Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

ロバート・ルービンの境地

梅田さんのBlogをみて、面白そうだったので私も『ルービン回顧録』を読んでみた。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050821/p1
以下は読後の感想。

ルービン回顧録

ルービン回顧録

数え切れないほどの対立する考え方がある場合、できる範囲で最良の決定にたどり着くのに最も重要なのは、それらをすべて見きわめ、それぞれどんな勝算と重要性があるかを判断すること、つまり蓋然的意思決定を行うことだ
『ルービン回顧録』 〜第一章 P.19〜

「建国以来、史上最も有能かつ重要な財務長官」とまでの評価を受けた第70代米財務長官ロバート・ルービン氏の回顧録を読んだ。アジア経済危機などの国際経済危機をどのような経済政策で切り抜けたのかが、当事者ならではだせる臨場感溢れた形で綴られる一方、それらの問題の複雑さゆえ、「蓋然的思考」とそれに基づく意思決定を徹底するルービン氏の「格好よさ」が際立つ。

その蓋然的アプローチ徹底振りに舌を巻き、刺激を受ける一方で、内容を読めば読むほど、それを支えているのは、最善の結果を得る決定を下すまでの「労を惜しまぬ緻密な分析」と絶対的な真実がない世界で最良の決定を下さなければならないという必要に迫られた中で「磨きぬいた判断能力」であるということを痛感した。

メキシコ経済危機に際し、財務省で昼夜を問わず、その対応を検討するというシーンがでてくる。問題点や疑問点を徹底的に洗い出し、議論をしつくすという財務省におけるミーティングスタイル、及びルービン氏の徹底ぶりが下記のエピソードからもよく伝わっている。

ミーティングが最もよい結果を生むのは、受け入れられている意見に反対するメンバーがきちんと発言できるような場合だ。そこで、意見が一致しなそうになると、私は必ず反対意見を求めた。私に反対意見を唱えることは、斥けられるのではなく、逆によしとされた。誰も異論を出さない場合は、あえて反対意見を述べるように誰かを促した。「この方向に進んでいるのはそのとおりだが、反対の立場も知っておき、検討したほうがいい」というようなことを言い、私自信か誰かが反対意見を述べる。
『ルービン回顧録』 〜第一章 P.36〜

ルービン氏は、モデル/理論は分析などをする上で、有益な手段であり、意思決定に役立つ情報を与えてくれることを認めつつ、現実世界は非常に高度なモデル/理論をもってしても分析できないほど複雑なものであると、その限界もしっかり認識をしている。そして、そんな高度なモデルや理論をもってしても正しい答えがえられない不確実な世界で正しい判断をしていくためには、結局のところ自己研鑽をかさねていくしかないというスタンスを貫いているが、下記のハーバード大学時代の話からもそれがよくうかがえる。

デモス教授は証明可能な確実性があるというプラントらの哲学者を尊敬していたが、私たちに教えたのは、人の意見や解釈はつねに改訂され、さらに発展するという見解だった。教授はプラントなど哲学者の思想を取り上げて、いかなる命題でも最終的あるいは究極的な意味で真実だと証明することは不可能である、と説き明かしていった。私たちには、分析の論理を理解するだけでなく、その体系が仮説、前提、所見に拠っている点を探し出すことが求められた
・・・<中略>デモス教授に学んだアプローチを私はよく次のように要約する。「証明可能な絶対的なものはない」。・・・<中略>あとになって思えば、主張や命題を額面どおり受け取らないこと、見聞したことは逐一、探求と懐疑の精神に従って評価することこそ、大学で得た最も重要な収穫だったと言える。しかしデモス教授が種をまき、ハーバードが育てた成果は、懐疑主義にとどまらなかった。絶対的な意味で何も証明できないという概念いったん自分の心に取り込むと、人生をそれだけますます確率、選択、バランスで考えるようになる。証明可能な真実がない世界で、後に残る蓋然性をいっそう精密にするためには、より多くの知識と理解を身につけるしかない
『ルービン回顧録』 〜第二章 P.84〜

「蓋然的思考」というのは有効な思考方法であり、日々の仕事をしていく上での参考にはなるが、全てを解決してくれる「魔法の杖」ではないことが本書を読み、よくわかった(当然だが・・・)。むしろ、その考えを受け入れることは、知識・判断力・経験・勘といった自身の能力を一層みがかずにはいられない(逆にそう感じないのであれば、考えを受け入れていることにはならない)という「いばらの道」への第一歩なのではというような印象すらおぼえた。その一方で、「建国以来、史上最も有能かつ重要な財務長官」と言われた人間であっても、もって生まれた才能ではなく、地道な努力と苦悩を重ねながら、その境地に達しているのだという現実に勇気づけられもする。

レビーは迷信深いことで知られていた。「幸運」のコインがポケットでじゃらじゃら行っているからと、トレーディングルームにはいってくるのを見かけることもあった。口ぐせのひとつは「賢いより運がいいほうがいい」だったが、実際、運に頼っていたわけではない。
『ルービン回顧録』 〜第二章 P.107〜

ゴールドマンサックス時代の振り返り、上司レビーのエピソードを上記のように語っている。努力と労力を重ね、これ以上ないくらいまでに蓋然性を精密化した者のみ上記のような心境に達するのであろう。頑張らなくては・・・と思う。

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