今年は原因不明の消化管出血を患い、検査のために病院に通う日々を一時期過ごした。「お前は若いから癌なら進行が早くポックリいく」なんて激励を周囲から受けつつ、可能性としてなくもないよなぁと死について考える貴重な機会をえた(幸いにも癌ではなかったが)。
死を意識すると「自分の生きた証」って何だろうってことを考える。難しいテーマで、未だにはっきりと答えは見つからないが、「自分が存在した世界」と「自分が存在しなかった世界」の「差」が「自分の生きた証」なんじゃないかと今は思っている(そのまんまではあるが・・・)。
友人、知人、同僚、お客様、そんな人達に自分は何か「差」を残すことができてるのだろうか、ブログを書き散らし、それを読んで頂いている人たちに何か「差」を作ることができているのだろうか(最近全然更新してないが・・・)、何てことに思いを巡らしつつも、確かに存在するわが子は私の「生きた証」であり、はっきりと「証」があることに幸せを感じる。
先日スティーブ・ジョブズ氏の訃報を受けた。強いショックを感じたし、「早すぎる・・・」ととても悲しい気持ちにもなった。でも、「ジョブズ氏のいた世界」と「ジョブズ氏のいなかった世界」の「差」、彼の「生きた証」に思いをはせると、ショックとか悲しさという感情は自然と消え、ただただ「お見事」という尊敬の念が湧きおこる。
数え切れないくらいの「差」を世界に残した素晴らしい人生を全うしたジョブズ氏。お疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。