川崎さんの"虚構−堀江と私とライブドア"の書評を読んだ。淡々と本書の要点を語るスタイルの書評ながらも、そこかしこにベンチャーの経営者としての川崎さん自身の問題意識が透けて見えてくる非常に力の入ったエントリー。
利益をあくなく追求するビジネスパーソンとしての表の姿勢が、数字さえあげれば何でもいいという裏に飲み込まれてしまったというところまではよくある「ライブドア事件論」だが、もう一歩踏み込んだところまで記載されている点が興味深い。
- 作者: 宮内亮治
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/24
- メディア: 単行本
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それを堀江は、社員の努力で埋められると考えた。おそらく「自分ならできるはず」だからと思ったのだろう。だが堀江ほど優秀な人材はそれほど多くない。なのに、それが理解できないから、不可能な目標を立て、実現できなければ「どうして、どうして」と詰める。本来、無理なものは「未達」の上で「下方修正」すればいいのだが、それができない。
これを読んでバカなCEOとバカなCFOと一刀両断するのは簡単。だが、数字という結果に対して真摯に向き合う、そして結果をだすために最後の最後まで粘り強く取り組むビジネスパーソンならば、他人事とは思えない息苦しさを覚えるのではないだろうか。少なくとも私にはバカの一言では片付けられないし、対岸の火事とも思えない。
私の会社もこと数字について言えばものすごくシビア。「できない理由を並べることなんて誰でもできる、できるためには何が課題で、何を解決すればよいのかを徹底的に考え抜き、そして粘り強くやりぬいてこそ仕事と言える」との考えの下、尋常ならぬ気迫で数字をあげていく人が多くいる。そういった並々ならぬ頑張りの積み上げで、絶対無理と思われたビジネスが成立してしていくシーンを何度も目の当たりにしてきて、数字に対して真摯で簡単にはあきらめないビジネスに対する"Tenaciousness"*1というのは非常に重要と思うようになった。
もちろん超えてはいけない線は守らなければならないし、投資事業組合を使って自社株の売却益を売上にするというのは私のビジネス感覚では明らかにやりすぎ。ただ、「ライブドア事件」を、徹底的に、粘り強くやり抜こうとする意欲・能力がものすごく強い人が、「法律的には明らかにグレーなゾーン」に踏み込んでいってしまったがためにおきた事件ととらえると、私にはバカの一言では片付けられない。何故なら、そこに私は堀江さんの「自分ならできるはず」、「まだできることがあるはず」というビジネスに対する"Tenaciousness"を感じるからだ。*2「お金は汗水たらして稼ぐモノ」なんてテレビでビジネスについて何もわかっていないくせにわかったような顔をして評論している奴に、「少なくとも常人でも及びもつかないような汗水を流した結果なんだよ」と言ってやりたい。
*1:"Tenaciousness"は梅田さんの『シリコンバレー精神』の「文庫のための長いあとがき」が詳しい。
*2:もちろん、そこに歯止めをかけるために仕組みを作るのが、現代の経営のセオリーであり、経営者としての責務であることは確か。ちなみに、私の勤める会社は外資系で規模が大きいだけでなく、不幸にもニューヨーク証券取引所に上場しているため、SOX法施行以降、経営の仕組みとして「やりすぎ」に対してブレーキが過剰なくらいかかっている。サッカーで言えば、コーナーキックが蹴られたゴール前でシャツを引っ張った選手全員からファールをとるくらいの過剰さだ。そのために尋常でないお金もかけている。成長志向のベンチャー企業がどの程度その仕組み作りにお金をかけるべきかは、本当に難しい問題だと思う。