Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『モダンガール論』 「仕事と家庭の両立」にまつわる歴史のあれこれ

私はジェンダー論を好んで目を通すほうではない。論理的かつ客観的であることを試みている文章でも、男性社会に対する恨み節であったり、恵まれない境遇への悲壮感であったり、善悪に固執する煙たい正義感が充満するものが多く、今ひとつ素直に読み込むことができないからだ。が、先日米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読んでいたら斎藤美奈子の『モダンガール論』が下記のように紹介されており、なかなか面白そうなので読んで見た。

モダンガール論 (文春文庫)

モダンガール論 (文春文庫)

女性の書き手による今までの女性史に漂う「これほどまでに性差別に苦しんできたのよという怨嗟も、「女性解放運動の力でこれだか女たちは進歩した」といううっとおしい正義感もない。いつの時代にも女たちが抱いた、なるべく楽してリッチな暮らしがしたい、世間に認められたいという欲望や出世願望を倫理的に裁くのではなく、社会と歴史を発展させる原動力としてとらえ直しているのが新鮮だ。
『打ちのめされるようなすごい本』 P.31

本書の主題は明治から現代にかけてのここ百年の女性史ではあるが、軽いタッチの筆致のため歴史書としての重苦しさはなく読みやすく、その一方で時代毎に筆者の論の裏付けとなる文献が丁寧に紹介されており説得力がある。そして何より恨み、悲壮感、正義感などの重苦しい感情が皆無でからりとしており、男性に受け入れやすい書きっぷりとなっている。米原万里が指摘するように「女性の欲望や出世願望を倫理的に裁くのではなく、社会と歴史を発展させる原動力としてとらえる」その視点は、おっかないフェミニズム論者のおばさんのものとは異なる新鮮さがあり、また変化の胎動というと大仰だが、時代が動いていく現場感がそこにはある。


私の中での本書からの主立ったつかみは下記の通り。

  • よりリッチで楽な暮らしがしたい、社会の中でもっと評価されたいという女性の欲望、出世願望こそが社会に大きな変化をおこす原動力となってきた
  • 虐げられた女性の権利解放という高邁な思想より、薄っぺらくても旧態依然とした体制側のおじさんに受け入れられやすく、かつ深い思慮がなくとも気軽に飛びつきやすいお題目のほうが重要(例えば、明治時代における「良妻賢母」、など)
  • そういったお題目はマジョリティに浸透した段階で、消費され尽くし、古くさくカビの生えた思想になりさがってしまいがち
  • 新しい考え方がマジョリティに普及する段階では、女性誌によるプロパガンダとその受け皿となる仕組みの整備がセットになる必要がある(例えば、短大+一般事務職、など)


歴史は繰り返すというが、女性史、並びに「仕事と家庭の両立」にまつわるあれこれについてもその例にもれないことが本書を読むとよくわかる。そういった歴史観が語られる本書は、現代の動向を読み解くフレームワークとまではいかないが、いくつかのヒントを与えてくれる。
女性史と表裏一体の男性側の立場としてわが身を振り返るに、やれイクメンだの、家事メンだの、ファザリングだの、イケダン(これはマイナーか、、、)だの、父親となってからその手のバズワードに日々さらされ、新たなプロパガンダの波をざぶざぶと浴びているわけである。たまに高波にさらわれてとんでもないことになっている友人を見るが、はたから見たら自分自身も実は波にされわれているんじゃないかと危惧を覚えたりもする(ま、さすがに自分自身のことをイクメンとか思ったりはしないが、、、)。そういった波にただ流されるのではなく、一歩引いてみる視点を本書は提供してくれるので同世代子持ちの諸氏には是非おすすめしたい。


なお、本書には単行本(1,680円)と文庫(690円)の二種類があるが、装丁を重んじて単行本を買ってはいけない。単行本の副題は「女の子には出生の道が二つある」で、「社長夫人」(高年収の男性を結婚相手としてゲット)と「社長」(ビジネスエリートとして高年収をゲット)の二つの出世街道をあげているが、文庫からは意図的にこの副題が外されている。というのも「文庫版のためのちょっとした補足」という最後の項で三つ目の選択肢があげられているからだ。長くなったので、その選択肢の紹介はここでは割愛するが(別エントリーを書くかも)、是非本書を手にしてそれを確認して頂きたい。

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