Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『ブラック・スワン降臨 9.11-3.11 インテリジェンス十年戦争』 本書自体がインテリジェンス

ブラック・スワン降臨―9・11‐3・11インテリジェンス十年戦争

ブラック・スワン降臨―9・11‐3・11インテリジェンス十年戦争

ブラック・スワン降臨 9.11-3.11 インテリジェンス十年戦争』、サブタイトルをみれば、本書が米国同時多発テロ東日本大震災という二羽のブラックスワンを描いた物語であることに気付かない人はいないだろう。語り手は、元NHKワシントン支局長手嶋龍一。『インテリジェンス 武器なき戦争』で佐藤優と共にインテリジェンスなの世界の奥の深さを世に紹介し、『ウルトラ・ダラー』では小説という形式をとったドキュメンタリーでインテリジェンスの世界を描き、作家という肩書きに恥じない筆致を見せた。本書は上述した二羽のブラックスワンという題材が、筆者のインテリジェンスに対する高い知見と華麗な筆致で描かれるという贅沢な内容となっている。


米国同時多発テロに端を発するアメリカのテロとの戦い、その重要な区切りであるビンラディン殺害のオペレーションの模様を描く所から物語はスタートする。オバマ大統領が、如何にビンラディンの潜入先を突き止め、如何に決断をし、如何にその決断を秘匿したかが、パキスタンで繰り広げられる緊迫のオペレーションと並行して語られ、冒頭から読者をぐいぐいと物語に引き込む。

そこには一国のリーダーの決断とインテリジェンスのありようが比類のない簡潔さで示されている。インテリジェンスとは、単なる極秘情報などではない。国家指導者の最終決断の拠り所となる選り抜かれた情報なのである。
ブラック・スワン降臨』 P.28

過去10年でアメリカにとって最も重要なオペレーションを取り上げ、国家におけるインテリジェンスの死活的な大切さが冒頭で強調される。


インテリジェンス戦争におけるアメリカの華麗なる勝利から物語はスタートするが、単純なアメリカ礼賛、日本批判に与しないところが手嶋龍一。次章からの展開を一言でいえば、過去十年のアメリカ・インテリジェンス敗北の歴史だ。アメリカが同時多発テロを未然に防ぐ機会を如何に逸し、どのようにテロとの戦いの深みにはまっていくかが、描かれている。読み進めるごとにひしひしと伝わるリアリティ。ここで描かれているのは、ありきたりの一般論でも、ありがちな根拠の乏しい陰謀論でもない。米国同時多発テロ発生時にNHKワシントン支局長だった筆者が持つ一次情報に基づく一級のインテリジェンスなのだ。この自らの足で獲得した一次情報とインテリジェンスに対する筆者の造詣がこの物語に独特の彩りを与え、読み応えを増幅している。


後半は、日米関係を主軸に据えた日本外交論。おそらく月刊「FACTA」での筆者の連載がベースになっていると推察される。筆者の幅広い経験と知見に基づく日本外交論は、知的刺激、読み応えにあふれる。取り上げられているトピックも普天間基地移転問題から北方領土問題まで幅広く、年間購読費13,200円の雑誌を購入しないと読めない筆者の外交観にまとめて触れることができるというのは大変お得である。 結びの「黒鳥が舞い降りた」という章では、二匹目のブラックスワンである東日本大震災が、米国同時多発テロへの米国の対応と対比しながら、インテリジェンスという切り口で語られる。

情報とは命じて集まるものではなく、リーダーの力量で磁石のように吸い寄せるものだ。
ブラック・スワン降臨』 P.233

筆者の今回の政府の対応への批判はもちろん容赦なく、そしてその適切さが故に外交や未曾有の危機対応を国に委ねる国民としての不安は増すばかりだ。



全体を通した物語としてみると、後半部はどうしても雑誌連載のつなぎ合わせという感が強く、渾然一体としてストーリーとしての完成度に満点をつけれないが、通して一気に読み進めることのできる力のある作品。本書の一番のセールスポイントは、筆者の筆致でも、外交についての深い知見でもなく、本書自体が筆者の足、ネットワークで集めたインテリジェンスとなっている点だろう。外交、インテリジェンスなどに明るくない人にもわかりやすい内容となっているので、是非多くの方に手にとって頂きたい。

『挫折力』 経営書と現場の乖離をうめる発想

『ビジョナリーカンパニー』は名著ではあるが、『ビジョナリーカンパニー』を参考にしながら、ビジョナリーカンパニーを作れる人は万に一人としていない。よく整理されており、視点も斬新で、否定のしどころがないビジネス書を読んでも、ビジネスの現場からの隔離感にもやっとした読後感をおぼえた経験は誰もがあるだろう。そんなもやっと感を解消したい人は本書を是非手にとって欲しい。本書は、ビジネス書と現場の間にどんな乖離があり、それを解消するには何が必要かが書かれている。


本書の著書は、産業再生機構でCOOをつとめ、現在株式会社経営共創基盤のCEOの冨山和彦氏。産業再生機構ではカネボウ経営共創基盤では日本航空の再生を手がけた日本の企業再生の代名詞。様々な血生臭い現場経験の中で紡ぎ出された筆者の主張は、他人の論によらず、 自らの頭で考え抜かれた凄みにあふれる。

挫折力―一流になれる50の思考・行動術 (PHPビジネス新書)

挫折力―一流になれる50の思考・行動術 (PHPビジネス新書)

古くから人間観に関して、性善説か、性悪説かという議論がある。しかし、厳しい状況にあって殆どの人間が剥き出しにするのは、「性において弱い」という本性だ。そう、「性弱説」に立って人間を見つめるのが私は正しいと思う。
『挫折力』 〜P.117〜

筆者は独自の「性弱説」を本書で説き、これが本質的で説得力があり面白い。人間は何に弱いのか、一つは個々に人が個別に持つ「性格」という心理因子、もう一つは自身の大切なことについての利害損得である「インセンティヴ」と筆者は説く。「インセンティヴ」と言っても成果主義を導入しましょう、という話しをしているわけではない。成果と対価を連動させる仕組みを作っても、組織と人が一つの方向に向かって全速力で進むわけではない。何故ならば、人を突き動かす「インセンティヴ」というのは、対価の他に、人間関係、家族の事情、年齢、健康状態など多様な要素の影響を受けているし、いわんや「性格」に至っては千差万別だからだ。経営書にかかれている「理」を現場で追求すると、必ずそこで働く人の「性格」と「インセンティヴ」の多様性の壁につきあたる。組織を束ねて一つの方向に向かうにはそういった「情」も十分に考慮し、「理」とのバランスを如何にとるかが大事であり、それこそは経営の巧みさであると筆者は説く。


本書には上記のような、「理」と「情」の乖離を如何に埋めるかという話しが沢山紹介されている。独特の冨山節は健在で、『会社は頭から腐る』とか、『カイシャ維新』などの筆者の本を読んだことがある人も十分楽しめる内容となっている。経営書を沢山読んだが、リアルな手応えが今ひとつない、という方には是非本書を手にとって頂きたい。

習慣の効用と功罪

友人の薦めで“WHAT THE MOST SUCCESSFUL PEOPLE DO BEFORE BREAKFAST”を読んだ(Kindle Storeでのみの販売)。要点をまとめると、

  1. 朝食前の時間は邪魔の入りにくい最もコントロールのしやすい時間帯である
  2. 意思の力というのは一日の終わりになるほどに減退するものである
  3. 緊急ではないが、重要なことは、コントロールしやすく、かつ意思の力が充実している朝食前に実施するのが良い

という感じ。
山のようにやることがあると、長期的な視点で見て非常に重要なことは、どうしてもその瞬間の優先順位により後回しにされ、結局手付かずになることが多い。日々の忙しさに忙殺されず、長期的に重要なことをこなすには、早朝の時間を有効活用することが効果的であり、成功している人によく見られる特徴であるとのこと。簡潔に、要点がまとめられておりなかなか面白かったし、最近サボリ気味な早起きを再開し、自己投資の時間をもっと確保せねばと思いを新たにするきっかけとなった。


いいことが色々書いてあるが、その中でも一番興味をひいたのは下記。

“Getting things down to routines and habits takes willpower at first but in the long run conserve will power,” says Baumeister. “Once things become habitual, they operate as automatic processes, which consume less willpower.”
何かを習慣化したり、決まった手順におとすことは、始めは強い意志の力が必要となりますが、長い目で見ると負担は逆に軽減されます。一度、習慣化し、決まった手続きとしてながれるようになれば、それを実施する時に求められる意思の力はぐっと減ります。
http://www.amazon.com/dp/B007K3E2YK/

物事を習慣化することの効用を「負荷の軽減」という視点でとらえていることが私には新しかった。習慣化の利点を私は「継続」という点でしかみていなかったが、筆者がいうとおり、一度習慣化してしまえば、その負荷は確かに格段に減る。本文では歯磨きが例にとられている。食事の後に洗面所に行き、歯を磨くというのは、それなりの負担ではあるが、一度習慣となってしまえば、初めほどの負荷はないし、むしろしないことに違和感を感じるようになるものだ。
筆者は習慣化まで持って行くことが、とにかく大事であり、そのために最初はハードルを下げるとか、進捗を可視化するとか、自分に多めにご褒美をあげるとか、いくつかのアイデアが共有されており、参考になる。


一方で、習慣化というのは純粋に善であるかというと、実はそうではなく功罪もある。その点については、最近読んだGuy Kawasakiの"Enchantment"で下記のようにふれられており示唆に富む。

Enchantment: The Art of Changing Hearts, Minds and Actions

Enchantment: The Art of Changing Hearts, Minds and Actions

Most of the time, habits simplify life and enable fast, safe, and good decision. But they can also prevent the adoption of a new idea that challenges the status quo.
ほとんどの場合は、習慣は日々の暮らしをよりシンプルにすると共に、迅速で、手堅く、妥当な選択をとることを容易にする。しかし、一方で現状を打開するような新しいアイデアを採用する上での阻害要因となりうる点も見逃せない。

一度習慣として取り込まれてしまうと、その習慣がうまく機能しなくなり、見直す必要が出た場合でも、なかなかやめることができない、というのがGuy Kawasakiのポイント。これは企業の業務プロセスによく起きがちな話で、「なんでこんなことやっているのか」と聞くと、前にいた人から引き継いだから以外に理由がないということはよくある。
我が身を振り返ってみても、週末なんとなく家族と買い物に出かけるとか、長く読んでいるからというだけの理由であんまり面白くないブログを読んだり、あまり効果のない定例会への参加など習慣として染みついた無駄というのは結構あるものだ。


習慣というのは内容次第でプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。また、プラスに働いていた習慣が、状況が変わりマイナスに転じることもある。こう考えると、習慣として続けること、現在の習慣であるが見直すべきこと、習慣として生活に新たに取り込むことを決めることは自己管理を考える時に中心にすえるべき重要なテーマのように思える。
時間、意思の力などの自分の有限性と、善なる習慣をマッピングする、月に一度はそういう検討をすることにしよう(早朝に・・・)。

新卒で入った会社を2−3年で辞める前に考えるべきこと

先日、会社の若者から転職について相談をうけた。今年入社3年目のうちの会社では珍しい新卒組。色々話を聞いてみると、どうも危なっかしい。転職候補の会社が危なっかしいというのではなく、転職時に考慮すべき事項がきちんと検討、評価されていないのではないかという危なっかしさ。キャリアは自分の選択の積み重ねなので、新卒入社3年目であっても、転職先を本人が決めたのなら、それについて周囲がどうこういう話でもない(と、私は考える)。ただ、転職前に考慮すべき事項を考慮してないという状況については、先輩として「もうちょっとこういうことも考えておきなさいよ」と助言しても良いのではないかと感じ、思いつくままにいくつかのポイントをアドバイスした。キャリアの長い人の考慮事項と異なる点もあり、私としても新たな発見があったので、今までのエントリーとかぶる部分もあるが、まとめてみたい。

片道切符か、往復切符か

「今勤めている会社と同じ業界、同規模の会社に再度戻ってくることできそうか?」という問いへの答がYesなら往復切符、Noなら片道切符。往復切符なら、今回の転職がうまくいかなかったとしてもリスクはそれほど高くないが、片道切符なら将来の選択肢が大幅に狭まることになる。既に手に職がついており、自らの専門性で食っていける実力が備わっていれば、あまり片道、往復にこだわる必要はないが、まだそれほどの専門性がない場合はその切符が片道か、往復かはちゃんと理解した上で判断した方がよい
善し悪しは別にして、伝統的な大企業から新興の中小企業への転職はしやすいが、その逆は難しい。手に職がなければなおさらだ。大企業がいいなんて言う気はさらさらないが、中小企業で学べず、大企業でこそ学べることもある。自分の切符が片道なら、本当に「いま」がそれを使って旅立つ時か否か、もう1-2年転職を遅らせることにより失うモノ何か、ということを考えた方がよい。
私も従業員が数万人の会社から60人の会社に転職したが、人生の先輩方に相談した際に「お前、それは片道切符だぞ、そんなに急ぐ必要が何故ある?」とさんざん諭された(まぁ、それでも飛び出しちゃったし、選択として正しかったと思っているが・・・)。

「早すぎる最適化」になっていないか

「好きを貫け」、「喜んで週末働きたくなるような仕事を選べ」、「There is no reason not to follow your heart.」とか、色々言われている。そういうことを聞き、「今の自分の仕事は本当にやりたいことではないのではないか」とか、「この業界は自分に向いていないのではないか」とか、若者が色々思い悩むのもよくわかるし、それ自体は悪いことではない。入社2−3年もしてくると苦労も多くなり、手詰まり感を感じ始め、他の仕事、業界に目移りする時期でもある。ただ、今の会社がつまらなく思え、外の機会に対する期待感が膨らみ、「自分はもっとやりたいことがある」という思いが大きくなった時、それが「早すぎる最適化」ではないか自問して欲しい
「やりたいことを追い求め、キャリアのゴールに一直線に進む」というのは聞こえはいいが、そのゴールが正しいのか、また一直線に思えている道が本当にそうなのか見極めることが重要で、そのために入社2−3年の経験というのは結構心もとない。とりうるオプションが沢山あり、自分の可能性に一定のあたりがつくと、最適化をしやすくなるが、限られた選択肢の中で、自分が何者かよくわからない状況で、最適化を試みるのはキャリアにおいては博打的要素が強く、将来の選択肢を単に狭めるリスクがあることを認識しておいた方が良い。
ゴールにフォーカスして前に突き進むか、最適化を急がず選択肢を広げるべく踊り場に留まるか、というのはキャリア形成において大事な意思決定事項だ。今自分がどちら局面にいるのかを見極めた上で判断して欲しい。

ジョブホッパーになるリスク

一つの会社での在籍期間が短く、転職経験の多い人のことをジョブホッパーという。中途面接の際に履歴書を見て、2−3年で転職を繰り返し、勤めた会社の数が4社以上だと「あぁ、ジョブホッパーだな」と思う。ジョブホッパーというのは、中途面接ではかなり嫌われる。複数の会社で働いた幅広い経験が高く評価されることはあまりなく、「どこの会社でも高く評価されることはなかった人」とか、「しんどい局面でそれを打破する踏ん張りのきかない人」というような眼鏡で見られることが多く、ならなくて済むならそれに越したことはない。
新卒として入った会社を2−3年で辞めるということは、ジョブホッパーにリーチがかかると言っても過言ではない。次の会社が自分にとっていい会社であればよいが、2−3年して再び転職をするような事態になると、ジョブホッピングのスパイラルに入ることになる。「履歴書が汚れる」という表現があるが、履歴書はきれいにこしたことはない(特に手に職がつくまでは)。今回の転職がそういうリスクを犯しても決断すべき魅力あるものか、十分に評価した方が良い。

色々な人の意見を聞く

キャリア形成に答えや王道はない。上記であげたことだって、当てはまる人もいれば、当てはまらない人だっているので参考情報にすぎない。答えや王道のない意思決定事項をを限られた経験の中で正しくするために、色々な人の意見やキャリア観に多く触れることは死活的に重要だ。実際に多くの人の意見を聞けば、実に多様な考え方があることがわかる。同期や友人だけでなく、キャリアを長く積んでいる人に是非意見を求めて欲しい。
また、そうやって人に意見を求める過程で、自分の現在のステータスや考え方を披露することで、くしょっとした自分の考えが整理され、まとまっていく点も重要なことだ。反対意見や自分の見解が論破されることを恐れず、そして「最後に決めるのは自分」という強い決意を持って多くの人と会って欲しい。

最後に

こうやって考慮事項をあれやこれや書くと、私が新卒ではいった会社を2−3年で辞めることを推奨していないように見えるかもしれないが、決してそんなことはないことを最後に強調したい。というのも、私の知人の中で2−3年で会社を辞め、明らかにその判断がその後のキャリア形成上、正解であった人は何人もいる。また、1年すら在籍する価値のない会社もこの世の中に残念ながら多く存在することも事実だ。本エントリーで強調したかったのは、キャリアについての大事な判断をする前に、きちんと考えるべきことは考えた上で、熟慮断行しましょう、ということだ。本エントリーを読んだ人の中に、正にその渦中の人もいるかもしれない。そういった方々に少しでも参考になれば幸いである。

『北方領土交渉秘録 失われた五度の機会』 次世代の外交官へのエール

北方領土交渉秘録―失われた五度の機会 (新潮文庫)

北方領土交渉秘録―失われた五度の機会 (新潮文庫)

元外交官東郷和彦による北方領土交渉の歴史を綴った文庫本にして548ページの大作。今年は50冊程度本を読んだが(書評はサボって書いていないが、、、)、本書は間違いなくその中のベスト3に入る。これだけの分量があると、前段の長さに苦しんだり、途中で間延びしたり、クライマックスの盛り上がりを受け切る「締め」がなされず読後感が悪かったりするものだが、本書はそのどれにも属さない。冒頭から結末まで渾然一体としたストーリーとして仕上げられており、史実を記した歴史資料としてはもちろんのこと、読み物としても秀逸である。


東西冷戦後の日ソ(露)の北方領土交渉が本書のテーマであるが、その内容を理解するためには外交、政治、北方領土についてのそれなりの予備知識が必要となる。私のような不勉強の者は、往々にして予備知識の説明の段階で大いに苦戦をしいられるが、本書には簡潔明瞭ながらも、懇切丁寧にわかりやすく問題の本質や予備知識が記載されており、無理なく読み進めることができる。完結にしてわかりやすい説明は、混み入った外交問題を政治家にブリーフィングする外務官僚としての筆者の経験の賜物だろう。また、間延びしないように物語性や読み応え感が常に維持されていることが、他書と一線を画する本書の特色の一つだ。本書全体の構成力からは、数々の日本の外交戦略を打ち立てた筆者の天性の戦略性を感じとることができる。


本書の読み応え感がどこからくるのか考えるに、交渉に関わった当事者のみがだせる生々しさという点がまず頭に浮かぶ。筆者は自らが参加したいくつかの首脳会談の様子を本書で描いているが、国のトップ同士の熾烈な交渉の様子がひしひしと伝わり、その場の息吹まで感じられるようである。本書のクライマックスは、5度目の機会の扉であるシベリア・イルクーツク日ロ首脳会談だが、本を読みながらも正に手に汗を握る緊迫感が伝わってくる。また、ロシアとの激しい交渉だけでなく、時として国家首脳同士間の友情あふれるシーンも温かみをもって描かれており、本書の物語性を強めている。第10章の「橋本・エリツィンの電話会議」は相互の信頼が交渉の基盤になるという筆者の論を裏付けるようなエピソードで、橋本龍太郎元総理とエリツィン大統領の友情が感動を誘う。


また、当事者の視点のみならず、鳥瞰的な高い視座をもって個々の事象が語られていることも、本書の読み応えの源の一つだ。交渉の中心人物として血のにじむような努力をもって扉を徐々にこじ開けていく様を描きながら、その扉が抗うことのできない時代のうねりによりまた閉ざされてしまう様子を後世の人間が歴史を語るような視点で描かれている。自分が関わったことの歴史的な位置付けを現時点でのベストエフォートで定義づけようという取り組みに筆者の見識の深さを感じる。


本書の読み応えの理由として、当事者ならではの臨場感、歴史的な位置付けに立ち戻る高い視座という2点をあげた。だが、それらの基盤となっているのは、「よりよい未来を次の世代に引き継ぎたい」、「そのために、自分が先人から受け継いだもの、そして自分自身が外交の仕事を通してえたものを後世に伝えたい」という筆者の強烈な信念であることを最後に強調したい。一般国民が知りえない外交機密にまで踏み込んで、本書を書いたのは、幅広い日本国民に北方領土問題の現状を理解してもらいたいからだけではなく、次世代を担う外交官へ筆者がエールを送りたいからだと私は思う。北方領土交渉の経緯を500ページに渡り綴り、本書は下記のように締めくくられる(最後を読みたくないという方はここで読むのをやめましょう)。

外交の最前線で、これからの日ロ関係を担っていく外務省の人たち、特に私が会ったことのない若い人たちには、交渉の最終局面で外交官が直面せざるを得ない厳しい現実について、正確な認識と理解を持って欲しい。
交渉がぎりぎりの局面に来たときに、場合によっては自分一人にしか見えない相手国の現実が見えてきたときにも、その現実から視界を放擲することなく、その時点で実現可能な施策を立案し、献策する勇気を持って欲しい。
外交の本旨は、国家と国民の利益のために貢献することにある。
変化する現実の中で国家と国民の利益に最も応えると信ずる施策を立案し、その実現のためにたゆまぬ努力を続けていくことが、国民の前に、職業としての外交の意義を示すこととなる。
北方領土交渉秘録』 〜エピローグ P.504〜

自ら取り組んだ交渉の過程をつぶさに晒し、若い外交官に背中を見せつつ、腐り切った外務省の中でも、理想を失わず、外交官としての本分を全うすべく頑張れ、という熱いエールが送られている。
外交官ならずとも、後進に伝えたいと思う腹に落ちた何かが一つでもある職業人であれば、プロフェッショナルとして何かを残そうという筆者の強い信念に、そして危険を冒しながらも最高のエールを若い外交官に送る筆者の姿に胸を打たれるはずだ。
大作で大変読み応えのある本ではあるが、できる限り多くの方に本書を手にとって欲しい。

飛行機の中での読書

諸般の事情でドミニカに行く機会に恵まれた。往復で50時間以上にもおよぶ移動。普段出張で海外に行く際は、意気込んで本を4〜5冊もっていくのだが、仕事をしたり、飲酒をしたり、映画をみたり、居眠りをしたりで、当初の目論見以上に本を読むことはない。ただ、今回はさすがに移動時間が長かったので、持っていった本はほぼ読むことができた。今回の旅行で読んだ本を紹介したい。

『凍』

凍 (新潮文庫)

凍 (新潮文庫)

登山家山野井泰史・妙子夫妻がギャチュンカン(7952メートル)北壁に挑む様を描いたノンフィクション。購入後読みたい誘惑にかられつつも、今回の長時間のフライトのためにキープ(その面白さに一気に読了してしまったため、あまり時間つぶしにはならなかったが、、、)。数ある沢木耕太郎のノンフィクションの中で間違いなくベスト3にはいる名作。本能に突き動かされながら危険な山に挑む登山家の生き様、名声を追わずストイックに自分の登山に対する美学を貫く山野井氏のプロフェッショナリズム、そして吹雪が吹き荒れる断崖絶壁における壮絶な自然との戦い、など読みどころが多く、そこで描かれる世界に没入してしまう魅力がある。是非、多くの方に読んで頂きたい名著。

『血の味』(ネタバレあり)

血の味 (新潮文庫)

血の味 (新潮文庫)

ノンフィクション作家沢木耕太郎による初の長編小説。17歳の若さで浅沼稲次郎を殺害し、自ら獄中で自殺をする山口二矢を描いた『テロルの決算』、先の長くない父親の生きた軌跡を追い、父親を理解しようとする『無名』、などいくつかの沢木作品とテーマ、題材をオーバーラップさせながら死生観を問う一冊。主人公が父親を殺したのは何故か、父親があえて殺されたのか何か、父親があきらめた「あそこ」とは何か、など色々な解釈ができるが私自身まだすっきりした解釈がない。少し時間をおいて再度読んでみたい一冊。

『燃ゆるとき』

燃ゆるとき (角川文庫)

燃ゆるとき (角川文庫)

長時間のフライトには高杉良経済小説を携えるようにしている。物語性が強く読み進めやすいためワインなどを舐めながら読むのに丁度良いし、仕事人として心に残るようなシーンも時としてあり、勉強にもなる。本書の主人公は、「マルちゃん 赤いきつね」でお馴染みの東洋水産の創業者森和夫氏。築地の魚屋のオヤジとして会社を立ち上げ、常に顧客、従業員に真摯に向き合い、猛烈に働き、東洋水産を一部上場企業まで大きくした軌跡が画かれており、一言で言えば「痛快」な本である。売上、利益をひたすら追求するのではなく、無骨、不器用に顧客・従業員と真正面から向き合う森氏の一貫した姿勢に心を打たれる。色々な読みどころがあるが、三井物産資本力にものをいわせた卑劣な迫害との戦いは読み応えがある。サラリーマン根性丸出しの総合商社の口銭ビジネス醜さがうまく描かれており、商社マンには自戒の念を込めて是非読んでいただきたい一冊である。

『青年社長 上・下』

青年社長〈上〉 (角川文庫)

青年社長〈上〉 (角川文庫)

青年社長〈下〉 (角川文庫)

青年社長〈下〉 (角川文庫)

またまた高杉良ワタミフードサービス渡邉美樹氏の物語。渡邉氏自身は依然として現役ばりばりなので、小説化するには少し早いのではないか、という印象ももったが、佐川急便のドライバーとして創業資金を集めるところからスタートし、和民を全国展開するに至るまでの軌跡はなかなか興味深く読める。渡邉氏というと、その一本気な性格故に、結構好き嫌いが分かれるというのが私の印象だが、本書はそういうところも含めてうまく描かれていると思う。こてこての努力したが故のサクセスストーリーが展開されるだけでなく、お好み焼き屋の味を盗むために素性を隠してスパイ紛いにバイトとして社員を潜入させたり、日清製粉から投資をしてもらうため「さくら」を店舗に配置したり、首をかしげるような姑息な手段を悪気なく遂行する様もあわせて描かれており、外連味があるようで、ない点が何とも「らしさ」を感じる。
『燃ゆるとき』は、筆者が「自分はそんな大層な人間ではない」という森和夫氏に何度も頼み込み、小説化にいたったようだが、この『青年社長』はその逆なんではないかという邪推が思わずわいてしまう。

『料理人』

料理人 (ハヤカワ文庫 NV 11)

料理人 (ハヤカワ文庫 NV 11)

超一流の腕を持った、黒ずくめの不気味な“料理人”コンラッドが、ヒル家のコックとして雇われる。料理を中心に起こる田舎町コブでの奇想天外な物語。私は料理が好きなので、たまには料理をモチーフにした小説でも読んでみるかと手に取ってみた。題材が料理だけにそれなりに楽しく読めたが、料理の描写が粗かったり、フィクションならではの荒唐無稽感があり。あまり好むところではなかった。料理に関わる文庫本なら壇一雄『檀流クッキング』とか、『美味放浪記』とか、『わが百味真髄』とかのほうがずっと面白い。

『チェンジ・リーダーの条件』

今回もっていった唯一のビジネス書。「チェンジ・リーダー」というタイトルから変革を促すリーダーについてのトピックが多いかと思いきや、どちらかというとマネジメント全般に対するドラッガーの著作からの抜粋がメイン。見落としがち、忘れがちな原理原則が一貫して記載されており、やはり勉強になる。扱うトピックは幅広く、「NPOは企業に何を教えるか」という章は特に興味深く読めた。

一流のNPOは、顧客をさがすためだけでなく、自分たちがどの程度成功しているかを知るために、外の世界に目を向ける。使命を明かにすることによって、外の世界への認識も深まる。そもそもNPOには、大義に満足し、よき意図をもって成果に代える傾向がある。したがって、成果をあげて成功するには、いかなる変化を外の世界に起こすことを自らの成果とするかを明かにし、そこに焦点を合わせなければならない。
『チェンジ・リーダーの条件』 4章 NPOは企業に何を教えるか P.66

という点など、NPOの経営に関わる人は全て肝に命じるべき金言と思う。
なお、隣の席には積ん読状態だったドラッガーの『非営利組織の経営』を書架から引っ張りだしページを手繰るNPOで働く妻。一ページ手繰ったところで、静かに寝息をたて、眠りの世界へ。まずは、「4章 NPOは企業に何を教えるか」あたりからさらっと読むことを勧めることにしよう。

書評『一瞬の夏』

その面白さに、むりやり時間や場所を見つけて読み進める本にたまに出会う。年に2〜3冊だろうか。『一瞬の夏』は私の中で間違いなくそのレベルに到達する秀逸な読み物である。

一瞬の夏 (上) (新潮文庫)

一瞬の夏 (上) (新潮文庫)

一瞬の夏 (下) (新潮文庫)

一瞬の夏 (下) (新潮文庫)

カシアス内藤というピークの過ぎたボクサーが、ボクシングへの情熱を捨てきれず、世界チャンピオンにチャレンジする軌跡を描いているスポーツ・ノンフィクション、というのが本書の一側面。黙々と練習に打ち込むカシアス内藤の汗と息吹、試合前リングに向かう際のはりつめた緊張感、リングの上で熾烈なパンチの応酬を繰り広げるボクサーの迫力、読みながらそういったことがひしひしと伝わり、頭の中にありありとその映像が浮かび上がってくるような感覚を覚え、文庫で800ページを越える長編であるが、一気に読了できた。


カシアス内藤にスポットライトをあてたスポーツ・ノンフィクションとしてだけ読んでも十分に楽しめるが、実は本書には主人公がもう一人いるところがポイントだ。そのもう一人の主人公とは「私」として本書に登場する沢木耕太郎自身。沢木耕太郎のノンフィクション作家としての魅力は、描く対象に「ここまでやるか?」と思わせる程没頭するところだと思うが、本書においてもその魅力が発揮されている。カシアス内藤のプロモータとして私財を投じ、悪戦苦闘しながら東洋タイトル戦のマッチ・メイキングをしていく様はそれだけでもう一つのドラマとして成立する魅力がある。


本書が面白いのは、カシアス内藤のボクサーとしての強さではなく、弱さにフォーカスがあたっている点だろう。才能あふれ、ただひたすら強いスーパースターではなく、読んでいる側が歯がゆくなるようなその内面の弱さと葛藤が描かれている。

私は、イスファハンの電気屋の店先で、アリがアリでありつづける力の淵源を見たように思った。それは過剰なほど自己を信じる能力とでもいうべきものだった。そして、それこそが内藤に欠けていた最も大切なものではなかったか。私はイスファハンの街をやみくもに歩きながら、ある口惜しさと共にそんなことをいつまでも考えていた・・・。
『一瞬の夏』 〜ニューオリンズの戦い P.203〜

才能はあるのに、「自己を信じる能力」が足りずに、それが故に常にどこかに逃げ道を用意する生身のカシアス内藤への口惜しさと苛立ち。そういった面を見事に「私」が描ききっているのは、当事者として「私」が関わっていたからであると共に、「私」自身が同様の弱さと葛藤をかかえているからでもある。カシアス内藤に対し苛立ちつつも、実はそれはカシアス内藤に自己を投影しているだけであり、「私」自身に対する苛立ちでもある。作家とボクサーという正反対ともいうべき職業につき、ただ互いにその職業が天職がどうかに確信が持ちきれないという、共通の葛藤をもつカシアス内藤と「私」。そんな歯痒さが下記のように表現されるが、それは自分自身も含め多くの人にとって他人事ではないはずだ。

だが、カシアス内藤が人を殴ることでしか自己を実現できないことに戸惑っていたように、私もまた人を描くことでしか自己を実現できないことに苛立っていたのは確かだった。しかも私には、文章を書いて喰うための金を得る、という自分の仕事への深い違和感があった。それが自分の真の仕事だとはどうしても思えなかったのだ。人は誰でもそのような思いを抱きつつ、結局はダラダラとその仕事を続けて生きていく。そうと理解はしていても、この仕事が偽物なのではないかという思いは抜けなかった。私は、ジャーナリズムと言うリングの中で、やはり戸惑いながらルポタージュを書いている、四回戦ボーイのようなものだった。
『一瞬の夏』 〜交錯 P.139、140〜


ページをめくる手がとまらなくなるような物語としての面白さがありつつ、他人事とは思えないような29歳(当時のカシアス内藤)、30歳(当時の沢木耕太郎)の葛藤がプロの作家の表現力で描かれていたりして、読めば読む程、心に響く色々なポイントが見えてくる。沢木耕太郎は『深夜特急』しか読んだことない、という方も多いと思うが(私が今までそうだっただけだが・・・)、本書も非常に面白いので是非手にとって頂きたい。

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