Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

ウクライナ情勢を読み解く上でおさえておきたいウクライナ史8選

「ウクライナの歴史をおおざっぱでも良いので理解したい」

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、そういう興味を持った人は多いだろう。

 

おおざっぱに歴史を理解する際に誰もがまずは参照するのがウィキペディア。『ウクライナ』の項目にその歴史がまとめられている。非常によくまとまっているのだが、初心者の私にはハードルが高かった。馴染みのないスラブ系の名前の連発と文献ごとの表記違い(ハールィチ・ヴォルィーニ大公国とハーリチ・ヴォルイニ公国など)にあえなく玉砕。

 

困った時は本に頼れ、ということで『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』を手にとる。アマゾンのレビューを見る限り、「ウクライナの歴史をおおざっぱでも良いので理解したい」という私の希望を満たすには本書が最適解のように見えた。「面白くて2日で読み終えた」というレビューもあったので、軽い気持ちで読み始めたが、これがかなりの読み応え。二郎系ラーメンとカルボナーラ大盛りを一度に食べるくらいの重たさで、かなりウクライナ筋が鍛えられた。

筆者は黒川祐次氏。外交官で、ウクライナ大使を勤めていたというのだから日本で一番のウクライナ通かもしれない。複雑な外交問題を政治家にブリーフィングするという仕事柄からか、外交官の方は混みいった内容をわかりやすく説明する能力に長けていると私は思う。本書も、よくまとまっており、わかりやすい表現が心掛けられているので、とっつきやすい。が、ウクライナ史がとにかく複雑でとらえにくいのと、「ヤロスラフ」とか「フメリニツキー」とか、ページをたぐる度に忘れてしまう慣れない名前に、苦心することになる。

 

そんな感じでウクライナ史と格闘している私。難しくて手こずっているということを散歩をしながら娘にこぼしたら、「で、おとうさん、細かいことはおいといて、わかりやすく説明するとどんな感じなの?」という残酷な質問を受ける。もう、通史を説明するのは能力的にも無理なので、苦し紛れに高校生の娘が興味を持ちそうな、「へぇ」という項目をいくつかあげたらそれなりに興味と理解を示してくれた(多分)。

 

本エントリーでは初学者の私が『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』を通読して、「へぇ、そうなんだぁ」と思い、現在のロシアによるウクライナへの侵攻をより理解するために重要と感じたウクライナの歴史を8点、紹介していきたい。

  • ウクライナは「千年の歴史がある国」かどうか問題
  • 「タタールのくびき」とウクライナ
  • コサックダンスはウクライナのダンスだった
  • ウクライナの語源の問題、「辺境地帯」なのか「土地・国」なのか
  • 1000年越しに「ウクライナ人民共和国」樹立するも3年の命
  • ウクライナを非ナチ化する」というプーチン発言の裏側
  • クリミアは誰のもの問題
  • ウクライナの独立宣言と六度目の正直

なお、諸説ある内容もあるので、細かい間違いは大目に見ていただきたい。

 

ウクライナは「千年の歴史がある国」かどうか問題

「ウクライナの歴史を遡る場合は、どこまで遡ればよいのか」、これは史実的にも政治的にもややこしい問題だ。一番大事な焦点をあげるとすれば、「キエフ・ルーシ公国(キエフ大公国)をウクライナの祖先とみなすかどうか」という点になる。

「キエフ・ルーシ公国」は9世紀後半に北欧のバイキングによって作られた国だ。最近馴染みのある「キエフ」という言葉がついており、現在のウクライナの首都のキエフを中心とした国なんだから「そりゃウクライナの祖先でしょう」というのがウクライナの見方

が、この「キエフ・ルーシ公国」は13世紀半ばにモンゴルに攻められ崩壊してしまう。ウクライナの土地は色々な経緯を経てリトアニアとポーランドに併合され、国の形としては消滅してしまう。その間もその一部であった「ロシア公国」は細々とながら生き残るので、「国が一旦消滅しちゃったんだから、「キエフ・ルーシ公国」を継承したのはロシアであって、ウクライナっていうのは無理があるでしょ」というのがロシアの見方。

「キエフ・ルーシ公国」の後継者争奪戦というのが、ウクライナとロシアの歴史認識を考える上で重要な要素となるので頭にいれておきたい。

 

「タタールのくびき」とウクライナ

「タタールのくびき」というのは高校生の頃、世界史でやったので言葉としては頭に残っていたが、それって何だっけというのが私の世界史の知識レベル。タタールというのはモンゴルの民族で、ロシア近辺の諸国がモンゴル帝国の拡大に伴って傘下に入ってしまい、税金をカツアゲされるという13世紀半ばからの250年くらいのことを「タタールのくびき」という。スラブ系の人にとっては、モンゴルにしてやられた屈辱の期間ととらえられているようだ。

このモンゴルの侵攻がきっかけとなって、

  • 「キエフ・ルーシ公国」の崩壊にあわせて、単一のルーシ民族はロシア、ウクライナ、ベラルーシに分化してしまう。
  • ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語というそれぞれの独立した言語ができ、この頃から「ウクライナ」という地名が登場する。
  • とは言っても、国としては「キエフ・ルーシ公国」はモスクワ大公国、ポーランド王国とリトアニア大公国に分割され、三百年くらいウクライナは国としては日の目をみない

という感じに民族としては残るものの、国としてはウクライナは消滅してしまう民族主義やナショナリズムというのは、ウクライナとロシアの関係を考える上ではかかせない。単一のロシアという国が、単一のウクライナという国を侵略している、という単純な構図ではないことが、歴史を学ぶと見えてくる。

 

コサックダンスはウクライナのダンスだった

「あぁ、それロシアじゃなくてウクライナだったんだ」という発見が最近いくつかあるが、その中で私にとって大きいものはチェルノブイリとボルシチとコサックだ。コサックというとユニークなダンスと兵隊が強そうという浅薄なイメージしかなかったのだが、14世紀半ばからの空白の3世紀を経て、ウクライナ勢力を国として表舞台におしあげる、ウクライナの強キャラだった模様。空白の3世紀に終止符をうち、ウクライナのナショナリズムを高めるというわかりやすい活動をしてくれたのがコサックなのだ。現在のウクライナの善戦に、この武闘集団のコサックの血筋をみてとれなくもない。

ただ、コサックが「ウクライナ公国」というものでも作ってくれていればわかりやすいのだが、武力を背景にしたヘトマンという自治政府作る(”国”が学校公認の”部活”で、”自治政府”は”同好会”みたいな理解でよいと思う)にとどまる。そして、最終的には四方八方敵に囲まれているという難しい状況から、17世紀半ばにロシアと条約を結んでその保護下に入るという選択をし、ロシアへの併合の大きな一歩を踏んでしまう。これが、ソビエト崩壊に伴う1990年のウクライナの独立宣言までの長い道程のはじまりとなる。

 

ウクライナの語源の問題、「辺境地帯」なのか「土地・国」なのか

歴史千年問題と同様にウクライナの語源もロシアとウクライナで大きく見方が異る。ウクライナを縦に流れるドニエプル川両岸に広がるあたりを「ウクライナ」という言葉で呼ぶようになったのは、コサックが頭角をあらわした頃らしい。

ロシアの学説では、ポーランドやリトアニアから見て辺境という点で、ウクライナは「辺境地帯」という意味なのだというのが定説の模様。コサックの自治国家を取り込むあたりから、「小ロシア」という更に失敬な名前で呼び始めるあたりに、ロシアのウクライナを下にみた意識をみることができる。

もちろん、「いやいや、辺境地帯なんていうのは変な後講釈で、そんな呼び方を自分たちでするわけないでしょう」というのがウクライナの立場。言葉そのものが使われ始めたのは一二から十三世紀くらいで、当時の文献を読み込めば「土地」とか「国」という解釈が妥当である、というのがウクライナ学説。

名前一つとっても、立場によって諸説あるのでややこしいことこの上ない。

 

1000年越しに「ウクライナ人民共和国」樹立するも3年の命

前説の長すぎる映画というか、なかなか餡に到達しない肉饅かのようなウクライナの歴史だが、20世紀初頭の第一次世界対戦と二月革命による帝政ロシアの崩壊を受けて、ついて「ウクライナ人民共和国」というわかりやすい国の形が歴史の舞台に初登場する。だが、この「ウクライナ人民共和国」は3年と短命であるというオチがつく。「1000年待たせて3年かい!?」という不要なツッコミをしてしまいたくなるが、国民国家としてなかなか成立しなかった、できなかったという点も頭にいれておきたい。

その後「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」が設立されるが、実質的にはソ連に支配された一行政区という地位に甘んじる。

 

「ウクライナを非ナチ化する」というプーチン発言の裏側

プーチンが「ウクライナを非ナチ化する」と発言したことを受けて、「あいつ頭おかしくなったんじゃねぇか」と思った人は私だけではないはずだ。ウクライナはユダヤ人が昔から多く住んでいるし、ゼレンスキー大統領自身もユダヤ人であるし、第二次世界大戦でナチスドイツは90万人近いウクライナのユダヤ人を殺している事実からも、「ウクライナを非ナチ化する」というのは支離滅裂である。

独ソ戦争の主戦場は正にウクライナであり、占領されたり、押し返したりの激しい攻防で史実上最も多くの死者がでた戦争だ。多くのウクライナ人はソビエト連邦としてドイツと戦ったが、その反面ウクライナ蜂起軍という組織がソビエト連邦とも戦ったという点は興味深い。当時ウクライナはスターリンの「とんでも共産主義政策」のお陰で350万人もの餓死者がでるは、大量の知識人は粛清されるはで、「もうあなたの下ではやってられません」というモードだったとことは容易に想像できる。ドイツの侵攻をうけて、「これに乗じて独立しちまえ!」というウクライナ民族主義者がソビエト連邦にも銃を向けたという構図だ。

歴史は勝者が作っていくので、闘いにかったソビエト連邦は「ウクライナ蜂起軍などのウクライナ民族主義者はナチの手先」というプロパガンダを戦後にうっており、プーチン発言の背景にはこういう史実があるのだろう。だからと言って「ウクライナを非ナチ化する」というプーチン発言に説得力を感じるものではないが、そういう歴史的背景はおさえておきたい。

 

クリミアは誰のもの問題

2014年にロシアがクリミア侵攻をしたのは記憶に新しい。マスコミは2014年のそのワンシーンだけを切り取り、そこに到る歴史を紹介することは殆どないので、ロシアの傍傍若無人さだけが、際立っている。ここでは、少し射程範囲をひろげてクリミアの歴史を切り取ってみたい。

  • キエフ・ルーシ公国の支配下にあったが、13世紀中頃のモンゴル侵攻によって、交易による収入が見込める「おいしい」場所であったクリミアはモンゴルの直轄領となる
  • 14世紀半ばにクリミア汗国として独立し、イスラム系の国となり、18世紀後半までその地を支配するが、帝国ロシアのエカチェリーナ2世によってロシアに併合される。クリミアをタタールから取り戻したのはロシアである、というのは大事な点だ。
  • ロシア革命、第一次世界大戦などを経て、ソビエト連邦の一部になり、ロシアにとっては暖い大事な保養地となる。第二次世界大戦終わりにヤルタ会談が開催されたり、ソビエト崩壊寸前に保養していたゴルバチョフが拘束されたりと、歴史の節目に登場機会が多い。
  • 20世紀半ばにスターリンからバトンを受けたフルシチョフにより「ウクライナに対するロシア人民の偉大な兄弟愛と信頼のさらなる証し」として懐柔策の一貫でウクライナに委譲される。当時クリミアの人口の7割はロシア人が占めており、将来ウクライナが独立することなど毛頭考えていなかったフルシチョフの人気取りのための行政措置であった。

クリミア侵攻はロシアが傍若無人というトーンで語られることが多いが、上記の通り歴史を振り返ると「兄弟の盃を交したのだから信頼の証として大事なクリミアを渡したが、盃を返すというならクリミアも返してくれよ」というロシアの気持ちも私はわからなくもない。

 

ウクライナの独立宣言と六度目の正直

ウクライナの独立宣言は20世紀に入って6回もなされているという。第一次世界大戦の直後から第二次世界大戦の終戦間際までの間に初めの5回がなされたが、いずれも長続きせず、鳴かず飛ばずで終る。民族主義の高まりとロシアの弾圧と粛清、そして近隣諸国からのちょっかいという紆余曲折をへながら、ソビエト連邦崩壊に伴い、晴れて1990年にウクライナの独立は成就される。

ここまでみると大変ドラマチックな歴史ではあるが、その反面この独立は「棚ぼた的でめでたさも中くらい」と本書では辛口に評している。「建国の父」的な英雄や独立運動を象徴するヒーローの不在が、その「棚ぼた」感の源泉と思われる。盛りに盛った建国ストーリーなど胡散臭さを私は覚えるが、ハラリ的に国家という虚構を作り上げるためには、わかりやすい象徴が必要なのだろう。

 

以上、現在のロシアによるウクライナへの侵攻をより理解するために重要と感じたウクライナの歴史を8点、を紹介させて頂いた。何度も読み直して、かなり短くしたのだが、意図せず大作となってしまった。タイトルに釣られて読み始めた人の大半は既に離脱してしまったことは容易に想像できるが、最後まで読み通して頂いた方にはお礼を申し上げたい。

 

ウクライナの歴史を振り返って思うのは、

  • ユーラシア大陸の中心という地政学的な重要度が高さと、ヨーロッパの穀倉と呼ばれるほど豊饒な大地を持つその魅力から、北からはロシア、西からは欧州諸国、南からはモンゴルやオスマン帝国と四方八方敵だらけという苦難な道を歩むことになった。
  • 何度となくウクライナ民族として国家の樹立を試み、チャンスは幾度と無く訪れたものの、ナポレオン級の英雄が現れなく、ソビエト連邦崩壊に伴い遂に独立した国民国家を樹立することになったが、これは「ごっつぁんゴール」というより、ウクライナ民族の熱意の勝利とみたい。
  • 武力や民族弾圧に苦しんだ苦難の歴史であったが、民主的な国民国家が主制を占める現代社会は、ウクライナの国家独立を盤石なものにする好機であり、ゼレンスキー大統領にはこれを乗り越え是非「ウクライナの英雄」になって頂きたい

というあたりだろうか。というわけで、「頑張れゼレンスキー大統領!」というエールを送って本エントリーをしめたい。

「好きなことを仕事にする」ために必要なこと

私は仕事が嫌いではない。若干前近代的ではあるが、仕事の高いハードルを超えた時の達成感というのは格別であるし、仕事を通して築いた人脈というのはかけがえのない資産だ。また、培ってきた専門性を活かしながら成果を出すのは楽しくもある。だが、「好きなことを仕事にしている」かと聞かれれば、決してはそうは言えない。というのも、今の仕事に面白みを見出すことはできているが、それそのものが好きであるわけではないからだ。「好きなことを仕事にする」というよりも、「自分が得意でお金を稼げる」ことをやりつつ、その良いところを見つけて付き合っているという方が正しい。「好きなことを仕事にする」ことができればそれが一番よいが、最近はそうでなくても良いか、という気持ちになっている。生活の糧をえるためには、いずれにしても嫌いや苦手とも付き合っていかなければならないからだ。

 

「好きなことを仕事にする」という字面はそもそも誤解を招きやすい。というのも、この言葉の響きから、好きなことだけをして、嫌いなことはしなくても良いというようなイメージを人に与える。だが、これは残念ながら全く違う。「好きなことを仕事にする」ためには、それを成り立たせるための多くな好きなこと以外をやらなければならない。その中には当然自分の苦手や嫌いも入っている。「好きなことを仕事にした」もののそれが続かない人は、この点についての誤解があるのではないだろうか。

 

先日、佐藤友美さんの『書く仕事をしたい』を読んだ。「書いて生きるには文章力”以外”の技術が8割」という言葉で帯が飾られている通り、ライターという仕事の「書く以外の仕事」について網羅的かつ具体的に解説がされている。

  • ライターは、どんな生活をして、どのくらいの稼げるのか
  • 取材の仕方や企画の立てから、売り込みをして仕事を取る方法
  • 編集者との付き合い方からスケジュールの管理の仕方
  • 書く仕事で生きていくことについてのもろもろ

など、とにかく筆者の「ライターとしての生存戦略」が余すところなく開陳されている。「さすがライター!」というわかりやすい表現で、頭にすっと入ってくる構成は見事で、300ページというボリュームを一切感じることがなかった。

 

本書は、ライターという仕事に興味のある人だけでなく、「好きなことを仕事にしたい」と思っている若者には是非読んで頂きたい。本書では、「書く」という自分が好きなことを仕事にするために、「書く」以外の8割の技術を総動員して、生き残ってきた筆者の姿が生々しく描かれている。これを読めば、「好きなことを仕事にする」ためには、そのために嫌いや苦手なことにもそれ以上に取り組んでいかなければならないという現実が理解できる。

 

 

書く仕事がしたい

書く仕事がしたい

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これまでたくさんの書き手の卵さんたちにあってきましたが、書き始めることはできても、書き続けられない人が辞めていきました。

依頼される仕事だから、書きたいものだけを書くわけではありません。対象をどう好きになるか。どう面白がるか。どう愛するのか。それができないと書き続けられないのです。

『書く仕事をしたい』

筆者はライターという仕事をするにあたり、書く技術は「上手くて、面白い」というレベルに達していなくても十分に成り立ち、「間違っていなく、わかりやすい」が満たされれば十分という。それよりむしろ、書きたいものだけを書くわけでない中で、「書き終える」ということを続けることの方がずっと大事ととく。全体の2割を占める「書く」ということにおいてさえも、書きたいものだけを書けるわけではないのだから、他の8割については言うまでもない。

 

人生百年時代と言われており、「好きなことを仕事にする」ということは今後ますます注目されていくだろう。それそのものは良いことだと思うし、私自身も細く長く働くために、なるべく多くの時間を「好き」に使えるような仕事の仕方を模索していきたい。が、趣味の範囲でやるなどの場合はさておき、生計をためるためにはそれなりの時間を自分の嫌いや苦手にも振り分けなければならない。「好きなことを仕事にする」ために、「嫌いや苦手にも果敢に取り組む覚悟」を持つこと、それが「好きなことを仕事にする」ために必要なこと、と私は考える。

 

 

 

仕事で伸び悩むおっさんが筋トレにはまる話

40〜50代の男性の中で筋トレ熱が高まっている、という話は以前から耳にする。その理由としては、

  • 「働き改革」の成果として余暇の時間が増えた
  • 大きな出費や初期投資なく気楽に始めることができる
  • 人生100年時代に向けて健康意識が高まっている

など様々な理由があげられている。かくいう私も最近筋トレに力をいれている。道具を揃えていくのも、金銭的にゆとりのある40〜50代の趣味の醍醐味だ。ダンベルや懸垂バーなどのちょこちょこした道具に加え、先程トレーニングベンチをぽちったところで、なかなか楽しんでいる(勿論、家族の白い目にさらされつつも了承はちゃんとえた)。

 

実際に筋トレをしてみると、なぜこんな地味なことが40〜50代の男性が好むのかわかる。上記にあげたことは勿論そうなのだが、一番の理由は、

  • 自分の脳力の伸びや可能性を実感したい

というところにある気がする。

 

40代というのは働き盛りの年だ。それなりに大きな仕事を任され、周囲との信頼関係もきちんとあり、若手を育成する機会にも恵まれる。20代と30代で培った経験を最大限に活かしながら、最も良い仕事ができる年代だとわれながら感じている。が、その反面ピークに差し掛かり、伸び悩みを感じる時期でもある。勿論、身を粉にして働いたり、学習をすれば、まだまだ伸びる余地も十分にある。が、25年近く研鑽してきた仕事の能力というものに、さらに磨きをかけてさらに高みを目指すというのは簡単ではない

  • 自分の強みを一旦崩して再構築する
  • 全く経験のない領域の勉強をして芸風を広げる
  • 得意をさらに突き詰めて磨きに磨きをかける

勿論、これらは可能であるし、そうやっている人も沢山いることは承知している。が、ここから更に上を目指すというのは時間も相当かかるし、仕事により多くのリソースを振り分ける修羅の道なのだ。繰り返すが25年もの時間をかけて培ってきたものを、さらにグレードアップするというのは並大抵なことではない。

 

私自身は、修羅の道を突き進む強者ではなく、今までの財産を活かしながら仕事をして、仕事以外の人生の充実を追求していくほうが合っている。なので、最近は夜遅くまで働いたり、土日にも仕事をするという生活からは足を洗い、家族とより多くの時間を過ごすようにしており、充実した生活を送っている。

 

が、仕事を通して成長と自己実現をある程度してきた人にとって、自分の成長が止まるというのは物足りなくもあるし、怖い思いもあるそこで筋トレである。今まで筋トレをしてこなかった人が一日に1時間筋トレをする習慣を身につけると、効果は目に見えて現れる。見た目だけでなく、回数や負荷が増すというわかりやすい指標があるため、自分の成長を実感しやすい。さらにタンパク質や炭水化物の量などを定量的にコントロールするという数値管理の要素は私には仕事柄もあって馴染みやすい。一日1時間の努力で伸ばすことができる余地は仕事では限られているが、筋トレであればかなりの自分の可能性を感じることができる。自分への投資としてはコスパが良い上に、仕事以上に投資をふんだんにしないといけない健康領域であるため、ついつい時間をそちらに使ってしまう。同年代でハマる人がいるというのもよく分かる。

 

本エントリーでは、仕事で伸び悩むおっさんが筋トレにはまる理由をかなり自分目線で語らせて頂いた。当ブログの読者は私と同年代の方が多いと思われる。他の視点などがあれば皆さま是非共有ください。

 

 

『保健所の「コロナ戦記」』 コロナ禍二年間の軌跡と一筋の希望

このコロナ禍で否応なく「保健所」に注目が集まっているが、本日紹介する『保健所の「コロナ戦記」』は、保健所管理職としてコロナ第一波から、最前線で獅子奮迅の働きをしてきた関なおみさんの独白。東京都に住む方は必読とも言えるオススメの本だ。

 

特に、

  • そもそも今までの人生で保健所にお世話になったことが一度もない
  • このコロナ禍で、病院だけでなく保健所がこれほど注目を集めている理由がよくわからない
  • そう言われてみると保健所がそもそも何をしてくれる所なのかよくわからない

というような人には強く薦めたい。また、

  • コロナ関連で保健所に連絡をしたが、けんもほろろでムカついている

という人にも是非読んで頂きたい。制度としての善し悪しはさておき、保健所がキャパオーバーしているのは医療も含めた制度の問題で、そこで働いている人の問題ではない。理由が理解できれば、人というのは多少なりとも感じたストレスを減らすことができるものだ。

 

本書は、国内で初めての感染者が発見される第1波から、デルタ株が大流行する第5波までの都下の保健所、並びに都庁感染症対策課で起きたリアルを描いたノンフィクション作品だ。コロナ禍の最前線で戦う保健所職員の日々の苦闘と健闘が息遣いを感じるほどのリアルさで伝わってくる一方で、そういう自分たちの姿をどこか客観視しながらコミカルさも交えた軽い筆致で描き、単なる現場職員の愚痴で終わらせることなく多くの人に届けたいという筆者の思いを感じる。例えば、保健所に勤める管理職の公衆衛生医師として、管理職としての事務業務は勿論、マスコミ対応、都議会対応など、医師業務以外の仕事に追われる心情を下記のように描いている。

公衆衛生医師も、とあるフリーランスの医師のように、医師免許がなくてもできる仕事はいっさい「致しません」と言えればいいが、都庁や特別区の保健所では非常に難しい。

『保健所の「コロナ戦記」』 第三章 第3波 12月から2021年3月まで

これはテレビ朝日の某人気医療系ドラマからひいてきていると思われる。単に組織に対する不平不満を開陳するのではなく、ちょいちょいとこの手の小ネタを挟んでいるので、新書にして416ページというボリュームを感じさせることなく、すいすいと読みすすめることができる。

 

また、政治家なり、医師会なりを呪いたくなる気持ちになる環境で働きながらも、そういう方々への恨み節もあまりないことも本書の魅力だ。まぁ、今の東京都知事は、自分を批判する人間は、定年退職を迎えて外郭団体にいる人間であろうと粛清するという御人であるから、その点には筆者は細心の注意を払ったであろうことは推察できる。事実に忠実で客観的でありつつ、他者を批判しないという姿勢を貫いているので、大作の戦記ながらも重たくなりすぎていないのが良い。筆者の豊かな感情表現を随所に散りばめることにより、読み物としての魅力をあげながらも、人への恨みつらみが前面にでていないのは筆者の人柄だろう。

が、そんな筆者でも、下記のように都下で働く職員としての苦悩がたまに滲みでているところに、くすっと笑わされてしまう。そんな良識人の本音も本書の魅力の一つだと思う。

都知事が発言するたび、プレス発表する度に、殺到する都民からの問い合わせや、マスコミ取材、開示請求対応も大きな負担となった。

 『保健所の「コロナ戦記」』 最終章 残された課題

 

いくつか本書の読みどころを紹介してきたが、本書の一番の読みどころは、と聞かれれば、この時期に2020年1月から始まったこのコロナ禍を振り返ることができるということをあげたい。世界中のそれぞれの方々が、それぞれの生活の大きな変更を余儀なくされたこの2年間。残念ながら、我々はこいつとしばらく付き合っていかなければならないし、本書で語られていないオミクロン株で今はてんやわんやなわけであるが、2年間というのは振り返るに十分かつ丁度よい区切りのように読後に感じた。

中国のとある地域で「原因不明の謎の肺炎」が発生したらしいという状態から、検査方法が確立し、それが改善・普及し、感染者を追跡するプロセスとシステムも整備され、療養受入先も政治主導で少しづつ増えていき、ついにはワクチンが開発され、大々的に摂取が進んでいった。その間の血のにじむような現場の苦労は本書であますことなく語られているが、改めて振り返ってみると、われわれ人類はこの2年間で随分と大きな成果をあげたことは間違いない。もちろん、政治に疑問や不満はあるものの一歩一歩着実に進んでいることは高く評価しなければならない

本書を読んで、この2年間を振り返って持つ読後感は人それぞれだと思う。ある方は現在進行形で続く災難を再認識し暗澹たる気持ちを覚えるかもしれないし、他の方は療養施設の駅弁や空弁のような無意味な打ち上げ花火があげるために振り回される現場職員に思いを馳せて憤りを覚える方もいるかもしれない。が、私は2年間という短い期間でここまであげてきた成果に、一筋の希望をみたし、超えていかなければならない山はまだあるものの、きっと乗り越えていけるだろうという確信に近い感覚も覚えた。自分たちなら、そしてこういう人となら乗り越えていける、そんな勇気を与えてくれる、力強い戦いの軌跡が描かれている本書を是非多くの方に手にとって頂きたい。

『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』 猿にマシンガン

「保育園に預けた子供の迎えにいかなければならない、せめて夫に連絡させてほしい」

と懇願しても、◯◯◯は、

「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」

と迫ったという。

上記の文章の◯◯◯の中に漢字三文字を入れなさい、と聞かれたらどう答えるだろう。殆どの人は「誘拐犯」と答え、「夫に連絡させて欲しい」と懇願しているのは、誘拐された母親と思うのではないだろうか。驚くなかれ、ここに入る漢字三文字はなんと「検察官」である。

 

本日紹介する『無罪請負人』の著者は、刑事事件の弁護士として、堀江貴文、鈴木宗男、村木厚子、小澤一郎などのいわゆる「国策捜査」の弁護を担当した、弘中惇一郎氏。数々の冤罪で検察によって起訴された方たちの弁護人として、検察という大きな組織に立ち向かい、何度か無罪を勝ち取ってきた実績の持ち主だ。その筆者が弁護人の視点で、いくつかの自身が手掛けた案件を紹介しながら、検察の問題点並びに弁護士のあり方を問う力作だ。さすが弁護士という論理的な構成と具体的な刑事裁判の進行とが見事に噛み合い、一気に本書の引き込まれていった。

 

冒頭の引用に戻る。

「保育園に預けた子供の迎えにいかなければならない、せめて夫に連絡させてほしい」

と懇願しても、検察官は、

「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」

虚偽の供述を迫ったという。

以上が正確な引用となるが、これは小沢一郎の国策捜査で、議員秘書を押収品の返却と偽って検察が呼び出し、取調室に押し込んで10時間ほど拘束して取り調べを行った際のワンシーンだ。日本の刑事事件は検察の調書偏重なので、検察側のストーリーに従った罪を被疑者に無理やり自白させることが目的となることが多いという。被疑者は事実と異なる罪を自白することに当初は当然抵抗をする。だが、検察が言った通りに自白をしなければ勾留が続き、保釈が認められることもない。要するに「保釈になりたければ争うのをやめてすべて認めて楽になれ」、という「人質司法」なのだ。おまけに接見制限により社会や家族から隔絶し、時計も冷暖房もない部屋に押し込められて、取り調べは土日であろうが深夜であろうがお構いなしにされるという。

このようなやり方は一種の拷問であり、非人道的行為である。日本が批准している国際人権規約にも明らかに違反している。こうしたやり方が放置されている国は先進国では日本ぐらいしかなく、国連などから何度も是正と廃止の勧告を受けている。

検察なんてどこの国もこんなものなのかと思ったが、残念ながら人質・拷問が普通に行われているのは日本だけのようだ。国連の会議でも「日本の刑事司法は中世に近い」と悪評だという。

 

本書を読むと目を疑わんばかりの検察の行き過ぎがこれでもかとばかりに紹介されるが、何故未だに改善がされないのだろうか。これは、検察の人間が悪いというより仕組みの問題だろう。即ち公正な手続きが行われているかどうかを評価し、是正を勧告する組織が検察以外にない、というのが問題なのだ。長年同じ体制、同じ考え、同じ価値観で走り続けている組織に、自浄機能を求めるというのは無理筋だ。生物の細胞が自分の遺伝子を残すために分裂を繰り返すように、検察という組織も、現在の自分たちの遺伝子を残すために動物的に自己防衛を繰り返す、それはあたかも暴走するがん細胞のようではあるが、がん細胞ががん細胞を破壊できないように、今の検察が今の検察は壊すのは無理なのだ。

本来であれば政治家がその役割を担うべきなのだが、そういう改革を推し進めようという政治がいると、検察がその政治家を捕まえて有罪にしたてあげるため、震え上がって政治家も残念ながら触ることができない構図となっている。先日読んだ『金融庁戦記』に強い取り締まり権限を持った金融検査官を「猿にマシンガン」と揶揄する箇所があったが、「猿にマシンガン」という敬称は現在の東京地検特捜部にこそふさわしい。

 

自浄作用も働かないし、政治家もタッチできないし、さらに選挙で選ぶわけでもない検察をではどのように変えればよいのだろうか。難しい解決策なのは百も承知であるが、それは「民意」だと思う。本書で紹介されている小沢一郎の陸山会事件などは、概要を知るだけで小沢一郎を有罪にするなど無理筋であることは誰の目にも明らかだ。事実として裁判でも無罪の判決がでている。しかし、結果としては検察とマスコミに煽られて醸成された「あれだけ悪人面なんだから何か悪いことをしているに違いない」という民意によって、小沢一郎は失脚することになった。国民がもう少し関心を持ち、もう少し勉強をし、もう少し新聞やテレビなどのマスメディアのメッセージに注意を払うだけで、結果は大きく変わったであろう。

 

最近はYouTubeなどで様々なニュースメディアがでてきて、マスコミが発信するのとは違う角度のメッセージが沢山発信されており、非常に良い傾向であると思う。本書は、そういった新しいメディアの発信を理解するためにも非常に丁寧でわかりやすい刑事裁判の入門書であるため、手にとっていない方には強く勧めたい。また、最近出版された『生涯弁護人』も面白そうなので是非読んでみたい。

 

 

 

大企業で出世する人の特徴

「あなたが日本の大企業に勤めていたら、今頃離婚していたと思う」

 

ある晩妻とワインを飲みながら話していたら、不意にそんなことを言われて驚いた。幸い、私は新卒の頃から外資系企業に務め、現在はアメリカの現地企業に勤めているので、離婚を免れることはできそうだ。妻曰く、私が日本の大企業に勤めていたら、そこでやりがいをそれなりに見つけ、成果もそれなりにあげて、出世もそれなりにして、気付いたらその価値観に染まっていただろうという。就職活動で日本の大企業と外資系企業の両方を見て、外資系のコンサルティング会社に勤めるというのは、私の価値観に従ってしたものだったんだから、妻が言うようにはならないよ、とその時は言った。が、口ではそう言いながらも、何となく妻が言う通りになっていただろうなと正直思った。

 

私は「出世」にあまり興味がない。若い頃はお金もなかったので、昇進をして給料をもっと得たいという欲はあった。が、ある程度まで給料があがると、昇給しても「ふーん」という感じで、そこから得られる幸福度は下がっていく一方だ。「肩書」や「タイトル」への欲もないので、「出世」のために上司にアピールをしたりしたことは一度もない。が、その割には昇進の機会に恵まれてきた。アメリカに転籍をした直後は管理職から外れて、インディビジュアル・コントリビューターの生活を楽しんでいたのだが、さぼっているのがばれて「お前、マネージャーやってくれ」と頼まれた。その後も仕事ぶりが認められ、昇進と昇給を重ね、それなりにポジションを任されている。

 

「大企業で出世する人の特徴」というと半沢直樹的などろどろの出世争いに勝ち抜ける人というイメージがあるかもしれない。が、出世を求めなかったのにそれなりに出世できた自分の経験からすると、強欲なまでの出世欲より大事なものがある。それは「どんな場所であっても、自分なりにやりがいを見つけることができる」ということだ。

ある程度大きな企業に勤めていれば、会社は某かの社会貢献はしているし、組織全体のためにイチ社員ができることというのはそこかしこに転がっているものだ。自分が置かれた状況にいつも前向きにとらえ、その組織の中で自分がどんな貢献ができるのかを考え、そこで見出した意義を元にやる気をもって仕事に取り組む、ということを私は性格的に自然にできる。組織で働いていると、組織の統廃合や会社そのものの統合合併などの波にもまれて、自分の力と関係ないところで割を食うというのはよくあることだし、自分が思っていたように評価されないということなど日常茶飯事だ。が、腐ったり斜に構えてやる気を失うのではなく、やるべきことを考え、そこに自分なりの意義を見出し、それを糧に高いモチベーションで取り組む、ということができる人にとっては会社組織というのは働きやすい場所だと思う。逆に小さなことで傷つき、モチベーションを下げたり、わかりやすいやりがいがないとやる気が出ない、という人は会社組織にはあまり向いていないと思う。組織が大きくなればなるほど、やる気を奪う罠がそこかしこに散らばっているからだ。

 

そこかしこに落ちている小石につまづかず、些細なネタからやる気を自家発電できる、というのは組織で出世する上では大事なことだと思う。が、だからといってそれ自体がとても良いことだともあまり思わないし、そういう考え方は少しづつ廃れていくんじゃないかと最近思う。そういう人材は見方を変えれば、会社にとって都合が良いというだけだし、本当に自分がやりたいことを見逃してしまうかもしれない。

 

最近娘が読んだ『モチベーション革命』という本が面白そうだったので読んでみたのだが、若い世代の人たちを「乾けない世代」とカテゴライズしており、大変興味深かった。

 

その本が言うには、「逆境に立ち向かい、大変な努力の末に何かを成し遂げ、大きな達成感を覚え、そしてステップアップしていく」というのは古い考え方なのだという。われわれ(私は40代)の世代がそうやって、努力やそこでえた達成感を元に邁進できるのは、お金がなかったり豊かでなかったりした時期がある「乾いた世代」だからであり、

生まれたときから十分なモノに囲まれて育った彼らは、「ないものを勝ち得るために我慢する」という上の世代の心理は理解できないのです。さらに言えば、彼らは上の世代に対し「達成」にこだわることのアンバランスさを感じています

『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体新書』

というのが「乾けない世代」の考え方なのだと言う。

 

楽天は「世界一のインターネット・サービス企業へ」、サイバーエージェントは「21世紀を代表する会社を創る」という目標を掲げているが、「世界一」や「21世紀を代表する」という「目標の大きさ」は書かれているが、「何のために」、「なぜ」、「何をするのか」ということが書かれていない。本書曰く、「目標の大きさ」にやる気や意義を感じて全力で走ることができるのは「上の世代」の人たちで、「下の世代」にはぐっとこないらしい。なるほどなぁと思った。

 

本エントリーのタイトルは「大企業で出世する人の特徴」としたのだが、「一昔前、大企業で出世した人の特徴」という方が正しいかもしれない。頑張ることが美徳の世代には、生きづらい時代に徐々になっていくだろう。が、幸いにも年とともに欲望というのが衰えてきているので、シニア版「乾けない世代」としてうまく時代の波に乗っていきたい。

10秒で仕上げる英文メールの書き出し 進捗状況を共有編

仕事で英文メールを書かないといけないという人は多いだろう。本題にさっと入りたいのだが、書き出しで苦戦をしている人は意外に多いのではないか。書き出しの言い回しをググっているうちに、10分〜15分時間を使ってしまったという経験は誰にでもあるだろう。だが、「英文メールの書き出し」というのは難しいことではない。シーンごとに鉄板の型があるため、その型さえ覚えてしまえば書き出しは10秒ですますことができる。

 

私は現在アメリカに住み、7年以上アメリカの現地企業で仕事をしている。最近は書き出しで時間をかけることはまずない。同僚のアメリカ人が送付したメールから使えそうな鉄板の言い回しを抜粋してストックしているからだ。この「10秒で仕上げる英文メールの書き出し」シリーズでは、私の使っている鉄板表現をシーンごとに紹介し、読者の英文メールを書く時間の大幅な削減をお手伝いしたい。

 

進捗・状況を共有する

 

会議で自分が担当になったアクションの進捗報告をする「いつまでに終わるんだ」とせっつかれていることの状況を共有する、といったことに私たちは日々追われている。毎日全く新しいことをするなんて人は殆どいなく、大抵私たちは抱えている案件を前に進めることが日々の仕事の中心となっている。なので、実施した会議の議論を前に進めるために、現状を情報共有してステークホルダーを自分の事案につなぎとめておくために、そして「あれはどうなっているんだ?」というような問い合わせに追われないように、進捗や状況を共有するのは大事なことで、コントロールのききにくい英語でのやり取りでは、その必要性はより強くなる。今回は進捗や状況を共有するメールで使える書き出し、並びに文中の表現を紹介したい。

 

Want to provide a quick update on 〜(〜につきまして簡単に状況を報告します)

 

<例文>
Want to provide a quick update on the resolution we came to for addressing the issue we discussed.

懸案の問題に対して、私たちの講じた対策につきまして、取り急ぎ報告させて頂きます。

 

進捗や状況を共有するための表現をいくつか紹介しようと思ったのだが、いくつか派生系はあれど、"update on"が鉄板すぎて、これ以外にあまり紹介できる表現がなかった。なので、書き出しの表現としては今回はこれ一本でいきたい。まずは、王道の表現を説明し、後でいくつかのバリエーションも共有する。

 

上の例文では主語を省いているが、"I want to provide a quick update on"というように、きちんと主語をつけることももちろん可能だ。が、実際は主語を省いてしまう場合の方が圧倒的に多い。なので、主語なしの方がこなれた感じに、私には見える。

 

また、文法的な意味合いは、よくわからないのだが、"Wanted to provide a quick update"というように、過去形にする場合のほうが多いかもしれない。同僚にどうして過去形にするのか、聞いてみたが的を得た回答というのはあまり得られなかった。"I have wanted to provide a quick update"の省略で、現在完了から派生しているのか、と聞いたところ、「多分、それだ!」と言われたが、真偽のほどは定かではない。が、多くの人がそうしているので、過去形でも全く違和感はない。

 

表現の仕方にいくつかバリエーションがあるので、以下に紹介する。微妙な差なので、全部覚える必要はないが、あわせて進捗報告の際に使える細かな表現も紹介していきたい。

 

Just wanted to update you on what we know for now and will continue to share updates as things develop.
現時点でわかっていることを取り急ぎ共有させて頂きます。また、進捗に応じて引き続き状況を共有していきたいと思います。

 

"Update"を目的語ではなくて、動詞にしたバージョン。"Just"そのものにそんなに意味はないので省いてしまってもいいが、「取り急ぎ」というニュアンスがでる気がする。"as things develop"というのは「進捗に応じて」と意訳しているが、「今後もこの件進めていくからね!」という前向きな雰囲気が醸し出せる。

 

A quick update on where we are with this exercise as of tonight.
今晩時点で、本件についての現状を手短に報告致します。

 

これは主語どころか動詞も省いてしまったパターンだが、これもよくある形。"Just a quick update."と冒頭に書いて、その後は状況報告をバーっと書いていく場合も結構多い。"where we are"とか"where we stand"というのも「現状」という意味でよく使う鉄板の表現なので、覚えておくことを進める。"the current situation"とかでもいいのだが、個人的には"where we are"の方がシュッとした感じはする。

 

Keep you posted on 〜 (〜につきまして引き続き情報共有をさせて頂きます)

 

<例文>
Keep you posted on where things stand.

今後も状況につきまして引き続き情報を共有させて頂きます。

 

冒頭の表現を紹介したので、ついでに締めの表現も共有したい。"Keep you posted on"は、状況報告メールの締め括りとして鉄板の表現だ。"on 〜”とかつけて長くせずに、"Will keep you posted"とズバッと一言だけつけるのもよくあるし、"Posted"の代わりに"Keep you updated"とすることもできる。

 

状況に応じた用例をいくつか以下紹介するので参考にして頂きたい。

 

  • I wanted to keep you posted on the live progress.
    進捗を常時共有させて頂きます。
  • I will keep you posted on any key points that come up during our discussions.
    今後の検討の結果、提起された重要事項については共有させて頂きます。
  • I will keep you posted on what I hear from the leadership team.
    上層部から今後あるフィードバックを共有させて頂きます。

 

まとめ

 

進捗状況を報告するメールの書き出しと締めの表現として、以下の2つの表現と、その派生系を今回は紹介させて頂いた。少しでも参考になると幸いだ。

 

  • Want to provide a quick update on 〜(〜につきまして簡単に状況を報告します)
  • Keep you posted on 〜 (〜につきまして引き続き情報共有をさせて頂きます)

 

なお、例文の殆どは私が実際にアメリカ人から受信したメールからの抜粋だ。私はIT企業のファイナンスやセールスオペレーションでの経験が長いので、同じ職種の方は、ほぼ丸パクリできるケースもあると思うので、お役に立てれば幸いである。

 

この度、自由に生きる海外移住”という新ブログを立ち上げました。より多くの日本人が海外で活躍できるように、アメリカでの仕事や生活についての情報発信をしています。興味のある方は是非御覧ください。新ブログでのリンクをこちらにも掲載させて頂きます。

 

 

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