Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』 市場経済という現代の宗教と見えざる手の裏側

「(神の)見えざる手」という言葉は、経済学に明るくない人でも聞いたことがあるのではないだろうか。市場経済において、各個人が自分の利益を追求すれば、結果としてあたかも神様の手によってなされるかのうように、最適な資源配分が実現される、という例の奴だ。

資本主義や市場経済の考え方は、思想としてはキリスト教やイスラム教以上に世界中に普及し、現代社会で最も多くの人が信じている宗教と言っても過言ではない。その現代の宗教において「(神の)見えざる手」という考え方は、聖典に記された原理として位置づけることができる。

この思想はアダム・スミスの『国富論』で語られたことも有名だ。そして、そのアダム・スミスを名指しをして『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』というキャッチーなタイトルの本を上梓したのは、スウェーデン人のジャーナリストのカトリーン・マルサル。2015年に出版されて以降、25ヶ国語以上の言語に翻訳され、世界中で出版されているフェミニスト経済学におけるベストセラーだ。

 

アダム・スミスは「我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えて行動しているからだ」というようなことを国富論で述べている。それに対して筆者は「お前さんが夕食を食べることができたは、お前さんのお母さんが食事を用意してくれたからだよ。そして、当のお母さんは決して彼女の利益を追求したわけではなく、独身の息子を思いやっているだけなんだよ。」とアダム・スミスの「肉屋・酒屋・パン屋の自己利益追求論」を一刀両断に否定する。

 

本書では、「経済人(原書ではHomo Economics)」という言葉がでてくる。「完全情報を持ち、自己の利益の追求が行動原理」という経済学の主人公のことを筆者は本書でこのような言葉で揶揄している(ように私には見える)。「Homo Economicsが自己利益を追求すれば、最適な資源分配がなされる」なんて馬鹿なことを言ってはいけない、というのが彼女の主張だ。Homo Economicsが自由な経済活動と利益の飽くなき追求という利己的行動を謳歌できるのは、外の世界で経済学の勘定に入らない家事労働を強いられたり、思いやりを求められたりする女性がいたからであり、「Homo Economicsに自己利益追求」というのは経済学が蓋をしている、そういったもう一つの世界がなければ決して成り立たない、というのが本書のメインの主張だ。

 

色々な事例が本書ではこれでもかとばかりに紹介されるが、一番私が腹落ちしたのはフィリピンのGDPの話だ。どういう話かというと

  • 一般的に家事労働というのはGDPには算入されない
  • 一方で、フィリピンは出稼ぎがGDPにおいて8から10%を占め、その内の少なくない割合はシンガポールや香港などの周辺国での家事労働である
  • 同じ家事労働でも、国のGDPに生産活動として算入されるケースもあるのに、その多くが算入されないのは不合理ではないのか

という指摘。モデルの単純化のために切り捨てられたのか、経済学者のご都合主義かはわからないが、GDPから切り捨てられた家事労働に焦点をあてる面白い指摘だと思う。もう少し卑近な例で言えば、お掃除ロボットルンバの売上はGDPに入るが、ルンバ購入前の家事労働はGDPには入らない、というのと同じことか。一般家庭の家事労働が1日あたり5時間程度として、時給を3千円と考えれば、1ヶ月45万円、1年間540万という確かに少なくない金額となる。

 

伝統的な宗教でもイスラムフェミニズムやフェミニスト神学のようにクルアーンや聖書の伝統的な教えを再解釈し、より男女平等の考えを導入する(例えば、イマームや牧師を女性が務めるなど)などの動きが進んでいる。現代最も普及した宗教である市場経済の考え方にこの流れが起きても全く不思議ではないし、むしろクルアーンや聖書の再解釈よりも進みやすいだろう。こんなタイトルをつける気鋭のジャーナリストらしく、文章も皮肉とユーモアたっぷりで、楽しみながら読める構成になっている。興味を持った方は是非手にとって頂きたい。

 

蛇足ながら1点だけ付け加えると、アダム・スミスは『国富論』と『道徳感情論』という2つの著作を記しており、『道徳感情論』のほうがより力を入れて書かれている節もある。「見えざる手」というパワーワードのお陰で「経済学の父」という位置にまで祀られているが、本書でも指摘されている通り「見えざる手」という言葉を彼が『国富論』で使ったのはたったの一度だけである。本人も後世から「経済学の父」とまで言われていることにきっと、「俺、哲学者なんだけど」と驚いているのではないだろうか。そういう背景から、生涯独身でおかんの面倒を見てもらっていたという私生活を暴露された上で、スケープゴートにされたのは気の毒この上ない。有名人は大変だな。

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