Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

日本の英語教育考 受動態の怪

娘が先日、日本の中2の模試を受けたところ、英語がまさかの70点代であった。娘は米国在住歴6年で、大学入試センター試験の読解問題は試験時間を半分ほど残し190点以上を取得し、今夏に初めて受けたTOEICも900点台半ばという高得点で、英語は相当できる。元々本が好きなこともあり、米国現地校でもReadingはかなりの好成績で、期末テストの成績は州内のトップ1%に入る程だ(これは勿論州内の日本人の中のランキングではなく、アメリカ人生徒も含めた全体のランキングである)。その娘が試験勉強を殆どしていなかったとは言え、日本の中2のテストで70点台にとどまってしまい、思わず笑ってしまった。体系的な英文法の知識が欠けており、その点については向上の余地があることは確かだ。が、負け惜しみという誹りを恐れずに言えば、やはりこれは出題内容にも問題があると言わざるをえない。

 

なお、点数を大きくおとしたのが、能動態の文章を受動態に書きかえなさい、という問題。例えば、

  • He washes this car.
  • She made the room clean.
  • We can see many stars from here.

などの問題が出題されていた。日本で受験勉強をした私は

  • This car is washed by him.
  • The room was made clean by her.
  • Many stars can be seen from here.

と機械的に書きかえることはできるが、ぶっちゃけどの文章もかなり違和感がある。娘に解答を教え、説明を試みたが「え、、、こんな言い方しないよねぇ」と戸惑いを隠せないようであった。が、日本の受験戦争に勝ち抜くためには、こういうルールのパズルと思って解けるようにならないといけないのだ、と不本意ながら押し切った。

思い返せば、自分が中学生の時、「この車は私によって洗われる」という訳文を見て、「変な言い方だなぁ、でも英語ではこういう風に言うんだぁ」と感じた記憶がかすかにあるが、大人になってみたら、英語でもこんな言い方はしないということが明らかになった。日本語でも英語でも共に奇妙な文を出題する日本の英語教育のその実践力の低さにため息がでる。

 

なお、上記の解答は私が変だと思っているだけで、実はアメリカ人はたまにそういう言い方をするのではないかという微かに覚えた疑念を晴らすために、同僚と友人5名ほどに上記の問題をだしてみた

まず、驚いたのが「このActive(能動態)の文をPassive(受動態)に書きかえられる?」と聞いても、日本の受験英語としては最も基本の型である「He washes this car」すら書きかえられない者すらいたことだ。残念ながら全問不正解した者たちも、アメリカの大学や大学院をきちんと卒業している立派なビジネスパーソンである。

「娘3人を育て、宿題などは私が皆みてあげたのよ」という孫もいる同僚はかろうじて1問目と3問目は「It’s awkward though」を連発しながらも、正答にたどり着くことができたが、2問目は「The room was cleaned by her」と書きかえてしまった。今はどうかわからないが、私が潜り抜けた日本の受験戦争では、この解答では点はとれない。

もっとも、2問目を「The room was made clean by her」と答えることができた者は誰もいなく、受動態への変換に文法的に成功した人全員が「The room was cleaned by her」と答えていたこの解答が正解でないとしたら、日本の英語教育が目指しているものは一体何なんだろうか。

 

もちろん、受動態という英文法を理解することの重要さを否定するわけではない。が、ネイティブが使わないような言い回しを出題する英文法のパズルばかりやるのではなく、どういう時に受動態を使うのか、という実践的な知識も一緒に教えるべきではないだろうか(少なくとも私は教えて欲しかった)。

日本語は主語を省くことが多いため、頭の中の日本語を英語に直すとどうしても行動の主体を省ける受動態のほうが文章が作りやすい。が、はっきりとした主体と主張が求められる英語では、婉曲的でわかりにくい受動態を使うことは好まれず、特にビジネス英語ではきちんとした意図や狙いがないのであれば受動態は使わないことが推奨されている。実は、私も渡米後に上司から「お前の文章は受動態が多くてわかりにくい、最近のMBAでは受動態は使うなと教えられるんだ」と注意されたことがある。

能動態と受動態を互換可能なパズルとして教えるのではなく、「〜された」人が不明であるとか、敢えて隠す必要がある時に受動態を使うとか、「~された」人や物に特に重きをおきたい時に受動態を使うとか、「どういう表現をしたい時に受動態を使うべきなのか」というようなことをあわせて教えてあげて欲しい。

 

今回のことを受けてあらためて古典『日本人の英語』を一部読み返してみたが、これはやはり名著だ。

日本人の英語 (岩波新書)

日本人の英語 (岩波新書)

 

 昨今の中学、高校の先生方が忙しいのはよく分かるが、英語の教師はせめて本書を手にとり、より実践的な内容を中高生に教えてあげてほしい。

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