Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『調理場という戦場』 斉須正雄氏のプロフェッショナルとしての矜持

「仕事論」というのはビジネス書の中でも人気ジャンルだ。私も多くの「仕事論」の本を読んできて、今の自分の血となり骨となった本も多い。それらの本の著者を思い返してみるとビジネスパーソンや経営者が殆どだ。やはり、自分と近い分野で働いている方の「仕事論」というのは、わかりやすいし、直接利用可能な考え方が紹介されている場合が多い。

 

しかし、「仕事論」の本というのは、内容が似たものが少なくない。勿論、それぞれの本ごとに個性はあるのだが、ある量を読むとどうしても「どこかできいたことがある話」が多くなってくる。また、書いている方の職業がビジネスパーソンと経営者に偏っているので、内容がかぶりがちだ。なので、数冊読むと「ま、もういいかな」という感じになり、ここ数年そういう本は読んでこなかった。

 

本日紹介する『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須正雄の仕事論』は、そんな私が久し振りに手にとった「仕事論」本だ。

「コート・ドール」という三田にある日本を代表するフレンチのオーナーシェフである筆者。若い頃にフランスに渡り、戦場のような調理場を渡り歩き、日本のフレンチの匠と言われるまでに登り詰めた。「フレンチの匠」というと、芸能人気取りでテレビやマスコミへの露出度の高いイメージが何となくあったが、斉須氏は徹底した現場主義。マスコミの取材やテレビへの出演などのイレギュラーなことが入ると、調理に影響がおよぶため、全て断っていると言う。

 

本書は、フランスに単身わたった修業時代から、日本で「コート・ドール」を立ち上げ、軌道にのせて、日本一の名店と呼ばれるまでの軌跡が描かれている。淡々としながらも熱量の高い言葉に溢れており、日々真剣勝負で仕事に対峙するプロフェッショナルとしての凄みを感じる。勿論、筆者はレストランオーナーであり、経営者であるわけだが、その心意気はいつもその日のお客様のために真摯に皿に向き合う一料理人としてのもので、その誠実な人柄が行間から伝わってくる。

 

アイデアを思いつくことはとても大切ですが、そこからがリーダーの仕事になるのです。アイデアが一だとしたら、そのアイデアが使えるか使えないか見わけることに一〇ぐらいの力がいるような気がします。

そして、最も大切な「アイデアを実用化できる生産ラインを作ること」には、一〇〇ぐらいの力を必要とすると感じています。
アイデアは、実用化なしでは生きられない。

やれたかもしれないことと、やり抜いたことのあいだには、大河が流れている。

『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須正雄の仕事論』

筆者は、新しいメニューを考案する際に、既存の手法やセオリーに囚われない自由な発想を大事にしつつも、チームでその料理を提供できることを一番重視している。戦場のように忙しい調理場で、他の料理を並行して作りながら、その新しい料理も責任をもって作ることができるかどうかが鍵だという。どんなに美味しい料理でも、他のことをすべて放っぽりださないとできない料理は単なるシェフの自己満足だと一刀両断する。スタッフが力をあわせれば無理なく生産できるライン作りまでが、クリエイターの仕事である、という筆者の姿勢にその仕事への誠実さを垣間見た。上の思いつきのアイデアで振り回されて悪戦苦闘する日々を送る会社員は、その清涼感に心を洗われることだろう。

 

12年間のフランス修行をおえて、自分の店の評判を日本一の名店とまで高めても、筆者は浮き足立つことは一切ない。スピードレースに興じず、自分のできることとやるべきことを一つ一つこなして、地道に前に進むことの大切さを「幸運」という言葉を使って筆者は下記のように表現する。

「これは、夢のような幸運だ」と思っているうちは、その幸運を享受できるだけの力が本人に備わっていない頃だと思うんですよ。幸運が転がってきた時に「あぁ、来た」と平常心で拾える時には、その幸運を掴める程度の実力が宿っていると言えるのではないでしょうか。

『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須正雄の仕事論』

日本一と言われながらも、地に足をつけて、その日来てくれたお客様に最高のおもてなしを提供することに注力する筆者。地道に困難を乗り越えながら、転がってくるべくしてころがってきた「幸運」を淡々活かしながら、今に到達したプロフェッショナルの格好よさが光る。

 

本書は、一料理人としての筆者の矜持に満ちている。一般的な「仕事論」の本に食傷気味な人、少し違った角度から自分の仕事の姿勢を見直しみたい人、プロフェッショナルの物語に浸るのんびりとした読書体験を楽しみたい人、そんな方々に是非おすすめしたい一冊だ。

 

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