Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

"the cult of amateur" 浮かび上がる対立軸

With more and more of the information online unedited, unverified, and unsubstantiated, we will have no choice but to read everything with skeptical eye. The free information really isn't free; we all end up paying for it one way or another with the most valuable resource of all - our time.
未編集、未確認の上、根拠の無い情報が増えれば増えるほど、我々は懐疑の目をもって全てのものを読むしか選択肢が無くなってしまう。・・・<中略>無料の情報は実際のところは無料なわけではなく、我々は「時間」という最も価値のある資源を使いながら、あれやこれやの方法で対価を支払わざるをえなくなるのだ。
『the cult of amateur』 〜P.46 the noble amateur〜

前回に続き、"the cult of amateur"からの引用。
有料の伝統的メディアが無料のCGMに駆逐されてしまった結果がもたらす弊害についての典型的な指摘が展開されている。要するに「消費者が作成したメディアだけが存在し、新聞社や出版社などの専門家から提供されるコンテンツが一切ない世界を誰が望みますか?」ということ。「日経」という伝統的なメディアを例にとって、もう少し具体的に考えて見ると下記のようになると思う。

  • 月々4千円払って日経新聞を購読すれば、きちんとした訓練を受け、経験をつんだたジャーナリストによる、信頼性の高い経済ニュースという「情報」を入手することができる
  • だが、CGMが台頭し、顧客をそちらに奪われた日経の売上が落ち、人手が減り、品質が落ち、購読料があがり、あげくのはてには消滅してしまうと、信頼性の高い経済ニュースという「情報」はお金を払っても買えないものとなってしまう
  • 経済ニュースの情報源がCGMしかなくなると、その情報が正しいか正しくないか、価値が本当にあるのか、ないのか、懐疑の目をむけ、時間をかけて信頼度の高い「情報」を自らの手でさがすしか手段がなくなる
  • 月々4千円の購読料を払えば、朝ポストに手を伸ばすだけで入手できていた欲しい高品質な「情報」をえることができたのに、CGMしかない世界では購読料が無料の代わりに、WEBを徘徊し、大量のニュースを読み、自ら信頼できると確信のできる「情報」を膨大な「時間」をかけて探しまわるという新たなコストが必然的、不可避的に発生する
  • 本当にそんなことを望むのか?

新聞の売上の減少の原因の主要因をCGMに求めることにはかなり疑問を覚えるが、溢れ出る情報の総量が増えることにより情報の品質の平均値が下がり、価値ある情報は能動的に探しに行かなければならなくなるということについては同意できる。ただ、Andrew Keenが厳しい言葉でいくらCGMを酷評しようと、そこに絶対的な善悪なんてものはなく、そういう流れをよしとするか、しないのかというポジション・嗜好の違いのみが存在すると私は考える。よしとする層は

  • 技術や集合知を活用して情報収集に伴うコストをいかに低減するか
  • 情報を効率的に取捨選択するというリテラシーをいかに高めるか

ということを考えながら、従来以上に価値のある情報を見つけようと試み、よしとしない層は

  • 従来の自分のスタイルが変わることに対する拒否感
  • 同じ層が減ることに伴う、従来メディアのコスト増への危機感

が先行し、流れに抗おうとしている、という対立軸が浮かび上がっているにすぎない。そんな浮かび上がる対立軸についてあれこれ考えるに、Andrew Keenが言うように昨今のインターネットの流れを受けて、収益が圧迫され、リストラを進めざるをえない伝統的メディアは確かに発生するが、それは競争相手が現れて、より効率的な体制にシフトしなければならないという民間企業であれば至極当たり前の競争環境に伝統的メディアが初めてさらされたにすぎないのではないだろうか。

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