Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』 猿にマシンガン

「保育園に預けた子供の迎えにいかなければならない、せめて夫に連絡させてほしい」

と懇願しても、◯◯◯は、

「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」

と迫ったという。

上記の文章の◯◯◯の中に漢字三文字を入れなさい、と聞かれたらどう答えるだろう。殆どの人は「誘拐犯」と答え、「夫に連絡させて欲しい」と懇願しているのは、誘拐された母親と思うのではないだろうか。驚くなかれ、ここに入る漢字三文字はなんと「検察官」である。

 

本日紹介する『無罪請負人』の著者は、刑事事件の弁護士として、堀江貴文、鈴木宗男、村木厚子、小澤一郎などのいわゆる「国策捜査」の弁護を担当した、弘中惇一郎氏。数々の冤罪で検察によって起訴された方たちの弁護人として、検察という大きな組織に立ち向かい、何度か無罪を勝ち取ってきた実績の持ち主だ。その筆者が弁護人の視点で、いくつかの自身が手掛けた案件を紹介しながら、検察の問題点並びに弁護士のあり方を問う力作だ。さすが弁護士という論理的な構成と具体的な刑事裁判の進行とが見事に噛み合い、一気に本書の引き込まれていった。

 

冒頭の引用に戻る。

「保育園に預けた子供の迎えにいかなければならない、せめて夫に連絡させてほしい」

と懇願しても、検察官は、

「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」

虚偽の供述を迫ったという。

以上が正確な引用となるが、これは小沢一郎の国策捜査で、議員秘書を押収品の返却と偽って検察が呼び出し、取調室に押し込んで10時間ほど拘束して取り調べを行った際のワンシーンだ。日本の刑事事件は検察の調書偏重なので、検察側のストーリーに従った罪を被疑者に無理やり自白させることが目的となることが多いという。被疑者は事実と異なる罪を自白することに当初は当然抵抗をする。だが、検察が言った通りに自白をしなければ勾留が続き、保釈が認められることもない。要するに「保釈になりたければ争うのをやめてすべて認めて楽になれ」、という「人質司法」なのだ。おまけに接見制限により社会や家族から隔絶し、時計も冷暖房もない部屋に押し込められて、取り調べは土日であろうが深夜であろうがお構いなしにされるという。

このようなやり方は一種の拷問であり、非人道的行為である。日本が批准している国際人権規約にも明らかに違反している。こうしたやり方が放置されている国は先進国では日本ぐらいしかなく、国連などから何度も是正と廃止の勧告を受けている。

検察なんてどこの国もこんなものなのかと思ったが、残念ながら人質・拷問が普通に行われているのは日本だけのようだ。国連の会議でも「日本の刑事司法は中世に近い」と悪評だという。

 

本書を読むと目を疑わんばかりの検察の行き過ぎがこれでもかとばかりに紹介されるが、何故未だに改善がされないのだろうか。これは、検察の人間が悪いというより仕組みの問題だろう。即ち公正な手続きが行われているかどうかを評価し、是正を勧告する組織が検察以外にない、というのが問題なのだ。長年同じ体制、同じ考え、同じ価値観で走り続けている組織に、自浄機能を求めるというのは無理筋だ。生物の細胞が自分の遺伝子を残すために分裂を繰り返すように、検察という組織も、現在の自分たちの遺伝子を残すために動物的に自己防衛を繰り返す、それはあたかも暴走するがん細胞のようではあるが、がん細胞ががん細胞を破壊できないように、今の検察が今の検察は壊すのは無理なのだ。

本来であれば政治家がその役割を担うべきなのだが、そういう改革を推し進めようという政治がいると、検察がその政治家を捕まえて有罪にしたてあげるため、震え上がって政治家も残念ながら触ることができない構図となっている。先日読んだ『金融庁戦記』に強い取り締まり権限を持った金融検査官を「猿にマシンガン」と揶揄する箇所があったが、「猿にマシンガン」という敬称は現在の東京地検特捜部にこそふさわしい。

 

自浄作用も働かないし、政治家もタッチできないし、さらに選挙で選ぶわけでもない検察をではどのように変えればよいのだろうか。難しい解決策なのは百も承知であるが、それは「民意」だと思う。本書で紹介されている小沢一郎の陸山会事件などは、概要を知るだけで小沢一郎を有罪にするなど無理筋であることは誰の目にも明らかだ。事実として裁判でも無罪の判決がでている。しかし、結果としては検察とマスコミに煽られて醸成された「あれだけ悪人面なんだから何か悪いことをしているに違いない」という民意によって、小沢一郎は失脚することになった。国民がもう少し関心を持ち、もう少し勉強をし、もう少し新聞やテレビなどのマスメディアのメッセージに注意を払うだけで、結果は大きく変わったであろう。

 

最近はYouTubeなどで様々なニュースメディアがでてきて、マスコミが発信するのとは違う角度のメッセージが沢山発信されており、非常に良い傾向であると思う。本書は、そういった新しいメディアの発信を理解するためにも非常に丁寧でわかりやすい刑事裁判の入門書であるため、手にとっていない方には強く勧めたい。また、最近出版された『生涯弁護人』も面白そうなので是非読んでみたい。

 

 

 

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