Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

成田空港の新型コロナウィルス検疫手続きについて

ただいま、日本に一時帰国中で、都内某所で自主隔離生活中。公共の交通機関の利用は控えるようにとのお達しがでているので、基本隔離先でおとなしくしている。入国に際し、抗原検査を成田空港で受けたのだが、どんな検査をどんな手順で受けるのか、事前に知りたいという方のために、2020年12月時点での私の受けた手続きを以下にまとめておく。勿論、手続きなどは適宜変更される可能性があるので、その点ご了承頂きたい。

 

帰日便搭乗前のWEBフォーム入力

帰日便の搭乗カウンターで、航空会社の職員に「新型コロナウイルス感染症対策 質問票回答受付」という厚生労働省の作成しているWEBフォームのリンクを渡され、家族全員が「入国者情報」、「日本滞在情報(隔離先の住所など)」、「流行地域滞在情報」、「体調情報」、「フォローアップ(LINEを使った帰国後の健康状況確認など)」などの情報入力を求められた。全て入力すると、QRコードが発行されるでの、スクショをとって写真として保存しておく必要がある。何故か、QRコードをメールなどに送信する仕組みにはなっておらず、スクショをとらないといけないので、少し面倒だった。全て入力するのに10分は間違いなくかかる。わが家は子供たちがスマフォを持っているので全員で一斉に入力できたのでよかった。滞在先の住所などは紙に事前にプリントアウトしておくと便利だ。

なお、WEBフォームを入力しなくても、同様の質問票を成田空港で渡されるので、搭乗前に時間がない場合は大丈夫だと思うが、搭乗カウンターでは入力は必須との案内を受けた。

 

到着後機内待機

成田空港に到着した後、国際線・国内線で移動するのか、成田空港が最終目的地なのかによって、飛行機をでた後の対応が分かれる。そのため、国際線・国内線での移動がある人が先に飛行機を降り、成田空港が最終目的地であったわが家は20分程機内待機を命じられた。人の流れをきちんと制御するための措置であると思われる。成田空港で降りる人は、急いででようとしても待機指示がでるので、そのつもりで。

 

引率

飛行機からの降機許可がでた後は、空港職員に印刷されて検疫所に向う。通常時は、降機した後は散り散りになっていくが、列を作って職員に引率されていくイメージだ。引率されたことなど小中学校の頃以来ではないか。

 

椅子に座って、書類記入

引率されて着いた場所には1メートル間隔くらいで椅子が置かれていて、順番に着席を求められ、2種類の書類を渡され、記入を求められる。一部は、搭乗前に記入した「新型コロナウイルス感染症対策 質問票回答受付」と内容が酷似していたが、特に指示がなかったので、「同じ内容をなんで何度も記入しないといけないんだよぉ」と思いながら全部記入をしたら、WEBフォームの入力をしてQRコードがある人は記入の必要がないとのことだった。じゃぁ、書類を配る際に言って欲しかったが、まぁ仕方がない。

 

パスポートと書類チェック

生類の記入が終わると席次順に受付カウンターに呼ばれ、そこでパスポートと書類のチェックを受ける。アクリル板が越しにパスポートと書類を渡し、確認が終わったら次の場所に誘導される。職員の方は全員マスクとフェイスシールドをしており、仕事なので仕方ないとしても、感染リスクのある職場で、感染可能性のある人への対応を一日中するのは、何とも大変である。書類の二重入力など職員の方々の苦労や心労を考えれば小さなものである。

 

検査キットを受取と検査

チェック済みのパスポートと書類を次のカウンターで渡し、ここで検査キットを受け取る。各キットに個人の識別ラベルをはって頂き、次のスペースへ。8〜10程の検査ブースがあり、そこに個別に誘導される。隣とは一応簡単な間仕切りがあり、各スペースの独立性が保たれている。そこで、検査キットに唾液を一定量いれるのだが、これが結構多い。各ブースの壁にはレモンと梅干しの写真が貼り付けられており、心配りが感じられる。私は、何なく唾液をだすことができたが、小6の息子はこういう検査が初めてであろうこともあり、中々唾液がでずに大苦戦していた。唾液がでない場合は面棒での検査にあいなるが、職員の方の優しい指導もあり、何とかクリア。ここで苦戦すればするほど検査の完了が後ろ回しになって待ち時間が長くなるので、すっと行きたいところだ。

 

パスポート、QRコードチェック

検査キットを渡した後は、設置されたカウンターでパスポート、書類、「新型コロナウイルス感染症対策 質問票回答受付」で取得したQRコードのチェック。フォームに入力した内容と別の書類に入力した内容に齟齬があるとここでばたつくので、事前にどの住所、電話番号を使うのか決めておいた方が良い。一時帰国の際は特に帰国時の電話番号がかちっと決まってないケースもあるので注意が必要だ。

 

番号を呼ばれるまで待機

上記のチェックが終わったらまたまた等間隔に並んだ椅子に座って自分の番号が呼ばれるまでひたすら待機。検査の混み具合でここの待ち時間は大きく左右されるところだと思うが、幸いにも私の場合はそれ程混んでいなかった。おそらく、30人待ちで30-40分くらいの待機時間であった。待機場所で読み上げられる番号と自分の番号の差でおおよその待ち人数がわかるので、参考にして頂きたい。

 

番号が呼ばれたら

自分の番号が呼ばれたら結果を確認し、無事陰性を確認することができた。わが家の場合は、米国で家族全員検査を受けて陰性を確認済みだったので、それ程心配はしていなかったが、陰性と言われるとやはりほっとする。検査結果を確認した後は、通常の入国手続きをとることになる。

 

 

以上が、成田空港での新型コロナウィルス検疫手続きになる。それ程、難しいことは一つもないが、これから海外から日本に帰国されるという方の参考になれば。

最後に、改めて一連の手続きを空港で対応下さっている職員の皆様へ感謝したい。色々な国から毎日人が来て、中には感染している人もいるであろうから、その心労は相当なものだと思う。私の時はならず者はいなかったが、長時間フライトの後で気がたって、職員にあたったりする人がいても不思議ではない。帰国者の皆さま、是非空港職員の方々に感謝と敬意をもって接して頂きたい。

『自分の頭で考える日本の論点』 新出口節と元祖出口節

日本に住んでいる時に一度だけ出口治明氏の勉強会に参加したことがある。キリスト教が歴史的に見て、何故世界の三大宗教になるまで発展したのかというテーマについて、氏独特の壮大なスケール感を熱っぽく参加者に語る姿が印象的な会であった。勉強会の後の懇親会でも、偉ぶること一切無く若者と和気あいあいと話す氏の姿をみて、「あぁ、この人は若い人が本当に好きで、自分の持っているものが若者の役に立つことに無上の喜びを感じる方なんだなぁ」と強く感じ、年をとったら自分もこんなオヤジになりたいと思ったものである。当時ライフネット生命の社長という立場であったので、営業活動と称して自身の名刺を配っていたが、自分の会社のためでなく、自分の楽しみにやっていることは傍から見ていて明らかであった。現在は、ライフネットの職を辞し、立命館アジア太平洋大学の学長をつとめられているが、未来ある若者と接することが何よりも楽しいという氏が、現職につかれたのは必然であり、こういう方が教育界で活躍頂くことは、国益にかなっており、誠にありがたいことだ。

 

本日紹介する『自分の頭で考える日本の論点』は出口氏の新刊である。

自分の頭で考える日本の論点 (幻冬舎新書)

自分の頭で考える日本の論点 (幻冬舎新書)

  • 作者:出口 治明
  • 発売日: 2020/11/26
  • メディア: 新書
 

 新型コロナウィルス対応や日本人の働き方の是非から安楽死や憲法9条改正の是非まで、現代社会が直面する幅広い政界のない問題について、わかりやすく基礎知識を解説した上で、そういった問題に対して自分なりの思考の切り口をどうやって紡いでいくかというプロセスを丁寧に解説した、一冊で二度三度美味しい本であった。博覧強記と壮大なスケール感という出口氏の持ち味は期待通り十分に発揮されている。が、大学の学長という立場が、「出口節」に新なフレーバーを加えている点は見逃せない。未来を担う若者が思いっきり活躍するためには年寄りは何をしてやらないといけないのか、という若者への愛情がKindleの画面からもうもうと溢れ出ていて、筆者の若者好きに拍車がかかっている印象を受けた。

 

本書は22の異る論点と、巻末に「自分の頭で考えるための10のヒント」がまとめられている。自分が興味があるテーマを読んでいくのも楽しみ方の一つであるが、「論点10 日本は移民・難民をもっと受け入れるべきか」は「新出口節」が如何んなく発揮されており見逃せない。移民の受け入れと活用は日本の国力を維持するために不可避であるという出口氏の立場は、移民大国であるアメリカに住む私の感覚に合致していたものであった。また、チープレイバーとして移民を受け入れるのではなく、世界中から優秀な人材を集めて日本を活性化させるために留学生の受け入れを移民受け入れの起点とし、その留学生たちが活躍できる制度設計をすべきという出口氏の見解は着眼点として非常に面白かった。APUの学長として、多くの海外留学生を受け入れて、世に輩出しているが故に耳に入ってくる現実的な政策課題と、それを解決するための制度上の提言が説得力と迫力をもって語られており、大変読み応えがあった。勿論、現代の日本の抱える移民問題を、3万8000年前くらいの日本に遡ったり、世界最古のシュメール人に想いをはせつつ語る「元祖出口節」も健在であることは言うまでもない。

 

前途ある若者のことを真剣に考えてくる大人がいることを知ることで元気がでると思うので若い人たちには、本書を是非手にとって欲しい。また、日本の直面する課題に自分の頭で考える道具を提供してくれるという点で、その課題に取り組む働きざかりの世代にも本書はオススメできる良書である。そして、年寄りのロールモデルとしての出口氏の姿勢に寄り添う方が増えてくれると嬉しいので、年配の方にも是非おすすめしたい。

『ユニクロ潜入一年』 実力主義の管理職に求められる資質

在宅生活が始まってからスポーツウェア以外は殆どユニクロ一択となっている。日本人の体にあったサイズが米国で買えるという現実的な事情もあるが、気ごこちとコストパフォーマンスを考えると、部屋着については正直他に選択肢が見当たらない。寒くなってきたのでヒートテックは手放せないし、JW ANDERSONとのコラボ企画はデザインも良いし、家族で上から下まで全部ユニクロという日も結構あるのではないか。

 

ユニクロ潜入一年 (文春文庫)

ユニクロ潜入一年 (文春文庫)

  • 作者:横田 増生
  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: Kindle版
 

 

そんなユニクロファンの私であるが、『ユニクロ潜入一年』 という横田 増生氏によるルポタージュを読んでみた。筆者は10年ほど前に『ユニクロ帝国の光と影』という書を上梓し、ファーストリテイリングの会社のブラック企業ぶりを糾弾したことで知られるジャーナリスト。その筆者が2015年から2016年に実際にユニクロの店舗で働き、改善された点と未だ改善されていない点を炙りだすという刺激的な書だ。ジャーナリスト横田増生としては同社に警戒されているので、一ヶ月も役所に通って名前を変えて、健康保険や免許証の名前まで変えるという潜入取材への気合のいれように思わずうなってしまった。

 

イオンモール幕張新都心店、ららぽーと豊洲店、ビックロ新宿東口の三店舗での筆者の生々しい経験が刻銘に記載されており、同社の顔が浮かび上がってきて興味深かった。特に面白いのは「部長会議ニュース」の話だ。同社では毎週月曜日に柳井社長も参加する部長会議が開催されているようで、その中での柳井社長のコメントが全店の掲示板に貼り出されるとのこと。

柳井社長に直接会うことはかなわなくとも、その生の声を毎週読むことができるのだ。そう思うだけで、ワクワクしてくる。

おそらく私は、ユニクロの中でも部長会議ニュースの屈指の〝愛読者〟ではなかったか。

何度も柳井社長への取材を試みつづけるも散々断られてきた筆者にとっては、この「部長会議ニュース」は貴重な情報源だ。そこで発信される内容を、折にふれて筆者は独自の視点で興奮気味に読みといていくのだが、その様子がなかなか面白い。

 

会社が大きくなると大企業が蔓延し、経営者の指し示す方向性を全社員に浸透させるのは至難の技だ。古典的ではあるが、「部長会議ニュース」として柳井社長のコメントをバイトも含めて全員に回覧するというのは、悪くない試みだと思う。本書では何度と無く「部長会議ニュース」の抜粋が紹介されているが、とにかく柳井社長からの檄が多いことに驚かされる。あるニュースでは「今期は経費の使いすぎにより、成長ではなく膨張であった」というコメントが紹介されているが、「そんな言い方やめてあげて」と思わず笑ってしまった。歯に衣着せぬ言い方で想いをストレートに伝えるのが必要な場面もあろうが、事業部レベルでもコミュニケーション担当がいて、全体へのメッセージを発信する際は伝え方や言葉選びも含めて細心の注意を払う自分の勤める会社とのギャップが興味深かった。

 

また、本書を読むと同社の徹底的な実力主義ぶりが伝わってくる。本書でも紹介されているが、下記ページで同社の職級別の年収がガラス張りに公開されていて、なかなか凄まじい。

www.fastretailing.com

私は、実力主義の外資系企業でずっと働いてきた。その経験から言えることは、この同社の実力主義は、仕事のできて、職級を駆け上がっていける人間にとっては最高の仕組みであるが、仕事があまりできず評価を受けることができない人にとっては地獄の仕組みであるということ、そして後者の群へのケアが仕組みを機能させるためには決定的に重要である、という2点だ。どんなに昇進の基準をガラス張りにし、客観性を保った仕組みを作ったところで、生身の人間は自動的には動かない。実力主義の会社こそ、特に高い評価をだせない人へのコミュニケーションが決定的に大事であり、そこを怠ったらスピンアウトされた人から「あの企業はブラック企業だ」という誹りを受けることになる。本書で、下記のように正社員になれなかったスタッフの恨み節が紹介されているが、これは同社でコミュニケーションの部分がうまく機能していないことがよく表れている。基準をはっきりさせると、その基準の上にあぐらをかいて、思考が止まってしまう人がよくいるが、仕組みや基準というのはあくまでツールであり、それを動かすのは生身の人間であることを忘れてはならないし、そこをうまくやることが実力主義の管理職に欠かせない資質だ。

「店長から、地域正社員になるためには、勤務評価や周りのスタッフをフォローする能力など六つの項目で一定水準をクリアする必要があり、あなたはそのレベルに達していないので推薦できない、と言われました。すべてが私にとって初耳でした。もし地域正社員になれないことがはじめからわかっていたら、ユニクロの辛い仕事に耐える必要もなかったわけです」

 

本書は、ユニクロの現場が臨場感溢れる形で描かれており、読み物としても最高に面白いので強くすすめたいが、ノンフィクションやルポを沢山読んできた私には客観性という点でマイナスの点をつけざるをえない。上記の恨み節もルポの雑誌掲載後の筆者への投書からの引用であるが、もっと実際に一緒に働いている人たちが同社の仕組みや労働環境をどう感じているのか、という生の声も掲載して欲しかった。きっと、この仕組みのなかで活き活きと働いている人も大勢いるはずなのだが、本書ではそういう人たちは「柳井教信者」とひとくくりにされてしまっているのは残念であった。肯定的な視点、否定的な点を公正にのせてこそ真実というのは浮かび上がってくるものではないか。でも、面白かったので『潜入ルポ amazon帝国』も読んでみよう。

 

社会人としての仕事の極意はみんなバイトの中華料理屋で学んだ

私は、学生の頃に大学の近くの中華料理屋でバイトをしていた。勿論、聘珍樓のような中華の名店ではなく、大学のある東京都国立に昔からある「町中華」で、多い時でも社員2名、バイト2名体制でまわす、客席30くらいの小さな店だった。友人は家庭教師などで時給3千円近い謝礼をもらう傍ら、せっせと時給8百円で皿洗いをしている私は、変な奴と周囲には思われていたかもしれない。学生の頃は色々なバイトをしたが、中華料理屋のバイトは通算で3年ほどやり、長く続いたのはきっと自分にあっていたからなんだと思う。働いている社員の人たちは気の良い人ばかりで楽しく仕事をさせて頂いた。「俺、卒業したのラーメン大学だから」とかとぼけながらも、ホール担当が読み上げた注文を10オーダーくらいは頭に入れ込むその記憶力に舌を巻いたものだ。

 

中華料理屋のバイトに楽しかった記憶は勿論沢山あるが、そこから学んだことも大きかった。勿論、麺上げのタイミングとか、プロの下味の付け方とか、音で餃子の焼き色を把握する技術とか、料理に関することも多く学んだが、それ以外にそこで学んだ多くは社会人として仕事をする上で多くが役立っているし、私の強みの多くはバイトの経験を通して培われたと言っても過言ではない。本エントリーでは、私が「町中華」で学んだ仕事の極意を共有したい。

 

仕事やトラブルが一斉に舞い込んでも冷静に対処する力

仕事をしていると、忙しい時に限って、盆暮れ正月が一気にきたように立て続けに色々舞い込むことはよくある。ただでさえ忙しいところに、追い込みをかけるようにトラブルが並行して起きるという経験がある方は多いに違いない。私は、そういう状況においてこそ、仕事人としての真価が試されるといつも考えている。慌てふためいては駄目だし、過酷な状況を呪ってふてくされても事態は好転しないし、投げたり逃げたりするのは論外だ。結局、優先順位をつけて一つ一つ淡々と対処をしていくしかない。わぁーっと仕事が舞い込んだ時に、パニックにならず、一呼吸おいて前に進むためのアクションを粛々ととっていくことは、私は自然とできるのだが、その能力はおそらく中華料理屋のバイトで培ったものだ。
私がバイトをしていたのは小さな町中華なので、店員が4名いても店がガラガラなこともあるが、昼時に一気にお客様が舞い込むということはよくあった。5分前までがらがらだったのに、あっという間に満席になって、てんてこ舞いになるということは日常茶飯事だった。3つくらいのテーブルからお客様がオーダーするために手をあげ、カウンターに運ぶべき料理が一度にあがり、さらにお会計をしようというお客様が2名ほどレジで待っている、それを全部自分で対応しないといけない、なんてことはよくあった。バイトを始めたばかりの頃は、あわあわとうろたえただけであったが、場数をこなすごとに、色々舞い込んでいる状況を理解して受け入れ、百点は諦めて大失点しないことを念頭におき、状況を落ち着かせるために粛々と一つ一つ対応する、対応力と胆力を学んだ

 

自分が苦手な人ともそれなりにやっていく能力

楽しく仕事をする上で、誰と一緒に仕事をするかはとても大事な要素だ。私が会社や部署を選ぶ際に、「一緒に仕事をしたい人」がいるかどうかは、最も重要な指標だ。だが、仕事をしていると、自分が苦手な人とも付き合わないといけない。私は、特に敬意をもって人に接することができない人や自信のなさの裏返しで横柄な態度をとる人とはあまり楽しく仕事ができない。が、そういう人というのは驚くほど多く、そういう方ともうまく付き合わないといけないのが現実だ。
そういう苦手な人への耐性、対応能力というのも、中華料理屋のバイトで学んだことの一つだ。接客業というは本当に大変な仕事だ。飲食店では「お客様」という立場を活用して、上から目線で顎で使ってくる人というのはとても多い。私のバイト先では、特に家族連れのお父さんというのが鬼門であった。「今日はお父さんがご馳走するから好きなモノを食べなさい」だけなら良いのだが、家族にお父さんの威厳を見せるために、ホールの担当に横柄かつ高圧的な態度で接する人というのは本当に多かった。私は苦手な人にはそれが伝わりやすいタイプなので、そういう高圧的なお客様がきた場合は、「この人はこういう人なんだ」ということを心理的にまず受け入れた上で、態度にでないように特に丁寧に対応をするようにしていた。横柄な態度というのは自信の無さの裏返しということに気づくのは社会人になってからであったが、感情をあまり交えず、相手をあるがままに受け入れ、その上でこちらは敬意をもって接するというのはバイトで学んだ姿勢は、苦手な人に対処するためにその後のキャリアで役に立ったことの一つだ。

 

状況を見て、やるべきことを咄嗟に判断する能力

細かな指示がなくても、状況をみて、優先順位をもって取り組むべきことを判断し、実行するというのは仕事を進めていく上でとても大事だ。指示待ちをしている間は一人前とは言えないし、また役割を超えて全体の目的を達成するためにやるべきこと適切に判断し、行動に移す能力は、短期間で大きな成果をあげることが求められるプロジェクトに従事している際は特に大事だ。現状からなるべく多くの情報を読み取り、その情報を適切に読み解いた上で、なすべき行動に落とし込む、その一連の流れというのは理屈だけでなくセンスが問われ、それらの質そのものが、その人の仕事のできるできないを決めると言っても過言ではない。
私のバイト先は、昼食時と夕食時は混沌としていた。鍋担当、麺担当、ホール担当、皿洗いと食材出し担当という役割分担があったが、地味だが私がポジション的によく入っていた皿洗いと食材出し担当は、混雑時に他をカバーする臨機応変さが求めれるポジションであった。最初の頃は、「ホール出て手伝ってあげて!」、「麺、後1分であがるから、よろしく!」、「餃子は注文は2枚だけど、4枚焼いて!」とか、支持を受けて他をサポートするという感じだったが、経験を重ねてくると、他のポジションのカバーも含めて、状況に応じて臨機応変に対応することができるようになった。頭で組み立てて考えるというよりも、状況をぱっと見て、やるべきことがすっと感じ取ることができるようになり、積み重ねた経験を元に直感力を鍛える能力を養うことができ、社会人として仕事をする上で、今でも特に役にたっている。

 

大学に入る前は自分が中華料理屋で3年も働くなんて想像さえしていなかったが、学生の時にやったバイトで一番心に残っているバイトはと言われれば、その中華料理屋のバイトが真っ先に浮かぶ。もう20年以上も前の話で、私がバイトをしていた支店は閉鎖になってしまったが(本店は未だに健在であるのは涙がでるくらい嬉しい)、今でもその活気ある中華料理屋で自分が働いていた姿はありありと思い出すことができる。「みんな、勉強になるから飲食店でバイトしたほうが良いよ!」などと言う気はさらさらないが、思わぬ出会いや勉強の機会があるので、色々なバイトを経験することはオススメしたい。

『FACTFULLNESS』 データに基づいてコロナ禍を読みといてみる

2020年もあと一月で終わろうとしている。2020年のビジネス書ランキングで常に上位を維持している『FACTFULLNESS』は気にはなっていたが、今一つ食指が動かず手にとってこなかったが、やはり話題のビジネス書は目を通しておいたほうがよいだろうという若干後ろ向きな姿勢で本書を読みはじめた。私は、新卒でコンサルタント会社に入り、「事実と事実でないものを区別した上で、事実を元にして判断をする」ということは徹底的に叩きこまれた。なので、本書の「思い込みを排し、データや事実を基に物事を読み解く」というテーマそのものに目から鱗が落ちることはなかったが、一方で「事実というのは、組み合わせ方や光の当て方次第で、間逆の判断を導き出しうる」ことも知っているので、本書で紹介されている、陥りがちな罠(分断本能、ネガティブ本能、直線本能、恐怖本能、過大視本能、パターン化本能、宿命本能、単純化本能、犯人探し本能、焦り本能)にはまらないように、事実に如何に接して、如何に真実に近付くかという10のルールは非常に勉強になった。

 

 

 危機が差し迫っていると感じたら、最初にやるべきなのはオオカミが来たと叫ぶことではなく、データを整理することだ。

『FACTFULLNESS』 第10章 焦り本能

本書では、感染症の危険性についても触れられており、筆者が存命であれば、このコロナ禍で揺れる世界を事実というスポットライトで照らしてくださったことであろう。が、筆者は執筆中に残念ながら亡くられている。残された我われにできることは、本書でえた知見を元に事実やデータを整理し、それらに基き、このコロナ禍の世界を読みといていくことだと思う。幸いにもコロナの感染状況についてはウェブ上で、信じられないくらい詳細なデータにアクセスすることができる。なので、今年のビジネス書ランキングの上位に位置している本書をあらためて激賞するよりも、年末に日本への帰国を予定しているので、帰省予定の東京と、私の住むノースカロライナとウェイク郡の事実とデータを本書の教えの通り整理してみたい。

 

東京都

ノースカロライナ州

ウェイク郡

人口

13,999,568

10,488,084

1,111,761

感染者数

37,355

336,775

26,464

検査数

770,231

4,929,602

-

死亡者数

468

5,035

285

感染率

0.27%

3.21%

2.38%

検査数/人口

5.50%

47.00%

-%

感染者死亡者率

1.25%

1.50%

1.08%

人口死亡率

0.00%

0.05%

0.03%

     

11月22日時点

       

非常に基本的なデータであるが、これはスタート地点としてはなかなか面白い。こうやってデータを眺めるだけで、新しい発見もあれば、新な疑問もわいてくる。頭に浮かんだ考察を徒然なるままに書いてみたい。

  • ノースカロライナは東海岸の片田舎であり、広いアメリカの中でもさびれているほうかと思いこんでいたのだが、何と州別の人口ランキングで全米9位ということが判明。なお、東京より人口が多いのはニューヨーク、フロリダ、テキサス、カリフぉリニアとのこと。
  • 感染者数はニュースなどでよくとりあげられるが、やはり人口に対する感染率をみないと状況がみえてこない。わがウェイク郡は州都ラーレーがあるのでノースカロライナの中では、金融都市シャーロットがあるメクレンバーグ郡と並ぶいわゆる都市部だ。ノースカロライナ全体の感染率と比べると3割ほど低いので比較的良いほうではあるが、同じ規模のメクレンバーグ郡は感染率が4.3%と高いので一概と都市部と田舎間の格差という単純化はできないようだ。
  • これらと比較すると感染拡大が心配されているものの東京の感染率は驚異的に低い。夜の街に繰り出すなどの羽目を外さなければ、こちらよりは安全そうだ。日本のニュースなどを見ると街や駅には人が溢れており、ソーシャルディスタンスが器をつけなくても保てるウェイク郡とは人口密度が違うので感覚とあわないが、ここまで感染率が違うと明らかにリスクは東京のほうが低いと判断できる。
  • 一方で検査数/人口について言うと、これまた驚くべき差がでている。東京の検査数は人口に対して少なすぎるように見えるが、一方でノースカロライナの検査数の多さには驚かされる。勿論、1人が複数回受けているケースも多々あるので、半数近くの人が検査を受けているわけではないものの、私も帰国前にドライブスルーで検査をうけてみようと思う。これらの数字からは、東京には隠れコロナ感染者が一定数いて、実はもっと感染しているのではないかという懸念がある。
  • また、感染者死亡者率も興味深い。わがウェイク郡は医療体制が非常に整っているので死亡率をおさえることができていると推測できる。また、東京と死亡者率に大差がないことを考えると、東京の感染者数は検査数は低いものの、そんなに間違っていないのではないかと推測できる。

 

本書は読み物として勿論面白いし、勉強になるが、実際に10のルールをちらちらと見ながらデータと事実を掘り下げていくと、新たな疑問が広がっていき、真実にぐいぐいと近付く感覚がえられる。人種別、年齢別の感染率、クラスターの発生率など他にも興味深いデータが沢山あるので、本書を参考にしながらデータをもう少し見ていきたい。

『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』 自分と向き合う時間を作る

ステイホーム生活が始まってからわが家では朝礼を朝食を食べながら毎日実施している。日ごとに子供も含めて担当の家事が決まっているので、その日の家事の内容を確認したり、夜の電話会議の予定を全員と共有したり、週末に皆で決めた晩ごはんのメニューを確認したりしている。私の一日は朝の家事と朝礼をし、朝食をとるという「家族と向き合う」ことから始まる。

 

子供のオンライン授業は7時30分から始まり、私は大体朝の7時から8時の間にその日の一番初めの会議が始まる。世界各地の地域ヘッドクォーターが仕事のカウンターパートであるので、アジアパシフィックにあわせて全体会議は朝の7時から始まることが多いし、インドにオフショアセンターがあり、日常業務の多くを助けてもらっているので、そのチームと打ち合わせをすると7時か8時くらいが最適な時間となる。朝一の会議が終わると、そのまま数珠つなぎのように会議詰めの時もあれば、大量に来ているメールやチャットをこなす作業時間がとれることもあれば、役員からテキストが来て緊急対応で午前中がつぶれる、なんてこともよくあり、午前中の残りの時間は「仕事や同僚と向き合う」時間だ。

 

子供たちは授業は開始の時間は同じなのに、娘の昼休みは10時30分から始まり、息子の昼休みは11時30分から始まる。なので、妻は娘と昼ご飯を食べ、私は息子と昼ご飯を食べる。料理が好きだが、昼食の準備にあまり時間をとるわけにはいかないので、準備時間は10分以内と決めている。授業が終わると息子からLINEが入るので、YouTubeを見て腹筋と視力回復体操を15分ほどして、ちゃちゃっと昼ご飯を作って、息子と一緒に食べる「家族と向き合う」時間がしばしある。

 

昼ご飯が終われば、仕事に戻り、ひたすら「仕事や同僚と向き合い」、時間がとれたら休憩がてら息子と散歩に言って「家族と向き合う」時間をしばし過す。夜に会議がはいることもあるが、基本的には午後の5時30分くらいにはなるべく業務を終え、少し休憩しつつ、散歩やランニングや筋トレなどの運動をし、少し「自分の時間」を過す。

 

ステイホーム生活が始まってから晩ごはんの支度は家族ですることにしており、午後6時15分が開始の時間となっている。家族で分担をして三品作り、風呂に入って、家族で夕食をとるという「家族と向き合う」時間を過ごす。晩ごはんを食べ終わると子供はテレビを観るか、自室に戻るかするので、夜の会議が無い時は、軽くワインでも飲みながら「妻と向き合う」時間を過ごす。私の生活はこんな感じで、仕事が忙しくて大変に思うこともあるが、家族との時間をたっぷりとれているので、満足している。

 

『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』は、『ずっとやりたかったことをやりなさい。』の続編で、自分らしい自分だけの人生を歩むための多くの示唆を与えてくれる自己啓発書だ。モーニング・ページ、アーティスト・デート、ソロ・ウォーキング、メモワールという4つの手法が紹介され、どうやって「自分のやりたいことを見つけ、実戦していくか」について、様々な事例と共に紹介されている。正直、私は20〜30代の頃に自己啓発書はたっぷり読んだので、最近は殆ど読まない。「アメリカで家族と楽しく過ごす」という「やりたかった」ことを謳歌しているので、特に自分探し系の自己啓発書は「結構でございます」という感じだったのだが、中田敦彦のYouTube大学で紹介されているのを見て、妙に気になって手にとってみた。

 本書を読んで、改めて自分の一日を上記のようにまとめてみて気付いたことがある。私は「自分と向き合う」時間を殆どとっていないのだ。ランニングをしている時など、走りながら自分の頭の中の雑念がはらわれる感覚が覚えることはあるが、意識的に自分と向き合ったり、内省することがいつからか殆ど無くなっていることに気付いた。

 

本書を読みながら、本書で推奨されるモーニング・ページというものをやり始めてみた。これは、朝一に、ノートに自分の頭の中に浮かんだことを徒然なるままに2ー3ページ書くという作業なのだが、本書ではそういう言い方はされていないが、これは朝一で自分と向き合う時間を作りましょう、という行為なのだ。直観的に今の自分に必要だなとは感じたが、実際に初めて見ると思ったよりも効果が高い。ノートに書かれることの殆どは自分が今気になっていることであり、気になっているということは大体は懸念事項であったり、何がしかのアクションをとらないと薄々認識しているものだ。そういうことを言語化し、内省し、可視化すると、それを一つ前に進めるためのアイデアが浮かんだり、アイデアを実現するためのアクションが浮かんだりする。そういうアクションは大体が、着手するのに躊躇する面倒なことなのだが、書き出すという行為を通して「これはやらんとあかん」と自分を説得することができているため、モーニング・ページをやる前よりも物事がぐいぐい進んでいる気がする。

 

今はまだ第一段階として、頭の中のゴミの整理をして、出発に向けてチューニング作業をしている状況であり、「ずっとやりたかったこと」に創造的に取り組むという段にいたっていないが、他の手法も試して次のステージに進んでいきたい。コロナ禍で仕事や家族との向き合い方を今一度考えているという方も多いと思うが、本書はそのとっかかりと具体的な方策を与えてくれる良書だ。今一度自分と向き合い、自分の人生について考えないといけないと、少しでも思っている方にはおすすめの一冊だ。

『未完の資本主義』 現代資本主義を問う新しい視点

本書『未完の資本主義』は、国際ジャーナリストの大野和基による、世界的に話題を集める知識人へのインタービュー記事である。

 

ポール・クルーグマンやトーマス・フリードマンという大家から、デヴィッド・グレーバーやルトガー・ブレグマンなどの気鋭の学者・ジャーナリストがずらっと名を連ね、この混沌とした現代社会を捉える多様な視点が一冊で味わえお得感の溢れる一冊である。「資本主義はテクノロジーの変容にあわせて、どう変化して、どう進化していくのか」というのが本書の一貫したテーマである。最近読んだ本の資本主義論といういうと、行き過ぎたグローバリゼーション、過剰な格差社会、歯止めのかからない地球温暖化と気候変動という負のテーマが多かったが、本書は経済学のみでなく人類学な歴史学などの様々な角度から現代資本主義を問う視点が紹介されており、「そんな見方があるのかぁ」と目から鱗のおちる瞬間の多い良書である。

 

世界の知の巨人7名というのは少し言い過ぎな感があるが、どの対談も示唆に溢れ、再読の上、いくつかの原典にあたりたいと知的好奇心を刺激するものが多かった。『続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析』の著書であるトーマス・セドラチェックは精神分析のアプローチを使って現在の資本主義や経済学を問うというその斬新さが特に面白かった。セドラチェックの自身を精神科医として、「経済学」を患者として診療するという取り組み方は突飛ではあるが、「数字で説明できない現実から目を背けて偽り、数字で説明可能なものしか見ようとしない傾向は自閉症気味である」であるとか、「経済成長することが自然な状況であり、経済成長せずとも経済は機能するという大前提を見逃して制度設計しているのは誤りである」というのは私にとっては興味深く、新しい視点であった。また、労働環境も改善され、かつ子供ですらインターネットにアクセスしあらゆる情報をえることができる、この平等な社会にマルクスが生きていたら、彼はマルクス主義を主張したであろうか、という問いは斬新で面白かったので、以下引用する。

二〇〇年前なら、恐らく私はマルクス主義者になっていたでしょう。小さい子供が(過酷な労働で) 死んでいたからです。その一方で、もしマルクスがいまの時代に生きていたら資本主義国に住みたいと思うかどうか。これは興味深い問いであるといえます。現代の資本主義国なら(マルクスの目指していたような、誰にとっても) とても快適な生活ができますが、彼の思想とは離れています。では、彼は中国や北朝鮮のような共産主義国に住みたいと思うでしょう 。

 

なお、AMAZONでは、著者がポール・クルーグマンとして掲載されているが、これは適切ではない。これでは、クルーグマンがフリードマンやセドラチェックと対談したかのように見えてしまうが、クルーグマンは7人の対談相手の1人にすぎない。日本人にとって馴染みの深いクルーグマンを前面に押し出したい出版社の気持ちはわからなくもないが、本書の価値は一番手として口火をきるクルーグマン以降の論稿にあると私は思う。伝統的な経済学から距離をおいた新しく、かつ注目を集める視座に多く触れることができるので、本ブログの読者の方には特にオススメの一冊だ。

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