てことはよくあること。「あぁ、遅れてわるいなぁ」と思いつつも、「返信遅れてすみません」って英語での一言がでてこないので、さらに放置するなんてことになりがち。そんな時は、”Sorry for the lateness of my reply.”とか、”My apology for the lateness of my reply.”から書き出す。何気に一番使う表現かもしれない・・・。


2.「添付の通りファイルを送信します」 ”Please find the attached file.”
メールでファイルをやり取りするのはよくあること。そんな時、”I sent the attached file.”とか書くともっさりしてしまうので、”Please find the attached file.”とか、”Let me send the file as attached.”とか書く。メールによってはこの一言で終わることも・・・。


3.「ご指摘頂きありがとうございます」 “Thank you for pointing this out.”
相手から意見や提案や時として苦情があったりする時は軽く受け流す書き出しが大事。そういう時は、いきなり本題に入るのではなく、 “Thank you very much for pointing this out.”とか、”Thank you for your input on this matter”とかから書き出すことが多い。議論や反論が伴うメール程”Thank you”から始めるのが大事かと。


4.「以下コメントします。」 ”Let me reply inline below;”
相手のメールを引用して、自分のコメントを書くのはメールのやりとりでよくあること。そういう時は、”Let me reply inline below;”とか、”Let me make comments inline below;”とか書いて、相手のメールにコメントをいれていく。返信メールでの頻出の表現。


5.「いつもお世話になっております(的表現)」 “Thanks for your all support.”
「いつもお世話になっております」の訳かどうかは微妙だが、 “Thanks for your all support.”というのは同僚に対するメールとしてはよく使う。”all”のところを”excellent”としたり、”support”の部分を”efforts”としたり、”update”としたりバリエーションは色々ある。何かにつけて演歌調に”Thank you”の世界なので、特に書き出しで特筆すべきことがない場合は、この書き出しから始めることが多い。


6.「至急対応してもらえると助かります」 “Your quick support is much appreciated.”
何かを依頼したメールの最後に締めの一言としていれるなら”Your quick support is much appreciated.”とか”Your quick action is much appreciated.”とかが便利。”as soon as possible”とか”ASAP”とかの表現もありだが、語調が強くなる感じがするので、この表現のほうが私は好み。


7.「本件どう思われますか」 ”Please let me know your thoughts.”
自分の意見に対して相手かどう思っているか聞きたい時には、メールの最後を”Please let me know your thoughts.”で締める。口頭だと”How does that sound to you?”というのをよく使うが、書き言葉だと丁寧に感じるこの表現を一番使う。


8.「お会いできるのを楽しみにしてます」 “Looking forward to seeing you.”
外国人と仕事をしているとメールや電話会議は沢山しているが会ったことがないというケースが多い。こっちが出張で行くとか、向こうが出張で来るなどのケースは締めに”Looking forward to seeing you.”を使う。文法としては”I am”をつけてもよいが、Nativeでつけている人はあまりいない。


9.「何かございましたら遠慮なくご連絡ください」 “Please feel free to contact me.”
相手の質問や依頼に対して返信をした後は、 “Please feel free to contact me.”で締める。”if you have any questions and concerns”とかつけるともっと丁寧な感じになる。特に意図がなくてもきもち丁寧になるので、最後にいれてしまうことが多い。


10.「今しばらくお待ちください」 “Thank you for your patience.”
進展がない事態の状況報告をした後には、”Please wait for a while”とかも使うが、 “Thanks for your patience.”とか”Please wait patiently while this request is processed.”とか”patient”をつけるとそれっぽくなる。ちょっと相手に不満が残りそうな内容をメールで送信する場合は、これで事前に理解を求める。


普段仕事で英文でメールをやりとりしている人には学びはないと思うが、このあたりがぱっとでるとでないとでは負担がかなり違う。昔の自分の英文のメールをみるとへったくそな英語で書いているが、やはり書き出しと書き終わりに常用句がはいっていないことが原因と思う。本エントリーが参考になる方が少しでも入れば幸いです。なお、初学者の方は下記のエントリーも参考になるかもしれません。5年近く前に書いたものですが、未だに多くの方から頻繁にアクセス頂いています。
30歳からのビジネス英語 英会話学校に通うなんてやめなさい

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