Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

中村裁判と事前のコミットメント

テレ東の『ルビコンの決断 青色発光ダイオードを作った男・中村修二』をみた。この裁判についての記事、テレビ番組をみていつも思うのは、リスクを真の意味でとらなかった人間がどうして自分の権利を主張できるのかということ。


私は新卒の時から外資系企業で働き、会社によって温度差はあるものの、成果がでなければ、日本企業と比較し、はるかに厳しい処遇を受けざるをえない、なかなか難儀な環境で働いてきた。前の会社とは2〜3年の有期雇用契約を会社と締結し、契約更改がなければそれでおしまいだったし、今の会社との雇用契約には"Employment-at-will"という条項があり、「雇用主も雇用者もいつでも解雇したり、離職することが自由にできる」ことになっている。ある日を境にいきなり同僚が出社しなくなるというシーンも何度も見てきた。そして、そういう成果がでなかった際の厳しさを受け入れているがゆえに、成果がでた際はそれなりに充実した処遇をいただけることになっている。
そして、結果をだすことができなかった際の厳しさに対する緊張感のもと、成果を実現するために身を削りながら仕事をしているという自負もそれなりにある。まどろっこしい表現をしたが、言いたいのは、リスクを引き取った上で、成果を享受することに対して私なりに誇りをもって仕事をしているということだ。


中村さんが吼える映像を見て、いつも頭をもたげるのは、「あなたは会社勤めをしている時に本当にリスクをとっていたのですか」という疑問。青色発光ダイオードの開発がうまくいかなかったり、また誰かに先んじられたりして、個人の成果として会社に利益をもたらすことができなかった時は、解雇されてもおかしくないという環境で働いていたかというと、決してそうではないだろう。
番組中、文系と異なり研究職は、結果がでなければ、窓際に飛ばされ、研究現場から追放されるリスクがある、なんてことを言っていたが、結果がでなくても雇用が確保されているという低いリスクしかとっていなかったことを自ら証明している。文系は結果がでなくても窓際にとばされないという不思議な理解をどこでえたのかも甚だ疑問である。


窓際どころか、いつ退職を勧告されてもおかしくないというリスクをとりつつ、どれだけ成果をあげたら、どれだけ報酬をえることができるか、ということをコミットして働いている身としては、中村さんは後だしじゃんけんをしているようにしか見えない。研究に心血を注ぎ、失敗したら会社がつぶれるかもしれないというプレッシャーの中、ノーベル賞級の成果を実現したことには頭が下がるが、でも個人として対価を求めるなら、個人としてどれだけ事前にコミットメントしたかが、一番重要だと思う。


私は幸いにも退職を申し渡される状況に陥ったことはない。もちろん、今後もそうならないように願いたい。でも、頭の中に常においているのは、万一会社からクビだと言われても、悔いの残らないように精一杯仕事をするということだ。「ベストを尽くたのだが、会社が十分でないというなら仕方がない」といつでも思えるように一生懸命仕事をしているし、周囲にもそういう人は多い。だからこそ、結果ができった後になって、権利を主張したこの裁判にはいつも強い違和感をおぼえるのだ。

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